岩尾鉱山跡 探検: 北の細道

岩尾鉱山で硫黄を見る




北海道増毛町
『一国の商業的繁栄は、その消費する硫酸の額によって判断できる』
19世紀の有機化学者 「ユストゥス・フォン・リービッヒ」1803〜1873、独 の言葉である。

硫黄の化合物、硫酸( H2SO4)は工業において最も重要な『酸』である。
ただ日本での硫酸の生産は鉱山硫黄からでなく、
世界的にも珍しい、硫化鉄からの生産であった。

硫黄の工業用途は火薬やマッチと言われるが、それは過去の話で、
現代工業においては二酸化炭素・パルプ・合成繊維・化学肥料・ゴムなどの製造に利用されている。

日本がためらいなく近代化の道を進んだ昭和20年代、
主に火山の露天掘りで採掘可能な硫黄は、鉱業の中心的存在となった。

知床阿寒押野 、那須、そして八幡平。
多くの硫黄鉱山が全国に存在し、『黒ダイヤ』ならぬ『黄色いダイヤ』と呼ばれた時期さえある。


しかし昭和40年代、すべての硫黄鉱山は閉山に追い込まれる。

今回訪れた岩尾鉱山もそのうちの一つだ。
昭和13年、岩王鉱山として開鉱した後、 昭和18年に一度、硫黄鉱業整備により休山するまで、
約2,000tの硫黄を産出した。
昭和23年、昭和33年にそれぞれ新鉱床を再開発、 閉山直前には月産500tを目処に、
焼取式製錬法による五基の焼取釜による 生産が行われ、船便にて増毛に送られた。

しかし、製品を船積みする不便さと、非効率な運搬費が経営不振を招き、
昭和35年、廃坑のやむなきに至った。



色濃く残る製錬施設、巨大な発動機の廃祉、
焼取釜のメカニズムと廃坑に至る過程を見ながら、
鉱山跡の原風景ともいえる硫黄鉱山跡を探索してみよう。



激藪・未踏・坑道・・・





精製硫黄
( ̄u ̄;)精製硫黄



トップページへ