知床硫黄鉱山跡  探検: 北の細道 知床硫黄鉱山

知床硫黄鉱山でパホイホイ硫黄を探す




北海道斜里町

   『パホイホイ溶岩』はハワイ島のキラウエア火山など玄武岩噴火山で発生する、
粘度の低い流れやすい溶岩流が冷えて硬化することで形成される。
滑らかな表面と網状模様が特徴で、
語源はハワイ語の(表面が滑らかで溶けていない溶岩)の意となる。

ここ知床の硫黄山中腹、海抜700m附近に昭和11年(1936)5月、
噴出した硫黄は 一晩でその量、17,000t。
産額にすると 「50万円」約13億円 、大卒初任給が73円の時代である。

遡ること安政4年(1857)には松浦武四郎の「知床日記」に記述があり、
一つの谷が硫黄で埋まり、5年や10年でも尽きることのない量の硫黄が存在したとのことだ。

慶応3年(1867)には会津藩が採掘を行い、
この時には原鉱を5貫(18.75s)ずつ人夫が背負い、歩いて山を下ったという。

明治11年(1878)頃から本格的に採掘が進み、数度の噴火と共に年間390〜1,200tの採掘が行われる。
「鉱夫用地車」三日月型の運搬台車 の採用などにより増産体制を確立、明治19年(1886)には全道4位の生産額に達する。
ところが明治22年をピークに明治36年(1903)には採掘しつくして一旦閉山となる。

そして前述の昭和11年の大噴出で再びカムイワッカ沢は硫黄で埋め尽くされる。
20万tの硫黄は再び採掘の対象となり、それは昭和14年(1939)まで続くこととなる。

知床硫黄山の噴火では、粘度の低い溶融硫黄が直接噴出し、
固化した際に滑らかな表面が形成されていた。
大規模に総て採掘されたはずの硫黄成分だったが、
2017年に奇跡的に発見された純粋な硫黄の塊は、
岩の下の閉じ込められた空間で静かに保存されていて、
網状模様に滑らかな表面を持った顕著な『パホイホイ硫黄』の特徴を有し、
非常に珍しい標本として現在も保存されている。


今回は天候、獣害による断念を含む三度目のアタックによる鉱山跡到達の記録である。
現地はヒグマの生息域であり、今回もニアミスが発生しそれは反省の対象となった。
ヒグマとの遭遇、そして共存を考えさせられる探索であった。




羆・噴火・火山・・・






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( ̄u ̄;)ヒグマ





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