輸送保険のかかった鉱石
郡山は東北地方の南端部にあり、
新幹線や東北道が交差する交通の要所である。
そして東北エリアでは仙台に次ぐ第二の街となる。
選鉱所に向かう。
大規模な鉱山跡らしく、
入山ポイントから遺構が点在する。
索道の基点のような廃祉がある。
昭和37年(1962)までは磐越西線までの索道が存在した。
鉱石はその後、岩代熱海駅まで地元業者によりトラック輸送を行い、
鉄道により搬送された。
木製の小屋が残る。
どうやら変電関連の施設のようだ。
内部には碍子や棚以外何もない。
木造で内部に波板が張ってある。
亜鉛メッキされたトタン板のようで錆が少ない。
外部には裸電球が割れずに残っている。
昭和14年(1939)には坑内従業員658名、坑外従業員707名、請負195名の合計1,560名、
鉱山町は戸数580戸 人口3,302名に及んだ。
付近にはボイラー用の煙突が残存する。
ボイラーは密閉した容器内で水などを加熱し、
発生した圧力の高い蒸気や温水を他に供給する装置だ。
SLなどの蒸気機関車や火力発電所も広い意味でのボイラーとなる。
かつての製錬時に砕いた鉱石を脱水加温するアジテーターという装置が存在したが、
その加温用スチームを供給していたようだ。
斜面に巨大な製錬施設がある。
大正7年(1918)久原鉱業が買収、後に日本鉱業(株)に移り
昭和10年(1935)青化製錬所が竣工後、黄金期を迎えたその証だ。
製錬所の最下層には沈殿池のような施設がある。
オリバーフィルターを通過後、金銀合金を含んだ濾液と汚泥状の鉱滓に分かれる。
その濾液の水槽のようだ。
マウスon オリバーフィルター
浸出後のパルプ(鉱液)は3段の逆流傾斜洗浄法(ろ過方向とは逆の水流を用いて洗浄)を用いてろ過脱水を行い、
排出した半固体は堆積場に搬出、流送堆積を行っていた。
砕いた鉱石を青酸と混ぜて、化学反応により金を抽出する製錬所。
青化製錬のメカニズムについては、
【竹野鉱山】、
【Ca鉱山】、
【青化製錬所】
等をご覧いただきたい。
製錬所の右斜面には二条の軌道がある。
これは恐らくインクラインで、階段状の製錬所最上段に鉱石を運搬する装置だ。
坑外インクラインは30馬力×1台/15馬力×2台/10馬力×2台の5本が存在した。
マウスon インクライン
インクラインの中間駅のような廃墟がある。
稼行範囲は東西2km、南北6km、
標高間250mの広範囲となる。
製錬所頂上を目指し登攀する。
製錬所完成前は坑外鉱と呼ばれる旧時代に破棄された製錬にそぐわない低品位鉱が
約50万t周辺に堆積していた。
低品位鉱まで製錬できるこの新製錬所が昭和10年に完成して以来、
捨てられていた旧滓を再製錬していた。
また混入する珪酸鉱は銅や鉛などの製錬材料となるため、
日本鉱業(株)などの製錬所に売鉱していた。
製錬については坑内採掘鉱も堆積鉱も手選後、
全泥式青化法により金合金の抽出を行っていた。
能力は5,000t/月、15mm以下に破砕後、摩鉱を行う。
70ミクロン(0.07mm)程度となった粉鉱を青酸と化合して処理する。
パルプからの金液は亜鉛との混合により収金する。
析出した金合金は日立製錬所に送り精金された。
これはトイレのようだ。
古い陶器の便器が散乱する。
上部の選鉱施設に到達。
斜面上部にインクラインで鉱石を運び込み、
選鉱施設で破砕、摩鉱、細かくなった粒や粉の鉱石を、
下流の製錬施設で化学処理を行う。
こちらはコニカルボールミルなどの摩鉱機器の基礎のようだ。
コニカルボールミルはφ2130×560のもの、
チューブミルはφ1500×3000のものが存在した。
マウスon コニカルボールミル
そして選鉱所に残る最大の遺構がこのコーンクラッシャだ。
コーンクラッシャーという装置は二次破砕に使用され、
中塊を20o程度以下に砕く。
コーンクラッシャーは偏心回転しながら上下動するマントルという傘状の刃具と、
コーンケーブに挟まれた鉱石(緑)を衝撃を用いて磨り潰す装置だ。
この工程で鉱石はずいぶん細かくなる。
鉱石を砕く装置としては他にもブレーキクラッシャなどが存在したようだ。
粗鉱は脱泥後、15mm以下に粉砕し、
その後200メッシュ(0.13mm)以下に磨り潰された。
コーンクラッシャのメリットは丈夫で高生産性、過度な負荷がかからないこと。
変わってデメリットは破砕できる原料が200mm以下であること、
粘土混合材には適さないことなどがある。
マウスon コーンクラッシャ
鉱員住宅や寮は眺めのいい場所に建設されていた。
収容1,000人の集会所では映画や講演などが催された。
鉱山町には郡山市内の総合病院の出張診療所が設置されていた。
熱海病院高玉鉱山診療所として、医師1名、看護師1名が専属していた。
生活協同組合の物品販売所が2棟あり、
食料品や日用品、衣類等生活用品の販売を担っていた。
また保育所も完備され、保母は2名常駐、
満3歳児より保育と食パンの給食制度があった。
他には理髪店と美容院が各1棟、
グランドやテニスコートの体育施設も整っていた。
ここ貯鉱舎では砕いた鉱石を粒度別に分類して保管する。
必要に応じてブレンドしたり、単品の粒度の鉱石を下部から排出する。
鶯坑には品位60〜80g/tという高品位な
【直利】
が発見され、
坑内夫がそれらを弁当箱に詰め込んで持ち帰らないかと
問題になったことさえあった。
高玉鉱山青化製錬所は昭和18年に金山整備令が発布された中、
全国の青化製錬所が全廃された中で唯一残存した。
これは建設者である所長が当時の商工省へ学術参考の資料として残して欲しいと
複数回の折衝を行った成果であったという。
高玉鉱山本山坑の西北二号脈は大変な高品位で、
金・銀ともトン当たり20kgとなっていた。
日立精錬所への送鉱には入念な梱包が施され
鉱石には輸送保険を掛けるという、
他鉱山では例を見ない保護ぶりだったという。
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