高玉鉱山跡 探検: 北の細道 高玉鉱山跡

高玉鉱山でコーンクラッシャに逢う



福島県郡山市


 『日本の東北 奥羽の空に 金鉱覇王の われらの山ぞ』
これは当時の高玉金山所長の恩師である詩人が、高玉金山を訪れた際に作ったものである。

安達太郎連峰の南端部に位置し、冬季の積雪は30cm程度、
主要鉱床は南から青木葉・本山・鶯があり、
昭和39年(1964)までの累計産出量は金25t、銀230tとなっている。

慶長年間から知られており、明治19年に旧鉱滓の再製錬と旧坑の掘削を再開、
混汞(こんこう)法や青化法を試みたが、41年(1908)以降は日立鉱山製錬所に売鉱したという。

昭和14年(1939)の最盛期には鉱量年間14万t、金1t、銀10tを産出したが、
昭和18年(1943)の金山整備令により操業を停止した。
昭和20年(1945)に再開、昭和37年(1962)以降は高玉鉱山株式会社として独立、
昭和48年(1973)に閉山を迎える。

鶯坑が発見された大正期には、日に何本もの新脈が発見され、
これらに単独の名称を命名するのが一苦労だったという。
中には別々に脈の名を付したところ、結局は同じ脈であったことが後に発覚し、
『同一脈』という名前をつけた鉱もあったようだ。


今回は著名な金山の青化製錬所を探索する。
昭和10年に竣工した巨大廃祉を訪ねてみよう。

SHコーンクラッシャ・全泥式青化法・オリバーフィルタ・・・



SHコーンクラッシャ
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