住友赤平炭鉱 浄水場  探検: 北の細道 住友上歌地区専用水道

住友上歌地区専用水道でうたかたの水瓶を見る




北海道歌志内市

   戦後復興と共に住民福祉と民生の安定が
自治体行政の課題として取り上げられるようになった。
炭鉱関連についても戦後、炭鉱住宅の改良をはじめとして
生活環境の改善が図られることとなった。

そんな中、歌志内でも生活用水の供給について施設の改善が行われた。
昭和26年(1951)ごろから水道敷設を切望する町民の声が高まり、
昭和28年(1953)に歌志内町議会は水道敷設調査委員を選任して検討に取り組んだ。

一方、隣町赤平市も大正時代から多くの炭鉱が開坑し、
昭和13年(1938)までに 住友赤平北炭赤間雄別茂尻昭和電工豊里、 の大手四炭鉱が稼働していた。

この地区内での飲料水や工業用水の確保は早急に整備が必要な事項であった。
昭和12年(1937)から15年にかけて、茂尻坑、豊里坑、赤間坑など炭鉱資本によって建設された給水施設は、
一定の浄水確保がなされたが、それ以外の市街地は堀井戸や沢水を利用した原始的な水道で、
多量の鉄分と有機物を含み、飲料水に適したものではなかった。

そのため消化器系伝染病患者が年々増加し、昭和26年頃にはその患者数が330名に及んだ。
また、石炭産業の急激な発展に伴い、木造の簡易住居が増え、
防火設備も整備されておらず危険な状態だった。

歌志内町議会は空知川を水源とする上水施設を設けて給水することについて、
住友石炭砿業株式会社及び赤平市の共同で施行することを可決、
北海道知事に対して「上水道新設工事認可並びに水利使用許可」の申請を行った。
認可後、昭和30年(1955)7月から赤平市への給水を開始、
翌年、昭和31(1956)年6月から歌志内歌神地区、神威、中村、文殊と随時通水した。


今回は炭鉱関連の浄水施設の探索だ。
詳しい位置についての資料はなく、
数度のアタックによっての到達だ。
実際の施設跡を探しつつ、その歴史的な遷移も確認してみよう。




配水池・増水ポンプ・広域水道企業団・・・



配水池
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