歌志内・赤平・住友のJV


歌志内市街地に残る自動車教習所の廃墟である。
歌志内町が市に変わったのは昭和33年(1958)から。
当時の人口は4万人強、現在は2,900人。
日本一小さい市ながら、子育てや移住者に手厚い保護がある。 自動車学校


標高270m付近を目指す。
道は無く、事前に読んだ地形図から傾斜の少ない場所へ回る。
まずは配水池、水槽施設が目的地だ。 廃道


ここからは激藪、簡単に方向を見失うので要注意だ。
住友石炭鉱業は大正2年に本地区で開坑し、
当時はペンケウシュタナイ川上流で取水した。 激藪


しかし水量が乏しく、昭和11年頃、空知川対岸の百戸にポンプ座を設け、
河中に配管し上歌まで送水した。
昭和15年(1940)にはつり橋を敷設して送水している。 激藪


速いペースでずいぶん登ってきた。
昭和13年には住友赤平坑を開坑することとなり、本施設から給水されたが、
昭和20年頃から給水量の拡大に対応するため、取水口を上流域に増設して対応した。 登坂


頂上付近は藪が無く、そして遺構に到達だ。
やがて住友石炭鉱業(株)赤平鉱業所、赤平市、歌志内町との
三者共同による上水道敷設工事が執り行われる。 配水池


足元には配管のエルボの様な部材が落ちている。
昭和30年代半ばからの石炭産業の斜陽化は、歌志内市にとっても炭鉱縮小化、
さらに閉山の連続となり、人口流出による過疎化が進行する。 配管



想像以上に大きな施設だ。
閉山により会社専用水道の経営も打ち切りとなり、
旧炭鉱水道区域の残留住民箇所を、市営上水道に切り替える必要性に迫られ、
更に市営水道の存在意義が重要視されることとなる。 遺構


長方形と円形の水槽が2か所。
角型の方が余剰水の調整井で円形の方が配水池であろう。
処理した浄水を汲み上げ、ここから重力で街に送水する施設である。 水槽


太い150A程度の配管が敷設してある。
昭和58年には滝川・砂川・歌志内(その後奈井江町)三市による、
一部事務組合方式の『中空知広域水道企業団』が設立された。 配管


円形の水槽上部には、ポンプ室の小屋がある。
企業団の理念は増大する水道事業に対し、各市町村が独自に水源を確保するよりも、
共通する関係市町村が共同で、長期的展望の下に同一目的の事業を推進することが、
合理的で安定した水の供給につながるという考えだ。 ポンプ室


将来にわたる水資源の確保、水質の安全、水道経営の諸問題などについて、
水源を国が空知川上流に建設する多目的ダム『清里ダム』に求め、
維持費の低減と合理的な維持管理をもとめるため、
水道法に基づいた三市の共同経営事業方式としたものだ。 配水池


水槽には蓋が為されてあり、上部に登ることはできない。
企業団というのは水道用水供給事業を行う構成団体で、
水源の広域的有効利用と財政投資の効率性を求める地方公営企業を呼ぶ。 水槽


配水池は日中の処理量以上の給水に対応するため、
夜間に貯水し、火災などの緊急時にも十分な水量を確保するために
複数の水槽で分散配置される。 遺構


再び移動し、給水が尾根を越えるための増圧ポンプ施設を探索する。
炭鉱企業の城下町には水道が敷設され、
街がそれを使用する承諾を得るのがこの時代の通例だった。 増圧ポンプ


予想地点にはタイルとコンクリートの施設跡がある。
赤平が公共上水道の認可を得たのが昭和28年10月である。
市政による浄水施設の整備が急務とされたのである。 タイル


明らかにオーバーフローした水を流したであろう水路跡がある。
当初は赤平市のみの対象浄水施設で、伏流水にて対応することになった。
空知川左岸に集水井を築造し、赤平公園高台に配水池を設けるものであった。 水利施設


ポンプを駆動する電源関係の建屋も残る。
計画の浄水施設は、北電班渓発電所の開業で空知川の水位が下がり、
議会の工事議決後に取水不能となり、再検討を余儀なくされた。 増圧施設


幸い、同時期に住友鉱が新浄水場建設を計画しており、
赤平市と住友鉱の話し合いにより、共有施設としての事業着工となり、
昭和30年7月から赤平市への給水を開始した。 ポンプ室


高価な機器を搬出したであろう壁には大きな穴がある。
翌年の昭和31年、歌志内市からの共同事業参入の要請があり、
これを受理し認可となった。 遺構


しかしながら、昭和42年には豊里坑、44年には茂尻坑、
引き続き48年には赤間坑が閉山し、
炭鉱の浄水施設はすべてが街に譲渡されることとなった。 水桶


平成6年の住友鉱閉山に伴い、その後の各区域の給水拡張を市が行い、
第8次事業をもって市内全区域の給水が炭鉱施設から分離し、
市の管轄となった。 給水施設


赤平・住友・歌志内連携の痕跡が山中に残存する。
このように赤平・歌志内両市の上水道の変遷は炭鉱の栄枯盛衰と大きくかかわりながら
推移したのが特色となる。 給水施設






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増圧ポンプ施設
増圧ポンプ施設跡

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