常呂水銀鉱山跡 探検: 北の細道 常呂水銀鉱山

常呂水銀鉱山で舎密開宗の教えを解く



北海道北見市留辺蘂町

 天保8年(1837)から刊行された日本初の化学書が『舎密開宗』(せいみかいそう)である。
化学親和力や熱素、酸素や窒素などの無機化合物から金属、有機化合物までもが記載されている。
アルカリ、還元、飽和など、ここに記載された化学的用語は、現代でも使用されている。
天保8年といえば大塩平八郎の乱の頃だが、ここに『列篤爾多』との文字がある。
これはレトルトと読み、『瓦斯(ガス)を発する物品を納れ』と解説がある。

レトルトとはもともとは実験用具で、球状の底から細く長く下に伸びるじょうろのような側管があり、
蒸留や乾留のために球部で加熱、側管で生成した気体や蒸気を集めるガラスや鋼製の器のことだ。
今ではレトルト食品のように、食品を加圧・加熱・殺菌する装置の名称にも使うが、
水銀の製錬にレトルトは使用されてきた。

『舎密開宗』にもあるように物質を熱して化学反応を起こし、
発生した気体を収集する気密性容器のことをレトルトと呼ぶ。

水銀の沸点は非常に低く(356.7℃)、鉱石である 辰砂 を400℃程度に加熱し、
その気体を気密容器(=レトルト)で回収、沸点以下に冷却すれば水銀が気体から液体に戻り、
水銀の分離回収が可能となる。
これが水銀の製錬方法で、ある規模以上の水銀鉱山ではこの製錬方法が行われてきた。

常呂水銀鉱山は昭和19年(1944)発見、同名の 常呂鉱山 (金銀鉱床)から南方2qにあり、
旭・大(金)・豊金・白金の4鉱床があるという資料があるが、
正確には旭・大(神)・豊金・白金の鉱床名で、資料により金山と水銀鉱山が混合されており、
この4鉱床に至っても金鉱山の鉱床である可能性が高い。
63t弱の水銀を産出し、昭和38年(1963)に休山、現在に至る。

常呂鉱山に至っては、今回の水銀鉱山、そして上記の金鉱山、
常呂町の マンガン鉱山と同名の3鉱山が存在する。


今回はその中でも水銀鉱山ということで、
経験上、最も遺構が少ないと思われる鉱山跡の探索だが、
それは予想外の結果となるうれしい誤算であった。
水銀の基本的なことも調査しながら、遺構を紹介したいと思う。



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製錬所
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