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名のある通りの所縁

義貞ゆかりの地


新田義貞公首塚
京都府京都市右京区嵯峨亀山町滝口寺境内
勾当内侍が都に晒されていた新田義貞の首を持ち出し、この地にひっそりと葬ったとも伝えられている。
新田公首塚碑道石碑
京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前往生院町

愛宕道の滝口寺入口。
勾当内侍供養塔
京都府京都市右京区嵯峨亀山町

新田義貞公首塚の隣。
滝口寺
京都府京都市右京区嵯峨亀山町

新田義貞公首塚のある寺。

小手指ヶ原古戦場碑
埼玉県所沢市北野 
鎌倉を発った幕府軍との合戦の火蓋は、5月11日に小手指ヶ原で切られた。
 
白旗塚
埼玉県所沢市北野

新田軍が本陣にした白旗塚が残る。
義貞誓いの桜
埼玉県所沢市上山口

新田義貞鎌倉攻めの際に祈りを捧げた誓いの桜
義貞公霊馬
埼玉県所沢市上山口

鎌倉攻めまで義貞公と共に戦い、倒幕後、義貞公から寄進され、ここで余生を過ごしたといわれています。
新田義貞騎馬像
東京都府中市

分倍河原駅前
新田神社
東京都大田区矢口

祭神は新田義興。義貞の第2子。
分倍河原古戦場
東京都府中市

鎌倉時代後期の元弘3年(1333 年)5月15日・5月16日に、武蔵国多摩川河畔の分倍河原において、北条泰家率いる鎌倉幕府勢と新田義貞率いる反幕府勢との間で行われた。
稲村ヶ崎新田義貞徒渉伝説地の碑
神奈川県鎌倉市稲村ヶ崎

新田義貞が海に黄金の太刀を投げ入れて龍神に祈願すると、潮が引き、海上の北条軍がはるか遠くに流されたため、稲村ヶ崎を突破できたという伝説がある。
十一人塚
神奈川県鎌倉市稲村ヶ崎

1333年(元弘3年)鎌倉を包囲した新田義貞の軍勢は3手に分かれ鎌倉に攻撃を開始します。極楽寺坂においても激戦となり、新田勢の大将大館宗氏はここで討ち取られた。
新田義貞公ゆかりの地
群馬県太田市

太平記の里看板
新田義貞像  群馬県太田市
太田駅北口
新田神社
群馬県太田市金山

太田金山山頂に鎮座する新田神社。新田義貞公を祀る。

名のある通り
 
新田公首塚碑道 京都府京都市右京区

義貞伝承道 神奈川県川崎市 

勾当内侍御廟道 滋賀県大津市今堅田

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