
相模川橋脚
神奈川県茅ヶ崎市
源頼朝は1198年(建久9年)12月27日、武蔵国稲毛(川崎市)を領していた
稲毛重成が、亡き妻の冥福を祈るために行った「相模川の橋供養」に参列した。
その帰路、頼朝は落馬して翌年命を落としたと伝えられている。 |
 |
源頼朝公落馬地
神奈川県藤沢市辻堂
1198年(建久9年)頼朝は落馬して、翌年命を落としたと伝えられている。
|

頼朝出生地
名古屋市熱田区旗屋2丁目
源頼朝は,1147年(久安3)に源義朝の三男として現在の熱田区旗屋で生まれた。
母は,熱田大宮司の藤原季範(としのり)の娘である。 |
 |
鶴岡八幡宮
神奈川県鎌倉市雪ノ下
鎌倉初代将軍源頼朝ゆかりの神社。
|
 |
大蔵幕府跡
鎌倉市二階堂・西御門・雪ノ下3丁目
治承4年(1180年)に平氏との富士川の合戦の後、鎌倉に戻った源頼朝が、鶴岡八幡宮の東側にある大蔵郷に建てた館が、大蔵御所で、46年間、この地が鎌倉幕府の中心であった。
|
 |
源頼朝像
神奈川県鎌倉市扇ガ谷
源氏山の源頼朝像は、頼朝の鎌倉入り800年を記念して建てられたもの。
|
 |
源頼朝の墓
神奈川県鎌倉市西御門
江戸時代に島津氏によって建てられたもので、高さ186cmの五層の石塔である。
|
 |
よりとも児童遊園
神奈川県鎌倉市西御門
白旗神社下の小公園。
|
 |
石橋山古戦場
神奈川県小田原市石橋
治承4年(1180年)8月20日に挙兵した。
|
 |
源頼朝上陸の地
千葉県安房郡鋸南町竜島165-1
石橋山の合戦に敗れ、真鶴の岩海岸から海路を逃れた頼朝は安房の猟島に上陸した。
|
 |
頼朝橋
千葉県富山町
頼朝道にある橋。
|
 |
岩井の蘇鉄
千葉県富山町
石橋山の合戦に敗れた当地に着いた頼朝が賞賛した。
|
 |
三嶋大社
静岡県三島市大宮町2-1-5
源頼朝は挙兵成功を祈願し成就後も二所詣として毎年のように参拝した。
|
 |
間眠神社
静岡県三島市東本町二丁目11番35号
三島大社に祈願に行く途中、路傍の祠の松の木の下ででしばし仮眠をしたと云われる。
|
 |
頼朝の一杯水
静岡県熱海市上多賀
伊豆山へ逃れる途中、疲れ果ててしまった頼朝の太刀が触れた場所から水が湧き出した。
|
 |
頼朝寺(小道地蔵)
神奈川県足柄下郡湯河原町吉浜1
石橋山の合戦に敗れた源頼朝と重臣らが隠れた小道地蔵堂の由来を受け継ぎ、頼朝による造営。
|
 |
頼朝松
京都府八幡市 石清水八幡宮
源頼朝公奉納の伝承を持つ「六本松」のことが記されている。
|
 |
鎌倉坂
栃木宇都宮市
頼朝が置き忘れた桜の鞭が大木になったとの言い伝えが残っている。
|
名のある通り |
|

頼朝街道 栃木県宇都宮市河内町 |

頼朝道 千葉県南房総市富山町 |
頼朝道 神奈川県下足柄郡湯河原町 |

頼朝ライン 静岡県熱海市 |

頼朝道(らいちょうどう) 静岡県三島市 |

頼朝・政子語らいの路 静岡県伊豆の国市 |