雑 歌
泊瀬朝倉宮御宇天皇代 大泊瀬稚武天皇
巻一 天皇御製歌
1籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串持ち この丘に
菜摘ます子 家告らせ 名告らさね そらみつ
大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて
われこそ座せ われこそば 告らめ 家をも名をも
かごよ、よいかごを持ち、堀串よ、よい堀串を持って
この丘で若菜をお摘みのおとめよ。あなたの家をおっ
しゃい。名前をおっしゃい。この大和の国は、すべて
私が領有している。一面に私が治めているのだ。この
私からまず名告ろう。私の家も名前も。
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春日の袁杼比賣
また天皇、丸邇の佐都紀の臣が女、袁杼比賣を婚ひに
春日にいでましし時、媛女、道に逢ひて、すなはち幸行
を見て、岡邊に逃げ隱りき。かれ御歌よみしたまへる、
その御歌、
孃子の い隱る岡を
金鉏も 五百箇もがも。
鉏き撥ぬるもの。
かれその岡に名づけて、金鉏の岡といふ。
── ○ ─── ○ ──
巻十三 問答
3312こもりくの 泊瀬小国に よばひ為す わが天皇よ
奥床に 母は寝ねたり 外床に 父は寝ねたり
起き立たば 母知りぬべし 出で行かば 父知りぬべし
ぬばたまの 夜は明け行きぬ ここだくも
思ふごとならぬ 隠妻かも
初瀬の国に求婚しにおいでになったわが天皇様、奥の
床には母が寝ています。戸口に近い床には父が寝てい
ます。私が起き立ったならきっと母が気づくでしょう
出て行ったならきっと父が気づくでしょう。もう夜は
明けてしまいました。ほんとに何とも思うようになら
ない忍び妻であることよ。
── ○ ─── ○ ──
. 引田部の赤猪子
またある時、天皇いでまして、美和河に到ります時に、河の邊に衣洗ふ童女あり。それ顏いと好かりき。天皇その童女に、「汝は誰が子ぞ」と問はしければ、答へて白さく「おのが名は引田部の赤猪子とまをす」と白しき。ここに詔らしめたまひしくは「汝、嫁がずてあれ。今召さむぞ」とのりたまひて、宮に還りましつ。かれその赤猪子、天皇の命を仰ぎ待ちて、既に八十歳を經たり。ここに赤猪子「命を仰ぎ待ちつる間に、已に多の年を經て、姿體痩み萎けてあれば、更に恃むところなし。然れども待ちつる心を顯はしまをさずては、悒きに忍へじ」と思ひて、百取の机代の物を持たしめて、まゐ出で獻りき。然れども天皇、先に詔りたまひし事をば、既に忘らして、その赤猪子に問ひてのりたまはく、「汝は誰しの老女ぞ。何とかもまゐ來つる」と問はしければ、ここに赤猪子答へて白さく、「それの年のそれの月に、天皇が命を被りて、大命を仰ぎ待ちて、今日に至るまで八十歳を經たり。今は容姿既に老いて、更に恃むところなし。然れども、おのが志を顯はし白さむとして、まゐ出でつらくのみ」とまをしき。ここに天皇、いたく驚かして、「吾は既に先の事を忘れたり。然れども汝志を守り命を待ちて、徒に盛の年を過ぐししこと、これいと愛悲し」とのりたまひて、御心のうちに召さむと欲ほせども、そのいたく老いぬるを悼みたまひて、え召さずて、御歌を賜ひき。その御歌、
御諸の 嚴白檮がもと、
白檮がもと ゆゆしきかも。
白檮原孃子
また歌よみしたまひしく、
引田の 若栗栖原、
若くへに 率寢てましもの。
老いにけるかも。
ここに赤猪子が泣く涙、その服せる丹摺の袖を悉に濕らしつ。
その大御歌に答へて曰ひしく、
御諸に 築くや玉垣、
築きあまし 誰にかも依らむ。
神の宮人。
また歌ひて曰ひしく、
日下江の 入江の蓮、
花蓮 身の盛人、
ともしきろかも。
ここにその老女に物多に給ひて、返し遣りたまひき。
かれこの四歌は志都歌なり。