あとがき〜わが青春のC623〜   

 「C62ニセコ」号、ご乗車いただき、ありがとうございました。(^^;
 
 私にとって鉄道写真の中で大井川鐡道と同じように、いや、ある一時期に限って言えば大井川鐡道以上に入れ込んだもの、それがC623という機関車であり「C62ニセコ」という列車でした。

サボ

 このコンテンツは、往時の小樽〜ニセコの全線にわたってできるだけ全ての区間を網羅できるように、さらに作品はポジ、ネガ、モノクロを問わず、思い入れの強い作品を引っ張り出すことにしました。それは写真としてのデキではなく、私自身の思い入れが強いかどうかが選定の基準になっています。従って、ご覧になってお気づきの通り、純粋に写真として捉えれば「?」という作品も多数あります。
 当時はデジタル一眼などない時代ですべてはフィルムによる撮影でした。しかし私のスキャン技術の未熟さによるところが多いのでしょうが、どうしても原版のディテールがきちんと再現できていない写真が多いのです。特に俯瞰系・遠望系はアンシャープをかけるとディテールが崩れてしまうものが多くて・・・。実際の原版はこんな汚い写真じゃないのに・・・と愕然としたことが何度もありました。また初期に使用していたISO400のカラーネガは大きいサイズでスキャンすると粗が目立ち、これも頭痛のタネでしたね。まあ、これはどうなるものでもありませんが・・・。さらにカラーネガの中には残念ながら褪色の始まっているものもあり、Photo-Shopで復元を試みたものも多数あります。
 そんなわけで、中にはお見苦しい写真も多くあったかと思いますが、すべてこれ私の思い入れによる選定であったということでご勘弁ください。
 ところが選定とは言ったものの、「あれも出したい」「コレも出したい」で、終わってみれば写真総数は120枚を超え、ページ数も20ページという「お化けコンテンツ」となってしまいました。
 そのうち走行写真を列車本数で換算すると94本(上り列車48本、下り列車46本:同一列車を別角度で撮影したものは1本と数える)となります。なんとも節操のない・・・。(^^;
 私がC62と共に過ごしたのは115日。そのうち往復あるいは片道乗車した分を除き、追っかけで追いついた分も1本と数えるとして撮影した列車本数は248本。ということは、今回のUPで撮影した走行写真のうち4割近くを出してしまったことになります。大量放出に近い形になってしまいました。
 なお、C62最終運行日である1995年11月3日の話にはまた別の特別な思い入れがありますので・・・興味のある方は別途
「C62ニセコ惜別の記」をご参照ください。 

小沢〜倶知安

 C623とは私にとって、いや、C62を愛した人たちにとって何だったのか・・・。
 「わが青春のC623」・・・おいおい、お前がC62追いかけたのは20代末期から30代半ばだろ、それで「青春」はないんじゃないの?・・・と言われてしまいそうですが、あの8年間は私にとって間違いなく第二の青春でした。あれだけひとつのものにのめりこみ、夢中になって追いかけていた時期はその前にも後にも・・・現在に至るまでありません。C62が日々の労働の活力源だったし、C62撮影のためなら普通では考えられないような倹約もしてお金を貯めたし・・・。今も走馬灯のようにめぐる8年間。撮影した248本の列車、115日の一挙一動は全て褪せることなく鮮やかに思い出すことができます。そして、C62撮影を通じて得た多くの友人・・・。C623は私に多くのものを与えてくれたのです。
 今は苗穂で静かに休んでいるC623。
 かつては早期の再復活を期待していたのですが、さまざまな問題があって今日まで実現することはなく終わっています。
 しかし、いつかは彼の巨体に再び火が入る時が来ると、私は信じています。
 それはいつになるかわかりません。しかしいつか必ず・・・。
 その時はたとえ私がどこでどうなっていようとも、必ず会いに行くことになるでしょう。腰が曲がって杖を突く年齢になっていても、あるいは点滴を背負ってでも、車椅子に乗ってでも。(^^;
 色褪せぬわが青春のシンボルなのだから・・・。
 C623が眠りについてから間もなく20年。「C62ニセコ」の運転期間の8年よりもはるかに長い年月が経過しています。「十年一昔」という言葉を使うなら、もう二昔が経とうとしているのですが・・・。しかしそんなに昔の想い出がかくも鮮明に残っているのは何故でしょうか?
 それは・・・私も、そしてC62を追った多くの仲間も、ただひたすらに無我夢中だったから。そこには「小手先」や「見栄」など入り込む余地のないひたむきな自分があったから。そして今もそれは自分の中で生きている・・・。だから
分別ぶって「古きよき日の一コマ」などと過去のものとして追いやりたくないのです。「去りし日の懐かしき思い出」などにしてしまう気は毛頭ありません。あの後志の山の中での快哉や嘆きは、決して懐かしむためにあるのではなく、永遠に過去になどならぬ未来永劫のためにあるのだと・・・。青春に終焉はないのだと。
 かつて国鉄蒸機終焉のとき、あの廣田尚敬さんが雑誌上で残した言葉・・・

  あなたは 聖火ランナーだ
  あなたの心に点火されたSLの火は
  あなた自身が消そうとしない限り
  いつまでも熱く燃え続けることだろう
 
 私の中のC62の火は、今も熱く燃え続けています・・・。
 最後になりましたが、とりとめのないコンテンツに最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
 草凪みかん

小沢〜倶知安 9162レ

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