番外編

汽車待ちのつれづれに  

 「C62ニセコ」の撮影、一日に上り下り1本ずつ・・・午後の下り列車を追っかけて2回写すとしても1日3本。さすがに今の大井川とは違い、列車通過の1時間半前くらいには撮影地に行ってましたから、当然待ち時間も長くなります。もちろんC62だけしか撮らなかったわけではなく、試し撮りを兼ねて露払いでくる気動車列車を写したりしていましたが、けっこうそれに費やしたフィルムもバカにならなかったですね。(^^;
 銀山の切り株ポイントでC62を待っていたら、まだ時間があるというのに周囲の人があわただしくカメラをセット。「何だ〜?」と思っていたら、トマムサホロエクスプレスがやってきました。蒸機オンリーでそれ以外の列車については全然情報を取っていない私はしばらく「???」状態。それでも一応シャッターは切りました。(^^;
 (↓1991年5月 然別〜銀山)

然別〜銀山 トマムサホロEx.

 当時はまだ、気動車列車はキハ40が主力でした。初期の頃はキハ54が入ってきたりしていましたが・・・。ちょうど車両塗装も過渡期状態で、2両編成だと長万部寄りが国鉄時代以来のタラコ塗装、小樽寄りが白に黄緑ラインのJR北海道塗装というセコハン編成になっている時期がありました。
 ところでこの場所、あの「勾配標直線」なんですが、バックの山がきれいですよね。ところがC62が来ると、カーブを回りきるまでに黒煙を高々と吹き上げて山を隠してしまうことが多くて、この場所での「C62+雪山バック」というのはとうとう撮れずじまいでした。(^^;
 (↓1990年5月 小沢〜倶知安)

小沢〜倶知安

 「高四線」の丘の下には、ミズバショウが群生して咲いている時期がありました。
 実はこの時、このアングルでC62を撮ろうかどうしようかかなり迷ったんですが、この日は羊蹄がきれいに見えていて、その誘惑に抗しきれず高四線の丘に登ってしまいました。翌日、ここで撮ろうとするともうその時間には鉄ちゃんグルマの列が手前まで伸びていて、このアングルはパー。結局ここでもC62は撮らずじまい。(^^;
 (↓1991年5月 倶知安〜小沢)

倶知安〜小沢

 グランドSで三脚を立ててC62が来るまでのんびりと・・・と構えていたらなにやら下のほうから走ってくる音が。ハテこんな時間に列車のスジはないはず・・・と思っていると、突然小さな保線車両が登場。大きなSカーブをヨチヨチ登ってくるその姿はなかなか微笑ましかったです。(^^;
 (↓1990年10月 然別〜銀山)

然別〜銀山

 ズラリと三脚の林を作って待ち構える北四線のファンの一団の前を、のんびりとDE15の単機が通過。この単機も何の運用だったのか未だにナゾです。(^^;
 (↓「1991年5月 倶知安〜小沢)

倶知安〜小沢

 「C62ニセコ」の運転区間はニセコまで。もっと南まで足を伸ばしていれば・・・ニセコすぐ南に羊蹄山を正面に見るカーブがあったんですよね。もっとも上り列車に対しては思い切り下り勾配ですけど。
 9163レを撮り終えたあと、暮れかかったこの場所で気動車団臨を撮ってみました。
 (↓1992年5月 ニセコ〜昆布)

ニセコ〜昆布