御由緒とお祭り




神社名    八幡神社(はちまんじんじゃ)


御祭神名   誉田別命(ほんだわけのみこと)= 第15代 應神天皇


御由緒

 社伝によると、平安時代後期、奥州(東北地方)で起きた前九年の役に出征する源義家(よしいえ)が、行軍の途中で当地に宿営し、矢場を設けて弓矢を鍛えて、自らの守護神である八幡大神を祀り戦勝を祈願。反乱を起こした安倍氏を討ち、勝利をおさめて凱旋の帰途、現在の鎮座地に祠(ほこら)を建てたのが、当社の始まりであるとされています。古くは矢場八幡宮(やばはちまんぐう)とも称しました。

 源義家は鎌倉幕府を開いた源頼朝の先祖で、京都の石清水八幡宮で元服をしたため、八幡太郎とも呼ばれました。当代随一の武将として名声の高かった義家公と当社の関わりを示すものとして、神社より南西の方角へ1.5キロほど離れた場所に「矢指(やさし)町」という地名が残り、義家公が当社地に矢場を設けて、放った矢の到達した所であるといわれています。また、お手植えの松とも伝えられた巨大な松のご神木が現在の神楽殿の横にありましたが、昭和25年、虫害によりやむなく伐採されました。

 江戸時代は、長源寺(上川井町・真言宗)が別当寺でしたが、明治時代以降、神仏分離により旧川井町(現・川井本町、川井宿町、都岡町)の氏神として村社に列格、戦後は全国8万社の神社と同様に神社本庁包括下の宗教法人となり現在に至っています。なお、現在の社殿は昭和48年に改築されたものです。

 こうした歴史から、かつては武芸上達、武門の神として崇敬されましたが、現在では、受験合格やスポーツなどの必勝祈願の他、家内安全、交通安全、厄除け開運など諸祈願成就の神として、氏子地域はもとより旭区内外からも広く崇敬を集めております。

 また、旭区唯一の八幡神社であることより、旭区内の企業から地鎮祭や工事安全、社運隆昌の祈願を受けますが、これも歴史を通じて都市や地域の守り神として霊験あらたかなる八幡大神の御神徳によるものといえます。


                                         


お祭り

 年間の主なお祭りとして、お正月には年の始めを祝い、1年間の無事を氏神さまにお願いする歳旦祭(さいたんさい)・初詣行事・人形供養祭があり、その後、2月11日に建国記念祭、3月初旬には、その年の五穀豊穣を祈る祈年祭(きねんさい)、6月の最終日曜日の大祓式(おおはらえしき)・茅の輪(ちのわ)くぐりの神事・人形供養祭、9月第2土曜日の例大祭、11月23日には、その年の収穫を神々に感謝する新嘗祭(にいなめさい)、12月31日(大晦日・おおみそか)の大祓式・除夜祭(じょやさい)などがあります。