科学技術史を顧みる
|
|
数学の公式や物理の法則などには、それが誕生するに至った当時の時代背景が隠されています。 数学や理科と歴史を融合させた形で学ぶことにより、発見や発明に至った経緯を知り、 物事を考えるときの豊かな発想力を養いましょう!・・・以下、概ね(古代)→(現代)の順番です。 (01)「人類(ヒト)」とは、「直立二足歩行」を通常の前進姿勢とする動物のことです。 動物の中で直立二足歩行するのはヒトだけであり、直立二足歩行は他の動物とヒトを区別する指標です。 直立二足歩行することで脳が膨らみ、発達。また、前肢(手)が自由になり、道具を使うようになりました。 なぜ直立二足歩行するようになったのかは、いまだに解明されていません。一緒に考えてみましょう♪ (02)旧石器時代で最大の技術(テクノロジー)進化は、何と言っても「火の使用」でしょう。 最初から“火起こし”を始めたとは考えにくく、 最初は、落雷や山火事によって燃えている木の枝などを持ち帰り、火種にしていたと考えられます。 火の使用は加熱調理を可能にし、摂取カロリーが増大、脳の更なる拡大が誘発されたことでしょう。 (03)洞窟暮らしが生んだ「木炭」という知恵 洞窟の中で火を使用すると、煙モクモクでたまりません。 そこで考え出されたのが、煙の出ない「炭」。火が自然に消えた後に残った「消し炭」が起源でしょう。 木炭にすると、生の木よりも炭素含有率が上がるので、発熱量が増すという点も良かったのでしょうね。 (04)狩猟・採集の生活をしていた人類が、農耕・牧畜をするようになりました(食料生産革命)。 約1万年前に最後の氷河期が終わると、海面が上がり、大陸が陸続きではなくなりました。 すると、獲物が絶えず供給されなくなり、自ら生産せざるを得なくなったのです。 ところで、なぜ地球上で氷河期と間氷期が繰り返されるの?・・・ていうか、どのようにして調べたの? (05)焚火の後、焼けた地面が硬くなっているのに気付づき、「土器」が発明されました。 人類が農耕や牧畜を始めた新石器時代に発明された「土器」。 時代を経て現在、陶磁器やガラス、セメントなどの「セラミックス」へと受け継がれています。 近年では、ケイ酸塩を原料としない「ファインセラミックス」が医療機器や電子部品に利用されています。 (06)冶金(やきん)技術の発達により、石器時代から銅器時代へ。 最初は、自然銅を叩くなどして加工していましたが、やがて、黄銅鉱を(乾式)精錬するようになりました。 (CuFeS2)→(Cu2S)→(Cu2O)→(Cu)という化学反応は、高校化学で学びます。 冶金技術から錬金術(卑金属を黄金に変えようとする試み)が生まれました。 (07)合金に関する「ヒューム・ロザリーの法則」とは・・・? 銅器時代に続く青銅器時代。青銅は、銅を主成分としてスズを含む合金です。合金をつくるとき、 2種類の金属が均一に混ざり合うための条件(原子半径の比率)を満たさねばなりませんが、 これを法則化したものが「ヒューム・ロザリーの法則」です。その具体的な中身とは・・・? (08)(銅器時代)→(青銅器時代)→(鉄器時代)、なぜ鉄器は銅器に後れをとったのだろうか? 金属のイオン化列「Li, K, Ca, Na, Mg, Al, Zn, Fe, Ni, Sn, Pb, H, Cu, Hg, Ag, Pt, Au」。 左のイオンほど製錬しにくいです。つまり、銅鉱石よりも鉄鉱石の方が製錬が難しかったのですね。 なぜ、左のイオンほど、製錬しにくいのでしょうか? (09)古代文化の中心地は、ユークリッド、エラトステネスらが活躍したアレクサンドリア。 メソポタミアやエジプトを含む古代オリエントは、やがて、ペルシアとして統一されました。 その後、オリエントの文化はギリシア文化と融合して「ヘレニズム文化」と呼ばれるようになり、 その文化は地中海を統一したローマ帝国へと引き継がれ、イスラム文化に影響を与えます。 (10)湿式製錬に必要な塩酸・硫酸・硝酸を発明したのは、イスラムの錬金術師ハイヤーン。 古代ギリシア・ローマ時代と近世のルネサンス時代の間である中世を埋めるイスラム文明。 富を求め、卑金属から貴金属をつくり出そうと、いろいろな錬金術が試されていました。 化学で教わる“3大強酸”の塩酸・硫酸・硝酸が生み出された、その順番は? (11)イスラム科学の中国流入、中国科学の西方伝播、「シルクロード」は東西交流の大動脈。 現代における硝酸製造の原料はアンモニアですが、ハイヤーンの時代は硝石からつくっていました。 なぜ、ハイヤーンは、硝石を用いてみようと思ったのでしょうか? このとき、既に、中国では、硝石を原料にした「火薬」が発明されていたのです。 (12)大航海時代の幕開けにより、約1500年もの間信じられてきた「天動説」が揺らぎ始めました。 マルコ・ポーロの「東方見聞録」は、ヨーロッパ人のアジアに対する好奇心を掻き立てました。 陸路でアジアを目指すにはオスマン帝国が邪魔するので、海路を選択することになります。 中国から伝わった「羅針盤」と「火薬」は、遠洋航海を勇気づけるアイテムでした。 (13)「天動説」から「地動説」への移行・・・ケプラーは、なぜ楕円軌道を採用できたのだろうか? 「天動説」が疑われ出した頃、カトリック司祭のコペルニクスが「地動説」を再提唱!・・・なぜ司祭が? しかし、まだ、天体の動きを完全に説明できたわけではありませんでした。 ケプラーは、地球の軌道を、円ではなく楕円と考えることで、「地動説」を確固たるものにしました。 (14)ニュートンが「万有引力の法則」を発見するに至った、当時の状況とは? 「ケプラーの法則」によって、完全に「地動説」で落ち着いたものの、 では、なぜ地球がそのような動き(運動)をするのか?・・・は不明でした。 それを解明したのがニュートンであり、ガリレオの「慣性の法則」を少し発展させてみたのです。 (15)“残り物には福がある?”・・・逆境をものともせず、ピンチをチャンスに変えたイギリス。 大航海時代、ポルトガル・オランダに遅れをとったイギリスは、アジア進出を諦め、インド進出に専念。 ラッキーなことに、デカン高原は綿花の一大生産地でした。これにより、イギリスで綿織物が大流行! 綿織物の需要が飛躍的に増大し、綿工業において様々な機械が発明されました(産業革命)。 (16)産業革命の波及:鉱業における地下水問題を解決するため、蒸気機関が発明されました。 17世紀に入ると、家庭用暖房の燃料として石炭の需要が増大してきました。 炭坑を掘る時にしみ出る地下水を汲み出すために、当時は、大量の馬を使ってポンプを動かしていました。 しかし、馬の飼育費が高く、採算が取れなくなってしまいました。 (17)16世紀のガリレオ以降、望遠鏡を使った天体観測が盛んに行われるようになりました。 ところで、なぜ、17世紀に入ると、家庭用暖房の燃料が大量に必要となったのでしょうか? 当時、太陽活動が弱まり、「マウンダー極小期」と呼ばれる小氷期だったのです。 太陽活動の活発さと相関ある太陽黒点の数を調べてみると、この期間は、黒点数がほとんどゼロでした。 (18)フランス革命による政権交代後、「メートル法」が成立しました。 産業革命の勢いに乗ったイギリスは、北アメリカ植民地に対して重商主義を強行。 不満が積もったアメリカは独立戦争を起こし、ついにイギリスから独立しました。 アメリカの独立は、フランス平民を奮い立たせ、フランス革命のきっかけとなりました。 (19)どのようないきさつで「1メートル」が、今の長さになったのでしょうか? 元々、地域によってバラバラでしたが、統一しようとのことで「メートル法」に至りました。 “人類共通の自然を指標に”とのことで「地球」が採用され、測量が開始。別の目的もあったようですね。 【連載 測量(#09)】と【連載 測量(#10)】も参照してください。 (20)2019年5月20日、「キログラム」の定義が変わりました。 科学技術の進歩により測定精度が向上し、誤差を見過ごせなくなったとき、単位の定義が変わります。 ということは、「メートル法」が制定されて以降の220年の間に、かなりの技術進歩があったということ。 「アンペア」「ケルビン」「モル」の定義も併せて変わりました。一体どのような関係があるのでしょうか? (21)ハロゲン元素の研究者にフランス人が多かった理由。 塩素の漂泊作用の発見、ヨウ素の発見、臭素の発見、これらはいずれもフランス人によってなされました。 ファッションの先端を走っていたことと関係するのかも。ドライクリーニングの発祥もフランスです。 そう言えば、クリーニングのチェーン店に「フランス屋」というのがあったような・・・。 (22)イギリス、フランスの次に台頭してきたのはドイツ(当時の国名はプロイセン)でした。 革命が終わったフランスは、ナポレオン時代へ突入していきました。 しかし、ナポレオン3世が普仏戦争に敗北すると、一気に弱体化していきます。 フランスから鉄鉱石豊富なアルザス・ロレーヌ地方を獲得したプロイセンが、どんどん力をつけていきました。 (23)プロイセンでは、武力政策が推し進められる中で、「プランクの法則」が発見されました。 アルザス・ロレーヌ地方を獲得したプロイセンでは、製鉄業が急速に発展していきました。 製鉄業では、熔解・鍛練・焼入などの工程において、温度管理が重要事項であり、 それまで職人が色を見て判断していた炎の温度について、より精密な探究心が熱輻射の研究を加速させました。 (24)マルサスの「人口論」を覆した「ハーバー・ボッシュ法」。 19世紀の人口増加を受けて、「このままだと、人類は貧困にあえぐ。」と経済学者のマルサスは考えました。 しかし、「ハーバー・ボッシュ法」によるアンモニアの量産は、食糧の増産を可能にしました。 さらに、アンモニアの量産は、硝酸を量産する「オストワルト法」につながっていきます。 (25)ドイツの化学者ヴェーラーは「有機化学の父」と称されている。 ところで、なぜ、19世紀に人口が増加したのでしょうか? ヴェーラーが無機物であるシアン酸アンモニウムから有機物である尿素を合成したのを皮切りに、 有機合成化学が発展し、医薬品の研究が盛んになり、死亡率が低下したことと関係ありそうです。 (26)染色技術の発達によってもたらされた化学的な知識が薬学にも導入されていきました。 では、なぜ、ヴェーラーは、シアン酸アンモニウムを試そうと思ったのでしょうか? ヒントは「シアン」。そう、プリンターのインクの種類にも登場する色素です。 産業革命の発端となった綿工業の発達は、染色技術の発達を促進したのでしょう。 (27)エンジンは、大きいもの(外燃機関−石炭)と小さいもの(内燃機関−石油)に分化。 18世紀にイギリスで産業革命が起こった時は、燃料に石炭を用いた蒸気機関が主流でした。 19世紀の半ばには、石油の採掘と精製が産業として確立、内燃機関も4ストローク機関により完成の域へ。 ゴットリープ・ダイムラーやカール・ベンツにより、内燃機関は自動車への普及が進みました。 (28)石油化学は、アメリカの石油会社がプロピレンからイソプロパノールを合成した1920年から。 原油を分留して得られる「ナフサ」が主原料です。 熱に弱いとされてきた合成樹脂(プラスチック)も、1970年代から「エンプラ」が開発されています。 現在では、酢酸やアルコールといった、発酵によってつくられていた化合物まで石油でつくります。 (29)「C1化学」は、石油化学の救世主となれるだろうか! 石油は有限の資源なので、このままでは石油化学の衰退が予想されます。 そこで、石油以外の物質から石油化学製品を合成しようという試みがあります(C1化学)。 合成ガス(一酸化炭素と水素の混合ガス)を起点に、種々の原料を合成し、後は現在の石油化学と同じ工程。 (30)「人工光合成」で「C1化学」を実現しよう! 「C1化学」をスタートさせるためには、一酸化炭素と水素が必要です。 現在の一酸化炭素の工業的製法では、コークス(石炭を乾留したもの)を使うので、あまり意味がありません。 「人工光合成」という素晴らしい手段があります。これだと、二酸化炭素を資源にすることさえ可能です。 (31)プラスチックのゴミ問題は、微生物学で対抗! 石油化学製品の1つである合成樹脂(プラスチック)のゴミは、現代における社会問題のひとつです。 環境のことを真剣に考えるなら、少々高くても「生分解性プラスチック」でしょうか・・・。 2016年、ペットボトルの素材であるPETを分解する細菌が大阪府堺市のゴミ収集場で発見されました! (32)さらに、2018年、より強力なPET分解酵素が発見されました。 “PETを加水分解する酵素”ということで、「PETase(ペターゼ)」と名付けられた、細菌の分解酵素。 ペターゼがどのような進化をたどってきたのか研究する目的で、分子構造の3Dモデルを作り上げ、 試しに活性部位を少し変化させてみたところ、偶然にも、ペターゼ以上に強力な分解酵素ができちゃいました! (33)環境問題が取り沙汰される現代、物質循環に果たす役割が大きい「微生物」が注目されています。 1590年に発明された「顕微鏡」は、「微生物学」という新しい学問分野を切り開きました。 1674年に顕微鏡で初めて微生物を観察したレーウェンフックは「微生物学の父」と称されています。 1876年に細菌培養法を確立したコッホは「細菌学の父」と称されています。 (34)病原性の微生物は、医学・薬学の研究対象になっています。 コッホは、1876年に「炭疽菌」、1882年に「結核菌」、1884年に「コレラ菌」を発見しました。 1928年にフレミングにより発見された「ペニシリン」は、世界初の抗生物質です。 黒死病の原因が「ペスト菌」であると分かったのは、ほんの最近(2011年)です。 (35)20世紀に入ると、細胞レベルや分子レベルで生命科学を考える動きも出てきました。 1912年にX線回折現象が発見されて以来、X線を用いた分子構造の解析ができるようになりました。 また、1931年に発明された「電子顕微鏡」により、細胞の微細構造が明らかになってきました。 気をつけたいのは、生命科学を物質科学と同じように扱ってよいものかという倫理的側面を忘れないことです。 (36)「地動説」の証拠である「年周視差」が観測されたのは1838年のこと。 顕微鏡が発明された1590年には、望遠鏡も発明されました。 1609年に人類で初めて望遠鏡を使った天体観測をしたガリレオ以来、 「ケプラーの法則」以降も、なかなか「地動説」の証拠を見つけることができなかったのです。 (37)宇宙の距離梯子・・・「年周視差」から「HR図」へ。 地球から近くにある星までの距離を測るには、年周視差を観測すれば良いです。 しかし、遠くの星になると、年周視差を観測することはできません。 スペクトル型と絶対等級から「HR図」を利用して、星までの距離を求めます。「スペクトル型」って何? (38)「電波」の発見は1932年、「電波望遠鏡」が発明されたのは1940年。 宇宙空間に水素でできた雲(水素雲)を見つけることができれば、そこは恒星が生まれる場所と考えられます。 低温の水素雲は光を発しないので、可視光領域の望遠鏡で観測することができません。 波長が21cmの電波を発するので、それを電波望遠鏡で観測すれば良いのです。 (39)救急車の通過音でお馴染みの「ドップラー効果」を考えると、宇宙は今も膨張し続けています。 宇宙の観測では、(遠くの宇宙を見ること)=(過去の宇宙の見ること)です。 現在の観測技術(電磁波を使う技術)では、宇宙誕生後約38万年以降は観測できます。 しかし、それ以前については観測できません。そこで、理論物理学を駆使することになります。 (40)宇宙誕生後約38万年以前を観測する方法として、「ニュートリノ天文学」があります。 ニュートリノは、2015年に梶田隆章氏がノーベル物理学賞を受賞したことで知られるようになりました。 岐阜県飛騨市神岡町に、世界最大級のニュートリノ検出装置「ニューカミオカンデ」があり、 現在は、太陽ニュートリノや超新星ニュートリノの検出に利用されています。 (41)地球より宇宙空間の方が感度が良い・・・望遠鏡などの観測装置と人工衛星のコラボレーション。 宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、2021年度にX線天文衛星の打ち上げを予定しています。 2017年のノーベル物理学賞で一躍脚光を浴びた「重力波」。 JAXAでは、重力波望遠鏡を打ち上げる「DECIGO計画」が進められています。 (42)“向こうから来る”ではなく、“こちらから行く”・・・JAXAの太陽系探査。 2010年に打ち上げられた金星探査機「あかつき」は、現在、金星の「スーパーローテーション」を観測中! 2014年に打ち上げられた小惑星探査機「はやぶさ2」は、2020年末に地球に帰還する予定です。 水星探査計画「ベピ・コロンボ」では、2018年10月に打ち上げ完了。2026年、探査軌道に到達予定! |
|
|