振り子時計の遅れ

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【振り子時計の遅れ】

大航海時代、ヨーロッパ諸国の中でも先陣を切って海へ進出したのはポルトガルとスペインでした。

このうち、スペインは、無敵艦隊「アマルダ」がイギリス海軍に撃破された1588年以降、衰退していきます。

代わって台頭してきたのが、それまでスペインの支配下にあったオランダです。

以降、ポルトガルとオランダが中心となって、アジアへの進出が展開されました。

ポルトガルとオランダが特に力を入れたのは、東〜東南アジアでした。

イギリスが訪れたときには、これら2ヵ国によって東〜東南アジアが独占されていたので、

イギリスは、インドを中心に植民地支配を展開しました(東インド会社)。

さらに後からやってきたフランスは、アジア進出の余地が残されていないことを知り、

中南米やアフリカにも進出しました。



ルイ14世(1638−1715)の時代、フランスの絶対王政は絶頂期を迎えていました。

ルイ14世を助けて経済成長に貢献した宰相コルベールは、海外植民活動を推し進めるとともに、

国内の科学研究を活性化させる目的で、各分野の優秀な学者を集めて「科学アカデミー」をつくりました。

その会員である天文学者のジャン・リシェ(1630−1696)は、

南米にあるフランス領ギアナの首都カイエンヌに派遣されました。

パリと同時に天体観測することで、地球から太陽までの距離を計算しようとしていたのです。



パリとカイエンヌを往復するうちに、リシェはあることに気付きました。

パリ(北緯40度)で正確に合わせた振り子時計がカイエンヌ(北緯5度)では常に遅れていたのです。

この現象を説明するのに、ニュートン(1642−1727)は「重力」を持ち出しました。

赤道付近に位置するカイエンヌでは遠心力が強くはたらくので、

重力が小さくなり、振り子の周期が大きくなると考えたのです。



【地球は回転楕円体?】

この「振り子時計の遅れ」から、とても大きな議論に発展します。・・・「地球は本当に球なのか?」

古代ギリシャ以来、地球の形は球だと信じられていました。

ところが、ニュートンは回転楕円体ではないかと考えたのです。

自転により遠心力が強くはたらく赤道を円周とする円の半径(赤道半径)は、

極を通る円の半径(極半径)よりも大きいに違いないと考えたのです。



それじゃー、実際に確かめてみないと!・・・ということで、子午線孤長の測量が始まります。

続きは次回にて♪


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