エラトステネスの地球測量
|
|
【地球平面説】 「地球は、どんな形をしていますか?」と問われると、多くの人が「球」と答えるのではないでしょうか? “地球”という言葉に“球”という漢字が含まれていますしね。 しかしながら、面白いことに、人類史上、最初は「平面」と考えられていました。 広い平原で周囲を見渡すと360度地平線、広い海原で周囲を見渡すと360度水平線。 このような景色から、昔の人々は直感的に「自分たちが住んでいる場所は平面である。」と思っていたようです。 【地球球体説】 古代ギリシャ時代になると、物事を合理的・客観的に説明しようとする自然哲学者たちが現れ、 月食のときに月面にできる地球の影から“地球は球体である。”と考えたアリストテレスをはじめ、 「地球球体説」が徐々に広がり始めました。 地球を球と見なし、その大きさを初めて測量した人物はエラトステネスと言われています。 【エラトステネスの地球測量】 エラトステネス(B.C.275−B.C.194)は、現在のリビアにあるキュレネに生まれ、 アレクサンドリアで教育を受け、また、アテネでも数年間学んだと言われています。 B.C.236年に、アポロニウスの後任としてアレクサンドリア図書館の館長になり、 B.C.204年まで、館長を務めました。 アレクサンドリア図書館で、いろいろな文献を読み漁っているうちに、 シエネ(古代エジプトの都市で、現在のアスワン)において、 夏至の正午には、太陽が天頂(真上)を通過することを知りました。 一方、彼自身の測量結果から、彼の住んでいたアレクサンドリアでは、 同時刻の太陽が真上から南へ7.2度のところを通過すると知っていました。 ![]() 太陽が無限遠から平行に入射しているとすると、 この7.2度は、2地点間を円弧とする扇形の中心角に相当します。 1周は360度なので、7.2度は、その1/50。 つまり、2地点間の距離が分かれば、その50倍が地球の全周ということになります。 当時、距離(長さ)の単位の1つに「スタジア」というものがありました。その定義は、 「太陽の上端が地平線に現れてから、下端が地平線を離れるまでの間に、人間が太陽に向かって歩く距離」 です。この「スタジア」を用いると、アレクサンドリアとシエネの間は「5000スタジア」でした。 したがって、地球の全周は「5000×50=250000スタジア」ということになります。 あと問題なのは、1スタジアが何メートルなのか?・・・ということです。 古代ギリシャの首都アテネでは「1スタジア=185m」と、されていました。 これを用いると、250000×185=46250000m=46250kmとなり、 現在の値よりも約16%大きいことになります。 エラトステネスがいたアレクサンドリアでは「1スタジア=157.5m」と、されていました。 この値が用いると、250000×157.5=39375000m=39375kmとなり、 現在の値との違いは、わずか1%程度になります。 当時の測量としては恐ろしいほどの精度です。 ・・・次回へ続く。 |
|
|