中国の領土拡大
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中国が、領土を拡大する際、東は海なので、西へ進出していくことになるのは自然なことです。 ヒマラヤ山脈を回避するために、その北か南を迂回することになりますが、 なぜ、砂漠が続く北側を進んだのでしょうか? ![]() 学ぶ項目を、ステップを細かく分けて一覧にしました。 「この項目は大丈夫だな。」と思うものは飛ばしてもらって結構です。 自分に必要な項目だけを学べば良いでしょう。 カッコ内は、文部科学省の学習指導要領に従った、目安となる履修学年です。 【秦】 (※)事前に、「秦以前の中国」について学んでおくと良いです。 → こちら (01)秦(高2)・・・周の東遷後、その故地である渭水盆地に興りました。 (02)中華統一(高2)・・・紀元前221年、他の6国を滅ぼし、全国を統一しました。 (03)始皇帝(高2)・・・統一者の権威を示す「皇帝」、かつ、初代皇帝なので「始」をつけました。 (04)万里の長城(高2)・・・北方の匈奴が侵入してくるのを防ぐために築きました。 (05)秦の滅亡・・・急激過ぎる改革は、人々の反感を買い、紀元前206年に秦は滅びました。 【漢】 (06)項羽と劉邦(高2)・・・秦の滅亡後、楚の武将である項羽と、庶民出身の劉邦が争いました。 (07)前漢の成立(高2)・・・紀元前202年、争いに勝利した劉邦が、長安に都を築きました。 (08)武帝(高2)・・・前漢の最盛期。 匈奴に対して、和親策を止め、征討に乗り出しました。 (09)西域経営・・・タリム盆地周辺の都市国家を、紀元前1世紀半ばに服従させました。 (10)新(高2)・・・前漢と後漢の間にあった国号。 身内の争いは醜いものですな〜。 (11)後漢の成立(高2)・・・紀元後25年、漢王朝が再興されました。 (12)光武帝(高2)・・・対外政策を控え、まずは、自国の回復を優先させました。 (13)1世紀後半・・・後漢の最盛期。 対外政策にも乗り出しました。 (14)匈奴・・・南北に分裂して、南匈奴が服従してきたので、これに乗じて、北匈奴を討ちました。 (15)西域都護・・・カスピ海の東岸まで、後漢の勢力を拡大しました。 「酸と塩基」に戻る |
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