混乱のイタリア

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分裂していたたフランク王国を1つに集めたカール3世でしたが、

この時期にヨーロッパへ侵攻してきた外敵に対処する余力まではありませんでした。

888年にカール3世が亡くなると、再び、分割されることとなったのです。



学ぶ項目を、ステップを細かく分けて一覧にしました。

「この項目は大丈夫だな。」と思うものは飛ばしてもらって結構です。

自分に必要な項目だけを学べば良いでしょう。



(01)
ベレンガーリオ1世・・・ルートヴィヒ1世の外孫。 分裂したイタリアを治めました。

(02)
グイード3世・・・カール大帝の曾孫。 ベレンガーリオ1世の座を奪取しました。

(03)
891年・・・グイード3世が、第7代神聖ローマ皇帝になりました。

(04)
892年・・・早くも世代交代があり、グイード3世の子が、第8代神聖ローマ皇帝になりました。

(05)
ローマ教皇・・・アルヌルフに、グイード親子の撃退を要請しました。

(06)
アルヌルフ・・・カールマンの庶子で、分裂後に、東フランク国王になっていました。

(07)
896年・・・グイード親子を退けたアルヌルフが、第9代神聖ローマ皇帝になりました。

           しかし、アルヌルフは、持病のため、イタリアを長く支配することができず、

           ほどなくして東フランク王国へ帰還し、899年に亡くなりました。

           アルヌルフが去ったイタリアでは、ベレンガーリオ1世が復帰しましたが、

           評判が悪く、ルイ3世にイタリア国王の座を譲ることとなりました。

           (このルイ3世は、西フランク王国のルイ3世とは別人です。)

(08)
901年・・・ルイ3世が、第10代神聖ローマ皇帝になりました。

(09)
915年・・・ベレンガーリオ1世が勢力を取り戻し、第11代神聖ローマ皇帝になりました。



(※)その後、いくつもの王位争いが繰り返されました。

   やがて、東フランク国王オットー1世に救援を要請することとなり、

   このオットー1世が第12代神聖ローマ皇帝になりました。 → こちら



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