フランク王国の分割・再編
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フランク王国は、カール大帝の時に、西ヨーロッパの重要部分を統一し、ローマ教皇から帝冠を授かり、 「神聖ローマ帝国」として“西ローマ帝国の復興”を成し遂げるまでに至りましたが、 カール大帝の子であるルートヴィヒ1世(第2代神聖ローマ皇帝)の死後、 3人の子らが領土争いにより分裂しました。 ![]() 学ぶ項目を、ステップを細かく分けて一覧にしました。 「この項目は大丈夫だな。」と思うものは飛ばしてもらって結構です。 自分に必要な項目だけを学べば良いでしょう。 カッコ内は、文部科学省の学習指導要領に従った、目安となる履修学年です。 (01)ヴェルダン条約・・・843年、ルートヴィヒ1世の子らに対して、次のように決められました。 長男(ロタール1世)中フランク王国、第3代神聖ローマ皇帝 次男(ピピン)条約の締結より前に、既に死去。 三男(ルートヴィヒ2世)東フランク王国 四男(シャルル2世)西フランク王国 (02)855年・・・ロタール1世の死後、中フランク王国は、3人の子らに分割相続されました。 長男(ロドヴィコ2世)イタリア王国、第4代神聖ローマ皇帝 次男(ロタール2世)ロタリンギア王国 三男(シャルル)プロバンス王国 (03)863年・・・プロバンス国王シャルルが亡くなりました。 (04)870年・・・ロタリンギア国王ロタール2世が亡くなりました。 (05)メルセン条約(高2)・・・ロタリンギアは東フランクへ、プロバンスは西フランクへ吸収されました。 (06)875年・・・イタリア国王ロドヴィコ2世(嫡子おらず)が亡くなりました。 (07)シャルル2世(西フランク国王)・・・イタリア王国と神聖ローマ皇帝位(第5代)を獲得しました。 (08)カール2世・・・第5代神聖ローマ皇帝になったのを機に、シャルル2世が名乗りました。 (09)876年・・・ルートヴィヒ2世の死後、東フランク王国は、3人の子らに分割相続されました。 長男(カールマン)バイエルン 次男(ルートヴィヒ3世)ザクセン 三男(カール3世)アレマニア (10)877年・・・シャルル2世の死後、西フランク王国を、その子ルイ2世が継ぎました。 イタリア王国は、バイエルンのカールマンが獲得しました。 (11)879年・・・カールマンの死去。 カールマンには子供がいませんでした。 バイエルンはルートヴィヒ3世が、イタリア王国はカール3世が譲り受けました。 (12)881年・・・カール3世が、第6代神聖ローマ皇帝として帝冠されました。 (13)882年・・・ルートヴィヒ3世の死後、嫡男が早世だったため、カール3世が継承しました。 これにより、カール3世は、東フランク全土を手中に収めることとなりました。 (14)884年・・・879年のルイ2世に続き、その子ルイ3世が他界。 嫡子はいませんでした。 カール3世が西フランク王国も継承し、これにて、 カール3世は、全フランク王国を相続することになりました。 「時間の単位」に戻る |
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