イスラム圏の動き
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紀元前6世紀半ばにオリエントを統一したアケメネス朝は、 第3代のダレイオス1世のときに、エーゲ海からインダス川に及ぶ広大な領域を支配しました。 しかし、紀元前5世紀のギリシア遠征(ペルシア戦争)で失敗したのをきっかけに、弱体化していき、 紀元前330年、アレクサンドロス大王によって滅ぼされました。 その後、この地域は、どうなったのでしょうか? ![]() 学ぶ項目を、ステップを細かく分けて一覧にしました。 「この項目は大丈夫だな。」と思うものは飛ばしてもらって結構です。 自分に必要な項目だけを学べば良いでしょう。 【イラン人の活動】 (01)紀元前323年(高2)・・・アレクサンドロス大王の急死により、3国分立の形勢となりました。 (02)3国分立・・・アンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプト。 (03)セレウコス朝シリア・・・アラビア半島以外の西アジア全域にわたる広大な領土に、多様な民族が存在。 (04)紀元前3世紀・・・イラン高原北部の遊牧イラン人が、セレウコス朝から独立し「パルティア」を樹立。 (05)紀元前63年・・・セレウコス朝シリアがローマ帝国に滅ぼされ、パルティアとローマが接した。 (06)ササン朝(高2)・・・イラン高原南部の農耕イラン人が樹立しました。 (07)紀元後224年(高2)・・・ローマとの抗争で衰退したパルティアを、ササン朝が滅ぼしました。 (08)紀元後7世紀・・・東ローマ帝国と激しく争うようになったササン朝の国力が低下していきました。 (09)紀元後651年(高2)・・・イスラム教徒の侵入を受けたササン朝が滅びました。 【アラブ人の活動】 (10)アラビア半島・・・セム語系のアラブ人が、部族ごとに遊牧生活を送っていました。 (11)オアシスの道(高2)・・・ササン朝と東ローマ帝国の抗争で、途絶えてしまいました。 (12)紅海貿易(高2)・・・東ローマ帝国が支配していましたが、抗争を機に、こちらも衰えました。 (13)その結果・・・アラビア半島西海岸の陸上路が利用されるようになり、メッカが栄えました。 (14)ムハンマド・・・メッカの商人。 隊商に加わり、各地を往来して、ユダヤ教やキリスト教に触れた。 (15)紀元後7世紀・・・神の啓示を受けた預言者であるとの信念から、イスラム教を創始しました。 (16)カリフ・・・ムハンマドの後継者のことです。 (17)正統カリフ・・・部族時代の名残である選挙によって選ばれた4代のカリフです。 (18)ウマイヤ朝・・・4代目カリフが暗殺された後、カリフを名乗り、以降のカリフを世襲制にしました。 (19)アラブ帝国・・・正統カリフ時代とウマイヤ朝を合わせた言い方です。 (20)スンニ派(高2)・・・正統カリフとウマイヤ朝を、正統な流れとする立場です。 (21)シーア派(高2)・・・4代目カリフと、その子孫のみを、正当な流れとする立場です。 (22)アッバース朝・・・ムハンマドの叔父の子孫であるアッバースが、ウマイヤ朝を倒し、750年に樹立。 (23)後ウマイヤ朝・・・倒されたウマイヤ朝の一族は、イベリア半島に逃れ、756年に樹立しました。 (24)ファーティマ朝(高2)・・・シーア派の一派は、チュニジアに逃れ、909年に樹立しました。 (25)3カリフ国・・・アッバース朝、後ウマイヤ朝、ファーティマ朝の君主は、それぞれカリフを称した。 「時間の単位」の一覧へ |
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