裏方 その5

ここはチェコの作曲家:マルチヌーのページの舞台裏です。

2007年11月
 チェコラジオ・ヴルタヴァ放送10月20日20時(現地時間)に「Divadlo za branou 門外劇場」H.251バレエ・パントマイム+オペラ・ブッファ(1935~36年作)放送。
 どなたか聴かれましたか。管理人のうちではなぜかその時間にネットが繋がらなくて残念でした。






2004年の裏方のつぶやき・・・


11月

 11月18日(木)。マルチン・カシークのピアノを聴いた。バッハ:イタリア協奏曲、ショパン:バラード1番、ノクターン8番、スケルツォ2番、マルチヌー:3つのチェコ舞曲、ヤナーチェク:ソナタ、スラヴィツキー:3つの作品。

 もちろんお目当ては、マルチヌー:3つのチェコ舞曲。音大生の学生らしい人々が結構いたが、あれを聴いてマルチヌーを弾きたい、という気になった人はいないだろう。速過ぎて、何を弾いているのかわからなかったのである。マルチヌーのクラッシュしながらも魅力的で変化の多いあいまいな和音と、舞曲らしいリズムに醍醐味があるのに、一切かまわず弾き飛ばしていた。残念。

 舞曲の要素があるにしても、もはや形式化されたものなので、どんな風に弾いてもかまわない、という考え方もあるが、メヌエットをスケルツォのように弾く人はいないし、それなりのラインというのがあるはずである。例えば第2曲目デュパークはそれとはっきりわかるリズムの形態だけに、それが聞こえず残念だった。デュパークという呼ばれる足を踏み鳴らすダンスは、チェコ、スロヴァキアの地方によってその形態はさまざまである。マルチヌーのデュパークはモラヴィアのそれであり、オストラヴァ音楽院(現ヤナーチェク音楽院)で勉強していて、知らないわけはないだろう。ならばちょっとは意識して、デュパークらしいところは、それなりに弾いてほしかった。

 カシークは、内声部に焦点を当てて強調する傾向にあるらしく(そういう人はときどきいるが)、プログラム全体を通して、変わった解釈をしているように聞こえた。ショパンもヤナーチェクも、新種の楽譜で弾いているのか、と思うような音使いをしていた。あれでいいのだろうか。演奏は弾く人の責任によるものであり、他人がとやかく言えるものではないが、楽譜から音楽を再現するに当たり、作曲家と対峙したのか、と疑ってしまう。

 ぱーっと明るいイタリア協奏曲は、ウォーミング・アップ代わりなのだろう。適当なテンポで、とっても現代的な弾き方で調子よく、楽しめた。続くショパンは、チェコ語で弾くのか、と少々期待してのだが、そうでもなかった。「チェコ語で弾く」とは、チェコ人学生の弾くショパンを聴いたとき、初めて耳にするような音楽の作りに驚き、それを私が師事していた先生に話したところ、チェコ語は単語の第1節目にアクセントがあって、フレーズも、頭に重きを置いて弾く。一方、ポーランド語は第2節目にアクセントがあるので、チェコ人とポーランド人とでは、フレーズの弾き方が違う、といわれた。なるほど、といたく関心し納得したが、その後何人もの学生のショパンを聴いてが、ある決まった共通点があることに、さらに驚き、国民性というのがあるのだ、と思った。私がそれまでに耳にしていた日本でのコンサートで弾くショパン、あるいはCDで聴くショパンは、あるグローバルなラインを周到したショパンだったのだ。恐らく、ホロヴィッツやアシュケナージ、ルービンシュタイン、アルゲリッチなどをお手本にしてきた人々の弾くショパンが、国民性云々を超え、ある種共通した音楽作りをしていた、ということなのだろうと思う。それとは別世界にいた、あまり外の音楽に触れることの少なかった95年当時のチェコ人学生の音楽には、へーえ、と思わされる要素が詰まっていた。

 だから、カシークもそのように弾くのだと思っていたが、違った。しかし幼少時代や音楽院時代の10代の頃にも同じような弾き方をしていたとは思えない。地元の先生についていたのだから、私が聴いたのと同じような教えられ方をし、そのように弾いていたはずである。ならば、いつから変わったか、興味のあるところではある。

 カシークは今をときめく新進のピアニストで、チェコ内外でも引っ張りだこという話だが、本当に音楽が好きで弾いてます、という感じで、なんの深刻さもなく、適当にミスタッチもするし、にこやかで音楽に対する愛情も人に対する愛情も同じくらい深く、人に好かれるピアニストなのだろう、という印象を受けた。まだ28歳。習ったことからそろそろ抜け出していこうとする年頃ではないだろうか。特に、高音はきれいに響かせるのに、低音をぶっ叩くのには音が汚くて閉口したが、そんな全体的な音のアンバランスさに、カラを破ろうとしているのではないか、と思わせる気配があった。息の長いピアニストなのだろうと思う。10年後くらいに期待する。



10月

10月26日(火)。石川静&ヨセフ・ハーラのデュオ・コンサートを聴いた。ドヴォジャーク:ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ、ネドバル:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ、ヤナーチェク:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ、スメタナ:わが祖国より、というプログラム。

 関根日出男氏のプログラム・ノートによると、ネドバルのソナタは20歳で書いた作品とある。そうと知ると、同じフレーズの2度ずつ繰り返させるところや、映画音楽のような華やかな盛り上がり、いろいろな種類のパーツの盛り込み方、急激な転調、などが若さの象徴のように思えた。

 ヤナーチェクは、こんな弾き方だったら、私もやってみたい、と思うような演奏だった。プログラム・ノートに石川氏のコメントで、ヤナーチェクはわかりづらいというが、生活の中にある喜怒哀楽や曇り晴れなどが書かれているだけ、とある。
 チェコ人の演奏だと、日常の生活で本当に腹をたて、本当に悲しくて涙するような感極まった表現をしているように思え、とにかく情熱的で、ヤナーチェクとはどうにもエキセントリックなもの、 と思ってきたが、石川氏の演奏は全体的にマイルドで、大人の人間として、人の感情を客観的に見ているような表現の仕方に、共感が持てた。それでいながら、やはりチェコ人と同様のベースの上に立ち、チェコ音楽を空気のように感じる生活の中で音楽作りをした跡が感じ取れ、他のヨーロッパの人が弾くような異質な感じは全然しなかった。

 スメタナは、ヴァイオリニストは暗譜での演奏。ヴァイオリニストとピアニストの心と空間が一体になっていながらの演奏で、すばらしかった。このコンサートの前半はピアノの音量が大きく、それぞれの楽器が丁々発止とやりあっているようで、骨太のチェコ音楽らしいといえばらしいが、少々聴きづらかった。が、後半はホールと演奏家2人が溶け合ってきて、聴衆も音楽に入り込んでいっているようだった。とても良いコンサートだった。チェコ音楽だからか、津田ホールは満員というわけではなかったが、だからよほど興味のあるか思入れのある人々ばかりなのだろうと思えた。



 10月2日(土)。第20回例会コンサートを終えた。
 今回は、演奏者総勢で103名という空前の大企画となった。合唱団『わだち』の指揮者で当協会会員の諸井昭二氏が指導をしたことのある福島県立郡山東高校合唱部が『泉開き』を歌うというので、当協会会長の関根日出男氏に資料提供を求めた、というのがすべての始まりだった。福島県立郡山東高校創立70周年記念行事の一環として今年(2004年)3月にチェコ・ハンガリー・ドイツへ演奏旅行をし、『泉開き』を歌い、好評を博したということで、ならばぜひ、と当協会のコンサートで歌っていただけないか、と打診したところ、快諾を得たのである。室内楽演奏家と歌唱指導の先生を含めて100名がバス2台で上京した。

 果たして合唱は、滅多に聞けないほどにすばらしかった。今回は初の試みとして、曲中の長いナレーションを異例の日本語でやった。村で一番きれいな少女を女王様に見立てて、冬の間にたまった汚れを落とし、春を迎える、という民俗行事に基づく『泉開き』には、冬から春へ移り変わる季節を表す美しい言葉がたくさんあり、「泉の水は空を映すのだから」とか「春は君たち子供のようにきれいでなければならない」など、心を惹きつけられるような言葉で彩られている。それを歌うにふさわしい年頃のお嬢さんたちが心を込めて歌う姿は、この上なく美しく、空間までもが浄化されていくようで、私はピアノの譜めくりをしながら涙が止まらなかった。

 郡山は合唱の盛んなところで、優秀な合唱部を持った学校が多い、と聞くが、音程の確かさと、信じられないくらいのアルトの野太さは、チェコのフラデツ・クラロヴェーを根拠地にする伝統ある少女合唱団『イトロ(朝)』の実力に匹敵する、と思われた。慣れないチェコ語も暗譜で歌っていて、発音も明確であることに大変な研究と努力の跡が見られた。福島県立郡山東高校合唱部の指揮者である斎藤和夫教諭の音楽好きで研究熱心な、そして暖かい人柄にも支えられ、今年3月の演奏旅行でヨーロッパの人々と交流する中でも、大きな感動を胸に抱いて帰ってきた、ということだが、感動は人をこれほどまでに育てるのだ、という思いを新たにした。

 いつものことではあるが、観客が少ないのが残念だった。諸井昭二氏が指揮している『わだち』や氏の親近関係の合唱団の方々も来てくださったのだが、私の知り合いの合唱団は、合宿やら翌日が何かの大会やら、お孫さんの運動会、友引であったので婚礼やらで、声をかけた合唱好きの方々に来ていただけなかった。シーズンとしてはやり秋が一番なのだが、出し物がマルチヌーということもあって(これが一番の理由か)、難しいところである。

 ドヴォジャークの『聖書の歌』を抜粋で何曲か歌ったジェフリー・ドランブリー氏も穏やかで冗談好きで、暖かい人柄だが、そんな人柄がにじみ出るような歌い方、という講評を得た。マルチヌーがカンタータだということで、『聖書の歌』を選んだが、少々地味に映ったようだ。ドヴォジャークはダイナミクスの幅が全体的に大きく(マルチヌーは逆に小さい。大きすぎず小さすぎず、感情的な表現は厳禁)、加えて音量も大きい。フォルテと書いてあったら20%くらい大きい目のフォルテ(おかしな言い方)、それをスライドさせてピアノだとしても大きめのピアノで演奏しなさい、といわれたことがある。しかし『聖書の歌』に関しては、人の心の繊細さに迫り、音の処理も繊細に図られているように思う。だからドヴォジャークを弾く、というと相当に気合入れたくなるのだが、その気になりすぎないようにすべきなのだと思った。

 ヤナーチェクの『おとぎ話』は、姑佐川吉男会長から演奏するようにと渡されていた、Suprapho-Barenreiter Critical Edition Prague1988に載せられていた「ヤナーチェクの手書きの楽譜のコピー」のコピーを見やすい楽譜にし、演奏したもの。ようやくノルマを果たした気がする。が、でも実は未出版の1楽章もあるのだ。。

 プレストを『おとぎ話』の中に入れるかどうか、というのは別にして、1912年3月に演奏されたものの出版されなかった最終楽章となる4楽章は、曲として構成が練りきれておらず、途中で創作をやめてしまった感がある。ちゃんとできてない曲というのは解釈がしづらく弾き難い。コーダに入るかなり前からテンポが上がるのだが、法外に速いテンポ設定が示されており、それからさらに2度も速くなり、最後にがくんと遅くなり、終わる。そこまで大胆にやっておいて、なぜやめたか。元の1-3楽章がお話としてかっちりまとまっているからか。創作途中でやめたのだとしたら、面白いものを見せてもらったような気がする。他の作品もきっとあんな風に、完全にまとまる前には、まずは人が演奏しきれないような発想をしているのかもしれない。

 それにしても『おとぎ話』は私の苦手とするヤナーチェクらしさがよく詰まった曲である。今回は3楽章の次にプレストを入れて5楽章としての演奏だったが、何をさせるのさ、と思うほどにテンポの速いプレストの後に、終楽章のアダージオの始まりは、静かで長3・6度が目立ち、なにか不気味に美しい。コーダに入るまでのアルペジオで歌いかけるチェロの短いフレーズは、オペラで言えば感極まって叫ぶ感じで、ヤナーチェクの脳ミソが声を上げて叫んでいるようで、どうにも落着かない気分になってしまう。できればもう一度弾いて見たいと思っているが、恐いもの見たさからくるものだとわかっている。次回は、緊急事態みたいにザリザリバリバリ言わせ、それに打って代わって叙情的に流れる部分がこれまた気味悪いプレストを抜きにして、未出版の1楽章から始まる全4楽章でやってみたい。そのためにはまた楽譜ソフトで音符を起こさなければならないのですね。あー





8月

 8月2日(土)に東京原宿医院にて『ミランドリーナ』のビデオ鑑賞会をやった。
集まりは過去最低の5名。





6月

・ 東フィル&岩城宏之の『ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画』(1955/2-4)を聴いた。全体的に明るくてなかなかよかった。マルチヌーは1946年タングルウッドの夏期講習会の際にバルコニーから落ちて頭蓋骨を骨折する大怪我をして以来、解脱をした後であるかのようなシンプルで軽やかな音色に作風が変わってきている。『フレスコ画』の後にピアノ協奏曲『呪文』のような悪魔的な音使いのものも書いていて、以前とその後との自分を行きつ戻りつはしているものの、全体的には明るくハイドンのような軽い色調へと傾向が変わってきている。 『フレスコ画』もピエロのなんの作為もなく創造物への心からの尊敬を感じられるところに共鳴し、素直な気持ちで書いたものである。フレスコ画と作者であるピエロへの共感と尊敬を感じつつ、「聖十字架伝説」の物語を念頭に置いて書かれた 『フレスコ画』ではあるが、曲全体から受ける印象としては、たった今生きていることに対する喜びと感謝の念に満ちているように思える。今回の演奏はその明るさが前面に出ていて好感が持てた。「聖十字架伝説」を解釈したような、複雑に分析した跡を見せてはいけない曲だと思う。 いつものマルチヌー節や彼独特の刻みももちろん健在。因みに『フレスコ画』の1楽章には、52年9-10月にヴュ・ムーラン(-ニューヨーク)で書いたチェロとピアノのためのソナタ第3番の第3楽章に出てくるフレーズが使われている。『フレスコ画』の次にヤナーチェクの『シンフォニエッタ』が演奏された。4、5楽章はよかった。コンサート後半のドヴォジャーク『新世界』は聴かなかった。

 17日にはハンガリー音楽を聴いた。リスト『ハンガリー・ラプソディ』、バルトーク『ディヴェルティメント』、コダーイ『ハーリ・ヤーノシュ』。
 先日スカパーのクラシカ・ジャパンで、ゲオルク・ショルティが『メフィスト・ワルツ』を振っていたのを聴いたが、先にソロ用に作られた曲は、オーケストラで聴くと肥大化して聞こえる。オーケストラは何でも表現可能な形態であるかのように思えるが、ひとつの楽器に多くのニュアンスを込める方がより豊かに響く場合もあると思う。『ハンガリー・ラプソディ』を聴きながら、もしもこれがジプシー
*の人々のバンドなら、と想像してみたら、詠唱のように伸ばす間合いを多くとった手法で弾くヴァイオリン・ソロが耳に響いてきた。その驚くべき広がりよ、表現力よ、といまさらながら感心する。人生の悲しみや哀しみ、辛苦をここ一発に集中させて歌いきってしまうというような、過感情に過ぎるのではとも思えるジプシーの人々の演奏は、遠く夕陽の落ちていく地平線にまで広がっていく、というような現実に目に見える広がり方ではなく、弾く人の持つ心の裡に広がる暗く果てしない宇宙に音を放つかのような広がり、なのである。リストはそんなヴァイオリンやツィンバロンの入ったバンド音楽を幼少時代から聴いていて、ピアノ・ソロに書かれた音符というのは、耳にした通りの音をごく単純に書いたものではないのだろうか。ロマの人々の音楽であるから、即興性もある。それをオーケストラでは、大勢して、ああしてこうしてと決め、せーの、で弾くわけだから、何か音に集中力が欠け、肥大化したように聞えるのは、当然といえば当然である。クラシックのオーケストラ曲であると割り切って、元歌や民謡バンドのことは忘れて聴くべきだとはわかっているが。

*ロマあるいはロムと言うべき、という議論があって、私も口にするごとに考えてきたが、「ジプシー」で良いと思うようになってきた。要は言う側の心の問題なのだ。私は親しみと敬意を持ってこう言いたい。彼らも英語で自分らのことを言うときにはジプシーと言っているのだし。

 『ハーリ・ヤーノシュ』の冒頭で突然指揮者が音楽を止め、作品の説明を始めた。これが結構おもしろかった。最初からそうしようと決めてあったのだろうが、曲を止めてまでして曲の醍醐味をお話しすることで、指揮者の曲に対する思い入れも感じられ、聴衆はリラックスしつつ本当に音楽を楽しむことができた。

 それにしてもドヴォジャークの『スラヴ舞曲』などと『ハーリ・ヤーノシュ』が音楽の形態が全然違うのに、なんで似た印象なのだろうと思っていたら(こう思うのは私だけらしいが)、鈴やキンコンカンコンという打楽器が牧場に発想を得たものだからだ、ということに思い当たった。そのような音使いは彼らに限ったことではないのかもしれないが、牛や馬のいる風景の中で日々を育った人々の日常生活に思いが馳せられ、なにかほのぼのと暖かい気持ちになる(当然のことだが南米やスペインの音楽にそんな音が聞えてきても、スラヴの牧歌的風景は想起されない)。ちなみに4楽章には、東スロヴァキアでも耳にする民謡が出てくる。恐らくハンガリーからスロヴァキアに伝わったのだろうが、スロヴァキア民俗舞踊の出し物の中で、向かい合った男たちがメロディーに合わせて、相手の帽子を取って自分の頭に乗せる、という遊びを繰り返し、テンポがどんどん速くなるのに従い、帽子交換の動作も速くなり、帽子を下に落としたら負け、というようなおふざけの演目にしばしば使われる曲である。



5月

・当協会はなんだか静かにしているようですが、会長関根日出男氏は、コロムビア依頼原稿:スメタナ「わが祖国」、ドヴォジャーク「フス教徒序曲」「ヴァイオリン協奏曲」「第8交響曲」ヤナーチェクの「運命」の解説などの執筆が終わり、「ミランドリナ」ビデオ鑑賞会のプログラムを製作、日時など検討中。事務局では10月2日(土)「例会コンサート」のプラン進行中。

・5月15日(土)浜田山会館ホールにて、ツィンバロムの演奏会がある。音楽ジャーナリストの山崎さんによると、ハンガリーで留学と演奏活動をしており、9月からはスロヴァキアのバンスカビストリツァの芸術アカデミーにも留学しておられるの斉藤浩氏のコンサートと、他の打弦楽器:ツィンバロム・ハックブレット・ハンマーダルシマー・サントゥール・揚琴の演奏とトークがあるようだ。楽しみ。www

今年(2004)のプラハの春のマルチヌー:・マルチヌー・プロ:14may Piano Concert. 3/20may:Piano Sonata/28may:Violin Concert2



4月

去年のコブリーチェクさんに続き、スロヴァキアのフヤラ奏者ミラン・ルスコ氏が音楽音響学会国際シンポジウムに参加・論文発表するために来日するのに伴い、彼を囲む会やルーマニアのパンフルート:ナイ奏者の大束晋(おおつかすすむ)氏にご協力いただいて、4月14日豊島区民センター6階文化ホール(池袋)にてジョイント・コンサートを開催した。日本ではまだ認知度の低い、でも知っている人は知っている楽器、フヤラ。音楽座ロバハウスでミラン・スルコ氏を紹介し、彼を囲む会を開いてもらったのだが、そのロバハウスを主催しておられる松本雅隆氏は、何年か前に江波戸昭氏によってNHKの民俗音楽の時間に放送されて以来、フヤラに興味を持ち続けていたのだそうだ。というわけで囲む会では江波戸昭氏も来ておられ、池袋でのコンサートにも江波戸氏も来場された。ロバハウスでは楽器奏者の中でも一番背が高く手の大きな方がフヤラの吹き方を教わっていたが、さすがに演奏家だけあってルスコ氏の指導をどんどん飲み込みたちまち上達していかれた。日本人として初のプロとしてのフヤラ奏者が誕生する見込みも出てきて、嬉しい限りなのだが、その様子を見ていて、楽器が好む調なるものがどいうものなのかがよくわかった。音階を作っていくときに、よく耳を傾け、楽器が鳴りやすい状態に保ちながら音階を作っていくと、その楽器固有の音階が発見できるのだが、笛の場合、それがミクソリディア調…第7音が半音ほど下がる…なのだ。スロヴァキアやモラヴィアの民謡にはミクソリディア調のメロディーが多いのはそのせいなのである。




3月

・6月13日(日)15時~オーチャード:東フィル&岩城宏之でのマルチヌーの「フランチェスカのフレスコ画」を予約した。その日他のプログラムはヤナーチェク「シンフォニエッタ」、 ドヴォジャーク:交響曲第9番「新世界より」。そして6月17日(木)19時~オペラシティにはリスト「ハンガリー狂詩曲」、バルトーク「弦楽のためのディベルティイメント」 コダーイ「組曲ハーリ・ヤーノシュ」が演奏される。チェコとハンガリー。どのように演奏されるだろうか。





2月

・ヤナーチェク生誕150周年記念のヤナーチェク・フェスティヴァルを見物にブルノに行って帰ってきた。
「イエヌーファ」はチェコテレビで放送もされたし、宣伝もうまくいっていたらしく連日満場の入りで、国民にとってもヤナーチェクの認識が新たになったのではないだろうか。
・ 英国ドヴォジャーク協会の人々が40人ばかり来ていた。が、面白いことにプラハのマルチヌー・フェスティヴァルでいつも必ず顔を合わす外国人は、メルヴィル・メイスン氏以外はちらほらしかいなかった。世の中マルチヌー派とヤナーチェク派に分かれると思っているのだが、その思いを強くした。いつもの顔ぶれがいなくて淋しかったが、逆にヤナーチェクの催しにはいつもいるだろうと思われる人にも出会った。10年チェコに住んでいて、外国人にチェコ語のオペラのセリフを教えるコレペティもしているという、まだ若いアメリカ人指揮者もその一人。チェコ語をアメリカ英語のように流暢にしゃべる。四六時中しゃべり続けているノリの良い典型的なアメリカ人で、ブルノの目抜き通りを歩きながらヤナーチェクのコンチェルティーノの出だしのピアノとホルンを歌い分けて止まらなくなってしまったのには閉口した。人々はみんな見るし。。
・ 長年のヤナーチェク研究の努力と栄誉を称えられ、当協会会長関根日出男氏、ドヴォジャーク協会会長のメルヴィル・メイスン氏、音楽学者のジョン・ティレル氏がヤナーチェク財団からメダルを授与された。シャールカの公演の前(だったと思う)にステージ上で授与式があった。
・ ヤナーチェクのオペラは「マクロプロス」「イエヌーファ」「物語の始まり」「シャールカ」「利口な女狐」「ブローチェク氏の旅行」「運命」を観、合唱コンサートを聴いた。
ヤナーチェク・フェスティヴァルの批評はレコ芸5月号で関根日出男氏が書くということです。楽しみ。




1月

1月5日(月)
・いよいよ新しい年が始まった。毎年のことではあるが、新年ってやっぱり気分がいい。連日お天気がよく月もきれいだ。さあ今のこの新鮮な気分のうちにすべきことどもに番号をつけ、机の前に整列させよう。
まずCD紹介のページ。これはピアノ協奏曲4番から。3月までにあともう一曲やりたい。
その2:IBMSニューズ・レターの要約翻訳。助っ人を見つけることも大きな課題。誰か手伝ってください(真剣なお願い)。
その3:『ギリシャ受難劇』台本翻訳の続き。いい加減に終わらせたい。

・コンサートの日程も決まってきた。4月にはまたフヤラ奏者が来日するのでなにか面白いことをたくらんでいる。これは日スロバキア協会での話。9月には西松甫味子さんのコンサートがある。昨年プラハでのコンサートが認められ、ドヴォジャーク賞を受賞された。6月にはその授賞式と披露コンサートがあり、9月にはドヴォジャークやその他のチェコの歌曲プラス日本歌曲を歌うコンサートがプラハである。そのプレ・コンサートとしてのコンサート。フィビヒやフォレステルなんかを入れていただきたいところ。10月には当協会の例会コンサートもある。今年はヤナーチェク生誕150周年なのでそれなりのプランがある。11月には沢由紀子さんがヤナーチェク・プロのリサイタルをされる。そして来年1月にはデュオ・チェルネー・オツィの第2回コンサート。仲間内でこれだけあれば充分である。でもやっぱり秋に集中するのだな。関係ないけど今年はマタイを歌いたい。イースターの季節に受難劇を歌うのは春の到来を祝福するみたいで、なにか感動的なのだ。今年は4月9日がイエス受難の日。ここからはdalsi





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