裏方 その6

ここはチェコの作曲家:マルチヌーのページの舞台裏です。
でもスロヴァキアの民俗音楽も紹介しています。




2005年の裏方のつぶやき・・・


8月

・故佐川会長の遺稿集が出版されている。奥さまの悦子夫人が



6月

・6月2日(木) 『マルチヌー・ピアノトリオ・コンサート』 於:武蔵野文化会館 ベートーヴェン:幽霊、マルチヌー:ピアノ・トリオ2番、スメタナ:ピアノ・トリオ
 Petr Jikovsky、Havel afa ペトル・イジーコフスキー(ピアノ)、パヴェル・シャファジーク(ヴァイオリン)、ヤロスラフ・マチェイカ(チェロ) まだ若いのに客観性のある音楽作りで、とっても良いアンサンブル。舞台上ではごく日常的な落ち着いた雰囲気を漂わせているのに、確実な音楽を聴かせていた。誰が飛び出すことなく淡々と無駄がなく、しかしテンペラメントの高い演奏で、日本語で言うところの枯れた演奏というべきか。3人が3人ともそんな資質なのだろうか。こういう人たちが歴史に残っていくのだろうなと思った。
 『幽霊』はなんとも冗長な音楽で、早く終わらないかと思いながら聴いたけれど、よくあれだけのテンションを保ちながら弾けるもの、と感心。
 滅多に聴くことのできないスメタナのトリオは、やはりピアノの音が割れている。それを最小限に抑えているのはさすがだと思ったけれど、スメタナの特徴でもあるが、ピアノ・トリオは実際に耳で聴くよりも楽譜には音符が多く、速くて大音量でのオクターヴの連続があったりして、人間の運動能力を無視した音の運びに男性ピアニストでも四苦八苦する曲なのだ。スメタナはしんどいばかりで弾きがいがないから弾かない、という人は結構いる。ピアノ・トリオはその最たるものではないだろうか。なんでスメタナってそんななの?リストのまねなんか無理にしてるから?ハーモニーがきれいで耳に心地よい曲もたくさんあるのだけれど。
 マルチヌーは彼の人間性を表わしているかのような演奏で、嬉しかった。マルチヌー本人は、はにかんだ様子でくぐもった声でそうっと話す人だったというが、でもおもしろおかしいことが大好きな、お茶目で、しかも上品な人だった。まさにそのイメージ通りの演奏。即興性に富んだマルチヌー理論(やり口)をようく噛み砕いていて、適当なテンポでわかりやすく、隣に座った初老の男性は、わくわくしてたまらん、というような様子で体を音楽に合わせて揺らしながら聴いていた。椅子の振動が伝わってきてちょっと閉口したけれど、マルチヌーを楽しんで聴いている、と思うとこれまた嬉しかった。あんな演奏いいな。また聴きたい。

・6月21日(火) 『チェコ・フィルハーモニー・六重奏団』 於:上野文化会館小ホール マルチヌー:弦楽六重奏、ドヴォジャーク:ピアノ五重奏、弦楽六重奏 イ長調 Op.48
 梅雨なのに楽器は大丈夫なのか、という心配は今年はいらないような。それでもヨーロッパに比べれば湿度は高いのだろうけれど、雨が降り続いていないところが救いかも。

 マルチヌー:弦楽六重奏は、音使いの多いパリ時代の作品。そのせいだろうか。私にはわかりにくく、何回聴いても胸にしっくり響いてこない。楽譜をよく見て勉強しなければ、と思うのだけど、聴いているだけでは六重奏あたりが一番解釈しづらい、と思うのは私だけだろうか。ソロの曲から始まって六重奏くらいが、1つの楽曲の中で一番音を複雑にできるのではないかと思う。それを超えると、楽器を多様化できるので、複雑さが軽減されるのでは。そういう意味で、六重奏というのは特異なジャンルなのではとかねがね思っているのだが、単に不勉強なのを弁解してるだけかしらん。私の場合、ピアノが入っていないとなかなか楽譜を買う気にもなれないので、聴いてるだけになるからいけない…というのはわかっていますが、同様の考えの方、いらっしゃいましたらメイルください。
 ドヴォジャーク:弦楽六重奏は、あろうことか、初めて聴いた。6月2日の幽霊同様、冗長な部分があって退屈したが、それでも演奏家はテンション保って弾けている。ということは、やはり作曲家は作ったときには自分の内面から湧き出してくるものに誠実に向き合って、音符に変換していったのだろうな、などと考えながら聴いた。でも一箇所、ここを聴くならチェコ人の演奏でないと、と思ったところがあった。何楽章だったか民謡調で、第1ヴァイオリンがこれぞ我らの音楽、という感じで弾き出すと、他のメンバーがそれきた、とばかりに受けて応えている、というか支えていて、まさに6人の人々ががひとつになった、という感があった。あれは口あわせをしての演奏というよりは、同一民族の者同士のあ・うんの呼吸で弾いているとしか思えず、他の国の人々が絶対にまねできない部分のはずである。冗長でまったりした流れの中でこれを感じ、私は満足した。

・6月24日(金) 『EXPO』 チェコ共和国ナショナル・デイの祝賀コンサート
 最初の予定と違って、マルチヌーのチェロ協奏曲も寓話もないし、あまり気乗りがしなかったが、ブジェジナさんとのやりとりの続く中、行かないわけにもいかず、行った。PAを使った1000人が収容できる大ホールでのコンサートである。蒸し暑いし、ますます気分が失せたが、1時間半かけて音響調節をした、というブジェジナさんの話を聞くと、音楽学者でありアカデミックな音楽組織を率いるディレクターとしてプロ中のプロ、作曲家としても玄人中の玄人である彼が、いわゆる音楽愛好家対象のコンサートではなく、ごく一般大衆のための音楽会の音響作りをしたのだと思うと、急に聞く耳が真剣になった。そうしてみると、大ホールであるのに聴きやすい音響に調整されていて、なるほどと打って変わって感心した。ピッコロなどの高い楽器のみが耳をつんざきはしたが、バランスがよく柔らかく、じっと座って聞いていたい音だった。日本語の上手なチェコ人と日本人アナウンサーの曲の紹介により、ほのぼのとした雰囲気の中で音楽会は進められていく。長い楽章の曲はその中の1楽章だけの演奏だったりするが、チェコ音楽の紹介CDを本物のオーケストラと演奏家で聴いているのだ、と思えば、なかなか贅沢なことのように思えた。最終曲であるスメタナの「ヴルタヴァ」は、ヴルタヴァ川の源流を抱くチェスキー・クルムロフから始まって、美しい野原や山を経てプラハまでの映像が舞台上部左右のスクリーンに映し出され、自然の多く残る美しいチェコをスメタナの音楽と共に堪能できるしくみになっていた。そのために上空から撮影されたフィルムは3分の1に編集されてたのだそうだ。やはり万博ともなると国を挙げてやるぞという意気込みに満ちているのだと思った。会場にいた人々は、ひょっとしたら万博に来て初めてチェコに触れた人々もいるかもしれない。しかし暑くて不快であるにもかかわらず、2人の司会者のわかりやすい手引きによって、チェコのすばらしさに触れ、理解することができ(モルダウはドイツ語読みなので、これからはチェコ語読みで「ヴルタヴァ」と言うようにしてください、というメッセージもちゃんと伝わったはず)、来てよかったと思える演奏会だったと思う。音楽愛好家ではなく、ふらりと立ち寄った人々に寄り添う音楽会。自分の好きだと思う音楽を広めるには、このアウトラインを心すべき、とよい勉強をさせてもらったひとときでした。

 あ、そうそう。今回本邦初演されたマルチヌーのチェコ・ラプソディーのオケ版は、思っていたよりよかった。ピアノとヴァイオリンとのアンサンブルの音色の面白さに勝るか、といったらそうでもない、というのが本音ではあるけれど、小さな曲ながら充実した音の響きで、出だしの部分はオーケストラの方がふさわしいのでは、と思えた。

 ひさびさにお会いした○会会員の神本直樹さんがレポートを寄せてくださった。以下はその全文。

 5月10日に事務局長の徳田さんよりメールを戴いてチェコのナショナル デー・コンサートを知りました。近くだし(実はまだ万博会場には入った 事がなかったのです)、ここ最近協会の催し物に参加できなかったので、 もし誰か来られる方がおられるのならお逢いしたくもあり、是非とも行こう と思っておりました。前日になって確認をしようとしていた所に徳田さん からお電話があり、「当日の入場券と招待券があるのですが、いかがですか」。聞けば、直前になって当日の招待券が余っているとの事。音楽会会場に入るための整理券も朝9時に配られ、すぐ終わってしまう」という話を聞き、私はすかさず「すみません、お願いします」、そう返事をしたのでした。

 愛知万博のテーマである「自然の叡智」をモティーフに、チェコのクラシック 音楽とチェコのいま旬の演奏家を日本の来場者に紹介するこの企画。
コンサート会場は小さな子供からお年寄りまで揃い、ほぼ満席状態。チェコ 本国よりパロウベク首相御一行が臨席され、またフレンドシップタウンの 音羽町からも大勢の人が来ていて賑わいました。プラハ交響楽団のメンバー 一同がステージに揃い、フジテレビの佐藤里佳アナウンサーとチェコのジャー ナリスト、マルチン・ヴァチカージュの司会でコンサートが始まりました。

 指揮はペトル・アルトリフテル。前半はドヴォジャーク:序曲「自然の王国にて」で始まり、ヤナーチェクのオペラ「利口な女狐の物語」から第一幕、第二場、そしてマルチヌーの「チェコ・ラプソディー」(VnとOrchのための)。 締め括りはドヴォジャークのチェロ協奏曲より第2楽章。

 ステージのあるドームとはいえ野球の西武ドームと同じ半開放構造のこの会場で、音響システムの助けを借りての演奏。響き方はコンサート・ホールとはかなり違い、しかも気温30度の暑さのざわざわした中で始まった序曲は少々オーケストラのバランスが崩れ、演奏はさぞかしやり辛いだろうと感じました。

 ヤナーチェクはセヴェラーチェク児童合唱団との共演。森番に捕まった女狐が鶏たちをパニックに陥れて森の中に逃げる場面ですが、司会者のこの場面についての説明はどうも不充分。児童合唱との共演という前提からこの部分を選んだと思うのですが、恐らくこれで初めてヤナーチェクを知った方にはよく解らなかったのではないでしょうか。私自身は、むしろ このオペラのフィナーレの森番のモノローグを取り上げて欲しかった。内容が万博のテーマに相応しく、またかなり盛り上がると思うのです。とはいえ、場面転換の部分で夜明け(日の動き)の動機がそっと鳴り出すと、いつ聴いていても目頭がジワッときます。

 続くマルチヌーも冒頭の弦楽器の和音を聴いてまたまた眼の奥がじわじわっとしてきました。私としてはおそらく初耳で、コンチェルト・ラプソディーよりは地味な印象ですが、マルチヌーのあの独特な雰囲気は素晴らしいと思います。(ヴァイオリンはハナ・コトコヴァー)そして、今やチェコ第一のチェリストとなったイジー・バールタを迎えてのドヴォ・コン第2楽章は、既にバランスを取り戻し調子を上げてきたオーケストラの伴奏と相俟って味わい深いものになりました。パロウベク首相はここでご退席。

 休憩を挟んでの後半はチェコに縁のあるモーツァルトの「皇帝ティトゥスの慈悲」に始まって、クラムホルツのハープ協奏曲第6番第一楽章とカリヴォダのクラリネットとオーケストラのための前奏・主題と変奏。特にソロの付いた2曲はその音の美しさに寝不足を誘われてつい、うとうと。(ハープはヤナ・ボウシュコヴァー、クラリネットはルドミラ・ぺテルコヴァー) 最後はご存知スメタナの「ヴルタヴァ(モルダウ)」。今まで演奏者をアップで写していたステージ両横の大型ヴィジョンはヴルタヴァ川の流源から上流・プラハの流れとその映像を流しました。聴いている人々はヴルタヴァをより一層親しみ深いものにしたようでした。最後のクライマックスで屋根に吊るされた大きな風船が割れて数々の小さな風船が観客席に舞い降りてくる演出もあり、終演後は聴衆全員がスタンディング・オヴェイション。
アンコールとして同じスメタナのオペラ「売られた花嫁」より「道化師の踊り」が演奏され、アルトリフテルの丁寧な指揮とオーケストラの熱気に溢れた演奏に会場はまたまたスタンディング・オヴェイションに包まれ、コンサートは盛況のうちに終わりました。

 会場の人々はチェコ音楽の醍醐味を味合うことができて満足されている様でした。私としては「寓話」を聴きたかったのが曲目変更があってとても残念でしたが、徳田さんと久々にお会いする事ができ、またチェコ協会の方々にもお会いでき、偶然にもレセプションにも参加させて戴く事ができました。

 行きの電車から結構な混み様で、会場内を移動するのも大変な暑い一日でしたが、本当に久しぶりに有意義な時間を過ごす事ができました。この様な機会を戴きました事に関係の皆様方に感謝申し上げます。有難うございました。





5月


 ・やはりEXPO関係でいろいろ沸き立っているような。
 ・ただいま“マルチヌーの全交響曲の解説@関根日出男氏”のページを整えているところです。譜例盛りだくさんです。乞うご期待!




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