室根山のふもと

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 飼い猫のクロが死んでしまいました。18歳でした。今回は前編です。


最後の秋

                 
                           < ザルの上で眠るクロ >
 

   クロが元気だったころの最後の写真。
 毎年秋になると裏庭の柿をもぎ、皮をむいてザルに並べ、たこ糸でくくって干す。今年は室根祭りの直前、10月20日ごろからむき始め、12月の半ばまで毎日その作業をしていた。

 日当たりのいい離れで、私が座って柿の皮をむいていると、今年は決まってクロがそのあぐらの上に乗ってきて丸くなる。むき終わった柿をたこ糸でくくり、外の掛け下げに干すと、ザルは重ねて離れの物干し場に置いておく。そのザルに入ってクロが気持ちよさそうに寝ているので、面白いと思って写真に撮ったのだった。このころはまだ、クロが弱ってきたのに気づいていなかった。思えば、今年は私の膝の上でいつも丸くなっていたのも、外を歩き回る元気がなくなってきたためだったのだ。

     
                              < 掛け下げの干し柿 >
 

 干し柿は一日2・3連ずつ干していった。写真では下の段の左側から干し始め、上の段の右側が新しく干したばかりの柿。2週間もすると渋みが抜けて琥珀色になり、柔らかくなる。私と妻は、固くなり始める寸前の、琥珀色のとろけるような甘い干し柿を、洋菓子以上だといいながら毎日頬ばっていた。

         
                    < 12月になってもまだ実をつけている裏庭の柿 >
 

   今年の柿は豊作で、柿むきの作業が終わったのは12月半ばだった。ちょうどそのころ、久しぶりに夕食がご馳走の日があった。

 妻はクロに甘いので、鍋から小さなホタテとソーセージを取り出して与えた。クロはそれを畳にこぼして食べる。食べ終わると妻はまた、小さなホタテを小皿に取って与えた。しかしクロは今度は見向きもしないで、毛づくろいを始めた。そんなに食べたわけでもないのに好物を残すなんて珍しいな、と思って見ていたのだが、これが、クロが食事を取った最後となった。


冬を迎えて

 翌朝、離れでサキイカを与えると、いつもなら喜んですぐ飛びつくクロが、寄ってこない。どうしたクロ、といいながら、クロの顔の前に改めてサキイカを置いてみたが、関心を示さず隣の部屋に歩いて行く。
 それは初めてのことだった。 

 その後2・3日同じようにサキイカをやっても、やはり食べようとしなかった。それで妻に、「このごろクロはえさを食べている?」と聞いてみた。すると「食べてないね」という返事だった。台所に置いてある皿のキャットフードが減っていないと言う。

 そこでクロの好みそうな魚やホタテの身を与えてみるのだが、いっこうに食べようとしない。食べやすいように細かくして口元に手であてがっても、顔をそむけるのだった。

           
                             < ヨガマットの上で >
 

 食事を取らない以外はいつもと変わった様子はないのだが、さすがにそれが一週間も続くと弱ってきた。いつもなら書斎に来ると私の膝の上に飛び乗ったのが、日当たりのいいせいもあってか、敷きっぱなしのヨガマットの上でうつらうつらすることが多くなった。それも、いつものように丸くなるのではなく、前足をそろえた行儀よい姿勢でいるのである。
 それは、普段の平然とした振る舞いと異なり、なにかいじらしい感じだった。

             
                           < 柿の木で鳴くヒヨドリ

   小鳥たちに残していた柿も、ついばまれて次第に数を減らし、12月も下旬になるとさすがに冬の気配が濃くなった。
 柿の木は離れの目の前にあるので、ヒヨドリがやってくると鳴き声ですぐわかる。クロが元気をなくし始めたころ、柿の木でヒヨドリがにぎやかに鳴いていたので撮ったのだが、そういえば、今年クロは柿の木に登らなくなった、と妻が言っていた。

 かつては雀やセキレイのような小鳥だけでなく、このヒヨドリさえクロの格好の餌食となったのだが、そのころ柿の木を自在に上り詰めた元気は、クロにはとうに無くなっていたのだ。

             
                         < やつれて、水をなめるクロ >
 

   クロは牛乳も飲まなくなった。離れに来ると私のコーヒー用の牛乳をペチャペチャなめるのが日課だったのに、いくら目の前に押しつけても飲もうとしなかった。
 水だけは、小皿に注いでやると、舌先でなめるようにしてやっと飲んだ。それも皿の底を浸すだけの少量を、一日に3皿なめ取るのがやっとだった。

             
                          < 娘のセーターにくるまって >
 

 日が陰ると寒そうなので、娘が小学校の頃着ていたセーターでくるんでやった。

 クロは急速に弱くなっていった。起き上がるのも難儀して、体を横に揺らしなが後ろ足を踏ん張ってプルプル震えながら立ち上がるのだったが、歩き始めるとよろめいて、後ろ足を引きずるようにしてやっと歩を進めるのだった。
 見かねてそれからは、私がクロを抱いて居間と書斎、寝室の間を移動するようになった。

   ある日、居間の座布団の上で横になっていたクロが、すっかり細くなった脚を踏ん張って、ギャーッと声を立てると震えながら立ち上がった。そしてよろよろしながらも居間のガラス戸を前足で開け、廊下をふらふら歩いて行く。もう歩くことはないだろうと思っていたので、驚いて付いていくと、さらに玄関の引き戸も開けて庭に出て、よろけながらも庭の中ほどにあるサツキの根元まで行くと、そこで立ち止まった。そして、体を震わせながら排尿した。
 偶然妻も裏から庭に歩いてきたところで、クロが歩いているのに驚き、その様子を大きく目を開いて見ていた。終わるとクロを抱きあげ、「クロちゃん、お利口だねえ。オシッコしたのお」と言いながら頬ずりをくり返した。

 これがクロが自力で行った最後の排泄行為だった。

   それから2・3日たった夜、私の脇で寝ていたクロの鳴き声で目を覚ました。クロはもぞもぞ動いて枕元から畳に出ようとする。しかし足が立たず思うように前に進まない。
 クロは夜間に以前のようには外に出ることがなくなっていたので、「クロ、寒いぞ、外は無理だ」と声をかけ、元通り布団の中に戻した。それから程なく、クロに接している肩から腕にかけて、急に温かい感触が広がった。
 「クロッ」と言って思わず布団をあげ、電気をつけた。案の定シーツが濡れている。パジャマを見るとやはり肩先から腕にかけて濡れていた。失禁だった。
 クロが布団から出ようとしたのは排尿のためで、鳴き声はそれを教えようとしたのだ。

             
                        < 私の足下と椅子の間で眠るクロ >
 

 クロの失禁の話を聞いた妻の友人が、ペット用の「紙おむつ」を都合してくれた。そこで、座布団の上にビニールとバスタオルを敷き、その上に紙おむつを置いてクロを寝かせることにした。

 昼は日当たりのよい私の書斎で机の脇に座布団を置き、クロを寝かせておいたのだが、クロは自力で座布団から這い出して私の足下に入ろうとする。それで日中は、私の足もとに紙おむつを敷いてクロを置くことにした。写真でクロが敷いている青い色のが、その紙おむつである。
 クロは一回りも二回りも小さくなり、眠っている様子も子猫のように頼りなさそうになった。そのせいか、必ず体のどこかが私の足に接するようにして眠るのだった。

夜中の失踪

 それから2日ほどたった夜、またクロの鳴き声で眼をさました。前回のことがあったので、すぐ起きてクロを抱き上げ、玄関に出た。玄関脇の砂の上に下ろすと、クロは足が立たない。腰を持ち上げて何とか立たせ、「ここでおしっこしてるんだぞ」と言い置いて、寒いのでいったん中に入り、パジャマの上に羽織る上着を探した。
 服を重ね着しながら外に出た。ところが、玄関脇にクロはいない。驚いて周りを見回したが、玄関の灯に照らされる範囲にクロの姿はない。思わず「クロッ!」と大声で叫んだ。すると遠くで「ニャー」と鳴く声がかすかに聞こえる。それは隣の家の方角だった。そんな遠くまで歩いて行けるとは思ってもみなかったが、急いで部屋に戻り懐中電灯を手にすると、庭の石垣の脇の狭い小路を抜け、隣の家との間にある側溝を懐中電灯で照らした。しかしクロの姿はない。もう一度「クロッ」と呼んだ。すると「ニャー」という弱々しい声が近くでする。しかし狭い側溝のどこを照らしてもその姿は見えなかった。懐中電灯を片手に長い側溝を往復してみたのだが、やはり見つからない。そこでもう一度「クロッ」と呼んでみた。すると、「ミャー」という消え入りそうな声が、すぐ近くでする。その声に見当をつけて懐中電灯を向けると、隣の家の壁面で覆われた床下の部分に、幅30p高さ20pほどの黒い穴が開いている。そこを懐中電灯でのぞき込むと、穴の中の床下にしゃがんでこちらを向いているクロがいた。
 「クロ、動くなよ」と言って右手をすばやく穴の中に差し込んだ。肩がつかえたが、腕を思いっきり伸ばすとなんとかクロに触れることができた。指先で首筋を探り、そのやわらかい毛皮をさっとつかむと、持ち上げるようにしてゆっくり手元にたぐり寄せた。クロはおとなしく掻き出されて来る。それを両腕でしっかり胸に抱え込んだ。その姿勢のまま、何呼吸かの間私は動けなかった。

 その穴は、掘り下げて一段と低くなっている側溝の地面から、50pほど高い所にあった。立ち上がるのさえやっとの、歩くこともおぼつかないクロが、どうやって50pも高い所にある狭い穴の中に入れたのか、にわかには信じ難いことだった。最後の力を振り絞ったのだろうか。

 後に妻は、「猫は人目に触れないところで死ぬって言うけど、そのつもりだったんだね」と言った。確かに、あのときクロが返事しなければ居場所はわからず、あのまま床下で死んでいたに違いない。しかし、クロは私が呼ぶと返事するのが習性になっていたのだ。
       

    

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「甘やかしのツケ」で紹介した写真の再掲です