室根山のふもと |
ホーム ・ 山々 ・ 庭 ・ 散歩道 ・ 鳥 ・ 旅 ・ 思うこと | ホーム> 思うこと> クロの死 後編 |
飼い猫クロの死の、後編です。 暮れの大雪
年末に大雪が降った。30pにもなろうかという積雪で、本格的な冬の到来である。写真では手前の右端に少し写っているのが離れの壁で、灯りのついているのが母屋。
年越しの前日、クロはもう一度外に出ようとした。 居間で横になっていたクロがニャーッと鳴き声を上げたので見ると、座布団から這いだし、畳の上を廊下に向かって這っていく。ガラス戸はもう開けられないだろうと思って、私が開けてやった。クロは廊下に這い出すと、疲れたのかそこで動きが止まった。ばらくするとまた這ったまま移動し始める。2メートルも進まないうちにまた動きが止まる。それを何回か繰り返し廊下の半ばまで進むと、よほど疲れたらしく動かなくなった。 廊下は寒いので、居間に置いてある紙おむつを敷いたクロの座布団を運び出し、その上にクロを載せて娘が小学校の頃着ていた古セーターをかけてやった。クロがどこに行こうとしているのか知りたい気持ちもあり、様子を見ようとしたのである。 しばらくすると、「お父さん!クロが外に出ようとしてる!」という妻の叫び声がした。行って見ると、クロが廊下のサッシをこじ開けたと見え、隙間ができていた。
これがクロの最後の這い歩きだった。この前の夜のように、クロは人目につかない場所に行こうとしたのだろうか。 翌朝妻が廊下掃除をしていると、そのサッシの脇に小さな爪が1個落ちていたという。クロのだった。 正月を迎えて
大晦日に息子が帰省し、クロが居間で伏せっているのを見て「どうしたの?」と聞いた。食べなくなってからのことを手短に話し、もう長いことはないと教えた。 私も本当はクロが年を越せるとは思っていなかった。2週間以上にわたってほんの少し水をなめるだけだし、真夜中の失踪があってからは、いつクロが死んでもそれに備える心の準備はできていた。
結婚した娘からは今年の正月は帰れないと連絡があったので、親子3人クロを囲んでしんみりと正月を過ごした。
臨 終 息子が職場に戻って行った翌日の朝、まだ暗いうちだった。
すると妻もクロの脇に横になり、「クロちゃん、大丈夫?」と言ってクロの頭をなで始めた。私はいったん手を離し、もしかしていよいよ最期かなあ、などと思いながら仰向けになった。そうしている間にも切なさが高じてくるので、またクロの方を向き、妻の手の邪魔にならないようにクロの下肢をなで始めた。すると、その肢がピクッと痙攣した。
私もまたクロの脇に横になり、体を撫でてやった。妻もクロを撫で続けていたが、やがて押し殺すように忍び泣く声が聞こえてきた。妻が泣いているのだった。
時計を見ると6時だった。1月3日の朝である。食べなくなってからちょうど3週間だった。 クロの供養
その後妻に請われるまま私はクロの遺体を居間に運んだ。陽が上がると、妻はそこでクロの葬儀を行った。線香を立て、般若心経で供養したのである。
午後になって日差しが暖かくなると、テッセンの植え込みのある、離れの入り口の脇に穴を堀った。そこにクロがよく座っていたので、墓所に最適だという妻の提案に従ったのである。 < クロの思い出写真 > 以下、クロの思い出の写真を何枚かご紹介します。 やんちゃ盛りのころ 子どもたちの人気者 ▼ 「ノラネコ 前編」のページに移動 △TOP Copyright (C) 室根山のふもと, All Rights Reserved. |
「甘やかしのツケ」で紹介した写真の再掲です < ここからは左の写真の説明です > 最後のしっぽ巻き座り
|