今回はいつも真剣にこのHPを見てくださり
ご自分なりに素敵な自分探しをしておられる皆さまのために
松尾みどり先生が<生と死>に続く第2弾として<歓びの人生>の掲載許可をくださいました。
精神的なことが日常とかけ離れたことではないことや
どのように日々の生活の中に照らし合わせていけばよいか…などを
とても分かりやすくお話してくださっています。
私自身も時々つまづきながらも、みどり先生のお話の内容を実践してきて
だんだんと心が軽やかになり、つくづくお話通りだなぁ…と実感し体感しています。
ぜひ、ご自分の感覚を大切にお読みくださいね…そして共に歓びの人生を送っていきましょう!
今の活動を始めるきっかけとなったのは、幾つもの不思議な体験でした。
私がこのような活動をすることになった最初のきっかけは、1977年のまだ何の知識もない時のこと、強烈な意識のトリップとも言える現象が突然、自分自身に起きたことかもしれません。常識では考えられないことですが、ある宇宙船の大きな会議場の中央に降り立ち、その後案内されて、瞬間移動しながら様々なセクションでこの地球及び地球人造計画のプロセスなどを見て回る内容でした。 それ以前の15歳の時にも、交通事故で意識が肉体から一瞬分離して、現在とは違う次元があることが分かりました。私のケースは、いつもある日突然、体験のほうが先に来てしまうんですね。
過去10年間ほど、英語を教える仕事をしていたのですが、生徒さんの一人に治りにくい自己免疫不全の病気を抱えた方がいまして、その方に病気と心の関係について話をしましたら、熱心に聴いてくれたんですね。病気は自分の意識の中で創っているとか、ものの見方や考え方が現実の生活体験や人生に影響を与えるのだと話しましたら、実際にその方は意識を前向きに変えて、お医者様も見放すような病気が完治したのです。そういうことが重なりまして、その後も福岡でのテレビやラジオの仕事の傍ら、皆さんの相談を受けるようになりました。そして、マインドスクールという講座を開くようになって、講演活動もするようになりました。
意識の中で起こる光の閃きを音にし、行為にしてください。それが、自分自身を知るための体験となります。
内側で起こった光の閃きを体験に結びつけていくためには
私が今までお話してきたのは、論理的なエネルギーだけではなく、日常生活に密着した内容で、私たちがどのような形で意識エネルギーを体験しているのかというものです。よく「直感」を大切にしなさいと言いますが、私なりの直感の捉え方をお話しましょう。例えば何か判断して選択しなければならないことが起こった時など、心の中でフッと「やってみたい」あるいは「これはしたくない」と閃く時がありますね。実はこれこそ意識の中で「直感」が閃いた瞬間なんです。直感という光のエネルギーがスパークしたのです。それを三次元世界の中で実現させるには、光→音→意志の力へと、エネルギーを変換させる必要があります。「音」にするにはまず声を使う、つまり言葉で口に出す。次に最も大事なことはそのエネルギーを「意志の力」に変える、それは行為を起こすということ。最初に閃いた内容と言葉と行為が一体であることが大事です。
自分の内側で起こった光の閃きを言葉にし、行為に移すというのは、単純なことですが、エネルギーはそこまでいきますと、本当に自分の内側と、外側の肉体レベルで行なっていることが一つになるので、それが後の自分の「望む体験」に繋がってくるわけです。自分の魂は、本当の自分自身を知るために何度も何度も転生を重ねていますが、一番分からないのが、結局自分自身ということになります。ですから、自分を本当に知るために、まず何が大切かと言いますと、何でも「体験」することなんです。そして「智慧の実」を収穫することです。その体験を確認するために知識が必要になります。知識だけに溺れるのもこれまた問題ですけれども、その両方が必要なんですね。魂は深い所にある自分と繋がろうとして、さまざまな体験を引き寄せます。
ところが,私たちの考え方といのは、小さい時から社会や親からの「常識」に従って判断してきましたから、必ず他人との比較の中で自分の体験を、常に良いか悪いか、正しいか正しくないかと裁くクセがあります。たとえば、結婚できる人とできない人がいて、結婚できる人は幸せで、できない人は欠陥があるのではないかという見方をしがちですが、それは人間の勝手な見方にすぎません。魂はそれよりももっと深い所で、深い計画のもとにこの地球上に降りてきますから、その人が結婚したいかどうかは、別のところに意識の基準があるのです。そして外側の自分(人格)が、内側の自分にどれくらい意識を向けているかというのが、魂の一番注目するところなんです。
自分の良いところを忘れている時には、そこを認めてくれる人に出逢いますし、相手に合わせるばかりで自分の気持ちを裏切っていると、あなたを裏切る人にも出逢うわけです。裏切った人が悪いのではなく、自分自身が自分に対して「裏切っているよ」ということを、こういった具体的な形で教えてくれているのです。大きな意味では、自分自身を知るために「神」はすべてを引き寄せるので、人生に起こることに偶然はないのです。あなたのバイブレーションが下がると、同じような人を引き寄せます。
この内側の自分は、正直な自分自身に気づくようにと計画していますから、そのギャップに対していろいろな病気や事故が起きてきます。自分をどのくらい否定してきたのかを見なさいということなんです。この宇宙は、さまざまなエネルギーの海でもあり、いろいろな次元が同時に重層していますから、その中で人間の想いの波動はもの凄く正直に反応するのです。例えば、自分を責めて、罪悪感の意識を持ち続けますと、本来は生き生きと生きるように創造された人間であるにもかかわらず、ブロックがかかって、そのバイブレーションが変わってしまうのです。周波数が下がって粗い波動になってきます。よく「類は友を呼ぶ」といいますが、同じような気づきのテーマを抱えた人を引き寄せます。面白いのは、自分と真反対のタイプとも出逢うのです。ところが、真反対ではなく、振り子と同じで両極は同じ意味です。その出方が違うだけです。陰的に出たり、陽的に出たりするわけです。
そうすると、皆さんはこのように言います。「私はこういう人と出逢うことを望んではいない」「こんな職場で働きたかったわけじゃない」と。これじゃない、あれじゃないと文句を言うのですが、実は、一番忘れているものを取り戻すために、それを見せてくれる相手に出逢うのです。できれば、ソウルメイトと結婚したいとおっしゃる方がいらっしゃいますが、それがすべて自分にとって都合のよい恋人や幸せな結婚に結びつくというものではないんですね。魂レベルのソウルメイトというのは、自分にとって一番衝撃があって、出逢ったことで隠れていた部分を引き出してくれる相手のことです。感情的に反応する部分に、自分がずーっと制限を加えていたことが分かります。その部分を解放することにより本来の自分が輝きだします。自己表現ができる相手に深い繋がりを感じ始めます。彼らもまた、あなたのソウルメイトです。ある意味での魂の協力者です。その協力関係が強いほど、結婚したり家族になったりします。
人の想いはさまざまな現象をつくり「場」をつくっていきます。
人は自分の「時間と空間」を決定しています。「100人の100通り」の違いを認めていきましょう。
誰かに何かを言われて腹を立てるということがありますが、本当は相手の言葉や態度に反応して、自分の中に「どのような感情が出てきたかな」と観ることで、初めて自分が自分をいつも押し殺していたということに気がつくんです。「そうだったのか」と静かに受けとめると、今までの腹立たしさや憎しみが消え、その人のエネルギーは全部変わります。そころが、「ああ、分かったわ、やっぱり私が悪かったのね」と裁くだけでは再びエネルギーが下がってしまいます。一日の中でも一瞬にして輝くエネルギーになったり、暗くて重いエネルギーに変わったり…。そのような時は、オーラの色も変わるんですね。魂自身のオーラとは違って、このエーテルの海の中に放射されていく、自分のアストラルエネルギーのスペクトルをカラーとして捉えることができます。キルリアン写真などでも見ることができますね。人間というのは全部がエネルギー体ですから、「どう想うか」により自分個有の磁場を形成し、電磁波も発しています。キルリアン写真は人間が生命体としての光の存在であることを証明してくれる一つのツールでもありますね。
先日、鎌倉での定期講演会で気づいたことは、前回の時よりとても軽い感じの人が多くなり、磁場がすっかり変わっていたことでした。ある方はスッキリとした顔付きで話し出しました。「自分でも驚いたんですが、この人は嫌だな、と自分の中に抵抗を感じた時に、ハッと気がついたんです。自分に無理をさせているところがあるんじゃないかって。それで考えてみたら見つかったんですよ。それが分かった途端に、その人への気持ちがスーッと消えていって、とても楽になりました」と。やはり自分の中に理由があったのですね。エネルギーとして存在している人の想いは、さまざまな現象をつくっていきます。つまり「場」をつくります。人の意識は多次元構造ですから、いろいろな次元に、知らず知らずのうちに意識を合わせることになります。多くの科学者たちはアインシュタイン以後の研究において、今では彼の理論が過去のものであることを証明しつつあります。時間や空間の捉え方のベースが、全く違ってきています。最近では、いわゆる観察者の意識が、時間や空間を決定しているのだと考えられるようになって、大きく前進したと感じます。一人ひとりは全く違った個有の時間・空間の感覚で会話しているのです。ただし、世の中の共通項目を併せて使いながら。
人間一人ひとりが、自分の時間や空間の感覚でものを捉えるということは、100人の人がいたら、100人の「場」があり、100人の考え方が違って当たり前という意味ですね。その違いを誰もが普通に受け入れれば、あの人が正しいとか間違っていると批判することもなくなります。むしろ相対的に自分の考え方のパターンを確認できます。他人に自分の考え方を押しつけたり、自分を理解しろとむやみに他人に期待しなくなるでしょう。お互いの違いを認め合い、交流を楽しめるのではないでしょうか。それぞれの個性があるからこそ世界を楽しめるのです。誰の考え方に自分を合わせようとか迷ったりするのでは、完全な自己喪失状態となり、思わぬ災難に見舞われることでしょう。次元はどんどん変わってきていますね。次元というものは、何も本のページを捲るように変わるわけではありませんが、最大の変化としては、ものの見方や考え方の基本的な意識が変わる、波動がどんどん変わっていくということです。人類は、遺伝子交配の長い長いプロセスを経てやっと今日まで進化したのです。1000年前も現代も、人生には辛く苦しいことも、また感動したり、神に救いを求めたりしたことも、人間の身の上に起きること自体には変わりはなかった筈です。でも今は地球開闢以来、初めて体験する意識革命の時です。宇宙開発に伴い、意識は宇宙から地球を、地球から自分を見れるように広がってきたのだと思います。
自分の気持ちに正直になり、それをきちんと行動に移すと、相手との関係性も変化していきます。
誰にでもいる月光菩薩は、過去世を見せてくれる大切な相手です。
薬師如来像を思い浮かべてみて下さい。いつも両脇に月光菩薩と日光菩薩の脇士を連れていらっしゃいますね。ご自分を薬師如来になぞらえますと、あなたにも両脇士がいらっしゃるわけです。月は自ら光を放つことがなく、太陽の光を反射して光るので、他人の顔色や考え方に合わせて、振りまわされ「自分」というものがない生き方をする人を月に喩えて、月光菩薩と呼ぶことにいたします。この月光菩薩は、自分の最も身近で、放っておけず、嫌な存在でありながら気になる人のことです。この人のことで長年苦労したりします。生まれる前の魂の約束というのがありまして一番頭の痛い存在こそが、自分自身の過去生での姿を演じてくれる人です。過去生では大変苦しい想いだけで死んでしまったわけですから、今生は二度と同じような人生は歩みたくないのですが、その内容を確認できなければ、今生の人生をどのようにつくり直すのか分かりません。そこで、本人が気づくある時期までは、その役を演じ続けてもらうことになっています。
自分が嫌で苦しんだ過去生ですから、その月の存在を見るのも嫌になります。でも、放っておけないのは、それが自分自身だからです。ところが、その人のことが心配で「こうして欲しい、ああして欲しい」と思っている間は、その関係が悪化する一方になるのです。そして行き詰まった挙句に「私には生きる道があるのだ」と思い直して、自分自身の気持ちに正直になり、自分の足できちんと行動に移し始めると、その相手への干渉から手をひくことになります。つまり自立へ向かうのです。お互いの表面意識では分かりませんが、本当は魂同志は知っていたのです。その人たちこそが自分の一番の協力者であったことを。すると、その月光菩薩は深い意識レベルで「自分の役割が終わった」と感じるのです。そこで自然な別れがやってきます。子供でしたら独立したり、結婚したり、また離婚や死に別れがあったりするかも知れません。
ただ、「別れたい」「自由になりたい」ばかりで焦ってみても無駄でしょう。魂同志の約束は、宇宙エネルギーの法則に従って表出されます。万人にとって例外がありません。無理に関係性を変えて、自分をいくら正当化しようと試みても、自分の内側に潜む「怖れ」が怒りや悲しみになって表出してきます。死後の世界で閻魔大王から罰を与えられるなんて、そんな存在は全く存在しませんから安心してください。それよりも、その怖れの出所は、ありのままの自分を受け入れられない怖れなのです。自己嫌悪から、相手の中に自分の怖れを投影した部分を重ねてみていたのです。
人生は自分の魂が選んだ様々なドラマを通じ、自分自身を見ていくようにできているのです。
感じたことを素直に話すことができるのが日光菩薩です。
もう一方が日光菩薩ですね。世の中には、相手に対して自分の考えや想いをはっきり言うことで、相手を傷つけたり、自分が他人から嫌われたりするのではないかと怖れる人たちがいますね。感情を爆発させることは自己表現ではありません。魂は人間の造った善悪観には無頓着です。如来は他人に命令することも期待も依存もしません。黙々と自分の世界を楽しみます。その中で会社であれば、経営者は本心で自らの方向性を選択するのです。思いきって自分の感じたことをストレートに話すと必ず他人の魂に触れるのです。それができるのが、如来や日光菩薩ですね。そして他人に期待する依存型が月光菩薩です。この両脇士こそ、今生の自分の大切なモデルだったのです。この両脇士は、例外なしに誰にでも存在しています。あなたの身近に、この人が私の月光菩薩だったかな、この人が日光菩薩かしらとすぐ見つかるでしょう。夫や妻や姑嫁や兄弟など、全く違う者同志で支えあっているのです。
あなたの周囲には、両脇士を抱えたステージが大きく分けると三つあることになります。結婚前、結婚後、そして職場です。その中のどれかのステージで自分を解決できると、同時に過去も現在も未来も、月光菩薩の存在が消滅するはずです。スムーズな関係になるんですね。特に、月光菩薩には心から感謝したいですね。この人がいなければ自分の過去生を知ることができなかったのですよ。言葉に出ないまでも心から「ありがとうございました」と思えた途端に不思議な体験をするでしょう。魂の約束ですから、いつの間にか気がつくと相手の態度が、ガラッと変わります。自分が怖れを捨て、自分を信頼し、自尊できた時が、その役割の人との素晴らしい別れです。そのように変わられた姿こそが如来ですね。光の存在という意味です。人生を明るく朗らかにクリエイティブに生きましょう。
毎日の生活の中で、「本当に生まれてきてよかったなぁ」と感じられる人は、植物でも動物でも、そしてどんな人に対しても、「あなたも生きていてよかったね」と愛を感じるでしょう。死ぬことも必要で起こります。次のステージでの約束がありますから、若くして亡くなったり、事故で突然亡くなる場合もあるんです。たとえ自殺をしても必ず地獄へ行くということではありません。どんな死に方をしても、必ず一旦はその方の大いなる神に吸収されます。そして次の転生に備えるのです。自殺をしても次の転生では同じことをするとは限りませんが、似たようなことが自分の周囲で起こることがあります。自らの魂が選んだ事故や病気や倒産や別離を通じて、本当の自分自身に出逢うためです。そして大体、40代から50代になった時に、「さあ、これからが今生での本番ですよ」と、あなたが生まれてきた本当の目的へと人生をつくり変えていくんです。
こうして、人のドラマというのはそれぞれ全部違うわけですね。死は悪でも呪われたことでもなく、自らの深い意識の選択に拠るのです。ですから、亡くなられた方たちに、「あなたはご自分の人生ドラマで立派に主役を演じられました。その勇気と情熱こそがあなた自身だったのです。それを受け入れてください。本当によく生きられましたね。ご苦労様でした」とその方の生をねぎらって差し上げて下さい。これも私が肉体を出た時の体験ではっきりと分かったことなのです。生きるということはそういうことを全部含めまして、本当に素晴らしいものです。だからこそ、お一人お一人が自分の人生を明るく朗らかに、そしてクリエイティブに、更にあらゆる体験を楽しむ人生を送って欲しいというのが、私の願いなのです。∞ 松尾 みどり ∞