今回は、自然農法家・雑草研究家である廣野壽喜先生のお話です。
廣野先生は40年間に渡り、自然農法に取り組んでおられます。
その間、自然発生する雑草にはそれぞれの役割があることを発見されました。
そして、それを見事に活用された十草(ジッソウ)農法をあみ出され、実践しておられます。
農薬や堆肥を一切使用しないまったくの自然農法です。
そのようにして生育した作物は、私達が普段口にしている作物とは
まったく違う味がするそうです。きっと作物本来の味なのでしょう。

まずは第一弾として、今まで害草としか思われていなかった
セイタカアワダチソウについてのお話です。
読まれた後には、セイタカアワダチソウにきっと
「ごめんね…そしてありがとう!」と語りかけたくなる内容です。

<自然農法−十草農法からのメッセージ>



●廣野 壽喜先生のプロフィール●

1934年、山形県新庄市生まれ。
家業の農業に従事していたが、18歳の時に「世界救世教」教祖岡田茂吉氏の
自然農法の思想に触れて大いに感銘を受け、その実践に着手。
また自身大病を患ったことを契機に入信、布教師としても活動していたが、
信念の違いから39歳で教団を脱退、以来農業の研究を中心に活動を続ける。
農作業中に偶然気付いた雑草の力に目を付け、雑草の効力を最大限に活用した「十草農業」を提唱。
山形、栃木、神奈川等で実践と普及に努めている。拠点は都内港区の「六方庵」。

− セイタカアワダチソウ −

セイタカアワダチソウ

 1987年山梨県清里村で「地球の緑よありがとう」というフォーラムが開催され、私も招待を受けて出席しました。この会の主旨は『地球に緑を増やそう』というものでしたので、雑草を役立つものとして活用しよう、という私自身の考え方とも通じるものがありました。雑草が邪魔もの扱いされているのは何も農業の場だけではありません。公園やグランド、道路等社会のあらゆる場で邪魔なものとして排除されています。その雑草が、実は邪魔なものどころか非常に役立つものであるということを話したので。驚いていた人も少なくありませんでした。

 私の研究した雑草の抗力や役目等について一時間半ほど話した後、質疑応答になりました。その中でセイタカアワダチソウについてある学者風の老紳士から次のような質問が出ました。「自分は横浜に住んでいるが、家を出ると少々の空き地や荒地、道路の脇など、どこへ行ってもセイタカアワダチソウが繁茂している。このまま行くと日本の固有種の草が(セイタカアワダチソウに駆逐されて)なくなってしまうのではないかと心配している。以前はオオアワダチソウを、初秋の頃にはよく見かけたが、今ではセイタカアワダチソウばかりになっている。何故このようにセイタカアワダチソウばかりが勢いよく増えていくのか。」

 私は一瞬戸惑いました。セイタカアワダチソウについては研究もしていなければ、考えた事もなかったのです。しかし、その時は何故か考えが次々に浮かんではまとまり、そのまま言葉となって口にでてきたような感じがありました。「セイタカアワダチソウはその名の通り、背が高く茎も硬く、花も粗野で荒々しく、香りと言うよりもむしろ『強い匂い』を発し、とても床に生けたいと思われるような花ではない…。あの強い匂いは何なのだろう…そうか、臭気ともいえる匂いは、有害物質を吸収したがための匂いなのだ…。」ここまでのことが、ほんの一瞬で頭の中でまとまりました。そこからは話がどんどん口をついて出ていくような感がありました。その質問に対し、私はおおよそ次のように回答しました。

 「回答から言えば、セイタカアワダチソウが繁殖し過ぎて、日本の固有種を駆逐する心配はないと考えている。その根拠を示す前に、セイタカアワダチソウにも役割があり、そのことについて触れたいと思う。実はこの草は土中の有害物を吸収する働きを持っている、と私は考えている。戦後から現在まで、様々なものが日本に輸入されている。その中にはこの国の土や空気を汚染するものも少なからず含まれている。その一方で、日本は工業化が著しく発展した。その副産物として大量の汚染物質が排出されている。工場からの排出物、自動車の排気ガス、あるいは家庭から毎日出るゴミもまたしかり。それらのことと、最先端の医療ですら治し得ないような病気が次々と現れていることとは、決して無縁ではないだろう。今列挙したものが大気中を漂い、雨と共に地に落ち、土壌を汚しているのだ。

 これだけ汚染された土壌では、日本固有の草は育ちにくいのではないだろうか。そこでアメリカという強国の大地で鍛えられた強靭なセイタカアワダチソウが『それでは我々の出番だ』とばかりに汚染された土壌で繁茂するのである。一見、所構わず繁茂しているように思えるが、実は有害物あるところに繁茂している。およそ5〜10年間程生え、土壌が清浄になっていくに従い、セイタカアワダチソウは『日本の草よ。この土地は清浄になったので、十分に生えてくれ』とでも言って、入れ替わるように徐々に生えなくなり、消えていくのである。そしていつかまた自分たちの出番が来るのを地中で待機しているだと考えている。従って、セイタカアワダチソウは日本固有の草を排撃し駆逐しているのではなく、他の草が生育できる土壌にするため、言わば期間限定で繁茂しているのである。日本の固有種が減ったのは、アワダチソウの仕業ではなく、我々人間の仕業である。従ってアワダチソウがこの国の土壌を覆い尽くしてしまうことはないだろう。」

 『セイタカアワダチソウは他の植物の生育を妨げる物質を発して枯らしてしまい、一種だけが繁茂して群落を形成、荒地を制覇する。この作用はアレロパシー(他感作用)と呼ばれる。しかし、やがては、自らが発した物質によって自家中毒を起こし、群落は衰える…。』 これが、セイタカアワダチソウに対する植物学者の一般的な見解です。その根幹にあるのは、「勝つか負けるか」「勝ち残ったものが生き残る」…即ち、自然界を「争い」という枠で捉えようとする考え方なのです。しかし果たして、そんな競争原理だけで自然界の摂理を本当に理解しきれるものでしょうか。その後、猛威をふるった(かのように見えた)セイタカアワダチソウが日本の草地を覆い尽くすことはありませんでした。確かに学説通り、彼らは周囲の草を枯らせた挙句、自らの有害物質で自滅したのかもしれません。そう考えるのなら、セイタカアワダチソウを「縁の下の力持ち」に見立てた私の考え方は大甘なものと笑われるかもしれません。

 しかしもし、セイタカアワダチソウの営みは周囲への「攻撃」ではなく、彼らは日本の地で誰に命じられたわけでもなく、自らの役割を果たしたのであると視点に立脚するならば、「日本の草花 対 セイタカアワダチソウ」という対立の枠組みでは、決して理解できないであろう自然界全体の営みというものも朧げながらも見えてくるのではないでしょうか。これまでの人類の歴史を顧みると、競争や対立といった概念が長く支配的だったようです。そのような時代に生を受けて育った人間は自然界に対しても、洋の東西によって差はあるようですが「自分達とは対立するもの」という考え方を持つようです。しかし、最近になってようやく「対立」から「共生と循環」へのパラダイムシフトが起こりつつあるようです。

 ある著名な哲学者が「共生と循環」ということを述べていたのを目にしたのは数年前です。そして、近頃では政治家の口の端にも「共生」という言葉がのぼるようになったようです。農業においても「循環」という考え方が注目されるようになってきました。人間は互いに助け合わなければ生きていけない生物です。そういう点では「共生の思想」は至極もっともなことでしょう。しかし、助けられる立場に置かれ続けた場合、例えば自己卑下に繋がったり、あるいは助けられること(これには現行の福祉制度ももちろん含まれるでしょう)を当然のことと受け取るようになるかもしれません。一方、優位に置かれた側も、自己を犠牲にして分け与えることが喜びであるうちはいいのですが、何らかの見返りを期待する…あるいは取引の手段となってしまうやも知れません。これではこれまでと大差なく、新たな争いの種となることにもなるかもしれません。

 循環ということについても、つまりは「巡り巡って来る」ということですから、宗教においては善因善果・悪因悪果を教える上で、昔から言われ続けてきたことでもあります。「悪事を行なえば巡り巡って我が身に悪いことが降りかかる。善事を行なえば、やはりいつかは我が身に善いこととして返って来る。それは故悪は行なってはならず、善を行なうべきなのである…」つまりは、因果律の枠内で生きていることになります。人類の歴史において宗教が生まれてから数千年の間、その枠内で生きてきた人間がようやく辿り着いたのが循環という思想なのです。これは言うなれば数千年前の教えです。これからの時代に生きる人間は「見返りを期待して善を行なう、嫌な目に遭いたくないから悪は行なわない」というような消極的善人ではなく「悪いことはしたくない、善いことをしたいからする」という積極的善人にまで向上しなければならない…と考えるのです。

 ここでもう一度セイタカアワダチソウについて考えてみます。彼らの一連の営みを見ていますと、自然界はどうやら「共生や循環」だけではないように思われます。自分が必要とされる時、必要な場所に必要な期間だけ繁茂している彼らには「共生や循環」という言葉は単純に当てはまらないことになります。思うに共生も循環も、自然界の大きな営みの一部分を表現しているのではないでしょうか。では、どのような言葉が適当なのか…強いてあげるなら役割分担、役目という言葉でしょうか。これを見習い、人間社会も自分の役割や役目を自覚して生活を送るべきなのではないでしょうか。共生・循環を超えたところにある「役目」や「役割」を自覚して自己を精一杯表現すること、これこそがこれからの人間にとって望ましい生き方と考えるのです。

セイタカアワダチソウ



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● 廣野 壽喜 ●

TEL 03−3434−3446 / FAX 03−3434−3824
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