今回は松尾みどり先生のセミナーに参加された
仙台天命塾の金成(かなり)葉子さんの感想文を掲載させていただきます。
金成さん、天命塾の皆さん どうもありがとうございます!
私も「そうだ…そうだった」と思いながら読ませていただきました。
とても素直な感性溢れる文章で、とても分かりやすいと思います。
以下は金成さんの感想文です。
松尾みどり先生は、まさに「きらきらと輝くような」美しく、愛らしい方。参加者達は、「お会いできただけで幸せ」と、半ば放心状態のようでした。しかし、ずっと、「ぼうっ」としているわけにはいきませんでした。先生は、「『自分は〇〇である』という文章を10作りましょう。」と、さっそくシビアな課題を提示されました。この文章は、他人からの評価で書くのではありませんでした。「自分が自分と一番つきあっているにも拘わらず、自分は何者なのかが良くわかっていない」と先生はおっしゃいました。他人の行動を見て、はっとするとき「あの人はどれくらい自分のしていることを分かっているのかな?」と思い、そして「自分もどう見られているのかな?」と思うものです。また、「君って〇〇だよね」などと言われたものなら、「あの人は私のことを分かってくれている」「私ってそうだったのか」と思ったりします。そして、いろいろ気づき、人生を有意義に過ごすヒントを得られるときもあります。しかし、他人からの評価はおうおうにして平均値からの見方、またはその人のフィルターを通しての見方の場合が多いはずです。そういう見方をいったん脇に置き、自分は何者かと考えたとき、一瞬「空洞」をみたような気がしました。
10の文章の一番目には、自分の一番強い観念がでるそうでした。私は、「私は人間である」という文章を書いていました。「私は元気で健康である」「私はπである」と、人様々でした。二番目の文章にはその次に強い概念がでるそうです。そして、10番目の文章は「決着をつける、けりをつける、締める」というような概念だそうです。その10の文章を否定的概念、肯定的概念、状況説明的概念に分け、さらに否定的概念を肯定的表現に置き換えるという作業をしました。例えば、「私は細かい、くよくよする性格である」という表現は「私は、よく気がつく人である」と置き換えることができます。 「人の評価で自分を決めてしまわない」日常生活で、気をつけたいことだと思いました。また、「私は〇〇なので、〇〇できない」「私は〇〇さえあれば〇〇できる」「私は〇〇さえなければ、〇〇できる」という文章を書きました。そして、本当は自分の思い込み、言い訳だと気づくのでした。
さて、自分が自分に対してストレートなときだけ人にオープンになれる、自分が人に合わせていると自分のエネルギーが出せない、とのことでした。どれ位本当の自分とつながっているか、本音を言えるかは、とても大事だそうです。また、「失敗と落ち込むのはマイナスのエネルギー、失敗から学べば智慧になる」とのことです。そして、本来の高い次元の自己になるには、修行、勉強、競争に勝ってではなく、「自分の内側に否定的なものをもたなくなり、不安や恐れというものから解放される」ことが大事だそうです。その他にも「人間関係は自分の鏡」「直感の大切さ」「何に対しても対応できるという自分を作る」「自分で自分を受け入れるとハートチャクラ(胸腺)が開き免疫力があがる」など、これからの時代に大切なことを教えていただきました。
翌日は、ほのかに白檀のお香漂う中でスタート。自分の身体のゆがみをチェックしました。そして、午後は自分の手を使って、パートナーを組んでヒーリングをしてみました。「人間の背骨は全部、その人が何を想い、どう生きてきたかという意識、人間の様々な感情の記録台帳」ということでした。私は参加者の中で最年少のようでしたが、ひとつひとつがぼこぼこしていて、先生に冗談で「ステゴザウルス、そろばんみたいだわ」などと言われました。なぜ、私の背骨はそれほどまでにぼこぼこしているのか、自分で良くわかりませんでした。しかし、あまりにもひどいようでパートナーの方が心配してくださり、先生に再度みていただきました。
骨盤がせばまっている、栄養を吸収する役割の小腸が動いていないなど、教えていただきました。以前から健康診断で、「やせすぎなので、急にやせたのなら精密検査を受けるように」との指示がありましたし、自分でも最近疲れやすいなど、さまざまな症状を感じていました。先生は、施術をしながら、私の身体の声を汲み取ってくださいました。身体の声の中でも、「思っていることと、行動がばらばらなの」という言葉に驚きました。身体はある意味、心よりも正直なのだと感じました。思っていることを行動していないから、生きていく喜び、意味が見いだせない。すると身体も生きようと思わなくなるのだろうか、と思いました。「先生、これからどうすればいいのでしょうか?」と伺うと「今までの生き方を確認したらそれでいいのよ」と言われました。「それでいいのか」と思うと、すっと軽くなるようでした。
いつから私は思っていることを言わなくなったのか、と振り返ってみたとき、お祭りの日を思い出しました。いとこ達と水風船を選んだとき、私は水色できれいな形の風船を欲しいと言いました。一番綺麗に見えたからでした。すると、私より年下のいとこが「私はこれでいい」と、別の残っていた、色があせかかり、形も伸び気味の風船を指さして言いました。そのとき、私の両親の歪んだ表情と、おじの得意そうな嬉しそうな表情をみて、「しまった、私が我慢しなければいけなかったのか」、と深く後悔をしたのでした。私は小さい頃から劣等感が強く、両親はかわいい妹ばかり大事にしている、と思っていました。またさらに、両親から見放されてしまうような気がして、生存の危機のようなものを感じたのでした。
しかし、今、欲しいものを欲しいと言うのは、なんと当たり前で、すがすがしいことなのだろうと思います。せっかく生きているのだから、人に迷惑がかからないことなら、できるだけ自分の言いたいことを言って、したいことをしてみよう、と思いました。自分の心には言い訳できるかもしれないけれど、身体や本当の自分はごまかせません。今まで、自分の本当の声を「わがまま」だとか、「無理だ」とか思っていたけれど、もっときちんと聴いて、向き合っていきたいと思います。
また、セミナー終了後、先生のお帰りの新幹線まで若干時間があったので、お茶をしながら、先生は、イエス・キリストについてのお話をしてくださいました。イエス・キリストは彼自身も悩みや葛藤を抱えて生きていたのではないか、私達は外に神を求めるのではなく、自分自身に神を見いだすことが大切であるということでした。さて、その後の私の変化ですが、姿勢が良くなりました。ひどい猫背だったのですが、すっとまっすぐになり、身長が2センチは伸びたのでは、と言われました。骨盤も正常な状態になりました。その後多少、好転反応のようなだるさや頭痛がありました。それから10日たって20年ぶりくらいに嘔吐をしたので、小腸や内臓が今までと違う動きをしているのかも知れません。
気持ちのほうの変化としては、他人の言っていることが、前より単純に聞こえる気がします。以前は言われたことを深読みしてしまったり、落ち込んでしまったり、すごくこだわったのですが、今は「そんなふうに見えるのか」、という程度になったようです。人になんと言われようと、自分は自分ということを学んだからだと思いました。また、以前より、周囲の人の素敵な笑顔にたくさん気づきます。幸せを感じとっていく吸収力も高まった感じです。
∞ 仙台天命塾 金成 葉子 ∞