「時代小説」に探る居合の妙 塚﨑 阿頌齋(福岡支部長)
時代小説が好きで、作中に居合を遣う場面があると、おっと!という感じで身を乗り出してしまいます。居合が表現される場面は多々ありますが、どうしても捉え方が一面的で、〝電光石火、目にも留まらぬ早業でバッサリ〟となり、作者の居合の認識の浅いことにがっかりすることが度々です。
小説の中に居合を取り入れた作家の内、居合の道理を最も良く理解している私の好きな作家は浅田次郎です。
居合の要諦、身体を総合的に遣って敵よりも素早い破壊的な一撃を与える(抜きながら放つ初太刀)鞘離れの絶妙、これを剣術上の利点として捉えて小説に取り入れており、その具体的な人物を、「新撰組三番隊組長の斎藤一」として、二度長編小説に登場させております。
最初は【壬生義士伝】で、主人公「吉村貫一郎」の武士の義と家族への愛を貫く姿とは対照的な、冷徹非情で研ぎ澄まされた刃のような男「斎藤一」を準主人公として描いています。
新撰組には、剣の熟達者で、沖田総司、永倉新八、斎藤一、そして主人公と居並びますが、群を抜いた沖田以外、剣技は拮抗するも、呼吸も整えずいきなり繰り出して来る斎藤の抜き打ち、この居合の一撃の有無で彼の隊内における存在を特異なものにしているという内容です。
この作者は、居合の本質である〝鞘放れ〟即ち〝初太刀の抜きつけ〟〝抜き打ちの一撃に全身の気を一気に投入して敵を倒す〟〝居合に二刀目は無い〟〝二刀目からは、それは立ち合いですよ〟ということを良く理解して、この【壬生義士伝】を書き上げています。
作者は、この冷徹で隙の無い、常に呼吸も表情も乱さず激烈な居合を遣う「斎藤一」が余程気に入ってのことか、後年、彼を実質主人公として、これも長編の【一刀斎夢録】を上梓しています。
この作品の中で、勿論作者の推論でありますが、「坂本竜馬」暗殺の遂行者を「斎藤一」としています。史実的には実行者が誰か諸説ある中で、作者は、「竜馬」が座して額を横薙ぎに払われて脳漿が溢れ出、これが致命傷になったと推測しています。
客として応対していたので、当然実行者は作法通り大刀を右脇に置いていた。そして決定的なのは、「斎藤一」は生来の左利きだった。
「竜馬」と「中岡慎太郎」は、それぞれ二太刀振るわれていて、作中では一太刀で仕留められなかったことに、「斎藤一」が自身に憤慨している。
小説の仔細は措くとして、平常心を保ちつつ初対面の相手に警戒心を与えず、二名の間合を測り部屋の中で座した状態から、一の敵の額を一撃し、脇差を抜かんとした二の敵の右腕を断ってしまう居合の描写に、剣の凄味と作者の居合の知見、さらには、激動期を生きた人々の人情と哀愁まで描き切る作者の筆力の高さを感じます。
「斎藤一」は維新後も存命し、名を「藤田五郎」と名乗り警視庁に在籍していました。この物語は、その事実に基づき書かれたもので、題名にある「一刀斎」とは、当時警視庁内で「斎藤一」を表す隠語で、逆さまから読んで捩ったものです。
小説は、作者の豊富な発想力で色々な場面を提供してくれます。その理合で自分だったらどうするか、その時代その場面に自分が生きていたらどうしていたのか、様々に想像力を掻き立てられるのは本当に楽しいことです。
熱帯夜の寝むれぬ夜長に是非ご一読下さい。
但し、翌朝の睡眠不足は自己責任でお願いします。
(文責 塚﨑 阿頌齋:無雙直傳英信流八段)