バリ島ゴルフ旅の記録
2)2007,2008年の旅<Menjangan他>

レギャンビーチから見る夕日 
ハードロックホテルのプールサイド

1)2006,2007年の旅

   バリ島ゴルフ旅の実績<ジャワ島からの訪問は除く>
    1.2001年12月29日〜2002年01月04日
    2.2004年12月28日〜2005年01月06日
    3.2005年12月27日〜2006年01月07日
    4.2006年06月19日〜2006年06月25日<ニ木会>
    5.2006年12月26日〜2007年01月09日

   6.2007年12月26日〜2008年01月07日
 ・ビーチ地区での休日
 ・ハンダラ・コウサイドー(1)
 ・ハンダラ・コウサイドー(2)
 ・後書き・参考資料
2)2007,8年の旅
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========= 2007、8年の旅 =======

Menjangan

12月26日、伊藤、木村、郡山各氏と小生を含めた先発4人組は、何時ものように15時50分発の日本航空で成田を出発。バリ島到着が夜遅いので、当日は最近の定宿のレギャンの ALL SEASONS (現地時間0時にホテル着)に宿泊。

翌日、Menjanganからの迎えの車でALL SEASONSを10時に出発して、途中12時にハンダラに立ち寄って1時間の昼食休憩を経て、さらに2時間余(途中スリリッを通過)西へ走って3時過ぎに目的地へ到着。ここはジャワ島に近接した場所で、デンバサール地区からはかなり遠く、休み無く車で直行しても4時間くらいは必要なので、時間的に制約のある一般の観光客は殆ど訪問することはないようである。

このリゾートは、テレビ朝日の土曜日の朝の「旅サラダ」という番組で2006年の秋に放映されて、初めてその存在を知って訪問を願望していたのだが、ようやく夢が実現した。下の上段左側の写真は静寂なジャングルのなかに存在する我々が宿泊した宿泊棟(各室ツウィンベッドルーム。中庭のプールを囲んで平屋が立ち並んでいる)、この他に海に近い場所にさらに豪華なコテージ(上段右側の写真。旅サラダで訪ねた女優も宿泊)もある。

下段左側の写真はバリタワーと称して、1階はバーやコーヒーショップ、2,3階はレストラン(宿泊棟から車で5分程度、徒歩で15分程度のここへ毎回食事に訪れた)最上階はジャングルと海を一望できる展望台。下段右側の写真は公園内の探検や宿泊棟からバリタワーまでの移動に使われる車である。

なお、他に食べに出かける場所も無いので、このレストランでは27日の夕食から29日の朝食まで合計で5食を食べたが、味付けがハンダラなどよりもはるかに日本人好みで美味しくて十分に満足した。シーフード風のナシゴーレンもミーゴーレンも癖が無くて、日本人でも好んで食べられる味付けである。初日は2組くらいの宿泊客を目にしたが、ただ、幸いと言うべきか、残念と言うべきか、この5回の食事の間に我々以外の客に一度も遭遇することはなかったのは何故であろうか?
        
       ホテル宿泊棟                       ビーチ前のコテージ入り口  
                バリタワー                          ジャングル/ビーチ探検用の車


28日の朝は、にぎやかな小鳥の鳴き声(ジャワ島のスラバヤ近郷のFNNAのゴルフ場のコテージの朝を思い出させた)で目覚めて、午前中は上の下段右側の写真に示した車でジャングルとビーチ探検を楽しんだ。このジャングルには、その名前が示すようにMenjanganという野生の鹿(左の写真を注視)が生息しているほか、野生の小型で色鮮やかな鶏や野生の猿も生息しており、頻繁に目にすることが出来る。特に、小型の鶏は美しく、そこら中を走り廻っていたのだが、今回は鶏の写真を撮り忘れたのが些か残念。

       
        ムンジャンガンという野生の鹿                   
本島側のビーチ


午後からは、小型(運転手を入れて5人乗り)のスピードボートでMenjangan島という無人島へ渡った。この島の周囲はバリ島一番のダイビング・スポットと言われており、多くの欧米人が写真で見られるような小型の船20艘位でダイビングのために来訪していた。残念ながら、我々は誰一人として海水パンツの準備も無く、この島の本島の魅力を体験することなく、島を短時間の散策をした後はボートで島を一巡して(この時、幸運にもイルカの群れがボートと併走する様を見る事が出来た)本島へ引き返した。また、島には種々の南国の花が咲いており、その一つを写真に収めておいた。この2日は、翌日からのゴルフ三昧の生活を気にすることも無く、また時間の過ぎ行くのを気にすることなく、のんびりとした旅を楽しむことが出来た。

      
       Menjangan島の船着場                      島で目にした南国の花


ハンダラ・コーサイドー

29日は、朝9時にホテルを出発してハンダラへ向かって、11時頃到着。早速、29日午後には1ラウンドのプレイ(初日から満足の出来る内容のプレイが出来たのは幸運)、その日の夜中には横山夫妻、岩上夫妻も到着して何時ものメンバーで1月5日午後まで例年の如くゴルフ三昧。ハンダラについては、前の記録で沢山の写真も紹介しているので、ここで改めてこれと言って特記すこともない。

今回も、天気は1月4日の午後に雨でゴルフを休んだ以外は毎日の1.5ラウンドのプレイに支障の出ることも無く、気温は夜に20℃、昼は曇った時は23℃前後、日が照れば28℃近くまで上がるという絶好のゴルフ日和が続いた。また、ここに来れば何故かゴルフの調子は日々上々で、今回も1月2日の「ハンダラ会」との合同コンペでベスグロで、しかも優勝もさせて頂いき、賞金100万ルピアをゲットしたことは記録しておこう。

ただ、今回気がついたことが2件。
1件目は、クラブハウスの前庭に桜の木が2本植えてあることである。中田支配人に確認できなかったが、おそらく日本から持ち込んだものであろう。キャディーに聞いたところでは、時期になれば少しだけながら開花する(日本産らしいツツジも1年中少しだけ花をつけている)と言う。

2件目は、グリーン上のカップの位置を示すピン・フラッグの色が黄色の一色になったことである。従来は、赤(手前)、白(センター)、青(奥)というように3色で表示していたのだが、省力化のためか、今年は一色になっていた。早めに気づいたので、ピン位置を見誤るということも無かったが。
      8番のグリ−ン                              桜の木

今年は、異常気象のためか、未だにマンゴスティンが実らないと言う。バリ島のマンゴスティンは新鮮で、美味しく、毎年食するのを楽しみにしているが、今回は滞在中にクタ地区でも目にすることがかなわなかった。このような経験は初めてのことである。ただ、ランプータンやドウリアンは何時ものように入手できて、ドウリアンは31日に食べることが出来た。

クタ海岸地区(ハードロック・ホテル)

自分を除く7人の仲間が5日の夜行便で帰国したので、今回はハンダラに居残ることなく、5日の夕方にはクタ地区へ下山した。そして、初めてのホテル(ハードロック)に宿泊することにした。下山の手段は中田支配人の個人車で、同氏と中華料理(中田氏に紹介された初めての店でエビ料理が特に美味い。プラザバリ内の中華点よりも数段上。来年は皆も同行したい)で夕食。

ハードロックホテルは、初めて目にしたクタの繁華街(今まで、このような繁華街が存在することを全く知らなかった)の中心地で海岸沿いに立地しており、場所は最もバリらしい所。買物にも、サーフィンにも便利な場所にある。夜は、遅くまでディスコやバーが賑わっていて若者も多く集まってきているようであるが、部屋から出ず仕舞いで、状況を目にすることも無かった。オーストラリア人やアジア各国からの客が多いが、日本人の宿泊客は多くないらしい。建物は少し古くなってきているが、庭が多くの大きなプールもあって素晴らしい

6日は、この時期としては珍しく快晴。街に出ることも無く、快い日差しを浴びてプールサイドでのんびり。ホテルのサービスのフット・マッサージを30分やったあと、昼前にバリの友人が訪ねてきたので昼食をとりながら談笑。同氏の紹介もあって、後述するメルキュール・ホテルを調査方々訪問した他は、18時のレイトチェックアウトまでこのホテル敷地内から外へ出ることもなく終日のんびりした。
  
ハードロックのプールサイド(1)                  ハードロックのプールサイド(2)


ハードロックに隣接するメルキュールホテルは、ハードロックよりも古くて小規模のホテル。次回の宿泊の候補となり得るかを調べるために訪問したが、ベッドルームは小さくて照明も暗い。これと言った強みは見出しがたいが、屋上のプールサイドの眺望だけは素晴らしい。海岸を目下に見下ろす場所にあり、ハードロック同様に立地は素晴らしいと言えよう。豪華リゾートではないが、バリらしい(?)両ホテルを知って有意義な試みであったと自己満足。
  
メルキュールの屋上から見た海岸                  メルキュールの屋上プール


余談

○ 今回の旅には、ドコモの携帯電話905iを持ち込んだが、通話、メール、写真撮影(今回はデジカメは持ち込まず)と問題なく活躍してくれた。出発前に携帯電話の買替え(昨年は3回買替え)を決断してよかった。

○ 昨年に小生が居残った時に親しくなったハンダラ会(会長:中野氏は82歳、幹事の遠藤氏は75歳で、ハンダラに30年近く通っていると言う)から合同コンペの申し入れがあり、1月2日にコンペを実施し、しかも夜には小生の優勝賞金をはたいてカラオケにも興じたので、一段と交流が深まった。

○ 例年よりも体調が良く、毎日ビールも飲んだが、1月4日頃には少し疲れも出てきた。心筋梗塞を発症して5年が経過し、症状は安定してきたように思う。ただ、連れ食いで食べすぎにならぬよう要注意!

○ 当然のことであるが、バリ島を訪れるたびに身につくインドネシア語の語彙が増えている。今回の旅の結果も踏まえて、自著「ゴルファーのための超初級インドネシア語講座」の改定を行なうことにしたい。

○ 18時にハードロックをチェックアウトしたので、そのまま空港へ直行したら日本航空のチェックイン開始時刻20時(これほど早く空港に到着したことは無かったので、開始時刻を知らなかった)まで長い時間待つこととなった。事前調査不足を反省。

○ 何時ものように好物の干し柿(半干しの柔らかめの物)を3パック持参したが、1パック以外は忘れて放置していて気がついたらパックが膨らんでいた。単なる暑さのためか、幾分醗酵したためなのか、原因は定かでないが、最終的にはドロドロの状態になり廃棄する羽目になった。「帰ってきた干し柿」など自慢話にはならない。