12月29日 : ハンダラ・コウサイドーへ移動、早速ゴルフ

ビーチ地区(レギャン)での2日間の休息で、気分はすっかり「ゴルフ・モード」に転換済み。事前に日本からメールで依頼していたので、ハンダラ・コウサイドー(*:注記参照)から迎えの車が「All Seasons」ホテルに9時に到着した。全員がチェックアウトを済ませて準備していたために即座に出発、約2時間かけて海抜数メートルのクタ地区から海抜1,200メートル強(**:注記参照)のハンダラ・コウサイドーへ向かう。
予定通り11時ごろにはハンダラ・コウサイドーに到着し、チェックイン。宿泊棟(ホテル)は、18番ホールのグリーンに面して建っており、遠く西側に「ブヤン湖」を望み、眺望がいい。今回の部屋は、フロントや食堂及びコースのスタート地点から一番遠い方の2階の奥から2番目の部屋となった。何時もはフロントに近い方の部屋にしてもらうが、既に満室とのことであった。ただ、部屋は奥の方が新しくて綺麗であるとのこと。旅人も2006年の6月に経験しており、むしろ望むところといった按配である。
部屋でゆっくりすることもなく昼食を済ませて、小雨で雷という状況の中で早速1ラウンド プレイした。
この時期は、インドネシアの雨季(11月始めから3月間末)であり雨は珍しいことではないが、ハンダラでの雷は始めての経験となった。インドネシアを含めて東南アジアでは、強烈なシャワーと雷は頻繁であり、ゴルフコース内にも避雷針が乱立して光景は珍しくもないが、ここハンダラではめったにないことである。しかし、雨も雷も止むことはなかったが、大事に至ることもなく中断ナシで1ラウンド回れた。スコアは可もナク不可もナシと行ったところ。
なお、ここの天気の変化はコースの西側にある「ブヤン湖」の方向からやって来る。この湖の上の雲がとれれば天気も回復するので、天気の予測は幾分容易である。
注記
1.ハンダラ・コウサイド−(*)
バリ島には18ホールのゴルフコースは、次の3箇所しかない。
・ヌサ・ドア地区の「バリ・ごるふ&カントリークラブ」
・タナロット地区の「ニルワナ・ゴルフクラブ」
・バリ島の北部パンチャサリ地区の山間部の「バリ・ハンダラ廣済堂カントリークラブ」
この旅行の記録では「ハンダラ・コウサイド−」と略して表現している旅人のバリ島ゴルフ旅の
舞台。本来、インドネシアの国営石油公団「プタミナ」の所有であるが、日本の廣済堂が
運営しているコース。かっては、女子のアジア・ツアーも開催された名門(?)コースである。
近くにはバリコーヒーの生産地(コーヒー林)もある。
2.ハンダラの海抜(**)
旅人が約10年近く前にJALのマイレージを使って入手した腕時計で、通常のアラーム機能等に
加えて方位・高度・気圧・気温が測定できる腕時計<CASIO*「HUNTING WORLD」の
TRIPLE SENSOR(PROTEK)を今回持ち込んで測定したところ、レギャン地区(海抜5m位と設定)
との相対高度で1,230m程度であることが判明。この数値は、その他の案内書などで
紹介されているのと殆ど同じである。また、このTRIPLE SENSORで方位を確認したところ、
ブヤン湖の方向が西側であることも明白となった。
12月30日 : ゴルフは快調なれど、早くも背中の筋を傷める

28日の夜半に到着にIwさん、29日夜半に到着のYさん夫妻を交えて、何時ものメンバー8人でのゴルフが始まった。早速、1.5ラウンドまわったものの、1ラウンド目の途中で背中を傷めてプレイに影響する強い痛みに今後のプレイを危惧する状況となった。幸いにも、今回のメンバーの中の看護師資格のあるTさんにいろいろアドヴァイスをいただいたこと、自分が整形外科で貰ったシップ薬を沢山持ってきていたことで、その後大事に至らず回復できた。このような状況ながら、パット以外は快調でスコアもハーフ30台が2回(38,39)も出て、今シリーズの順調な滑り出しのきっかけとなった。
12月31:コースの年末大コンペで2位に入賞
午前中は雨で、昼食後にコース主催の年末コンペ(新ペリア方式)に参加してスタートした。
昨日傷めた背中が気がかりで、いきなり1番で8を叩いたが、その後体を動かしているうちに痛みも薄らいできて、調子も持ち直し、アウト43、イン38で回り、幸運<1番が隠しホールになった>にも2位に入賞した。この年末大会は、2004年にも優勝とベストグロスを貰った縁起の良い大会である。今年は、日本では記憶に残る良い成績も出せずじまいであったが、年末にこのような結果が出て喜ばしい。先ずは、良い1年であったということにしておこう。
夜は、例年の通りゴルフの表彰式と年忘れの大パーティー(バリ・ダンスなどの催しもあり)に参加。ただし、年の明けるまでは付き合いきれずに何時もの時間に早めに就寝した。
1月1日 : キャディーのことなど

今年もバリ島で特段の感慨もなく新年を迎えた。
相変わらずの1.5ラウンド・プレイ。信じ難いことだが、3日続きのハーフ38が出てゴルフは快調。出発直前に購入したものの、しっくり来ずに、早まったかと後悔していたFWが効を奏しているようだ。喜んでいいのか?、ハンダラでだけの夢に終わるのか?全く分からない。
背中の痛みは殆ど気にならなくなったら、胃の調子があまりよくない。連日の食べすぎと些かの酒の嗜み過ぎのためか、または多少の疲れも出てきているのか、胃のまわりの違和感が気になる。日本出発前に「狭心症」の検査をやった当時と似たような症状なので、取りあえず用心することとした。
ところで、ここのキャディーは一度起用すると、次の年も指名しなくとも必ず着いてくれる。旅人のキャディーは、30才前半の独身の男性(名前:スルワント)であるが、2004年以来、旅人がハンダラに滞在中は元旦も含めて休んだことがない。最近は女性のキャディーも増えてきて、昨年から参加のIさんとKiさんのキャディー(共に、3,4歳の子供のいる若妻)は上に掲載した写真の女性たちである。
また、右の写真の女性達はスターター前のコーヒーラウンジの給仕たちである。このコーヒーラウンジは、以前はプロショップとスタートのチェックイン・カウンターがあった場所で、最近それらを他へ移設して改装の上に開店したようである。プレイヤーにとっては一段と使い勝手が良くなった。
1月2日 : 偶然にも古い友人と出会う
昨夜十分に睡眠をとったお陰で体調は良くなった。1.5ラウンド目もスタートしたが、途中で雨が降り止まないので途中で切り上げた。ハーフ30台というゴルフの好調は、我ながら信じがたいがまだ続いている。
今日、10番ホールのスタート時に日本人らしき人物に突然呼びかけられた。名前を名乗られて即座に記憶も蘇り、懐かしさがこみ上げてきた。約12年ほど前に西ジャワの大型プロジェクトで、現地で、旅人が自ら面談して採用した日本人技術者Mさんであった。彼はインドネシア語も堪能で、技術的にもしっかりしていたので、その後の東ジャワの大型発電所建設のプロジェクトでも起用し、合計で6年位仕事を共にした仲間である。その後、彼は中南米の仕事に3,4年従事し、2年前からインドネシアに戻り、バリ島で日本の東亜建設の港湾関連の仕事で約2年間働き、この1月からは同じく大成建設の港湾関連の仕事に2年間携わるのだという。お互いに、今後の連絡先の確認が出来たことは収穫であった。
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