真実と有用性 -3-



「こんちわ〜!」
「・・・はいはい。あれ、有栖川さんやないの・・・」

久しぶりに北白川を訪れた私は、最近おいしいと評判がいいバウムクーヘンを土産に見慣れた玄関を潜っていた。

少しだけ、伸びてしまった締め切りの短編を脱稿したのが昨日。
週末が休みで、珍しく予定もない。明日はどうする?という火村からのメールが着た時も、脱稿というゴールは未だ輪郭がぼやけていた。それでも、行けたら行くとは返していたので、その後特に連絡を入れる事無く来てしまった。
ばあちゃんの分の菓子折りを部屋に届けに上がると、ほんわりとした柔和な笑みで迎えてくれる婆ちゃんの姿に自然と笑みがこぼれる。

「いややわ、有栖川さん。そんなん、気ぃつかわんと・・・いつも有難うね。火村先生なら今しがた煙草を買いに出られた所なんよ。あがっていたらよろしいわ。たぶん猫ちゃんがお留守番してるよって」
「そうやね・・・。じゃ、上がらせてもらうわ」

いつもならばばあちゃんのところでお茶でもご馳走になりながら火村の帰りを待つのだが、はあちゃんはこれから出掛けるところだという。それならば、と慣れたものでぎしぎしと軋む階段を上がって火村の部屋へと向かった。

扉は少し開いていて、足音を聞きつけたのだろう。中からにゃあとウリが出てきた。


「散歩か?気ぃつけるんやで?」
「な〜」


音も無く歩くウリの小さな額を軽く撫ぜると、手の内からすり抜けるようにして行ってしまった。そのしなやかな背中を見送ると煙草のにおいが染み付いた部屋へと踏み入る。

書籍や書類の束が所狭しと積み重ねられた和室には昔ながらの大きな窓が設えてある。本当に少しの間で戻るつもりなのだろう、窓は開けられて爽やかな風が舞い込んでいた。

「無用心やな・・・・」

まあ、取るもんも無いしええか。と独り呟くと、まるで答えるかのように一際強い風が舞い込んで机の上に積み重ねられていた封の切っていない手紙をばさりと床にぶちまけてくれた。

「あ・・・」

待っているだけですることも無かったので、とりあえず適当に拾い集めて元の山に戻しておこうか。散らばった手紙を拾い集める。そのひとつ。大きめの封筒を手にとって、意図せず。宛名を見てしまった。

「・・・・、ロイズ?」

その手紙のほとんどはエアメイルで、大学やら研究室やらの銘が入れられている中にLloyd’sの文字を見つけたのだ。

私が知っている“ロイズ”といえば、北海道のチョコレートメーカー。

ここの生チョコが私は好物で、自分でも通販で頼むほどのお気に入りになのだ。

そういえば初めて口にしたのは火村ゼミの学生が持ってきたお土産だったな。火村の生まれはそっちの方だと言っていたが、さすがにその“ロイズ”ではなさそうだ。支店が海外にあるという話も聴いたことが無いし、火村がロイズのチョコをわざわざ海外から取り寄せるとは思えない。


そんな何気ない気持ちで封書の裏を返して・・・差出人を見た。



-Corporation of Lloyd’s  LONDON

ロンドンの“ロイズ”といえば有名な保険機構だ。

一般的な保険会社とは違い独特のシステムを有しその保険引受人は世界各国の資産家達で構成されている。“ロイズ”では各アンダーライターが直接保険取引をするのではなくシンジゲートと呼ばれる会社がまとめて請け負う体系をしており、各シンジゲートには引き受ける保険の特色が顕著にある。

その保険はほとんどが多額の掛け金で取引されていてその保険を履行する際にはオプと呼ばれる調査員が実際に保険を履行するだけの案件かを調べる・・・、らしい。


まあ、一般市民にはあまり馴染みの無い保険会社といえよう。
その“ロイズ”から何故火村のところに封書が届くのだろうか。


まさか、准教授という肩書きのほかにロイズのオプというサイドビジネスをしているとは思えない。それではどこかで聴いた事があるような話になってしまう。火村は考古学者ではないし、現場に出て臨床的な研究をしているとはいえ、犯罪現場では調査に縁など無いに等しい。


では、何故?

わざわざロイズに頼むような保険用件を火村が持っているとも考えられない。


じっと手の封書を眺めていた私はもう一つ、おかしな箇所を見つけてしまった。
先ほど感じた違和感の正体だ。それは、宛名。
英字で印字された其れは。


E.Himura―…。火村宛ならばH.Himuraとなっているべきなのに。


床に散らばった手紙を集めているうちに、もう一通。
手に取るとゆっくりと字を目で追った。

それはもしかしたら、唯の間違いであるのかもしれない。


でも、ひとつ疑問を見つけてしまうとなんでもない些細なことさえ、
疑わしく見えて 思わず唇を強くかみ締めていた。

じん、と唇が痺れる感覚に少しだけ思考がクリアになる。


「これも、や・・・」

少し大きめの封筒には書類が入っているのだろうか、同じエアメイル、国はイギリス。


UNV. と銘がふってあるので大学関連か、KINGS Co. そして、Dr. E.Himura となっている。博士課程を通ったとは聴いていないが、論文博士号でも取得しているのだろうか。そうだとしたら、自分は知らない。あえて言わないところが火村らしいといえばらしいけれど、大学からのメイルには、Dr. とPrf. と2種類のものがある。教授ではなく、准教授であるのに。これも唯の間違い・・・?もしかしたら、外国には准教授という役職は無いのかもしれないと思った。


なんだか見てはいけないものを見てしまった気分で、厭な汗が出てきそうだ。

手にした手紙の束を同じ様に積み重ねて机に戻しておく。手紙の中身を読んだわけでもないのに焦る自分を宥め、火村が帰ってくる前になんとか気持ちを落ち着けようと深呼吸をした。


そよそよと開け放ったままの窓から流れてくる風に幾分気持ちが落ち着いてくる。

吹き込む風に誘われるようにして窓辺に近寄ると、自然に目に入ってくる下の通りを歩く長身の影を見つけ、その影が手をあげるのに同じようにして応えた。近づいてくるにつれその表情が見えてくる。


出逢った頃とはずいぶん違う、穏やかで柔らかい笑顔。

いつだったか、火村に其れを言ったことがある。出逢った頃よりも優しい顔で笑う、と。
君は一瞬戸惑ったように見せたあと、気恥ずかしそうに笑って言った。


年だろ?
若い頃とは表情筋の張りが違うからな。


其れくらい、長い間一緒にいるのは事実。

それでも、君が穏やかに柔らかく微笑みを浮かべるのは私に対してだろう?


自惚れている、わかっている。
でも、優しいんだ。自惚れてしまうほど。

火村、君は優しい。私を愛しんで包んでくれる。



それなのに。


私の踏み込めない確かな闇が君の中には在るだろう?
その闇が私に不安を齎していくんだ。

徐々に苛んでいくように、私の心を蝕んでいく。


ねえ、聴いてしまえば。聴いてしまったら楽になるのかな。
私の漠然と感じている不安を、君に伝えたら・・・。
私達は、どうなるのかな。

「・・・・火村」



そうして、私は言葉を呑み込んでいく。


聴いてしまえない疑問を仕舞い込んで。
不安だけを溜めながら。



次の「3.5」はR18です。読まなくても話の流れに支障はありません。飛ばして頂く方は直接「4」へどうぞ。

Author by emi