3月26日
朝早くホテルを出る、まだ陽が昇っていない時間(4時)に空港に向うトクトクに乗り空港に向います。
国内線で、パクセーと言うラオス第二の商業都市に行きます。出発時間は6時半なのですが 空港には2時間は前に到着してください 戸のことでした。トクトクが着いたのは ワッタイ空港国内線は、広い空港の駐車場を抜けると、ここ? と言うような 小さな建物 これまた日本の道の駅のような感じです。
ラオスでは、国内線に乗るのにも、パスポート コントロールを通過しなくてはいけません、しかし、空港に着くとまだ誰もいないし、まず空港の入り口に、格子のドアに鍵が掛かっている。「早すぎたか・・・」やられた  誰も2時間前にきちんと、来る人はいない様だ。しばし、空港の前の道端に腰を下ろし、日の出前の綺麗な夜空を眺めて、一服していた。まもなく、一人の外国人が来て「チョット早すぎたようだ」と話しかけてきました。彼は50過ぎの小柄なドイツ人で、一人で1ヶ月くらい旅行しているようだ、旅慣れているのを感じさせるのは、荷物はボストンバック1個のみと言うことで、あとはここで買って間に合わせているよ といことです。若い欧米人の馬鹿でかいリック(約80L)や、団体中年旅行者の、キャスター付 これまたでかいバックの旅行客はよく見かけるのですが、一人でボストンのみ それもパンパンに入っているのじゃなく、こぎれいなアウトドアスタイルの軽いいでたちをしたこの人は「只者じゃないな」と感じさせました。
彼も、世界遺産のワットプーを見て、その後、南下してメコン川にあるコーン島に滞在して、バンコク経由でドイツに帰るそうです。
時間はすでに5時、ようやく空港の入り口が開き、マイクロバスで団体旅行者が集まってきました、といっても、今日のフライト予定は、全部で5便、一日5便の首都空港です。機体もここに来たときと同じATR-72と言う プロペラ機です。ヴィエンチャンーパクセーは、主要都市を結ぶものだけあって、1日一往復ラオスのビジネスマンもこれを使います。
今から行く予定のパクセーは、ラオス第二の都市で、メコン川を挟んで タイのウボン・ラーチャターニ市に通じていて、もう少し南下すると、カンボジア・タイとの国境に位置するところです。
多くのバックパッカーはここから、さらに南下して。アンコールワットに行くか、そのまま、東に行きベトナム中部の都市に行くか、南北には長いが幅は、100キロにも満たない、ラオスの地形から通過して他国の行くことが多いのです。
今秋の旅行では、当初北部にある、ジャール高原の古代の巨大壷を見に行くか、ここパクセーに来るか散々悩みましたが、アンコールワットの流れを汲む クメール王朝の寺院が世界遺産に指定されているといことで、こちらに決め、さらにうまくいけば、パクセーから片道170キロ離れた、メコン川唯一の激流と言われる、コーンパベンの滝を見れないか と言う計画です。
そんなことを考えていながら、飛行機の搭乗時間になりました、国内線の空港税は5000kipです、これを収め、パスポートチェックを済ませ、歩いて飛行機に乗り込みます。もうそろそろ陽が昇るころです。
飛行機は順調にパクセーにつき、空港から市街地まで10,000kipで行き、早く旅行会社を見つけて、ワットプーやコーンパぺンの滝をまわるツアーを聞かなくては、いけません。
街の中心部にあるSode tour に着いたには朝8時過ぎ、ツアーの有無を聞くが、事務所らしきものはなく、机1個あるだけで、パンフレットも何もなく、ルアンパバーンの旅行会社とはぜんぜん違う感じです。
ここ本当に 旅行会社?と聞くと 「そうだ 何でも ブッキングできる」とのこと、「じゃあ ツアーで1日コースってある? 他の旅行者が GHで予約を入れて、乗り合いで行く ミニバスか、マイクロのようなもので、貸切のレンタカーはだめだよ」と条件を言って見る
以前にも 日本人は金持っているからと憶測され、一人で ミニバンをチャーターされ まわったときや、エジプトのルクソ−ルのときに自分でタクシーをチャーターして、まわったときに間が持たず やっぱりツアーでまわったほうがいいと感じていたから 一人でバンをチャーターしてまわるのだけは避けたいと思っていたのです。
いろいろ電話をかけ始めた 彼は「問題ない 今探しているから」と 心強い
しばらくして [ok ブッキングできた」 値段の交渉に入る、そのときは全部まわって100ドルといった、「これはおかしいぞ」と思い始めた、片道170キロあり、往復と途中で ワットプーによって行くと、船を使わなければいけない、「「でも そんな高いのじゃ いらない」と言うと、表にハイエースが来た「???????」と思って 中を覗くと 誰も乗っていない 要するに ミニバンを運転手付でレンタルしたわけだ、安易に簡単に、「日本人は金持っているから これで一丁あがり」と考えたと思われる、欧米人ならこの時点で、帰って行ってしまっているだろう。
しかし、時間はすでに9時過ぎ 仮にツアーがあるとしても、もう出発してしまっている。
要するに ここの旅行会社と称しているところは、他のバス会社やツアー企画会社とのコネがないのである。車を手配して、手数料を取って旅行会社として運営しているようで、パンフレットもカタログも オンラインも何もない、携帯電話と 怪しげな手書きの料金表だけの旅行会社だったのです。
「お前なんで、うそをついたんだ?」と言うと、「これもツアーで、今日はあんた一人がお客で、一人だからシェアできる人がいないので、料金が高くなる」ともっともなことを言うが、「じゃなんで、最初からそういわない買ったんだ 私が聞いた時点に、車を手配して ツアー完成じゃあないろう」
ツアーがないのだったら、ないといって このプランならできるというべきじゃないのか、無駄な時間を1時間も費やしたんだ」、私としては今日の夜行で変えるために、時間が惜しかった。
それよりも100ドルという料金は、飛行機の破格の値段に匹敵する値段で、年収2万円とも言われている、ラオスでは半年分の金額、まあ、これは単純に比較はできないのだが、それにしても100ドルという 金額設定した ここの旅行社と名乗る、兄ちゃんの いやらしさが 垣間見れた以上はこのまま引き下がれない。
まあ、こちらにも弱みがあるとすれば時間がないことだ、ツアーとしてもう 他はないだろう、「よしわかった このツアーに参加しよう でも、この値段では参加はできない」そうです、この旅行会社は 今後 味をしめて また日本人を見ると このような暴挙にでかねないので、しっかり意思表示をしなければ、 もう時間は9時半刻々と時間が過ぎていくが、もうこうなったら、あやふやなことではいけない とかく日本人は我慢をして 自分の意思を伝えたり、文句や主張すべきところを、あいまいにしがちで、私もそのことが気になっていた。
だから 何処の国でも 日本人は上客であり カモであり、フレンド アミーゴと半ば なめられていることが多い。
怒るべきシチュエーションが 来たのはそんな事を,思っていたときだった・「いやなら 車は返す、しかし、キャンセル料として40ドル」と言ったときに、
ブチッ!と切れた、   ふりをする。
暴力はどこの国でも、絶対いけない、時には命を落とす。
「日本でもそんな暴利な商売はないぞ、ここに車来るだけで、40ドル? あなたの月収は幾らだ?」 と車の運転手に聞く、彼は このやり取りをじっと見ていた。 「あれ ?こいつ 本当に怒り出したぞ」と相手に伝えなくては行けない。
こうゆう時の英語は、ガンガン出てくるものだ、矢継ぎ早に「日本人だから、金があるから100ドルなら払うと、思っているなら 大間違いだし、日本人でも100ドルは大金だ」
近所の人も見ているので、「ここでは何だから、事務所の中で・・」と少し引いている旅行会社をたたみこむように、「ここのツアーは 1dayトリップで、100ドルも取るのか?」と聞いてみる。
ラオス人が聞いても、目玉片方出かけるくらいの料金だから。
「中でもう一回 計算しなおして見るから 中に入ってくれ」と水のボトルを持ってきた・・・「しっかり計算してくれ、計算間違いならいいけど」しかし、計算も何もあるわけでない、車代に自分の取り分をどれだけ乗せるか、そこのさじ加減を間違えただけだから・・
「ワットプーは、滝に行く通り道だったので、料金が間違っていた、70ドルであとは、あなたの自分の入場料で、夕方まではどこに行っても、値段は同じでどうだ」多分、滝まで行って ワットまでは、なかなか ないツアーなので、しょうがない値段になってきた。
しかし、時間があればバスで行って、向こうで泊まって帰ってきても、この値段の半分以下で できることを知っていても 今日の時間はもう、10時近くなってきている
長い交渉の末 こちらも折れることにした、「運転手と私に水を5本ずつ計10本 サービスで積んでおいて」と言って、ハイエースに乗り込む
運転手も慣れたもので、「話がまとまれば さあ行こうか」と 多分 私が払ったお金から自分のもらえるお金を少し アップしてもらったようだ
彼は、電話で呼び出されて来た運転手で、旅行客を乗せて商売する許可を受けている、シールが車に張られていたので、正規の車です、無理を言って 呼びつけた模様で「次回も何かあったら 頼むよ」と旅行社から少しばかりの 上乗せをもらったようです。
ようやく、車は走り出しました。足を伸ばして 荷物を後ろの席に積んでも、まだ車内は余裕があります。
横になって、寝てもいいことを考えれば楽です。

すでに30度を超え
灼熱地獄の中を、走ること1時間半川のほうに向います。
あぜ道を降りていくと、いくつもの筏があります。
これは、ベトナムでもチチカカ湖でもあった、スタイルです。橋を渡すより 手軽に往来ができるからです。
船を二隻くっつけて、その上に 木を張り、車を横から乗って 反対の横から降りていきます。
時間にして20分くらい。対岸まで渡るとまた走り出します。運賃は1000kip(約12円)運転手が船頭の子供に渡していました。
←写真の 向こうに写っている山にワット・プーがあります。このあと30分位、走って到着です
それにしても、あまり人がいない中国人(台湾人?)の団体とタイ人にグループ それぞれ6人くらいです。
アクセスが悪く ほとんど訪れる人のいない、世界遺産です。入場料だけは、世界遺産に見合うラオスでは破格の30,000Kip もちろん外国人料金です。ラオス人は5,000kip これは どこでもエジプト・ペルー・ベトナム インド etcある料金体制で、国民は税金で
遺跡の維持・改修費用をまかなっているから、外国人は、ちょっと高いという理由だそうです。
しかし、遺跡の復元保持は、JICA
結構、貢献しているんですが・・
職場の先輩がJICA派遣で、マダガスカルや北京に行ったりJICA受け入れ研修を実施していたり
身近なところでも JICAの名を聞くことが、多いです。

ヴィエンチャン⇒パクセーの
   ラオス航空搭乗券

wat phu

この土地はもとチャンパサック王国だった クメールの文化を大いに受けて発展した町だったのである。 長い長い石でできた道を山のふもとまで行きます。クメール文明そのものです。道に両脇には リンガを かたどった灯篭がある、リンガは、ヒンズー教徒のシンボル。階段を上った、本殿にはシバ神。それを守るビシュヌ神 ブラマ神がかたどられている

南宮殿

本殿 北側から

本殿正面

ナンディン宮殿

本殿近くから ふもとのバライを見る

もともとは、ヒンズーの寺院であったが、後に仏像が納められて仏教寺院として、使われている。

どこから見てもヒンズー寺院形式の建築

破壊の神 シバ神は4つの顔・手を持つ その周りを、ビシュヌ神 ブラマ神が 控える。

仏教の慣わしの花と線香を売っている
一つ買って、仏像に供える。


昼になったら花売りの人は帰ってしまった。

壊れかけた、急な階段を登って、本殿へ

このころになると、気温は40度近くなり、少し歩くともうヘトヘトになる。

しかし、木陰に行くと涼しく のんびり1時間半くらいかけて、まわった。

車に戻ると、3台ミニバンが止まっているだけでした。

ここから来た道を引き返し、川をまた渡り。170キロ離れた、カンボジア国境近くのメコン川唯一の滝
コーンパベンの滝に国道13号をひた走ります。