乾清花苑  太白廡   略伝引得

胡兆新(1746〜)
 清の民間医。名振、号星池・侶鷗・蘇門、兆新は字。享和3年末に渡来して1年余り日本長崎に滞在し、医術・書法を伝えた。
 乾隆11年江南呉県(蘇州市)に生まれた。20歳で儒学を学んだが、病弱のため断念し、何鉄山に医学]、蘇州の李雲海(名良、字寧士)に医学・書道を学んだ。
 長崎奉行の要請により享和3年(1803年)12月、兆新が医師として来崎。長崎では友人程赤城宅に滞在した。翌文化元年下旬より崇福寺、聖福寺で診療を行った。また唐人屋敷で筆談や唐通事を介した問答が行われた市河米庵も長崎で胡兆新の治療を受け、書法について問答、また秦星池は胡兆新に書法を学びその号をもらっている。文化2年4月帰国。

胡振印章

兆新氏
「百華園十勝」1804