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初崎行hokkikoh   2014.5.6 
十勝
百華園十勝
鳴瀧落梅 鳩峯霞標 中川螢火 棲雲曉鼓 眉嶽秋月
浣花春水 疉岩古祠 櫻驛旅客 童山晴雪 高岳晩鐘
蘇門胡兆新 印;胡振印章 兆新氏
 来泊文人「胡兆新」の『百華園十勝』である。百華園はすなわち長崎小島郷の百花園(長崎市愛宕二丁目3附近)で、庭園に鉢植えを中心に多くの草花があったことからそう呼ばれた茶屋。江戸末期には坂本龍馬や伊藤博文などが訪れたといわれ、特に明治18年(1885)に来崎したフランス出身の小説家:ピエール・ロチは有名で、自らの結婚生活を描いた小説「マダム・クリザンテーム(お菊さん)」の中では、百花園で妻であるお菊さんを見初める様子を描いているとのこと。後に、豪商の永見寛二の別荘となったが昭和30年頃分譲されて宅地化したという(Web「広助の『丸山歴史散歩』」)。

 胡兆新は幕府医官多紀櫟窓により招請された中国の医家で、名は振。字兆新、號星池。姑蘇の人。享和3年(1803)来日、翌文化元年(1804)に市河米庵が長崎で胡兆新の治療を受けているが、その時胡兆新59歳、米庵26歳は兆新の子息と同年輩で、書法について親しく問答があった。また秦星池は胡兆新に書法を学びその号をもらっている。また小川文庵・吉田長達・千賀道栄三医員に医術を伝え文化二年帰国した(東隅随筆)。
「長崎八景」
立山秋月 安禪晩鐘 笠頭夜雨 大浦落雁 

愛宕暮雪 神崎歸帆 市瀬晴嵐 稲佐夕照
 長崎の名数には「長崎八景」があり、海岸の神埼から一の瀬(東端)の比較的広範囲に題が求められている一方、完全に比定できていないが「百華園十勝」は市街〜百花園周辺に限られるようである。
 名数と言えば、黄檗の四ヶ寺はともに福が付くので「長崎四福」という。
聖寿山崇福寺(福州寺) 東明山興福寺 万寿山聖福寺 分紫山福済寺
 この四福十勝を一日という限られた時間中にという無謀な旅に挑戦してみた。タイムテーブルで行ってみますか。 
長崎公園 05.:30 長崎市上西山町19
 旅は早起きに限る?まずは碑林ともいえる長崎公園へ。ここは長崎最古の公園で明治6年の太政官官布による全国21の公園のひとつ。元は承応元年(1652)開創の天台安禅寺境内で、寛文12年(1672)に長崎奉行に着任した牛込忠右衛門が東照宮を建立して、この時七堂伽藍が整備された。明治の廃寺により東照宮は荒廃して一時諏訪神社へ合祀されたが、明治30年再建された。安禅寺の遺構としては唯一石門が残る。
鳩峯霞標(十勝) 高岳晩鐘(十勝) 安禪晩鐘(八景)
 隣接する諏訪神社とは一体の高台で、また周辺に立並ぶ市立体育館・県立図書館・歴史文化博物館(長崎奉行立山役所跡)など含め「諏訪の杜」と呼ばれている。長崎公園を中心に30基ほどの碑や像が林立している。長崎公園は平成元年手作り郷土賞受賞 M72869
施福多君記念碑 M72496
  
(シーボルトの記念碑) 明治12 大森□□撰 小曽根乾堂書・題字 
建施君記念碑題名 M72500 (同上列名碑) 小曾根研堂題字
ツュンベリー記念碑(欧文) M72502
(Carl Peter ThunbergPeter Thunberg, 1743年11月11日 - 1828年8月8日)
 スウェーデンの学者でオランダ商船の船医として来日、オランダ商館長フェイト (Arend Willem Feith) の江戸参府にも随行した。世界一周の記録の内日本滞在の部分は『江戸参府随行記』(東洋文庫)として翻訳されている。
日本寫眞界の始祖 上野彦馬之像 M72504 
 昭和25 三森(正士)作 碑文 昭和26 長崎寫眞師會
中村六三郎君紀功碑 M72485  伊東祐亨篆額 明治42 前島密譔 近藤富壽書。
 公園入口の巨碑。東京商船学校校長となった人。
安禅寺石門 M72520  廃寺安禅寺の遺構。文政2年建
グラント将軍植樹記念碑 M72535 
 1879 自筆 訳文付き 米艦リッチモンド号で世界一周した人。増上寺M85092と上野公園M16131でも植樹。
故長崎縣令北島君之碑 M72529  明治17 三條実美篆額 西尾為忠撰 下田喜成刻
長崎甚左衛門之像 M72780 開港時の長崎領主(〜1622没) 平成7
郷土先賢紀功碑 M72777 大正4、大正天皇の御即位記念、長崎に貢献した先賢者名を刻む
蜀山人天門山碑 M72814 ※大田南畝;文化元年 長崎奉行所へ赴任
天門山斷海門開 岸上人烟擁鎮臺 處々白雲飛不止 秋風一片布帆來 南畝大田覃
あらそはぬ 風の柳の 糸にこそ 堪忍袋 ぬふべかりけれ  四方歌垣

ピエール・ロチ記念碑 M72865 フランス海軍士官・文人(1850〜1923)、小説『お菊さん』
・立花翁頌功碑 M72851 従二位勲一等伊東巳代治書 碑陰:碑文 官幣大社稲荷神社宮司高山昇書 大正13
・別格二君之碑 M72544 ・青木賢清贈位記念碑 M72832 ・中村三郎歌碑 M72879 牧水高弟
・池田可宵川柳碑 
M72808 昭和63 ・佐多稲子文学碑 M72532 ・東来和歌之碑 M72810 35首 安中東來 
・生涯を水産に捧げた人 田口長治郎翁之像 昭和50 M72875
・杉亨二先生之像 M72512 (碑文)北村コ五郎撰併書 ・松田源五郎翁之像 M72524
・本木昌造翁像 M72763 昭和29 國方林山作 活版印刷術の祖(1824〜92)
・忠魂碑 M72769 東郷平八郎題 元明治建立、戦後再建 台座プレート 長崎奉公會 福田大将書 印印 
諏訪神社 06.00 長崎市上西山町19
 長崎公園と諏訪神社はもともと同じ境内であるのでフラット往来できるが、路駐したままなの一端長崎公園からでて諏訪神社へ移動。
 諏訪神社は創建は寛永2年(1625)で、当時はキリスト教が広まり他教を排斥したため、市内の社寺は破壊されることが多く、肥前唐津の青木賢清が長崎奉行・長谷川権六に願い出て造営。、寛永9年(1632年)賢清が初代宮司になり、同11年から長崎くんちの祭礼が始まった。
諏訪神社
 本殿に至るには神門(大門)前の階段(長坂)を昇るが、まずは三の鳥居まである参道を大通りまで散策してみる。まず見張るのは真新しい福沢諭吉像であった。福沢諭吉は安政元年砲術研究のため遊学、付近の光永寺に寄宿して一年ほど砲術や蘭学を学んだそうである。
福澤諭吉先生之像 M72887 慶應義塾塾長 鳥居泰彦識 平成10
逆立ちとちんちんする河伯狛犬 M72893 M72895 祓戸社
篆書の石燈籠銘両基 M72906 M72902 千葉県市原の人が寄進
有神永世 フ燈維廟 不崩此山 此嵒不塞  戒慎乎其所不睹 恐懼乎其所不聞 
寛政元年己酉夏五月 奉獻石燈籠兩基 □  南總市原郡羽山今關文□ 

・奉納鳥居建立記念碑 M73222 二條基弘書 大正12
・山本健吉の文学碑「母郷行」 
M72891 碑陰:昭和59年11月 井上靖誌 ・下村ひろし句碑 M73211 昭和55
・向井去来句碑 M72899 碑陰:昭和61 文並びに書 福田清人  ・まよひ子しらせ石 M73214 明治12

 さて階段を昇ると櫛磐窓命M72920豊磐窓命M72923の両随身がが神域を守る。拝殿にはさらに階段を昇るが、その袂の神馬像M73037は西村西望の日展出品作品で、昭和天皇の在位六十年を記念して奉納されたも。百二歳の題字と、池田可宵が詠賦を寄せている。
 拝殿の右方に斎殿があり、その前庭に廣足神社
M73116がある。長崎の国学者中島廣足が柿野本人麻呂と本居宣長を祀っていた祠を移設したもの。
蜀山人の歌碑 
M73061 平成二年諏訪荘移築記念。
 彦山の 上から出る 月はよか こげん月は えっとなかばい
高濱虚子の句碑 
M73063     年を経て 廣がるのみの 夏木哉  虚子
福田清人の句碑 
M73067     岬道 おくんち詣での 思ひ出も  清人
・五釐金の碑 M73112  ・「川伯井戸」の河童狛犬 M73134
坂田恒山の顕彰碑「やわらの石文」 M73122 「靜待碑」 弘化10 門人(武田佐久八)撰・書

 神馬像へ戻り社務所前を抜けると今朝の長崎公園へと連なっている。太鼓廊のわきの車坂途中、大楠の上にに山頭火の句碑があった。
M73204
 大樟の そのやどり木の 赤い実  山頭火   平成元 上杉千郷建 小崎侃書
愛宕中央公園(百華園址) 7:30 長崎市 愛宕三丁目
 

初崎行