先史時代 | 母子川、記念川、大泊川の川筋に石斧、石鏃、土器等が見られる。 | |
延宝7年 | 1679年 | 松前藩士、厚谷四郎重正、久春古丹に来航し、陣屋を設ける。貞享年間(1684-86)中に勤番終了。 |
寛延4年 | 1751年 | 加藤嘉兵衛、松前藩主の命を受け樺太へ渡る。翌年クシュンコタン外2カ所に漁場を開く。樺太に於ける漁場解説の濫觴。 |
寛政2年 | 1790年 | 楠渓に荷物小屋が開かれカラフト場所が運営されるため、再び勤番開始。 |
明治3年 | 1870年 | 樺太開拓史、久春古丹に置かれる。 |
明治8年 | 1875年 | 樺太千島交換条約締結。樺太全島がロシア領に。日本領事館設置。 |
明治38年 | 1905年 | 日露戦役集結。ポーツマス条約により北緯50度より南の樺太は日本領に。 樺太民政署設置。コルサコフ-ウラジミロフカ(豊原)間に軍用軌道敷設。 |
明治40年 | 1907年 | コルサコフに樺太庁設置。 |
明治41年 | 1908年 | 3月31日。久春古丹、函泊(ぱっことまり)、ポロアントマリの各地域の総称をコルサコフから大泊に変更。 8月、樺太庁、各種機関が豊原へ移転。樺太の政治の中心地からは外れる。 |
大正3年 | 1914年 | 亜庭神社創建。 |
大正12年 | 1923年 | 5月1日、鉄道省連絡船稚泊航路運航開始。 |
大正13年 | 1924年 | 大泊市街軌道、栄町から楠渓町駅前までガソリンカー運転開始。 |
昭和3年 | 1928年 | 樺太拓殖軌道株式会社線大泊喜美内間開通。 |
昭和4年 | 1929年 | 樺太町村制施行、一級町村となる。樺太庁大泊林務署開設。 |