バッハマンとツェランの往復書簡が、封印期限を大幅に早めて読めるようになったことが、喜ばしいことか、疑問に感じています。やはり本人が生前、校正を済ませたもののみを対象に論じる、というのが基本的なぼくの考え方です。
それにしてもM.Jurgensenの指摘を俟つまでもなく、バッハマンの場合、初期から晩年にかけて一貫して、SprscheとLiebeが不即不離の関係にあったのは、作品群から容易にうかがうことができます。たとえば"Undine
geht"はその見易い例でしょう。彼女の場合、具体的にその時々の男性パートナーとの関係が、つまり私生活が、彼女の言語観と結びついていたように思われます。したがって、Sprache,
Liebeに加え、Todが隣接概念としてコインの裏表だったことも重要です。
そうした言語観は、管見のかぎりではツェランには無縁だった。もちろん母への思いは重要ですし、さまざまな伝記から(日本語では関口裕昭さんの労作が読めます)、ツェランもまた少なからぬ女性遍歴をしたことも確かです。しかし、そのこととツェランの言語観、詩論が不即不離だとは言えないと思います。
一方で、ツェランの場合は日々の生活、旅の記憶、読書などが作品に反映していることが、ツェランの蔵書研究から明らかになっていますが、バッハマンの作品を自伝的に読むことには反対です。彼女は「わたし」という語り手の虚構化について、きわめて敏感で鋭利な方法意識を持っていたと考えるからです。
バッハマンとツェラン、容易に並べたり比較したりすることの難しい二人です。 |
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