懐雲庵 ― 國重游のホームページ 本文へジャンプ
懐雲庵日誌

2009年10月16日 懐雲庵日誌 引っ越しします!
この度「懐雲庵日誌」を引っ越しさせることになりました。あらたにブログ「懐雲庵 日暮硯」と題して、これまで通りライブや演奏会の報告、日々考えたことを書き記していきたいと思います。下記アドレスへとスキップしてください。今後ともご愛顧のほどよろしくお願いします。

 http://d.hatena.ne.jp/KUNISHIGE/
  


2009年08月14日

バッハマンとツェラン
 バッハマンとツェランの往復書簡が、封印期限を大幅に早めて読めるようになったことが、喜ばしいことか、疑問に感じています。やはり本人が生前、校正を済ませたもののみを対象に論じる、というのが基本的なぼくの考え方です。

 それにしてもM.Jurgensenの指摘を俟つまでもなく、バッハマンの場合、初期から晩年にかけて一貫して、SprscheとLiebeが不即不離の関係にあったのは、作品群から容易にうかがうことができます。たとえば"Undine geht"はその見易い例でしょう。彼女の場合、具体的にその時々の男性パートナーとの関係が、つまり私生活が、彼女の言語観と結びついていたように思われます。したがって、Sprache, Liebeに加え、Todが隣接概念としてコインの裏表だったことも重要です。
 そうした言語観は、管見のかぎりではツェランには無縁だった。もちろん母への思いは重要ですし、さまざまな伝記から(日本語では関口裕昭さんの労作が読めます)、ツェランもまた少なからぬ女性遍歴をしたことも確かです。しかし、そのこととツェランの言語観、詩論が不即不離だとは言えないと思います。

 一方で、ツェランの場合は日々の生活、旅の記憶、読書などが作品に反映していることが、ツェランの蔵書研究から明らかになっていますが、バッハマンの作品を自伝的に読むことには反対です。彼女は「わたし」という語り手の虚構化について、きわめて敏感で鋭利な方法意識を持っていたと考えるからです。

 バッハマンとツェラン、容易に並べたり比較したりすることの難しい二人です。


2009年07月17日(金)
ホームページをリニューアルします
 とくにこれといったきっかけもなかったのですが、ホームページの名前を変えることにしました。
 懐雲という名前、もともとは単純に「雲を懐に抱く」というイメージから決めたのですが、後になって丸山応挙が一時期「懐雲」という号を使っていたことを知りました。個人的には応挙より、長澤芦雪の方が好きです。
 いずれはホームページ上の庵から、本当の仏教寺院を建立することが夢です。 (右は、昨年秋に撮影した落柿舎の写真です)
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