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●享保5年(1720)
●享保11年(1726)
●享保16年(1731)
●享保17年(1732)
●享保18年(1733)
●享保20年(1735)
2月−中郡峰山の絹屋佐平次が西陣織の製法を伝え、丹後縮緬を織る。
貝原益軒の「丹後与謝海国誌」がなる。
4月3日−幕府が畿内諸城の備蓄米調査のため勘定衆を派遣する。
この年、近畿から九州にかけて雨が数十日降り続き、蝗虫大発生による飢饉,餓死者1万2,000人余に達する(享保の飢饉)。
3月5日−田辺藩領内加佐郡の農民2,000人余が拝借米・銀を要求して強訴する。(赤松義民)
久美浜に幕府代官所が置かれ、丹後幕領5万2,000石を管轄する。代官は海上(うながみ)弥兵衛。