Dカタルパが教えてくれた     

@高良大社参道のカタルパ Aジョセフ・H・新島様 Bカタルパの子供たち C各地のカタルパの花 

Dカタルパの報道 Eカタルパ説明パネル Fカタルパが教えてくれ 

同志社校友会久留米クラブ                                          トップへ

 カタルパが教えてくれた             加藤貴志雄(昭和48年経卒)

 幼いころからその木の下を何度も通っていたはずなのにその木の存在すら全く知りませんでした。数年前、ひょんなことから筑後一の宮である高良大社の参道にあるその木が「カタルパ」という木であることがわかりました。
 カタルパは1,880年新島襄がその種子をアメリカから取り寄せたのが日本におけるカタルパのはじまりと言われていますが、同年の11月に新島は熊本の徳富一敬(徳富蘇峰の父)を訪ねる途中、久留米に1泊しています。はたしてこのカタルパがその時のもかどうかは定かではありませんが、カタルパというその希少性から考えると新島と何らかの関係があるものと考えてほぼ差し支えないと思います。
 そういうことからわが久留米クラブとしてもこのカタルパの周知活動に力を入れようという計画を立て、まず当カタルパのそばに説明パネルを設置しようということになり、その文案の検討に入りました。

 告白いたしますが、恥ずかしいことにそれまで私は新島襄という人物をあまり知らないと言うのが正直なところでした。そんな私がパネルの文案をつくるため新島に関する文献をあたっていくうちひとつの文章が目にとまりました。「『明治』という国家」と題する司馬遼太郎の著作のなかの1874年のバーモント州ラットランド市の伝道協会での新島の演説の部分です。
 「しかし、新しい国家(日本)は大きな方針をまだ見つけていない。わが同朋三千万の幸福は、物質文明の進歩や政治の改良によってもたらされるものではない。」というものです。
 そのあと「日本でキリスト教主義の大学をつくるつもりである。」と続きますが、これは新島がこれからは「学問」「教育」が大事であるということを示しています。しかし私が驚いたのは「わが同朋三千万の幸福は、物質文明の進歩や政治の改良によってもたらされるものではない。」というくだりです。
 当時、西洋文明が日本に押し寄せ、国民の誰もがその文明に追い付こうと思ったに違いありません。そのことが国民の幸せにつながるとも思ったでしょう。しかし新島はこれを明確に否定しました。現代に生きる我々は「物質文明」がもたらす不幸をいくつも知っています。しかし時は明治の初期です。この時代他のだれがそこまで考えたでしょうか? 新島襄の偉大さを感じます。

 圧倒的な西洋文明を前に明治政府は新島と同じように「教育こそ重要である」と考え、東京帝国大学をはじめ官立の大学を次々につくりましたが、新島と決定的に違うのは政府の大学は「国家に寄与する人材を多く輩出する」ことが目的でありました。つまり「皆同じ方向を向いて競争力を高めていこう」という方針でした。この目的を達成するためには人それぞれの「個性」は相当程度犠牲にしなくてはなりません。これに対して新島は「日本が自由で民主的な近代国家になるためには一人ひとりの個性と人格が十分に尊重されなければならない」と考えました。新島が目指した大学はある意味、官立の大学と正反対の大学だったのではないでしょうか。 「同志社」が私学でなければならないのはそんなことだったと思います。
 またここで新島は「キリスト教主義」の教育を掲げ「良心」という言葉をもちいています。そしてその良心はあくまでも神(God)の目から見た良心です。国家が用意した良心ではありません。それを区別するためにも新島は「てき儻(とう)不羈(ふき)」でなくてはならないと考えたのではないでしょうか?

 学問は諸刃の剣でもあります。学問により知識を獲得しても使い方を間違えれば人を不幸におとしいれることにもなりかねません。そうならないためにも「良心」が必要なのです。

 なぜ「キリスト教主義の大学」なのか、なぜ「私学」なのか、なぜ「てき儻不羈」なのか、そしてなぜ「良心」なのか。これらの「点」がカタルパのおかげで1本の線に結ばれたような気がします。

(同志社タイムズ平成28年3月号に掲載されました。)