@高良大社参道のカタルパ       

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高良大社参道のカタルパについて  赤司俊秀(S42年法卒)  

<経緯>

高良山に行く途中、高速道路をくぐって行くと、車道と歩道に分岐する。その車道を20〜30m行くと、右手に大きな木が目に入る。
 これが知る人ぞ知る「カタルパ」の木である。
久留米では非常に珍しいと言うより、日本国内でも珍しい植物の様である。
なぜ久留米のこの地にカタルパか?
このルーツをつきとめようと久しぶりの大ロマンに夢をかけている。

 元来、カタルパ(Catalpa Tree 和名 アメリカキササゲ)は、明治10年、同志社の創立者・新島襄がアメリカからその種子を持ち込み、徳富蘇峰の父と蘇峰に送ったのが始まりといわれている。現在、東京大田区の山王草堂記念館のカタルパは熊本市立徳富記念館にある2代目の木から昭和63年に接木した3代目で、平成2年に贈られたそうである。
一説には、実際はマサセチューセツのキリスト教団から苗木を100本、日本に送ったという書簡が同志社大学に残されているという。

 現在、その種から育った木が同志社をはじめ全国いくつかの場所で育っている。その主なものは、山王草堂記念館、熊本市立徳富記念館、そして同志社女子大の新島記念館前のカタルパが有名である。
 また熊本の植木町立菱形小学校にもカタルパの木があり、更に、久留米市立御井小学校給食室横にカタルパがあるのを発見、見事にささげ豆に似た30〜40cmの実をつけている。


<考察>
新島襄は、1880年(明治13年)11月1日博多から久留米に入り、三本松の「福ドウ屋」に投宿している。夕食後、土地の群長・宗小二郎を訪ね、久留米の地理、人情等を聞く・・・とある。(新島全集5・日抄より)
その日記に当たる日抄の記述内容は、
 「この日、晩餐を終わり直に該地屈指の人に逢わん事をはかる」として下記の人物の名前を挙げている。

 ○木村三郎(高良大社宮司-老人并神官)

 この資料から推定されるのは、
新島襄が明治13年11月1日に久留米の地を踏んでおり、その月日は丁度高良大社の宮司をしていた木村三郎の在任期間と符合する。この時木村三郎と会っておれば、現在高良山の麓にあるこの木のルーツはこの時点にあると考えても難くはないのではないか。