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2016年ウドちゃん奮闘記   


 12/25(日)  一つのことをとことん

 一つのこと(課題)をとことんやる練習の大切さを改めて感じます。

 小学4年生のT君は回り込んで攻撃を仕掛けた後、フォアへ揺さぶられるとどうしても間に合わず台から下がってしまいます。そんなT君に一般のNさんがそのパターンでの練習を1時間半ほどかけて相手をしていました。T君、はじめの方はいつものように下がり気味でしたが、次第に回り込みからフォアへの飛びつきの動きをリズムとして身につけ、台から下がらずに間に合うようになっていく様子が見えました。1時間半という長い時間休憩もせず声を出して根気強くやったT君もさることながら、Nさんもとことん相手をしてくれたことに監督としてありがたい限りでした。

 同じことを根つめてやることの意義は、私自身の経験から若い時に苦手なフォア前のレシーブからの練習をとことんやって感じています。そのことが違う動きやその他の技術にもプラスの効果をもたらすことも実感しました。「1を知って10を知る」というのは言い過ぎにしても、一つの動きを習得することがいろんなことに波及効果をもたらすのは間違いありません。

 練習の中であれもこれもと欲張りがちになりますが、体が覚えるまで繰り返し繰り返し、それこそくたくたになるほどやり続けることも意義のある練習だと改めて感じています。


12/21(水) 思えば・・・。

 利用者多く3人娘はマシーン台へ





 一昨日(21日)の夜、ジムは飽和状態でした。小学生は自主練習日でしたが、小学生クラブに所属する子ども13人が練習に集結。一般の人4〜5人、宇佐や中津市内の中学生3人も加わって大賑わいでした。こんな時どう効率的に台のやりくりをするかがジム主の務めですが、多少うろたえていることを察したか、4年生のAさんに「私たちはマシーン台に移動して多球練習をやったらどうですか」と”助言”をもらい急場をしのぎました。

 最近小学生は自主練習日に練習参加者が多く、そういったことからジムも小学生を中心とした運営にすっかり成り代わっている気がします。

 思えば、3年前のジムスタート時は「いろんな人に卓球できる環境を提供しよう。小学生には5〜6人にそこそこの指導ができればそれでいい」程度に考えてスタートしました。その思いはこと小学生の指導に関しては全く違った現実になっています。3年間頭の中は小学生のことばかり(笑)でした。

 一般のお客さんにしてみればジムは「小学生用の卓球場」のイメージかもしれません。スタート時の「誰でも気軽に利用できるジム」づくりも忘れてはいけません。


 12/10(土) 卓球三昧(東京)指導者来る!

 12月10日(土)午後、東京の卓球場・卓球三昧で働いている3人(根田さん、石澤さん、宇土さん)を招聘し、たくさんの人たちと交流していただきました。3人は、以前同僚だった新日鉄に勤めている松原さんの結婚式に出席することから、前日ジムを訪れていただいたものです。

 当日は月例会メンバーや小学生など25人が参加し、ゲームや練習をしていただきました。参加した月例会メンバー14人は、この時とばかり根田さん、石澤さんにかわるがわる挑戦しましたが、根田さん、石澤さんには断りなしに過酷な交流を強いてしまいました(翌日朝起きた時にかなり体にきているようでした)。それにしても2人はさすが名門校出身だけに随所に目を見張るプレーを披露し、参加者からはそのたびに驚きの声が上がっていました。一方宇土さんこと、娘は小学生に合間を見てボールを使った練習をしていつものようにいじめていました。私自身この交流会でのゲームや講習会を通じて「目からうろこ」の場面もあり、学ぶことが多く勉強になりました。

 交流会の夜は3人を囲んでの懇親会。終わり次第ジムに移動し、またもや飲んだ後の「〇〇大会」に花が咲きました。

 娘には先週の県小学生講習会を務めた後、そのまま中津に残ってこの一週間小学生の練習に入ってもらい大助かりでした。娘ならではの相手を乗せる練習は私にとっても指導法として学ぶものがありました。 娘が東京に戻った日から通常の日常生活が始まり、ちょっと寂しさもありますが、ジムで一緒にやれる日を楽しみにしながらまた頑張りたいと思います。


 12/8(木) かわいいプレゼント

 先日小学生クラブの保護者の方が、家で作ったといって写真のようなかわいい作品(粘土細工?)を持ってきてくれました。

 どうやら親子で作ったようです。ラケットの大きさからみていかにミニチュアであるかがお分かりかと思います。左側のペアはどちらとも背中には「宇土」のゼッケンがついています。親子ペアのようですが、実際のところ、これまでチャンスがなく(つくらず)一度も娘とペアを組んだことがありません。この作品を見ながらこの歳になってちょっぴり後悔しています。

 どことなくユーモラスな作品でお気に入りです。大切にしたいと思います。


 11/27(日) 同級会宇治市へ

 11月27日から28日にかけて宇治市に行ってきました。高校卒業後ユニチカという会社にいた時分19〜20歳の2年間、ユニチカ「技術学院」に在籍した時の同級会が目的です。行きがけ小倉でソニックが5分遅れたのに、弁当を買うことにこだわった結果、なんと指定をとっていた新幹線に乗り遅れました。階段を上り詰めたところで無情にもドアが閉まり電車は動き始めました。駅内の放送で「遅れた分考慮しますので慌てないでください」と言っていたのに・・・。そんなハプニングもありましたが何とか夕方宇治にたどりつきました。

 技術学院は、全国各地のユニチカ関連会社から集まった20人が専門教科だけでなく、いろんな教科(英語・数学・ドイツ語・物理・体育・柔道などなど)を2年間学習する研修制度でした。給料をもらって学ぶというありがたい学校でした。しかし、技術学院を目指した理由が宇治工場の卓球部に所属するためにというずれた感覚で入学していますので、勉強についていけるはずがありません。同級会の席で必ず話題になるのが成績のことです。この日も「入学後最初のテストで成績の悪かった下から5人が「職員室?」に呼ばれて説教された。その時の5人は宇土と〇〇と○○・・・だった」との思い出話に。このことは話題にされたくないほど苦しい思い出として鮮明に覚えています。上司から「今度同じ成績を取ったら元の職場に帰す!」と言われたことを今でも忘れません。それほどつらい説教でした。卓球に明け暮れていたこともありますが、まわりがみんな優秀でついていくのが大変でした。そんなほろ苦い思い出が詰まってる2年間ですが、自治活動を重んじた濃いい2年間でもありました。今回も仲間と会いたいとの思いは自然な成り行きでした。

 

 翌日は朝早く起きて、宇治工場卓球部時代に愛用した懐かしい宇治川・天ケ瀬ダムコース5Kmを走りました。40年前、卓球のことばかりを考えて走っていた思い出の宇治川沿いコースをゆっくりジョギングをしながら写真を撮りました。

 同級会は、27日夕方宇治市に着いて、あくる日の9時過ぎには発つという強行スケジュールでした。帰ってきてすぐ15時半にジムに行き掃除をしようとしたら、早速いつもの子どもたちがやってきました。ゆっくりはできません。


  愛用したランニングコース  コースを写真で紹介します。(左から走った順に掲載)
@紫式部の源氏物語に登場する歴史名高い宇治橋をスタート
A平等院横の遊歩道から左に見える塔の島へ(写真右側に平等院)
B帰ってきてのトレーニング場所として利用した「塔の島」を通って宇治川の左側へ
C宇治川沿いを上流に向かってひた走ります。とおりも少なく快適。
D遠くに見える折り返し地点にしていた天ヶ瀬ダム(この日は工事中でダム手前で折り返し)
      @             A             B             C            D

 11/18(日) 旧来の仲間と

 先日山国町のなじみの旅館で旧来の仲間と楽しいひと時を過ごしました。メンバーは私が山国中学校で退職を迎える年までの4代にわたるPTA会長さん4人と私の教え子にもなる当時の同僚Hさんの6人です。

 このメンバーは私の退職直後に退職祝いを兼ねて韓国旅行を計画してくれた人たちでもあります。こうして年1,2回飲み会ではありますが、集まってはバカ話をしながら酒を飲んでいます。

 3年半前韓国旅行に行く直前、要請を受けて?、韓国語を少したしなめた私がメンバーにプリントを用意し、「1時間で韓国語が読めるようになる講座」を開催したことがあります。しかしこちらの読みが浅かったのでしょう。酒を前にしての勉強会は無駄であることを改めて知らされるハメになりました。中学生を対象にした講座の経験もありますが、よっぽどそちらの方が手ごたえがありました。

 そんなかんだで韓国に行った時もそうでしたが、なかなか統率が難しいメンバーではあります。がしかし、退職して3年以上経った今でも、こうして付き合いをしていただけるありがたい仲間であり、心から感謝をしています。

 その夜は、翌日小学生の練習試合を控えていた関係で、深酒はできませんでしたが、本当に楽しい時間を過ごすことができました。しんしんと冷える山国での心温まるあっという間のひと時でした。


11/13(日) 恥ずかしいやら痛いやら

  玄関前のインターブロック

 昨日(12日)朝、痛い目にあいました。

 朝ジムに行こうとして玄関の鍵をかけようとしたら、区長さんが見えて班長あての配りものを持ってきたので慌てて区長さんのところに受け取りに行こうとしたときに事は起こりました。

 玄関前のちょっとした段差に左足を乗せたために足首を捻挫をしかけました(半分やってしまいました)。ひどい捻挫を避けようと左側に倒れたのが裏目に出ました。これまで左足首は若いころから何度も捻挫をしてきて、そのたびに自ら倒れてひどい捻挫にならないようやってきた”実績”があります。玄関前には20数年前、わが家の前の家のご主人にアドバイスを受けて精魂込めて敷き詰めたインターブロッキングがあります。それは傾斜になっています。捻挫をしそうになると、いつもはわざと倒れて防御をしていたのですが、今回はその傾斜が災いして勢いに弾みをかけ1回転?2回転?して痛めている左肩を強く打撲。最後は左ほお骨のヶ所をインターブロックに強打をしてしまいました。回転をしながらこれはとんだことになるぞと感じたことを覚えています。

 その場に居合わせた区長さんから起き上がったときに「大丈夫ですか?」と声をかけられ、照れくさいのと痛い思いが入り混じったつくり笑いを浮かべて、わけのわからない言い訳をしました。相当強く打ったのでかなりの血が出ていると思いましたが「区長さんから血はあまり出てないですよ」と言われ「うそだろー」と思いましたが、実際出血は思ったよりなかったです。何よりも顔面が挫傷の傷を負わなくてよかったです。見ると右の手のひらになぜか擦り傷がありました。

 あまりに衝撃的な出来事だったことから、区長さんが帰った後も動揺が残りました。歳のせいでこんなことになったとは思いたくありませんが、突き詰めるとやはり歳のせいでしょうか?



 11/8(火) 東京から娘の知人来客にびっくり!

 昨日(8日)、ジムに思わぬ来客がありびっくりしました。

 以前娘から「東京のカネクという会社が中津に新工場を建てる関係で、卓球好きの社長さんがお父さんに会いにジムに行くといってたよ」ということを聞いていましたが、その方たちがジムを訪れてくださいました。

 右の写真では、私の左の方が新工場のプロジェクトリーダーの清水さん、そして私の右の方は、娘と親しい青森山田高校出身中国人のルー(廬瓊霞)さんです。今回新工場スタートの関係で中津市を訪れたそうです。新工場の所在地は大新田で12月から操業を開始すると伺っています。

 経営に携わる方が卓球好きということで、近い将来カネク中津工場に卓球クラブをつくって、卓球に力を入れてくれたらなあと個人的に期待をしてしまいました。


 11/4(金) 少しずつ手ごたえが

 久しぶりの日記です。ホームページがごたごたになってから、このページもズタズタのままだったことから、3週間ぶりになりました。


 さて、先日小学生の鳥栖市チャリティ大会がありました。この大会に足を運ぶのは3回目になります。行くたびに誰かが優勝するという縁起のいい大会でもあります。今回は?

 またまた山口彩実さんが優勝を飾りました。一つ上のクラス(ホープス)に臨んだ大会で見事優勝を果たしました。彩実さんの今大会3回目の優勝もうれしかったのですが、中学の部で、渋谷亜矢子さんが厳しい選手かいる中で2位、そしてカブで田原郁亮君が3位になったこと。そして、何より出場した子どもたちの成長を感じることができたことはこれからの希望につながり大きな喜びでもありました。以前は体験させることが目的といってもいいぐらいの気持ちでの参加でしたが、次第に勝負できるようになってきたと感じています。TRY-Uの監督も宇土クラブは強くなったなあとまんざらお世辞でもないような感想を言ってくれました。

 

 周りの手助けを借りながらも日ごろの努力が少しずつ成果を上げてきていると感じています。しかしまだまだです。自分自身への甘さを払拭して練習に励まなければと思っています。



 10/13(木) 感謝、感謝

 この3週間で小学生クラブに新規加入が6人ありました。初心者を対象にしたクラブ2はついに18人となりました。初心者が増えればそれだけ手がかかります。以前から入っている子どもにしわ寄せが行きかねません。正直なところ、指導のキャパを超えていると感じています。子どもたちを少しでも早く上手にという思いがあり、つい焦りの気持ちが出るのが現状です。

 そんな苦しい状況の中、いつも助けてくれるのが、ジムを利用してくださる若い方たちや保護者の方たちです。この日(10/10)もたくさんの指導者が集結してくださいました。相変わらず感謝感謝の日々です。

 9/25(水) HPどこいった

 今日も失敗談を一つ

 9月18日、途方に暮れたことがありました。例のごとく一杯飲んだ後にホームページの更新をしていて、どうやら変な操作していたのでしょう。翌日見るとこれまで悪戦苦闘してつくってきた画面が見当たりません。どこに行ったか分からず2〜3日かけて探しまくりましたが見つけられず。ついに今回の大工事と相成りました。これまでよくわからないまま行き当たりばったりでホームページ作成してきましたが、ついに大きなほころびとなりました。

 ここまでホームページを形作るまで、長い時間をかけてきたことを考えれば、今更一からやり直すエネルギーも時間ありません。ところが幸いにもです。かなり壊れていましたが、残っているのを発見!日々の限られた時間、パソコンに向かい、修復箇所だらけだったもののなんとか2週間後の9月27日、復活を遂げました。

 思いがけないハプニングで、話題にしたかった県カデット大会や小学生クラブの初の親子懇親会のことは時期を逸してしまいお蔵入り(作ってもいないのに)です。

 何はともあれ、つたないホームページとはいえ、今後もジム内外の情報提供ができることに胸をなでおろしています。一杯飲んだ後の更新は要注意です。緊張感もって?やりたいと思います。


 9/16(金) 一般県体準優勝

9月10日、11日に大分市で一般県体がありました。今回は例年以上に練習不足で、しかも大会前に左肩を痛め、サーブのトスを上げられない状態でした。出場も危ぶまれ監督業に徹しようと思いましたが、不思議と前日になって急速に回復し、大会ではなんとかコートに立てることになりました。

正直なところ今年はかなり消極的な気持ちでの参加になりました。とはいっても出るからにはぶさまな試合はできません。何とかチームに貢献をと頑張りましたが、練習はうそをつきません。国東戦で過去負けたことのない(と思っている)人に苦杯をなめました。思えば最近大会に出て試合を振り返るたびに似たような文言を書き連ねています。情けないです。                                      

 1日目は中津市の選手みんなの頑張りで予選リーグ全勝で1位通過。    

 2日目の決勝トーナメントでは、山場とみられた速見戦で、宇土クラブの若い井上兄弟が厳しい相手にダブルス、シングルスと競り勝ち、その頑張りにベテラン組も刺激を受けて流れを呼び4−1で快勝。決勝の別府戦はさすがにどの年代も力が及びませんでした。50歳代で今年もまた別府の江藤さんと対戦。1−2でリードされたところでチーームが負けて終わりました。昨年ボロボロの内容から一転して接戦の内容に、試合後「宇土さん、今年はいいやねえかい」と江藤さんから慰めの言葉ともお褒めの言葉ともつかない声かけがありました。「練習積めばこんなんじゃねえぞ」と内心思いましたが、現実味がない思いであることをわかっています。                         

 ただ自分のさえない卓球はともかく、今年の県体は宇土クラブに所属している10人ものたくさんの選手が、それぞれの郡市から出場したことはうれしいことでした。中には宇土クラブ同士が対戦する興味深い一戦(船橋−常盤)もありました。                                     

 かくしてジムの忙しい日々の合間をぬってかかわった県体もようやく終わりました。

 9/10(土) ラーメン屋さんに感謝!

 ジムの前に「宝来軒」というラーメン屋さんがあります。暑かったこの夏でしたが、暑さ関係なくこのラーメン屋さんの人気はすごいです。ずっと以前、まだなじみのなかったころから、風のうわさでおいしいということを聞いていました。

すぐ近くにジムを構えることになり、ときどき食べに行きますが、なるほどおいしいです。ジムのお客さんもちょくちょく訪れているようです。

 おいしいラーメンを食べるだけでもありがたいのですが、実は大変感謝していることがあります。ジムの周りの敷地は駐車場こそ広いのですが、ジムの駐車場は6台分しかありません。このラーメン屋さんの駐車スペースがかなりあります。ジムがスタートした時点で、「小学生クラブの子どもたちの送迎や土、日の一般客の多いときはどうしよう?!」と悩んでいました。

 ところがです。ご挨拶に伺ったときに、ラーメン屋さんから「営業していない日曜日や平日でのお客さんの少ない時間帯は、どうぞ使ってください」という本当にありがたい配慮の言葉をいただきました。これはジムにとっては大きい出来事でした。そして何よりラーメン屋さんのみなさん人柄がいいです。そしてスポーツ一家でもあります。ご主人と子どもさん2人は剣道をされていてかなりの腕前のようです。奥さんは大学までバスケをされていたようです。そんな話をご主人のお母さんから立ち話で伺います。ジムの子どもたちの活躍も喜んでくれます。 ありがたいラーメン屋さんへの感謝を表すためにも、もっともっとラーメンを食べなくてはなりません。


 8/21(日) 1964東京オリンピック


開会式での日本選手団の入場行進


円谷選手

 オリンピックもいよいよ最終日になりました。卓球の話題で盛り上がった日々がかなり以前の事のように思えます。

 オリンピックという祭典に、私自身が一番影響を受けたのは1964年、小学6年生の時の東京オリンピックでした。たくさんの種目に興味を持ちました。不思議といろんな場面を覚えています。

 開会式での陸上競技坂井選手の聖火台点火の様子や行進曲のメロディ。競技についてもしかりです。一番悔しかったのは柔道で神永選手がオランダのヘーシンク負けたことでした。熱を出して学校を休み布団の中で見て悔しがりました。そのほかバレーの大松監督率いる二チボー貝塚の優勝。体操の小野選手が肩に痛み止めの注射を打って頑張っていたこと。重量挙げの三宅選手が金メダルを取ったこと。ボクシングの桜井選手やレスリングの渡辺選手の活躍。マラソン円谷選手がゴール前のトラックで抜かれての銅メダルだったこと。こうしたいろんな種目での思い出が今でも私の記憶に消えることなく残っています。オリンピックに対する興味、関心が高かったこともありますが、この時期の頭は吸収しやすい構造になっているんだろうと思います。

 そして今、頭の構造は・・・? これから先の話はやめておきます。


 余談になりますが、、聖火ランナーの坂井選手は広島に原爆が落とされた日に生まれた人です。平和の祭典につなげる意図があったのかもしれません。

 またマラソンの円谷選手は4年後のメキシコオリンピックの直前に自死しました。背景については割愛しますが、その時に円谷選手をモチーフにした「一人の道」という歌が生まれました。参考までに歌詞を記しておきます。時代は違えどオリンピックを目指す選手のことを思い知らされます。



           「一人の道」

   ある日走ったその後で 僕は静かに考えた

    誰のために走るのか 若い力をすり減らし

   雨の降る日も風の日も 一人の世界を突っ走る

   何のために進むのか 痛い足を我慢して

    大きな夢は唯一つ 五つの色の五つの輪

   日本のためのメダルじゃない 走る力の糧なんだ

    父さん許して下さいね 母さん許して下さいね

   あなたに貰ったものなのに そんな命を僕の手で

   見て欲しかったもう一度 表彰台の晴れ姿

   だけど体は動かない とってももう走れない

        これ以上・・・・走れない

 8/14(日) 水谷選手ありがとう!

 リオオリンピック真っ只中。一昨日の水谷選手の銅メダルには本当に感激しました。

 前日のマロン戦は厳しかったものの、今日のサムソノフ戦は大丈夫だろうという思いもあり、やや冷静な気持ちでジムの掃除がてらスマホでちょこちょこと観戦していました。

 しかし安易な気持ちは一転。2−0から1セットとられ、4セット目も怪しい展開に。このセットを落として2−2になると精神的なものも絡んでどう勝負が転ぶかわからないのでドキドキしながら小さい画面にくぎ付けになりました。デュースになりサーブを持ちながら点が取れないじれったい展開に相当やきもきしましたが、なんとかこのセットをものにできたとき、やっと勝てそうだという気持ちになりました。

 そして5セット目は11−8で勝利。ついにやりました。飛び上がりました。勝利の瞬間は、水谷選手でなくても床に倒れて喜びたい心境でした。涙が出てきました。

 常々、何かにつけ卓球界が盛り上がることを願う気持ちがありす。水谷選手には何が何でも銅メダルを取ってほしいと祈りながら応援しました。

 銅メダルに輝いた水谷選手に、改めて心からありがとう と言いたいと思います。


 8/6(金) 15,6年ぶり全日本へ

 7月29日から3日間、グリーンアリーナ神戸で開催された全日本選手権大会(ホープス・カブ・バンビの部)が開催され、小学生クラブからは山口彩実さん、田原郁亮君の2人がカブの部に出場しました。

 私自身、この大会に駆けつけるのは娘の時以来となる15、6年ぶりとあって、2人の活躍が楽しみであると同時に全国の小学生がどんなプレーをするのかを見ることも楽しみの一つでした。

 試合の方は、田原郁亮君が予選リーグで善戦及ばす敗退。山口彩実さんが16決定戦でセットオール9点のぎりぎりの試合でベスト32位という結果でした。相手の佐久間選手は次の試合で3−0でストレート勝ちしたので山口さんもランク入りは夢ではなかったなと思うとちょっぴり悔いもありました。しかし、カブのクラスになって初めての出場でここまでやれたのは立派というほかありません。

 自分自身にとっても、今後に向けてモチベーションも含めかなりいい体験になりました。申し訳なかったのは子どもたちの練習パートナーが思うように務まらなかったということです。最後まで通常の感覚が戻らずミスばかりで「すまん、すまん」の連発でした。周りの練習パートナーを見ると若い人ばかりでちょっぴりうらやましさも感じました。

 いずれにせよ3日間、監督としては力不足ながらなんとか無事に終えることができました。子どもたちの家族の方々にはずいぶんお世話になり(支えられ?)楽しい3日間でもありました。

 神戸から帰ってさっそく子どもたちへの懺悔の気持ち?からジムを訪れていた若い人たちと練習をしました。


 7/17(土) アルコールに負けた!


 7月17日、本年度2回目の月例会を開催しました。女性4人を含めて21人の参加者の方々が熱戦を繰り広げました。ジムが広くなり、5台設定の試合も十分できることにありがたさを感じます。利用者が少しずつ増えていることもあって、月例会も盛大になってきています。

 さて、月例会の試合の方は、なんと井上竣太さんが難敵竹尾さんを決勝で破り優勝するという”波乱”がありました。試合前に井上さんと同じパートの人たちが「ラッキーパート」と冷やかし半分言っていたのがうそのような出来事です。そうしたハプニングも月例会の楽しみの一つです。

 月例会終了後は、ジム前の駐車場にて参加された方々でバーベキューをして楽しみました。バーベキューに必要なガスや鉄板等の準備はいつも裏方で活躍してくれるK君こと鎌倉君がしてくれました。

 バ〜ベキューを楽しんだ後、さあ解散をと思いきや、年長Sさんの主導のもと有志でダブルス大会をやろうということになりました。アルコールの入った状態で卓球するする不謹慎さを悔いながらも文字通りアルコールに負けてのお楽しみ会となりました。救急車騒ぎにならなくてよかったです。終わったのは10時。長い1日が終わりました。