gxx


アーカイブ
 2018年
 2017年
 2016年

ウドちゃん奮闘記   2019〜2024年 



 10/3(木) 10年経ちました



8年前旧ジムで移転作業を終えた後の
子どもたち

 ついに10年」「ようやく10年」「やっと10年」「早10年」「もう10年」「まだ10年」・・・。今年3月、クラブク発足から10年になりました。

 どのことばもびったしというのはありませんが、しいてあげればやっぱり「早10年」でしょうか。

 振り返ると、いろいろとありましたが、とりわけスタートして4、5年はわき目もふらず突っ走った日々が思い出されます。


 ここまでいろんな人に助けられながらジムの運営でした。小中学生の保護者の方たち、一般のクラブの方たち、また中津市の卓球協会はもちろん、県内外の卓球関係者の方々とあげればきりがないくらいです。


 節目の今年、日々お世話になった方たちに感謝の思いを込めて、12月1日に10周年記念祝賀会を開催することになりました。

 その準備に携わってくださっているのは、やはりスタート時点でお世話になった当時の保護者の方たちです。メンバーの方たちと、10年前と全く変わらぬ雰囲気で準備が進められることにありがたさを感じながらの作業です。


 会に出席してくださる皆さんに、感謝の気持ちか伝えられる祝賀会となるよう準備を進め、当日を迎えたいと思います。


 9/17(火) マロ天国へ旅立つ



   仲むつまじいつい先日の姿

 ブログでは2回目の猫の話題です。それも2018年6月26日のブログで紹介した時と同じ猫の「マロ」のことです。


 6年間一緒に暮らしたマロが昨日旅立ちました。生後1、2ヶ月ぐらいの時に家の軒下から我が家に迎え入れてから、わずか6年ちょっとの生涯でした。9月20日に様子がおかしくなって4日目に息をひきとりました。

 9月20日、足が思うように立たなくなりました。動物病院によると脳の障害だろうということでした。目も見えないようすです。21日の夜から22日の朝まで全身を激しいけいれんが襲ってきました。けいれんの合間、何とか生き抜こうとしているのか、痛みからじっとしておれないのか障害物に頭をぶつけながら懸命に這いずり回る姿がありました。妻は前日からあまり寝ないで見守っていたので今夜は自分がという思いで一晩中そばに付き添いました。夜中の12時半から明け方3時50分までの間、5分間隔で激しいけいれんが容赦なく襲ってきました。マロは口を大きく開け顔をゆがめてこらえていました。どうすることもできずけいれんのたびに「マロ! マロ!」と体をさすりながら声をかけました。何度も「マロ すまない!」と声をかけました。

 

 3時50分からはけいれんもおさまり、もしかしたらと淡い願いを持ちましたが、翌日23日の昼、激しいけいれんの後、妻に抱きかかえられながら息をひきとりました。

 私はその日子どもたちの大会に帯同していましたが、保護者の方々に事情を伝え、中座させていただきました。帰宅後マロの変わり果てた姿に絶句しました。午後火葬して弔いました。

 

 ペットロスという言葉がありますが、自分がここまでなるのかというくらい悲しい気持ちが襲ってきます。つい先日まで普通に部屋の中にいた猫が数日間あんなに苦しんでいなくなったことの衝撃は本当に大きいです。

妻にしてみれば、常日頃私が朝から夜9時過ぎまで家にいない毎日をどれだけマロに救われたことか。当然のことながらマロは妻には本当になついていました。


 実はマロが息をひきとる3週間前、またもやわが家の軒下に生後1ヶ月くらいの仔猫が居ついていて、さんざん迷ったあげくわが家に迎え入れたところでした。マロとじゃれあったりしていたのがつい先日です。仔猫の「ふく」はこれから一人ぼっちです。昨日からふくを見るとマロを思い出しては涙が出てきます。

 このブログをしたためている間も涙が出てきて困りました。マロの冥福を祈るしかありません。マロ本当にありがとう。


 9/13(金) ついに天井の電灯LEDに!



     明るくなったジムフロア

 ついにジムの電灯がLEDに変わりました。42本分の交換になりました。

 天井がLEDになってから2週間経ちましたので、もう慣れてきましたが、変わった瞬間、「なんじゃこれは 明る〜っ」と思わず唸りました。

練習に来た子どもたちが「まぶしい!と驚くほどです。

 

 前卓球場から移転して8年、電灯に関しては少なからず悩みがありました。前ジムと違って天井が高いのです。ここは10数年前に店舗として使っていた建物で、蛍光灯は当時のままでしたので、おおよそ60本ある蛍光灯の寿命もそれぞれで容赦なく切れていきました。そのたび新しい蛍光灯を買ってきては交換作業になります。交換はちょっとした恐怖を覚えながらの作業になります。卓球台の上に脚立を立て、蛍光灯に手が届くところまで登ってのへっぴり腰での作業です。すんなり外れない蛍光灯との格闘も少なくありません。作業はいつも1人でだれもいないときにしていたからなおさら怖さを感じていました。


 しかしついにその恐怖から解放されました。この安ど感は本人しかわからないと思います。ローンは残りますが・・・。


 これでフロアが明るくなって、子どもたちのプレーが激変するかも?です。


 8/27(火) おばさんいつもありがとう!



   届けられた新聞の大会記事

 ジムのすぐそばに「宝来軒」というラーメン屋さんがあります。そのラーメン屋さんのおばさんが、宇土クラブの子どもの大会結果が新聞に出たときは、必ずジムの郵便受けに結果が載った新聞を入れてくれます。今朝もそうでした。

 

 ご高齢とはいえ、隅から隅まで新聞に目を通すことにも驚かされますが、結果が出たときはどんな小さな記事であっても「ぬかりなく」見つけて届けてくれます。


 ラーメン屋さんには、日々駐車場等で多大なご迷惑をかけていて、心苦しいです。にもかかわらず子どもたちの活躍をいつも喜んでくれ、本当にありがたいです。

 「宝来軒」さんにはいつまでもおいしいラーメンを作り続けてほしいです。感謝!


 7/22(月) バンビが増えた!



バンビ(2年生以下)の子どもたち集結

 この2、3ヶ月クラブに入ってくる子どもが相次ぎました。中でもちびっこが一気に増えました。コロナ禍ではなかなかなかった現象です。

 現在バンビクラスは、2年生が5人、1年生が4人、年長の子どもが1人と総勢10人となりました。しかも来月(8月)早々には、1年生が2人、年長の子どもが1人増える予定で総勢13人になりそうです。人数を考えただけでも目が回りそうです。


 経験の浅い子どもがほとんどで、練習時間はちびっこの指導ならではのエネルギーを使います。予想がつかない動きをしますので「まるで宇宙人(どんな生き物かは知りませんが)じゃな!」と称しています。当然のことながら、こちらの思い通りにはなかなかならず、頑張りが必要です。助っ人が現れてほしい!と神様に祈る?日々です。


 ちびっこが増えること、もちろんこれはうれしい悲鳴です。常々小さい子どもに入ってほしいと願っていましたので、予想以上の多さではありますが、願ったり叶ったりの状況です。今後のクラブの発展を期待させてくれる貴重な人材には違いありません。クラブの希望の光となる存在です。子どもたちを預けていただいたことに感謝です。


 今後、そこそこ打てるようになるまで地道な戦いの日々が続くことになりますが、根気よく育てていかねばなりません。


 7/10(水) 猛暑日のサプライズ



   H君と記念撮影(ジムにて)

 先日の猛暑日、サプライズがありました。

 ジムに電話がかかってきて、「先生ご無沙汰しています。 Hです。今北九州空港にいて、これからそちらにお伺いしたいのですが」とのこと。H君は佐伯市で中学3年生の担任をしたときのクラスの子どもで、成人になってから何度となくわが家を訪ねてきて、2人でのみに行ったりもしていました。


 その彼が姿を見せなくなって27、8年、ぷっつり音信も途絶えました。なんとなく危なっかしいところがありましたので、ときおり家で、Hはどうしてるんかなあ?今何をしてるんかなあ?などと案じて話題にしたこともありました。

 そんな彼が今から会いに来ると連絡してきたときは心底びっくりしてしまいました。もう一生会うことはないかも知れないと正直思っていました。

 40分後にやってきた彼は、さすがにおっさんになっていましたが、やんちゃな感じは相変わらずでした。ちょうど「夢クラブ」という教室の最中でしたが、ホームページで確認していたのでしょう、教室のみなさんにとお土産を持ってきてくれたのには妙に感心してしまいました。


 彼は中津駅から自転車で駆けつけて来ましたが、「先生は教室があるから、僕は先に先生の家に自転車で行っときます。奧さんが家にいるんでしょ。道は何とかわかると思います」という。相変わらず無茶なやつです!

 家で昼を食べながら、その後のこと、家族のことなどを尋ねました。九州のK大学大学院を卒業後、カナダに行っていたことまでは知っていましたが、いろいろなことを経て、現在は20年前から関東のK大学の言語学の教授をされているということでした。昔の危なっかしい様子からはちょっと信じられませんでした。


 短い時間でしたが、わが家で楽しいひとときを過ごした後、再会を約束して彼とは別れました。が、あんな調子ですから、こちらが生きているうちに会えるかどうかわかりません。


 6/9(日) 今年も母校福大へ


 6月9日、今年も女子の福岡大学への訪問練習が実現しました。今年は高校生が1人加わったものの小中学生中心の子どもたちということで、本当に厚かましいとは思いつつ福大監督の長田さんにお願いして引き受けていただきました。

 力の差は歴然としていて、申し訳ないという気持ちから、せめて子どもたちには挑戦者の気持ちを忘れずにゲームに向かってほしいと話しました。

練習相手やゲームをたくさんしていただき子どもたちにとって充実した1日になりました。


 福大の訪問練習も3回目になり少し引率に余裕が出てきて、昼休みは懐かしい大学の構内を散策しました。かつて40数年前汗と涙?を流しながら、毎日通った練習場所、第二記念会堂の玄関前に立った時、当時のいろんな思い出がよみがえってきました。こんなに大きな建物だったかなと正直思いました。


 散策の途中で大阪にいる大学時代の卓球部同級生H君にメールをしたら、すぐさま折り返し電話がかかってきました。電話で大学の施設が大きく様変わりしていることを得意げな気持ちで伝えました。そろそろ同級会をしようかという話になりました。


 5/14(火) 出てきたバック



   ホテル前の長良川を望む

 昨年(2023年)、警視庁が扱った忘れ物件数は4,087,355件と昨日(13日)のニュースで流れていました。全く自慢にはなりませんが、この件数に私の落とし物がカウントされています。

昨年12月のこと。会社時代の同級会が岐阜で開催されたときのことです。


 行きの飛行機で名古屋空港を降りて、隣接している名鉄電車に乗り換え、到着した岐阜駅のホームで、旅行カバンからセカンドバックを取り出そうとしたら、あろうことにバックが見あたりません。入れたつもりが入れてなかったのでしょう。幸いにも財布だけは着ていたコートに入れていたのですが、セカンドバックの中にはカード類(マイナンバーカード、クレジットカード、キャッシュカード他)も入れていました。10数年前まではカード類を持ったことがなかった人間が持つとこうなるのか!近頃やたらに多い忘れ物

事象。あきれています。

 岐阜駅を出てすぐに名鉄の拾得物取扱所に連絡を取りましたが、それらしいものはないとのこと。これから10年振りにホテルで同級生に会うというのにさえんなあという思いがありましたが、こういうとき昔から楽観的なところがあり、出てこなければしょうがないという気持ちもありました。同級生たちが心配してカード類は紛失届を出したらと盛んに世話を焼いてくれました。


 翌日夕方、半ばあきらめの気持ちで今度は名古屋空港の拾得物取扱所に連絡を取ったところ、なんと!よく似たバックが届けられているとのこと。特徴からマイバックに間違いありません。しかしそれは空港近くの警察署に届けられているとのことで、次の日、帰りの飛行機に乗る前、時間のない中、走って警察署に出向き、ついに無事バックが舞い戻ってきました。


 そういえば、このバックは10数年前にも持ち主から災難に遭っています。

 職場の同僚と飲んだ次の日に、中津警察署から電話がかかってきて「朝歩いている人から届けられたので確認に来てください」とのこと(落としていることも知らなかったのです!)。警察署の担当の方は大学まで卓球をしていた面識のある方で、女性警察官のKさんでした。えらい恥をかきました。


 4/30(火) 奇遇。奇遇。


 先日、ついに車の高齢者講習の年齢となりまして自動車学校に赴きました。

 

 講習の時間待ちをしているときに奇遇としか思えないことがありました。3人グループで講習を受けましたが、そのうちのお一人が「おたくは卓球の宇土さんですか?」と聞いてきました。「中津工業高校の1年後輩になります。機械科でした」とのことでした。

 私が「高校時代は卓球部がなくて、会社に入ってがむしゃらにやったんですけどね。最初の1年は岡崎、その後は京都に4年間いました」と言うと、その方は「私も京都にいました」と返してきました。続けて「京都の宇治市にいたんですよ」というと「私も宇治市にいました!」「んっ!ユニチカという会社にいたんですよ」と言うと、なんとその人も「私もユニチカでした!」「エーッ!」と声をあげてしまいました。本当にビックリしました。


 そしてその方は、私が2年間所属した会社内の「ユニチカ技術学院」を受験しけたけど、ちょうどその時に大分の身内の者が亡くなったので会社をやめて郷里の中津に帰ったということでした。

 それにしても、なんとまあ不思議なことがあるもんだと思いました。世間は狭い!と本当に思いました。


 さて、その日はあいにくの天気で、実技講習で順番が回ってきたときは土砂降りの雨でした。傘をさして車に乗りましたが、乗る際にびしょ濡れの状態でした。自動車学校の教官の方が「こんなに雨が降る日に乗ったのは初めて」と言っていましたが、なんで俺の時にこうなんだと恨めしくなりました。

 なにはともあれ、無事に高齢者講習を終えました。


 4/18(木) 全国ホープス男女アベック出場へ


      優勝した女子Aチーム

準優勝の男子Aチーム

 先週の土曜日(4/13)に開催された全国ホープス大分県予選で女子が優勝、男子が2位となり男女そろって全国ホープスの出場権を獲得しました。男女アベック出場は4年連続となりました。


 大会前、女子は目標は1位通過。悪くても2位以内は何とか確保できるだろうと思っていました。ただ若いチーム何が起こるかわかりません。厳しい場面を乗り越えた試合もあり、団体戦の強さを今年も発揮してくれ、見事優勝を成し遂げました。


 一方男子は上位4チームが拮抗していて総合力から見て、代表になるのはちょっと厳しいと予測していました。

 ただ「団体戦は何が起こるかわからない」ということを長年やってきていつも感じていましたし、格上を倒すこともそうまれではないと思っています。男子の戦いはツキも味方しましたが、現有勢力からして最高の準優勝という結果になりました。

 保護者の応援もフロアから見て、すごく盛り上がっていて選手たちも力をもらって戦いました。戦力は去年の全国2位のチームから見ると確かに落ちますが、8月の大会まで必死にもがいて力をつけてほしいと願っています。


 今年は男女とも挑戦者という感じで挑みますが、どんな戦いを見せてくれるか本当に楽しみです。


 4/9(火) 今年も巣立ちました

就実中に進学した宮瀬杏さんと

 4月になってから8人の子どもたちがクラブから巣立ちました。

 毎日練習に来ていた子どもがこの時期いなくなるのは、毎年のように経験しているとはいえ寂しいものがあります。

 今年クラブを離れた子どもは中学生の卒業生が5人、小学生の卒業生が3人です。元気に頑張っていた子どもがいなくなると、練習場にぽっかり穴が空いたような感じになりました。何せ7年、8年と一緒に同じ屋根の下で毎日練習してきた子どもたちですので、そう簡単に気持ちよく「さよなら」というわけにはいきません。


 小学生卒業生の中には、県外に出て挑戦する子どもも2人います。男子の中野純大君と女子の宮瀬杏さんです。中野君が愛工大名電中に、宮瀬さんが岡山就実中にそれぞれ進学しました。宇土クラブ卒業生として、本当に頑張ってほしいです。


 この二人の子どもの活躍を期待するのはもちろんですが、今いる子どもたちを頑張って育てていかなければなりません。

 幸いにもクラブ2(チャレンジクラス)にはかなりの人数のの子どもが入ってきました。ゆくゆくは宇土クラブの中心となって活躍する子どもたちです。

 指導者として寂しい気持ちに浸ってはいられません。ここは切り替えて新しい気持ちで“新鮮力”に期待したいと思います。


 3/25(月) 6年生を送る会




     スピーチをする6年生


盛り上がった親子卓球大会

 先日6年生を送る会を保護者の方々にご協力いただいて開催しました。

 今年の卒業生はは6人。男子3人、女子3人。振り返ってみて本当によかったなと思うことは、6人全員が全国ホープス団体戦のメンバーとして活躍できたことです。


 6人ですので、監督の1人ひとりの思い出話もつい長くなってしまいます。ごめんなさいという心境ですが、長い間付き合いをしてきた子どもたちですので短くはできません。毎年のことながら子どもたちのスピーチはすばらしいです。ついほろっとなります。

 今年も替え歌(中日ドラゴンズ応援歌)をスクリーンに写して歌いました。


 ちょっと長くなりますが、今年の替え歌を紹介します。「燃えよ 宇土クラブ」です。



 今年はセレモニーの後は懇親会。そしてチームに分かれての地球リレー方式による“狂喜”の卓球大会。4年生以上と保護者で経験者は利き手と反対の手でプレーという条件付き。わがチームはみんなから頼りない監督のプレーに叱咤(罵声?)の嵐!


 かくして、各チーム狂喜の声が飛び交う騒々しい中でのチーム対抗戦は“無事“に終わり、感動的でそして大騒ぎの「6年生を送る会」は幕を閉じました。



 3/1(金) VICYAS 中村錦治郎さん来たる!




中村錦治郎さんと一緒に

 先日VICTUSの取締役をされている中村錦治郎さんが中津卓球ジムに来られました。

 講習会として来られたのではありませんが、せっかくの機会でもありましたので、子どもたちに少しでも話をしていただきたいとお願いしたところ、サーブの講習、ひいては子どもたち全員にゲームまでやっていただき、なんと2時間もの充実した講習会となりました。


 特にサーブについては、子どもたちが実際にゲームの中で中村さんのサーブのすごさを体験した後、回転量をあげる極意、打球後のわかりにくくするための動作等、子どもたち自身が実際ラケットを振って確認する体験を通して学習することができ、とても貴重な時間をつくっていただきました。

 若いときにオリンピックに出場されている中村さんとの交流は、子どもたちにとって一生の宝物になるに違いありません。

 

 指導する私も目からうろこが落ちました。歳をとっても追求することの大切さを改めて感じた次第です。まだまだ研究意欲のある自分に少しほっとしました。


 2/17(土) 金メダリスト水谷隼さん来たる!



    水谷隼さんと記念撮影

 2月12日、水谷隼さんの講演会が文化会館でありました。担当の中津市教育委員会と打ち合わせをしながらこの日を迎えました。

 講演前子どもたちは水谷さんとお会いし、記念撮影をしました。うれしそうでした。水谷さんのさわやかさが印象的でした。


 この日は約900人ものたくさんの方が水谷さんの話に聞き入っていました。

 講演では、幼いときから卓球を始めて東京オリンピックで金メダルを取るまでの過程を中心に話されました。小学生時代の卓球漬けの日々や中学時代のドイツ留学などのことを話してくれましたがその辺の苦労話をもう少し聞きたかったなと思います。


 第二幕は宇土クラブからも5人の子どもたちが緊張の面持ちでステージに上がり、質問や実際に水谷さんとラリーをしたりレシーブに挑戦したりと楽しませてくれました。子どもたちが水谷さんの話を聞いて今後に生かしてくれたらうれしいです。


 2/5(月) 2月4日


 2月4日は中野純一さんの命日でした。ちょうど1年前のこの日のことを昨年ブログに書きましたが、はやいものであれからもう1年たちました。

 月日が経ってもいろんな場面で相変わらず彼のことを思い出します。彼の存在の大きさを感じる日々は今も変わりません。

 前日、クラブの子どもの保護者でもあり、中野純一さんの中学校の後輩でもあるKさんが、今年もまたこの日に合わせて花を持ってきてくれました。早速ジムの玄関に飾りました。


 折しも2月4日のこの日、中野純一さんの中学時代の同級生で、卓球部の同僚であった日田市在住のMさんが、中野純一さんの実家にお参りをした後、奥さん、子どもさん2人と一緒にジムを訪ねてきてくれました。お子さんの成長ぶりを見て、Mさんご夫婦の結婚式からもうそんなに経つのかと思いました。

 訪ねてきたのは、お子さん2人(5年生、4年生)をチャレンジクラス(クラブ2)の土曜日の練習に通わせたいということでした。Mさんは仕事の関係で連れて来れないので、奥さんが日田市から1時間かけて連れてくるということです。

 Mさんには当時の卓球部の顧問として、決していい指導者ではなかったと思いますが、こうして頼りにしてくださるというのは本当にありがたいことです。期待に応えられるよう頑張らねばなりません。


 中野純一さんの命日にMさんが訪ねてきたことに不思議な縁を感じます。35年前の出会いがよみがえってきます。



 12/31(日) 今年最後の日



  今年も大掃除で締めくくりました

 12月30日、今年最後の練習日は恒例の年忘れトーナメント大会を盛大に開催しました。小中学生の他一般の方、そして明豊中の卒業生も加わり総勢26人で熱戦を繰り広げました。


 トーナメント大会のあとは、ジム大掃除。子どもたちの一生懸命動いて掃除をする姿は、心が洗われる感じがします。子どもたちも「床をみがけば心も光る」という感じでしょうか。


 振り返れば今年もいろんなドラマがありました。中でも小学生は、九州大会団体戦で男子優勝、女子2位と過去最高成績。そして全国ホープスで男子が一昨年、昨年に引き続き準優勝し、3年連続の全国準優勝を果たしました。また女子もベスト16という輝かしい成績を残してくれました。

 来年は中学生もかなりやってくれると期待です。


 毎年毎年メンバーが入れ替わる中で成績を残していくのはなかなかの難しさがありますが、来年もしっかり前を向いて日々頑張っていきたいと思います。


 来たる新しい年はどういう年になるのか。どんなドラマが待ち受けているのか、大変楽しみでもあります。心境は「メイクドラマ」といったところです。


 最後になりましたが、このブログを読んでくださった方、どうぞよいお年をお迎えください。また来年もなにとぞよろしくお願いいたします。


 12/25(月) 錬成大会無事終了



   錬成大会翌日の合同練習会

 12月23日に宇土クラブ杯錬成大会を開催しました。数日前からニュースでは「10年に1度の寒波」と報じられてヒヤヒヤしました。というのも昨年はこの時期にクラブ錬成大会を計画しましたが、前日の大雪に見舞われ開催を断念した経緯があります。無事開催できて本当によかったです。

 

 今回はダイハツアリーナが改修工事で使用できず、23台設置の体育館で開催したため個人戦のみ計画しましたが、遠くは大阪、広島、山口、長崎、佐賀などの遠隔地からも参加があり、195人のエントリーをいただきました。本当にありがたいことです。

 あいにくこの日はアスリートパスウエイ九州合宿が入っていたことから、参加を見合わせたチームも多くありましたが、中学生を中心にハイレベルの試合が多く見られました。


 大会の運営は、クラブの若い人たち10人が駆けつけてくださりスムーズな進行ができて本当に助かりました。

 試合の方は、あと一歩の内容の子どもが多く、練習をしっかりやりこむ必要性を痛感しました。


 翌日は錬成大会参加チームを中心にした合同練習会を開催しました。120人ものたくさんの参加者に恵まれて交流ができました。

 準備がなかなか大変でしたが、2日間を無事終えることができました。



11/28(火) 一気にバンビが増えました!



   バンビクラスの子どもたち


 ここ1、2ヶ月、クラブにちびっこの加入者が相次ぎました。現在2年生が4人、1年生が2人、年長の子どもが3人、年中の子どもが1人とバンビクラスが総勢10人となりました。10人のうち3人は遠方の子どもで、ジムに1時間以上かけて週最低1回は通ってきています。


 クラブに入って1年以上たっている子どもは3人。他の子どもは1ヶ月から数か月とホンのわずかの期間の経験のこどもが多くいます。

 ということで練習はかなりエネルギーを使います。予想がつかない動きをしますので「まるで宇宙人(どんな生き物かは知りませんが)じゃな!」と称しています。日が浅いので当然のことながら、こちらの思い通りにはなかなかならず、頑張りが必要です。


 しかし以前から小さい子どもに入ってほしいという願いを持っていましたので、願ったり叶ったりではあります。この子どもたちがこれから先のクラブに希望の光となる存在です。大変ながら元気をもらっています。

 

 そこそこ打てるようになるまで戦いの日々が続きますが、根気よく育てていかねばなりません。


11/8(水) 中野君カデット3位!



快進撃の中野純大 「卓球レポート」より

 11月3日から3日間、徳島で開催された全日本選手権カデットの部13歳以下男子シングルスで中野純大君が3位に入賞しました。


 今年は本大会に宇土クラブからシングルスに3人出場。全日本選手権にはホカバをはじめとして、当大会も毎年なかなか厳しい結果が続いている中、ましてや今回出場メンバーの2人は小学6年生。「勝負は何が起こるかわからないから」といって送り出したものの厳しい組合せを突破するのは容易なことではないなと思っていました。


 しかし本当に勝負は何が起こるかわからないといったことが起こりました。中野純大君があれよあれよという間に強敵を倒して準決勝まで進みました。コーチからその都度結果の報告を受けてビックリするやらうれしいやら。準決勝では優勝した立川君に力負けしましたが、なんと堂々の3位入賞です!

 もともと昨年東アジアホープスの日本代表になったりと力のある選手ですが、最近は多少勢いを欠く結果が続いて奮起を期待していたところでした。勢いに乗れば旋風を巻き起こす力はある選手です。


 宇土クラブの子どもは、毎年全国大会のたびにあと一歩のところで上位進出を阻まれ跳ね返されてきました。今回その殻を破っての結果に、「よくやってくれた!」という気持ちが正直あります。


 大会期間中、純大君が勝ち進んでいると報告を受けるたびに、「この快進撃の力はどこから湧いているのだろう」とつい考えてしまいました。もちろん本人の頑張りではありますが、亡き父、純一さんが見守ってくれているんだろうなと思ってしまいました。

 純大君 本当によくやった!3位入賞おめでとう!


10/30(月) 感謝!準V祝賀会



  県小学生指導者と準V祝賀会

 一昨日、今年8月の全国ホープス大会準優勝のお祝いとして県ホープス委員会のスタッフを中心にした小学生チームの指導者のみなさんが盛大に祝賀会を開いてくれました。

 しかも県下各地から遠路をわざわざ中津まで来ていただいての会でしたので、本当にありがたい気持ちでいっぱいでした。


 私はクラブを立ち上げてからここまで、県ホープス委員会の役員としての経験がないので、これまでこうして小学生クラブの関係者とじっくり語り合う機会がありませんでした。よく知った人たちではありますが、不思議と新鮮な気持ちでめっちゃ楽しく交流できました。


 ほとんどのチームが宇土クラブよりもずっと以前から活動しているチームでもあり、すばらしい実績をあげている方たちばかりです。この日はこれまでの苦労話、ハプニング、ひいてはとんでもない笑い話と今まで聞かされていない “秘話”が次々と飛び出したりしてなかなか濃い時間を過ごしました!

 現在の大分県小学生卓球界がここまで発展を遂げたのも「チームを何とかしたい」という情熱を持って練習に励んでこられた、こうした指導者のみなさんがいたからこそと改めて感じます。


 気がつくとあっという間に夜が更けていました。遅くまでお祝いをしてくださった県小学生卓球関係者に心から感謝したいと思います。


10/20(金) 蒲江に行ってきました!


 スタートラインから望むグランド風景

漁船が並ぶ蒲江港

食べかけで失礼!

 先日大分県最南端に位置する佐伯市蒲江町に行ってきました。妻の父親が眠るお寺を訪ね供養もかねてです。

教員になって2校目の学校が蒲江町の蒲江中学校(現 蒲江翔南学園)でした。また妻のふるさとでもありますので、以前はよく訪れていましたが、最近は足が遠のき7、8年ぶりの訪問になりました。


 思い出すのは、意に反して蒲江中学校に赴任した当時、多少ヤケになっていたことと、中津に”一刻も早く帰りたい”という思いもあって、校長室で校長から「卓球部をつくるか?」と言われた際、「いえ、つくりません。陸上部を持たせてください。」とぶっきらぼうな応対をしたことです。横着な自分を思い出すと恥ずかしいです。校長室でのやりとりがまるで昨日のことのように思い出されます。


“晴れて”陸上部の顧問となりましたが、その3年間は、前任校で卓球部を持った時と同様真剣に取り組みました。ただ体育が専門とは言え陸上競技の練習法は全くの素人です。専門書をあさり見様見真似の指導でした。毎日「短距離」「長距離」「投てき」「跳躍」とそれぞれの練習メニューを昼休み練習ノートに書くことも日課になっていました。


 さて、蒲江に着いてまず訪れたのは、陸上部の練習場所であった町民グランド。スタート位置に立ったら、当時の子どもたちの姿と一緒に懐かしい練習風景がよみがえってきました。40年前の光景です。

3年間で九州大会に数人出場するなどそれなりの成果はありましたが、時によって子どもたちに寄り添う指導ができず、厳しい試練もありました。そのことはその後の部活動の指導、現在のクラブの指導に生きていると思っています。


 蒲江に来た目的の一つが海鮮丼を食べることでした。昼食は「道の駅 かまえ」でおいしい刺身に天ぷらを乗せたここならではの一品を味わいました。心も体も満たされた後、務めが待っているジムへと帰路につきました。


 10/6(金) 橋本さんありがとうございました 



    在りし日を思い出します

 今回もまたジムスタートの時からお付き合いをさせていただいている人の話です。

 でも今日は悲しいお知らせになります。


 昨日宇土クラブに所属していた橋本宗俊さんの訃報が舞い込んできました。びっくりしました。と同時に「しまった!」と思いました。実は橋本さんがここ2、3:ヶ月、ジムにお見えにならなかったので、ちょっと気にもなっていて電話をするつもりでいました。そんな矢先、昨日の訃報が届きました。電話をしていたら言葉を交わせたかも知れなかったと思うと悔いが残り、本当に残念でなりません。


 橋本さんとは、9年前(2014年)ジムがスタートした年に、関東地方での勤めを退職しふるさと中津に帰ってこられ、「50数年ぶりに卓球をしたいと思って」とジムを訪ねてこられたのが最初の出会いです。当時74歳だったように記憶しています。

 高校時代は、中津北高校で卓球をされて、高校生ながら大分県代表で一般の全日本選手権に出場した実力者です。当時の写真を拡大してジムのカベにも張らせていただいていました。

 ジムに来られるようになってから、幾度となく全日本に出場した時のことやその頃の大分県の好敵手だった人との戦いの様子などをよく話してくれました。

 それからというもの、練習の時だけでなく、ゴルフに行ってきたからとゴルフの服装のまま訪ねて来られるなど何かにつけジムに立ち寄ってくださいました。

 またジムにはいろいろと気遣いをしてくださり、お客さん用にと扇風機を寄贈してくださったり、ジムが現在の場所に移転して再スタートをした時や娘の結婚の時にはお祝いのりっぱな胡蝶蘭をいただきジムの入り口に飾っていました。プライベートな面でもずいぶんお世話になりました。


 ここ数年は心臓を患い以前のようには練習できなくなっていましたが、そんな中でもマスターズの九州大会や全国大会の出場をめざしていて、娘が担当していた多球練習でのグループレッスンにも時折元気に参加されていました。


 そんな橋本さんでしたのでもっともっと長生きして、ジムを見守っていただきたかったです。今はご冥福をお祈りするしかありません。

 橋本さん 本当にお世話になりました。安らかにお眠りください。合掌。



 9/20(水) こよなく卓球を愛した人



      後藤里沙さん

 昨日またもや当クラブ出身の方からメールが届きました。先日の渋谷亜矢子さんに続き、先輩からの便り第二弾となりました。


 『先日部活を引退しました!監督に出会い卓球を始め、すばらしい環境で卓球を続けさせていただくことができて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。無事に就職も大阪で決まりました。また、大分に帰った際は、顔出させていただきたいと考えているのでその時は宜しく願い致します!』


 メールを送ってくれたのは後藤里沙さん。現在大阪成蹊大学の4年生。

 先日紹介した渋谷亜矢子さんと同じように、クラブ創設時宇土クラブを盛り上げてくれた一人です。


 当時の彼女のことをほんの一端ですが紹介します。

 後藤さんは地元の中学校入学と同時に卓球部に所属し、と同時に宇土クラブにも入り、切っても切れない卓球との縁がスタートしました。

 当時彼女のとことん卓球に打ち込む姿はさすがの私も驚きを隠せませんでした。中学時代、学校の部活をしながら小学生クラブのない日はほぼ欠かさずジムにきていましたが、毎週月曜日は、小学生クラブが9時に終わった後に練習を見てほしいと要請されて、お母さんが見守る中、1時間足らず相手をしていました。さすがにクラブが終わった後のレッスンは多少きつさがありましたが、あのやる気に何とか応えたいという思いが勝っていました。

 そんな彼女が一般開放日(当時は週3回設定)の練習に来るときは大変です。一般の人たちに交じってなかなか練習を終わろうとせず、ジムの主をよく困らせました。夜9時になっても終わりません。「りさ!もう終われ!」 この言葉を何度彼女にあびせた!?かわかりません。

 彼女がそれだけ卓球に打ち込めたのはお母さんのサポートが大きかったと思います。彼女のお母さんは、ジムに通うみなさんに自然体で気配りをされる方で、私もずいぶん助けていただきました。


 さて中学卒業後、長崎の強豪校を経て関西の大阪成蹊大学で卓球を続けた後藤里沙さんも来春はいよいよ卒業して社会人です。これからの人生、卓球に打ち込んだ日々がきっと心の財産となっていくことは間違いないと思います。今後もすばらしい幸せな人生を歩んでほしいと心から願っています。


 9/6(水) 初めての個人戦全国大会出場へ!



 大学で活躍する渋谷亜矢子さん

 先日うれしいメールが届きました。

 「5月の春の九州大会でベスト8、先日行われた秋の九州大会でもベスト8に入り、年間ランキング5位で全日学出場を決めることができました!やっと全国大会への切符をつかむことができて、とても嬉しいです!」

 メールを送ってくれたのは渋谷亜矢子さん。現在九州大学の2年生です。彼女が全国大会出場権を得て人一倍喜ぶわけは、ちょっとばかり説明がいります。


 亜矢子さんは9年前の小学生宇土クラブ発足時、小学5年生になる1ヶ月前に、初代クラブ員として入ってきました。全くの初心者としてスタートしましたので、6年生の時にようやく九州大会に出場できたというのが正直なところでした。

 そんな彼女は中学生になってからも10Km以上離れた自宅からクラブに毎日通い、持ち前のまじめさと工夫したプレーで見る見るうちに力をつけ、中津市や豊前市の大会で優勝するまでになりました。


 その後、もっともっと卓球が強くなりたい!勉強もしたい!と地元の高校には行かず、親元を離れて県外の私立高校を選び文字通り文武両道の3年間を送りました。

 そんな彼女が一つだけすっきりしないことがありました。

 それは小学生時代から高校卒業するまで一度も個人戦で全国大会に出場できていなかったことです。中学生のときも高校生のときも、あとほんの一歩のところで何度もそのチャンスを逃してきました。その間、クラブの後輩たち(彼女の妹も含めて)が全国大会に出場することが当たり前になる現実を目の当たりにして、当時の彼女の胸中はいかばかりだっただろうかと思います。


 そして今回のメールです。彼女が実力でつかんだ初めての全国大会出場権獲得の知らせ。相当な喜びがあるのは当然です。しかも学業の厳しい大学にいてです。宇土クラブ出身の彼女を誇りに感じています。一生懸命卓球に向き合う姿は後輩たちもぜひ学んでほしいと思っています。


 改めて最後に、亜矢子さん!全国大会個人戦「初出場」本当におめでとう!


 8/22(火) 全国ホープス大会 3度目の正直ならず!


 左から大内コーチ 中野 神原 丸岡

貴重なポイントを挙げたダブルス

大車輪の活躍中野

気迫あふれるプレーの神原

 全国ホープス、またしても準優勝という結果でした。3年連続の団体準優勝という結果もすごいと思いますが、「3年連続」となるとスポーツ界でもなかなか聞かない響きがあります。

 「3年連続準優勝」という結果に対しては、周囲の人は声掛けも難しそうで「おめでとうございます!」と言っていいか「残念でしたね」と言っていいかわかりませんが・・・。と第一声。それでも次にくる言葉は「それでもすごいと思います」とほとんどの方から祝福の言葉をいただきました。そうです。本当にすごいことだと思います。3年連続となると、狙っても狙える結果ではないと思います。


 期間中、今年こそ優勝をめざす!という思いはもちろんありました。とはいえ一戦一戦を振り返ると簡単なものではありませんでした。よくあそこをしのいだなという試合が1回だけではありません。そして1人だけの力ではどうにもならないというのを今大会でも思い知らされました。3人が持てる力をフルに発揮しての結果です。

 ですが・・・決勝は勝ちたかった!相手チームが昨年結成したチームであり、うちのように低学年のときから積み上げてきた子どもたちで編成したチームとは違う、しかも初出場のチーム。何とかしたかったというのが正直なところありました。


 しかしながら、小さな町で、周辺の学校の子どもたちが集まってのクラブであっても、日々一生懸命練習すれば全国のチームと渡り合うことができるということを子どもたちが証明してくれたこと、それは誇りに思います。

 ホープスメンバーだけでなく、ここまで一緒に頑張ってきたクラブの子どもたち、それを支えてくれたご家族のみなさん、その他常日頃応援してくださっている方々には心から感謝したいと思います。

 そして胸を張って言いたいと思います。

 おめでとう!3年連続準優勝!





 8/10(木) 明日から全国ホープス


全九州でクラブ最高順位の女子



 男子ホープス決勝は同門対決


全日本ホカバ参加者勢ぞろい

 6月末から1ヶ月半またもやホームページでトラブってしまいました。何やらサーバー側のホスト名が変更になったらしく、そのことを知らず(知っていてもうまくいかなかった可能性大)更新できなくなり、サーバー側、ホームページソフトの会社双方にサポートをお願いするも解決できず。たらいまわしにされながら結局解決できず、近くのパソコン修理屋に駆け込み、解決しました。

 毎度のことながら、ホームページでは痛い目にあいますが、そもそもホームページのからくりがわかってないということ、パソコンに関係することば(横文字)が理解できていないということがトラブルの要因になっています。お助けサポートからアドバイスをもらってもよく理解できません。ホームページもわからないまま開設したのでこんなことは当然起こり得る現象です。


 さてその1か月半の期間中に小学生の全九州選手権や全日本選手権(ホカバ)といった大事な試合がありました。九州小学生選手権は団体男子優勝、女子準優勝でした。女子の準優勝は本当に頑張った結果です。 個人戦の男子ホープスのワンツーフィニッシュもニヤリとしました。

 全日本ホカバはベスト32に3人進みましたが全員競り負け。厳しかったです。悔しかったです。


 そして明日からいよいよ全国ホープス。男子は一昨年、昨年と2年連続の準優勝。さて今年はどんなドラマが待っているか・・・。一方女子は??

 子どもたちの底力に期待したいです。


 6/23(金) 小学生九州大会は明後日から



 8年前の宮崎大会開会式の様子

 いよいよ明後日の6月24日から2日間、宮崎市で小学生九州大会が開催されます。

 宮崎での開催は、8年前クラブが発足して2年目の2015年に初めて宇土クラブが九州大会に出場した時の開催地です。宮崎県開催ということは、開催地が九州8県を一回りしたことになります。

 思えば8年前、大会当日朝4時に中津をスタートしてようやくの思いで会場に駆けつけました。

 初めての小学生九州大会は指導者1人ということもあり、かなり心細かった思いをしました。中学校の部活動で少しは大きな大会を経験していましたが、小学生の大会は気分的に別世界でした。周りの指導者はみんな輝いていて、少しはもっていた指導の自信と誇りはどこへやら。団体戦のなれないオーダー形式にも県予選のときから戸惑いがあり、今でもトラウマになっているほどです。

 この年の九州大会に出場したのは女子団体(県予選3位)と個人戦男女6人でした。

 もちろん決勝トーナメントには進めませんでしたが、予選リーグでは組合せに恵まれなんと接戦をの末2勝しました。ただしシードのチームには1セットも取れず。

 決勝トーナメントに進んでいるチームを見て、正直この中に入るのは容易でないと感じました。今後のことを考えたとき、「これならやれる!」という気持ちにはとてもなりませんでした。それだけチームが育つのは簡単でないという思いが発足後心にしみこんでいたと思います。2日目の個人戦も同様、ことごとく初戦で敗退しました。

 最初はこんなもんだと言い聞かせましたが・・・。

 宮崎大会直前の今、悪戦苦闘した当時の懐かしい思い出がつい先日のことのようによみがえってきます。当時の子どもたちのプレーも脳裏に焼きついています。われながら本当によく覚えているなあと思います。


 6/1(木) ユニチカ卓球部OB会に出席しました!



トレーニングコース「塔の島」から朝霧橋を
望む 中央は宇治川

 先日初夏の京都宇治市を訪ねました。ユニチカ卓球部OB会に出席するためです。

 この会に顔を出すのは実に14年ぶりです。高校時代卓球部がなかったものにとっては、後の卓球人生を築いてくれた貴重なクラブです。今の自分があるのもユニチカのおかげという思いが会社をやめてからもずっと心の中にあります。


 そんな若い時代の自分をはぐくんでくれた仲間に会える喜びというのは計り知れないものがあります。

 私が宇治工場卓球部に所属していたのは4年間だけでしたので、会で半数の方は初めてお会いする人たちでした。もちろん懐かしい人との交流は喜びですが、自分の知らない時代のずいぶん活躍された先輩たちと話ができたのは幸せなひと時でした。

 振り返れば、ユニチカ時代の1、2年間はなかなか部内の人に勝てない日々が続きましたが、練習好き、トレーニング好きの性分が少しずつ実を結んで変わりつつある自分を実感できたのも事実です。その後の進路を導いてくれたユニチカ卓球部へのご恩は死ぬまで忘れないと思います。


 OB会を終えて宇治市を散策しました。トレーニングのコースだった宇治川沿いの「塔の島」(平等院すぐそば)を訪ねました。「この道は自主トレでよく走ったなあ」と昔懐かしい若き時代の思い出がよみがえってきました。


 4/12(水) 神原君HNT代表入り



ねばり強く戦い代表入りした神原君



 4月5日から3日間北九州市総合体育館でHNT選手選考合宿が開催されました。クラブからホープス男子の神原君、中野君、ホープス女子の中野さんと3人の子どもが出場しました。

 会場が車で1時間程度の近距離ということで3日間3人を送り迎えして応援に駆け付けました。ベンチアドバイスはできないので、スタンドをせわしく動き回って3人の応援をしました。代表選考会だけに気合が入ります。その日の試合開始時間から終了時間まで手をたたきっぱなしで手が腫れそうでした。


 3人ともよく頑張りましたが、中でも神原君の好調さが目を引きました。厳しい試合の中、随所にすばらしいプレーを連発し、結果は15勝3敗。19人中2位となりみごと代表の座を勝ち取りました。今年もまたクラブから代表選手が出てうれしい限りです。

 中野君も試合結果は5位となり、届いたかな!と思いましたが、総合成績で惜しくも代表にはなりませんでした。女子の中野さんは5年生ながら上位選手に勝ったりして、今後に期待が持てる内容でした。


 3日間の厳しい戦いは指導者にとっても大きな刺激となりました。近くで開催されたことに感謝です。


 3/28(火) 6年生ありがとう!


   6年生への感謝ことば

誕生日に花をいただきました
 

 先日(3/21)小学生クラブ6年生を送る会を保護者のみなさんのご協力により開催しました。毎年のことながら楽しく感動的な会になりました。


 例年この会では、監督から小学生クラブを卒業する子どもの思い出話を中心にした話をしていますが、幼少から毎日のようにジムに通い、練習をしてきたその日々のことを振り返ると涙が出そうになります。卓球にひたすら費やした時間を振り返ると本当にすごいことだと思います。

 小学生時代の心身の成長は本当に早く、いつの間にこんなに成長したのか!と感慨深くなります。中学生になっても引き続き今後の成長を見られる立場にいることを本当にありがたく感じています。

 さて、6年生を送る会を終えてその2日後の3月23日に誕生日を迎えました。なんと古希といわれる歳になりました。歳をとるととそれぞれの年齢に応じた日本独自の呼び方がありますが、以前は自分には遠い先のこととして、呼び方には興味がなかったし、その時が来るのを考えたくもなかったのですが、ついにやってきました。


 ただ誕生日を迎えるのも悪くないなと思うことがありました。クラブの練習終わりに女子キャプテンの音頭で子どもたちが一斉に「ハビバースデイ」の歌を歌ってくれました。

 照れくさいですが、子どもたちに祝福されると年甲斐もなくうれしいです。


 誕生日の数日前には、30年前中学1年生のクラス担任をしたときの子どもで、卓球部に所属していたMさんが「ちょっと早いですが」と言って花をもってきてくれました。


 こうして何とか元気で過ごせているからこそのありがたい出来事の日々に感謝したいと思います。


 2/22(水) 松本零士さん逝く




 一昨日、漫画家の松本零士さん死去の報道がありました。

 改めて紹介するまでもありませんが、「銀河鉄道999」「宇宙戦艦ヤマト」といった宇宙や冒険をテーマとした数々のSF作品でよく知られた漫画家です。


 実はジム入り口には松本零士さんの色紙に描かれた絵が飾られています。

 9年前、私の知り合いで松本零士さんとお付き合いのある方が、松本零士さんからいただいたというこの絵をジムに持ってきてくださいました。

 女性の横顔を描いていますが、「銀河鉄道999」に登場する「メーテル」でしょうか。 


 この色紙の下には「時間は夢を裏切らない」とことばがしたためられています。子どもたちには絵を紹介し、「希望をもって練習を積めばきっと夢がかなう」といった話をこの絵とことばにあやかって何度か話したこともあります。

 松本零士さんにはお会いしたことはありませんが、北九州出身ということをうかがっていたこともあり、この絵とともに親しみを持ってご活躍を願っていました。


 一昨日、ニュースで亡くなったことを知り、大変残念な気持ちになりました。心からご冥福をお祈りいたします。


 2/3(日) あれから1年



 あれからちょうど1年たちました。

 昨日は2月4日、中野純一さんの命日でした。月日が経つのは本当に早い気がします。今でもひょっこりジムの入り口から「こんにちは」と言って入ってくるような思いに駆られることがあります。朝家からジムに行くとき、青い空を見上げると彼の顔が空に映し出されます。


 昨日、クラブの保護者の方が中野純一さんの命日ということでジムに花を持ってきてくれました。玄関に飾らせていただきました。

 午後の練習初めには、クラブの子どもたちと黙とうを捧げました。この1年、彼の存在がどれだけありがたかったかを感じる日々の連続でした。


 今一度、小中クラブ運営の中で、彼の思いを生かし大切にしていくことを心に刻みたいと思います。


 1/29(日) 窓が落ちた!



   落ちたのは一番左の窓

 先週は一週間雪に悩まされました。「10年に一度の大寒波」もようやく今日あたりは落ち着いた感じの天気が戻ってきました。


 先日の大雪の日に、とんだハプニングがありました。

 娘がグループレッスンをやっている最中に、ジムの外側の上の方の窓が内側の吊天井まで落ちたというのです。幸い床にまで落ちなかったのでケガもなく事なきを得たようです。

 娘の通報で雪の降る中を駆けつけジム外の窓を見ると、高さ1m、横幅50〜60pくらいの窓がきれいになくなっています。

 雪は降り続くし、気温は0度。このままでは中に雪が降りこんで吊天井に雪が積もり、その重さに耐えられなくて吊天井が落下する・・・・。なんて悲観にくれながらも「まあ、対策は明日でもいいか。こんなに寒いし」といつもの楽天的な性格が顔をのぞかせます。


 ところが前のラーメン店「宝来軒」の奥さんから「窓がなくなってますよ」と心配して電話がかかってきました。

 慌てて、知らせていただいたお礼を言いに行くと、奥さんやおばさんが、こんばんは大雪だしダメ元で近くのガラスやさんに相談してみたらとアドバイスをくれました。

 早速ガラス屋さんに電話をすると、すぐに 駆けつけてくれ雪の降る寒い中を梯にのぼり修理してくれました。窓が氷みたいに冷たいといいながらも作業をしてくれたガラス屋さんには、心底申し訳ない気持ちでした。

 作業後、お礼を伝えにラーメン屋さんへ。駐車場では毎日迷惑をおかけしているのに、いつも子どもたちの活動を温かく見守ってくれ応援してくれるラーメン屋さんの方々には毎度のことながら感謝の思いでいっぱいです。


12/27(火) 錬成大会無念の中止



   ジムの前はごらんの雪景色







 12月24日開催予定の錬成大会は、苦渋の決断の末、中止にしました。なんとも恨めしいホワイトクリスマスになりました。大会前日の降る雪を見ながらの決断でした。

今回は、前回の大会の200人を大幅に上回る316人もの参加申し込みがありました。


 この10日間、子どもたちの練習時間以外はジムの奥の部屋に閉じこもって大会の準備をしてきました。今回は競技内容を各カテゴリー別にしたこともあって組合せ作成にかなりてこずりました。また参加者が予想以上に多くなったことから試合方法を変えることをお知らせしたり、コロナ感染等で欠員が出たチームへの補充の呼びかけをしたりと参加30チームあまりの監督さんとのメールのやりとりも大変でした。

 この大会はクラブ保護者の運営でということで、大会に向けて保護会を2度持ち、作業分担の確認などの準備もしてきましたが・・・。

 結果的には努力が報われなかったので、つい恨み節を吐いてしまいますが、自然現象には勝てません

 かくして費やした時間、労力は水の泡(雪の泡?)と相成りました。

 次回の開催は自然現象に邪魔されないように祈りたいと思います。


12/24(土) どうか開催できますように

 今週土曜日(12/24)開催予定の第3回宇土クラブ錬成大会まであと3日となりました。

 今回の参加者は前回から大幅に増えて31クラブ316人の申し込みがありました。大阪や岡山からも駆けつけてくれます。本当にありがたいことです。


 今日ようやくプログラムの印刷が終わり何とか大会までの準備にめどが立ちました。

 ただ心配な状況もあります。

 コロナウイルス感染が全国的にまた増えてきて、昨日から不参加の連絡がちらほら入っています。佐賀県の離島から参加予定だったチームも23、24日は強風で船が動かないためにやむなく不参加という連絡も入ってきました。

 

 昨日まで団体戦欠員が出れば混成チームを編成して対応しようと調整をしてきましたが、今後は組合せもできていて、難しいです。

 今週金、土曜日の悪天候による不参加やコロナ感染拡大による不参加がこの数日で増えるのではないかと心配しています。状況次第では、大会中止も視野に入れての対応も考えていかなければなりません。

 神頼みをしながらの日々です。


11/30(水) がんばれ 純大!




    ノリノリプレーを期待! 
写真は全国ホープス大会より

 12月2日から3日間、北九州市総合体育館で開催される東アジアホープス卓球大会に宇土クラブから中野純大君が出場します。

 その大会に向けて、一昨日から同体育館で事前合宿が行われていますが、大会のスタッフとして弘恵コーチも参加しており、純大君のサポートもできるかと期待しています。


 小学生宇土クラブが発足して8年たちましたが、クラブの子どもが日本代表として国際大会に出場するのは初めてであり、クラブにとっても画期的なことだと喜んでいます。

 12月4日の土曜日にはクラブの子どもたち、保護者がこぞって応援に駆けつけます。純大君の売りであるノリノリのプレーで他国の選手にかかんに立ち向かってほしいと願っています。


 思い出すのは、今大会の代表権を争った今年1月の日本代表選考会の日、彼のお父さんが病院のベッドから懸命な声援を送っていたことです。天国から応援するお父さんの思いに応えようと力一杯プレーをする純大君が目に浮かんできます。


 がんばれ 純大!


11/11(金) 元気いっぱい夢クラブ



夢クラブのみなさん 元気いっぱい!

 ジム創設時、初心者教室からスタートした夢クラブは、活動を始めてから今年で8年を過ぎました。

 現在20人ほどの会員の方が、週1〜週2の教室を楽しんでいます。中には土、日を除いてほぼ毎日、それも午前午後と練習に明け暮れる方もいます。年齢は70歳を超えている方々が大半を占めているクラブですが元気いっぱいです。


 以前この教室を「ビックプレーあり、珍プレーあり」といったキャッチフレーズで紹介したことがありましたが、どうしてどうして珍プレーはほとんど見られずみなさん本当に上達しました。ちょっと寂しいです(笑)

 

 今日の教室は17人の方が集まりました。後半は久しぶりにダブルスをやりましだ。歳を感じさせない黄色い声?や笑い声にジムは包まれていました。


 年令を重ねてもこうして元気に卓球をされる姿を見て、実に感心してしまいます。

 果たして自分は!? とてもではないですがかなわないです。


10/25(火) 感謝の青汁


 先日の土曜日(10/22)に合同練習会をしました。厚かましくも県外のチームに呼びかけをさせてもらい、長崎、熊本、福岡といった遠方から4チーム山国町に来ていただき、合同練習会をさせていただきました。


 以前から交流している福岡の某チームも今回参加していただきました。そのチームの監督さんとは大学の先輩、後輩の関係になりますが、同じ大学出身だと知ったのはほんの4、5年前。その監督さんの奥さんと合同練習のことで電話のやり取りをする中で、「主人には合同練習会のとき宇土さんに青汁をもっていってもらいます。宇土さんにはずっと元気でいてもらいたいです」とありがたいことばをいただいて感激しました。青汁は以前にもいただいたことがありますが、今回に限らず、いろんな場でご夫婦の人に対する優しさが伝わってきます。


  合同練習会は、もちろん子どもたちがゲームを通じて成長してもらうことが目的ですが、他チームの指導者の方々と触れ合い指導者として勉強する機会が得られるのは、本当にありがたいです。


 毎日ありがたく青汁をいただき、元気に過ごして子どもたちの指導にあたりたいと思います。


10/2(日) 50年前のできごと



1971年世界選手権名古屋大会開会
式の様子

 先日来、盛んにマスコミから取り上げられているニュースに日中国交正常化50周年があります。

 このニュースは私にとってとても興味深いものとなっていて、、国交正常化になった年(1971年)に名古屋で開催された世界卓球選手権大会と重なります。

 当時高校を卒業してユニチカ岡崎に就職することが決まっていましたので、事前に世界選手権の入場券も手に入れていたのですが、予定の日に会場に行けなくなり観戦を断念した思い出があります。

 高校3年間、好きな卓球が思うようにできなかったストレスを発散するがごとく、大会期間中、世界選手権の新聞記事(中日新聞?)を片っ端からきり抜いて取っていました。(今でも我が家の倉庫に眠っています)

 日本男子が期待した活躍ができず、「どうした日本男子!」といった大きな見出しが悔しさとともに脳裏に焼き付いています。


 中国が久しぶり国際大会に復帰した大会でしたが、テレビを通じて日本選手が中国選手のプレースタイルにほんろうされ、力を出せなかったという印象があります。そんな中、スエーデンの18歳の若きベンクソン選手が男子シングルスで優勝したのはとても衝撃的で新鮮でした。

 この大会を契機に、卓球王国日本が一層中国卓球に苦しめられていくことになったような気がします。

 この世界選手権では、競技以外で明るい話題もありました。大会前、仲の悪かった米中が思わぬことから国同士の交流に発展したのです。いわゆる「ピンポン外交」という表現が当時のマスコミを賑わしました。

 卓球が取り持った縁ということが妙に心地よくて、後に会社内の学校の弁論大会でこのことを題材にして熱弁(?)をふるったことを思い出します。


 さて、その世界選手権が一昨日から中国の成都で始まりました。中国選手との対戦をとても楽しみにしています。がんばれニッポン!


 9/15(木) いまだに背の順!?



3年前(コロナ禍前) クラブの子どもの
運動会に駆けつけました

 運動会シーズン到来。

 先日「子どもたちの運動会はなんで身長の小さい順なのか」という疑問を投げかけたネットの投稿がふと目に留まりました。以前学校の保健体育の教員で体育大会を担当していた者として興味深く読みましたが、「いまだに小さい順」という風潮があるのかとちょっとびっくり。


 30年前のこと。勤めていた中学校で体育大会練習が始まる数日前、2年生のある女子生徒が友達を連れ添い私のところにやって来て、「先生、今年も行進は小さい順ですか?」とさえない表情で聞いてきたことがあります。その学校では、団対抗で学年関係なく身長順で並ぶ隊形が伝統的なものになっていましたので、2年生とはいえその子の身長からして、おそらく先頭の列で歩くことになるだろうと予想され、「いやだよな」と気遣ったことがあります。私自身小さいので並ぶときはいつも先頭に近かった記憶があります。国体の開会式に出ろうものなら、入場行進は「大きい順」のためほぼ最後尾。国体に出てくる選手は体格が良くて小さい者が少なかったのでなおさらです。本音を言えば行進には出たくなかった。そんな私にしても当時の風潮からして、背の順があたりまえの感覚があった。

 そんな風潮に一石を投じた女子生徒の物言いにずいぶん考えさせられ、生徒たちを入れた実行委員会に改革を提案し、さっそく練習初日から身長順にとらわれない体育大会にしたことを覚えています。


 よくよく考えてみると、学校のみならず、いろいろな体育的行事は国体のやり方にならって形や動きをつくっていることが当時は多かったように思います。それは全体主義的な「見栄え」にこだわったことが起因しているのかもしれません。特に体育教師にはそんな傾向があったようにも思えます。そこには個人の意志は存在していないかのようです。

 今学校の体育的行事がどんな形で行われているか、本当のところはわかりません。

 ただ近々火ぶたを切るであろう運動会シーズン。わがクラブに通う子どもたちが、肩身の狭い思いをせずに、心から楽しめる運動会であってほしいと願うばかりです。


 8/25(木) 全国ホープス2年連続準優勝!

   チームの3人と大内監督

大車輪の活躍をした中野君

神原(左)・長野君のダブルス

 全国ホープス大会はまたしても優勝の壁に阻まれました。しかし準優勝という成績は立派です。子どもたちは本当によくやったと思います。

 今年の男子は5年生中心のチームということで、多少厳しさも感じていました。一抹の不安は予選リーグで出て1敗してしまいました。3チームが同率となった中で、運よく2位で踏みとどまったのが今大会何よりの救いとなりました。

 決勝トーナメントは、エース中野君を中心にした試合展開が続きました。しかし中野君だけではうまくいきません。エースが落としたときにダブルスの長野・神原ペアがギリギリの試合を踏ん張り、そして神原君が最後を締めくくるという試合でしのぐとしう、まさに3人が力を合わせての準優勝です。決勝は試合の流れから「優勝」の2文字がちらつきましたが、羽佳倶楽部に押し切られました。


 実は私は大会当日駆けつける予定でしたが、体調が思わしくなく、空港で娘に連絡を取り東京行きを断念。そもそもスタンドからの応援でしたのでベンチワークには支障なしということでコーチ2人に託しました。というわけで自宅でのネット配信の観戦となりました。子どもたちには、連日夜電話で一人一人に檄を飛ばしました。3人は毎夜自分たちで作戦会議を開いていることを帯同した保護者から聞きました。仲がいい3人の結束が、試合ですばらしいパフォーマンスを見せてくれ、快進撃につながったと感じています。

 

 2年連続準優勝ですので、もちろん来年は優勝しかないと思っています。もうそろそろ神様が許してくれるかも?


 7/20(水) 母校を訪ねました



「総合体育館」 福岡大学HPより


大学生相手に頑張る3人

 先日の日曜日(7/17)、母校福岡大学に小学生男子ホープスメンバーを連れて練習に行きました。

 小学生が大学に練習をお願いするというのはとんでもない話です。しかも昨年は全日本大学対抗でベスト4に入ったチームでもあります。そんなチームに福岡大学OBというよしみを利用して、無理を承知で男子の監督さんにお願いし、実現しました。


 自慢にもなりませんが、40年前母校を卒業してから疎遠になり、全く敷地内に足を踏み入れたこともなかったので、大学の周辺の街並みもさることながら、大学の建物や施設の変わりようにただただ唖然としました。昔あったあの施設はどこに?とキョロキョロする始末でした。

まさに「浦島太郎」の心境そのものでした。(浦島太郎の気持ちがよくわかりました 笑)


 卓球部の練習場所は我々の時代に利用していた「第2記念会堂」という体育館ではなく、新設された「総合体育館」でした。いろいろな種目の練習場所がその大きな施設の中でそれぞれ分かれており、卓球場はその一つでしたが、空調が効いていてきれいで最高の環境でした。

 さて肝心の子どもたちの練習は、3人ともそんなに気後れすることもなく午前、午後の練習を頑張りました。大学生のボールの速さについていくのは大変でしたが、何とか食らいついていこうとする姿勢が見えて頼もしくもありました。


 今回の訪問練習は、大学の人たちにしてみれば「招かざる客」であったとは思いますが、丁寧にしかも練習では真剣な表情で相手をしていただきました。心から感謝したいと思います。


 7/14(木) ありがとう「卓球王国」さん



   「卓球王国」より掲載

当時のユニチカ岡崎チーム

 今月の卓球王国を読んでの話です。


 おなじみの伊藤条太氏の特別寄稿と題してのコラムが掲載されました。全日本マスターズで大活躍の船ケ山昌子さんの亡き夫の船ケ山陸男さんが遺した遺品をめぐっての話です。

 実は陸男さんとは高校卒業して1年間岡崎市のユニチカ岡崎卓球部で毎日のように一緒に練習した間柄で2級上の先輩です。また昌子さんとは宇治市のユニチカ宇治卓球部で共に練習した仲間でもあります。

 初めて全日本選手権の舞台に立ったのは京都府予選のミックスで昌子さんに助けられての出場でした。余談ですが、その全日本の2回戦で対戦したのが第一シードで世界でも活躍した伊藤繁雄・大関行江ペア。なんと1セット目を取ったもののあとはみなさんの想像にお任せします。。8年前伊藤さんがわがジムに来られた時にそのときのことを伝えたら「君たちだったか、俺たちに火をつけてくれたのは!」と一蹴されました。

 さてこのコラムで感激したのは、若き時代の5年間、お世話になった船ケ山さんご夫婦のことやユニチカ卓球部についての話題がふんだんに取り上げられているということでした。

 特に全日本実業団大会での会場前のユニチカ岡崎卓球部の集合写真は、写っているほとんどの方と何らかのかかわりがあった人たちばかりで写真を拝見して何とも言えぬ思いが込み上げてきました。この写真は私がユニチカ岡崎に入社する2年前のみなさんの姿です。

 高校3年生の時、ユニチカ岡崎という会社を選んで入社試験を受けたのも、卓球部があって全日本実業団に出ている会社というのが決め手になりました。


 ところが2年後、私が入社した時はすでにやめた方もいて、チームは全日本実業団大会に出るほどの勢いはありませんでした。もちろん私は戦力外でしたが(笑)。その後写真のような胸にユニチカの名前が入ったジャージを着せてもらうこともありませんでした。そんなことを経験した時代だったのでなおさらこの写真を見てはほろ苦くもあり、楽しくもあった思い出がよみがえってきます。


 今回、卓球に打ち込んだ若き時代にかかわった当時の方たちとの在りし日を思い起こさせてくれる、そんな話題を提供してくれた船ケ山昌子さん、そしてコラムニストの伊藤条太さんに深く感謝したいと思います。


 7/1(金) 男子団体九州大会初制覇



    団体戦優勝の表彰

 6月25日、26日に全九州小学生選手権が開催され、団体戦で男子が優勝しました。

 この大会は、一昨年、昨年とコロナ禍で中止になったので3年ぶりの大会となりました。

 中止となったこの2年は、メンバーから見て優勝できそうだっただけに、「今年こそはやってくれ〜!」という思いがありました。ようやく日の目を見た感じのする今回の優勝になりました。


 思えば九州大会に宇土クラブが初参加したのはクラブ創設2年目の7年前です。その時のことを昨日のことのようによく覚えています。小学生を引き連れての九州大会は初めてのことで、出場選手はもちろん監督自身が右も左もわからずという状況でしたから、な〜んか肩身が狭かった覚えがあります。強豪チームの監督さんの話の輪にも入れず。なれないオーダー用紙記入にもあってるかな?大丈夫かな?という感じでした。試合は予想どおり予選リーグ敗退。ベスト8に残っているチームを見て、あんな強いチームにわがクラブはなれるんだろうか?などと正直思ったものです。7年前のはじめて出場した時の心境からすれば、九州大会優勝は夢のまた夢でした。


 今回は、前回(3年前)男女とも3位という成績でしたので、優勝への欲はかなりのものがありました。監督だけかもしれませんが(笑)。「子どもたちよ、よくやってくれた!」という感じです。


 この7年間、徐々にではありますが、少しずつ結果を残せるようになってきました。特にここ数年は2人のコーチが加入し3人でやっていることが大きな力になってことは言うまでもありません。高齢になった監督だけではどうにもなりません。

 いよいよ7月は全日本ホカバ、8月には全国ホープスです。その大会に向けて弾みのつく今年の九州大会になったと感じています。


 6/18(土) 今度こそ



 3年前女子の準決勝戦を応援する男子
 

 6月25日から2日間にわたり全九州小学生選手権が開催されます。  実に3年ぶりの開催になります。大会まであと1週間。今度こそ無事に開催されることを願っています。

 一昨年、昨年とクラブの特に男子メンバーがかつてない充実ぶりでしたので過去2回のコロナによる中止は本当に残念でした。ようやく九州のタイトルが取れると確信していただけにです。とりわけ昨年の6年生は、九州大会はおろか県の小学生大会、さらに地元で予定されていた多くの大会がことごとく中止になり、力を発揮する場が失われて本当にかわいそうな1年になりました。

 だからこそ、今年の春小学生クラブを卒業した中学1年生にはバリバリ活躍してほしいという思いが強くあります。


 さて、目前に迫った全九州小学生選手権は、男女とも6年生が1人ずつという少なさで厳しい戦いになりそうですが、3年ぶりの舞台で、しかも北九州総合体育館というすばらしい会場で、力いっぱいのプレーをしてほしいと願っています。

 無観客の大会が続いていますが、この大会にかぎっては制限あるものの保護者も観戦できそうです。大会を楽しみたいと思います。


 5/29(日) 慌てました!



 宇土クラブ錬成大会熱戦の様子

 昨日(5/29)第2回「宇土クラブ錬成大会」をダイハツアリーナで開催しました。

 今回はダイハツアリーナが使えるとあって九州各県、山口県にも声をかけさせていただいた結果、24クラブ、男女団体戦合わせて55チーム(200人超)もの多くの参加がありました。

 昨年と違って大幅な参加者増と盛りだくさんの試合方法をとったことから、体育館の利用時間内に消化しきれない状況が生まれ、試合方法の変更を幾度となくお願いすることになり、参加者のみなさんに多大なご迷惑をおかけすることになってしまいました。

 それでも参加したチームの監督さんから、帰り際に大会開催の感謝の言葉をたくさんいただき、本当にありがたい気持ちでいっぱいでした。


 予期せぬ事態に慌てたものの何とか無事に終了できたのも、保護者のみなさんの献身的な協力があったことが大きいです。

 「終われるだろうか」という緊張した空気が漂う中、保護者の方と弘恵コーチの必死なる;試合進行をはじめとして、審判やいろいろな作業を積極的に買って出てくださった保護者の姿がありました。協力することの意義、大切さを改めて認識させられる大会になりました。


 今回の反省を踏まえ、今後はもっともっと参加者のみなさんに満足していただける大会にしたいという思いで大会を終えました。

肝心の子どもたちの試合の様子はなかなか見れずじまいで、大会とはいえなんか不思議な感覚が残りました。


 5/3(火) 大阪から来客



 「山笑う季節」から新緑の季節へ

 ゴールデンウイークスタートの日である4月29日から5月1日までの3日間、大阪の吉岡クラブが遠路はるばる練習に訪ねてくださいました。わがクラブコーチの2人が吉岡クラブの監督さんと大学時代の知人ということで今回の交流が実現しました。ジムでは手狭なため、練習場所を山国町三郷小学校に移しての合同練習です。


 吉岡クラブは子ども10人、大人3人の13人です。なんと昨夜大阪を出て陸路を車で走り、朝10時に駆けつけての合流です。すごいタフなチームです。

 1日目は吉岡クラブ、宇土クラブ2チームで合同練習をしました。2日目は県内外から2チーム新たに来ていただいての交流練習。そして3日目の5月1日は場所をクラブ本拠地に戻っての午前中の練習で締めくくりました。

 3日間のひとつひとつの充実した練習説明は不要かと思います。吉岡クラブのみなさんはジムで2泊しました。こうしたことを通じてつながっていったのかと思いますがが、休憩時間等の様子を見て、仲の良いチームだなと感心しました。


 山国での合同練習会は、わが家から山国まで40キロの道のりを2日間通いましたが、道中の耶馬渓路は若い時分からかれこれ20数年通った道です。懐かしい山々を見ながら、まさに「山笑う季節」から新緑の季節になろうとしている鮮やかな山の装いに思わず感動してしまいました。

 さて、明日はいよいよ勝負の日。全日本選手権ホカバ予選です。昨年の6年生がたくさん抜けて戦力ダウンは否めず、厳しい戦いになろうかと思いますが、きっとやってくれると信じて、期待して明日を迎えたいと思います。


 4/3(日) 15人が巣立った春



6年生を送る会で思いを語る卒業生

 春は別れの季節。今年もクラブの小中学生が巣立っていきました。

 小学生はクラブTクラブUを合わせてなんと13人の6年生が、そして中学生は2人と総勢15人の卒業です。今後は強豪校に進学する子ども、地元の中学、高校に進学する子どもとそれぞれですが、とりわけ長くクラブで頑張ってきた子どもがクラブを完全に離れていくのは何とも寂しいものです。


 クラブには連絡用として監督、コーチを含めたライングループがあります。今年巣立っていった子どもたち保護者全員の方からメールでこのグループの退会ごあいさつをいただきました。

 保護者の方たちとはいろんな懐かしい思い出があるだけに退会あいさつを目にするたびにやはり寂しい思いが募ります。大会で子どもたちが活躍した時には必ず保護者の喜ぶ顔が浮かんできました。親子一緒に頑張ってきた月日が昨日のことのようによみがえってきます。


 でもいつまでも名残惜しんでばかりいられません。これからの子どもたちがいます。前を向かなければなりません。

 願わくば巣立っていった子どもたちが新天地で活躍していただきたいと心から思います。


 最後に昨年と同じく、子どもたちの新天地での活躍を祈って好きな一句で締めくくりたいと思います。


        春風や闘志いだきて丘に立つ(高浜虚子)



 3/20(日) ウクライナ選手の活躍

 ロシアがウクライナに侵攻して3週間が過ぎました。連日ニュースを見るたびに涙が出ます。


 ロシア・ウクライナ戦争が激しさを増す中、3月24日から10日間にわたり北京パラリンピックが開催されました。

 パラリンピックに参加しているウクライナの選手たちの気持ちを思うと沈痛な気持ちになりましたが、きっと葛藤をしながらの大会参加になっただろうと想像します。そのウクライナの選手の活躍は連日マスコミに取り上げられていました。金メダル11個という過去最高の成績を残しましたが、これはたまたまの結果ではないと思います。選手は複雑な心境の中でも「自分たちが頑張ることがウクライナのためになる」という信念で戦ったことが好結果を生んだのではと感じています。


 皮肉なことに、スポーツの世界ではつらい思いを力に変えてすばらしい結果につなげることが多いように思います。「何か(だれか)のために戦う」ことは見えない力を引き出すことにつながっていると感じます。過去のスポーツの大会を見てきた中で、同じようなことを感じたことが何度もあります。


 こうした活躍は、だからと言って何かつらいことがなければならないといいたいのではもちろんありません。試合で戦うときに心の状態がプレーを変える力になるということを痛感した次第です。引用が戦争を強いられているウクライナの選手の活躍のことになったのは心苦しく思いますが、今回のウクライナの選手の戦いぶりを見て改めて感じています。


 パラリンピックでは、無謀なロシアの侵攻がウクライナ選手の心のばねとなって好結果につながったかもしれませんが、それはともかくとして一刻も早くこの理不尽な戦争が終わってほしいと願うばかりです。


 3/6((日) 残念!またもや中止!



こうやって親子レクができる日が早く来て
ほしいなあ 〜一昨年お別れレク〜

 先日ついに県小学生選手権大会か中止になりました。この大会だけは延期をしてでも何としてもやりたいという思いが県卓連にも感じられていたので、期待をしていましたが、コロナに勝てませんでした。中止は本当に残念でした。


 うちのクラブは6年生が7人と多く、この1年間コロナ感染防止の名のもとに小学生が出場できる大会がことごとく取りやめになったので、今回の中止は本当にかわいそうでなりません。小学生時代の集大成の大会ともいえるこの大会がなくなり、子どもたちのやり場のない思いは察するに余りあります。


 つらい1年になりましたが、救われたのは全日本ホカバ、そして全国ホープスが開催されたことです。特に全国ホープス大会は感染拡大が大きくなっている8月という時期で、大会も中止寸前だったようですが、直前で会場変更してまで開催に踏み切ったようです。京都卓球協会には今更ながら感謝したい気持ちです。あの大会がなかったら全国ホープス準優勝はなかったことを考えると、ゾッとします。


 1年間を振り返れば、今年もまた小学生にとって報われない年になりました。でも子どもたちに言いたい!きっと来年こそは以前と同じように頑張った成果を試す場が保証される1年になることを信じて、日々の練習に励んでほしいと。


 ただ気がかりなのは、子どもたちの心に、結局また大会がなくなるのでは、というあきらめの気持ちが出て、無力感につながりはしないかということです。

 来年度はリスクがそう大きくなければ、関係者の方々には、何とか大会が開催できる手立てを講じてほしいと願うばかりです。


 どうか子どもたちが無力感に陥るのでは、という心配が杞憂に終わりますように。


2/11(金) 中野純一さんありがとう



2人のわが子と一緒に(全国ホープス)

 先日私にとって、クラブにとってかけがえのない人、中野純一さんが天国に旅立ちました。41歳という若さでです。


 亡くなる2週間前、ジムの部屋で向かい合わせて話をした人です。亡くなったという現実をなかなか心情的に受け入れられずに数日が過ぎました。このブログに書くことをためらいましたが心の整理をするためにもつづることにしました。


 彼とは彼が小学3年生の時からの付き合いでした。私が教育委員会に勤めていた時分に卓球教室を開設した際、彼を教室生として迎えたのが出会いです。彼の目はその時からキラキラとしていました。それ以来30年という長い付き合いになりました。

 彼が山国中学に入学と同時に私も学校現場に復帰して、彼と引き続き卓球を通しての付き合いが始まりました。それから後の彼の残した輝かしい実績は言うまでもありません。大学を出てから教員として同じ母校で2年間職場を共にしたこともあります。努力することを生きがいにしているような人でした。

 時を経て、彼も3人の父親になりました。彼の子どもたちは現在3人とも宇土クラブで頑張っています。

 4年生の純大君は先日の東アジアホープス日本代表選手選考会に出場しました。その大会中、彼はあと何日生きられるかわからないという状況の中で、コーチから送られてくるセットごとの報告に、病院のベッドからグループトークで普段と変わりない熱いエールを送っていました。もしかしたら明日にもという状況にある身で・・・。信じられませんでした。そのエールが見事に届きました。純大君は粘り強い戦いで代表の座を射止めました。


 亡くなる2日前のことです。彼に会いに病院へ行きました。目をつむっていましたが、奥さまの「宇土先生が来たよ!」という呼びかけで目を開け、ニコッと笑い、ハグをしてくれと要求してきました。"ほんとかよ"と思いました。ハグをした後は彼のお父さんも入って3人で写真を撮ってくれと言います。彼はピースをして写真に収まりました。

 その時は、自分の命はまもなく途絶えるだろうということはもちろん感じていたと思いますが、そんな中でも笑顔で接する彼を見て、どれだけ心のエネルギーが備わっているのか、と思いました。そして立っている私を"お座りください"と手振りでさかんに勧めます。恐れ入ってしまいました。


 亡くなる寸前まで、小学3年生のときのキラキラした目のまま彼は生きてきたのだと思います。


 そんなエネルギッシュな彼も最後は病魔には勝てませんでした。

 かけがえのない人を失った後の奥さまや3人の子どもたちを思うと心が痛みます。かける言葉もみつかりません。

 ただ3人の子どもたちには、つらい中ですが、前を向き、背中で教えてくれたお父さんの生き様やお父さんが自分たちに託した思いをしっかりと心に受け止めて、力強く生きていってほしいと願うばかりです。


 最後に、中野純一さん、これまで本当にありがとうございました。なんでも全力で向かう姿は忘れることがありません。どうかクラブの行く末を空から見守ってください。ご冥福をお祈りいたします。



 1/13(木) うれしい男女アベック優勝!

優勝の中野純大君(左) 3位の神原
汰世君

優勝の江藤衣舞さん(左)2位の中野

凜子さん

 1月10日に東アジアホープス県予選がありました。

 県内で小学生のみの大会となると、およそ7ヶ月ぶりとなります。この7ヶ月間、他のチームの子どもとの力関係がどうなっているのか、試合前は不安と期待か入り混じります。この間の指導がどうだったのかを問われる瞬間でもあります。


 そんな緊張感をもろに感じながら臨んだ大会でしたが、終わってみると男女アベック優勝という願ってもない結果になりました。


 男子は4年生の中野純大君が期待を裏切らず素晴らしいプレーで優勝!

 心配だったのは女子でした。5年生の江藤さんはこれまで県内では優勝はありません。最近分が悪い他チームの選手との戦いがどうなるのか不安もありました。しかしそんな不安を忘れるほど見事に練習の成果を出しました。迷いのないプレーを積み重ね決勝リーグ3戦全勝でした。コーチの厳しい対策練習が実りました。3年生の中野さんも江藤さんに敗れた1敗のみでした。女子はワンツーフィニッシュです!今日の大会は本当にうれしい結果でした。

 1月28日からは日本代表目指しての全国選考会があります。代表を勝ち取ってほしいです。

 

 またこの4月からは新チームの戦いが始まります。幸先のいいスタートを切りました。

 12/11(土) 往復12時間走破!



出雲市手前より日本海を望む

 12月11日(土)・12日(日と2日間、男子6人が島根県出雲北稜高校へ訪問練習に行きました。遠いところでもあり実際には10日の夕方出かけて前泊したので、2泊3日の行程になりました。

 保護者とコーチ2人に引率をお願いし、翌日後を追って別ルートで現地に駆けつけました。


 実は娘婿である大内コーチの実家が島根県益田市にあり、ご両親にはコロナ禍で一度もお会いしたことがなかったことから、大内家へのご挨拶と北稜高校への訪問を兼ねて山陰の一人旅をしました。


 中津の自宅を出発したのは11日午前5時20分。日帰り強行軍のスタートです。大内家についたのは9時ちょうど。1時間でおいとまし、海沿いを一路出雲北稜高校へ。相変わらず道を間違えたりしたものの大きなロスはなく、とはいえ着いたのは午後1時半。昼食時間などを除くと実際に車を運転した時間は実に6時間半にもなりました。


 さて、北稜高校に着いて2時間ほど子どもたちの練習を拝見。宇土クラブの子どもたちは、午前中は北稜の中学生、高校生に練習相手をしていただき、午後はゲームをしていただきという本当にありがたい時間を過ごしました。北稜の中高生を見て感じることは、集中力の高さであり、しっかりと目指した目標に向けて練習しているという表情が見て取れ、意識の高さを感じました。きっといいチームづくりをされているんだろうなと思いました。


 2時間滞在ののち、午後3時半、後ろ髪をひかれる思いで出雲北稜高校を後にしました。当初日帰りには不安もあっていつでも泊まれる準備はしていましたが、いざ帰路に着くと泊まろうという気持ちは全く頭から消えていました。帰りは最短時間のコースで、かなり我ながら飛ばしたなと思うくらいいいスピードで帰りましたが、それでもついたのは午後9時40分でした。運転時間は正味5時間半なり。


 この日の運転時間は占めて12時間となりました。出雲北稜にはわずか2時間という滞在時間を考えるとなんとバランスの悪いことか。

 前日クラブの女子に「生きて帰れるかわからん」と冗談を言いましたが、無事帰りつくことができました。翌日日曜日のクラブ練習に何とか間に合うことができました。

 11/18(木) アスリートパスウエイ九州ブロック よく頑張った3人



   よく頑張った3人の出場者

 11月12日〜14日の3日間、沖縄県豊見城市でアスリートパスウエイ九州合宿が開催されました。宇土クラブより3人の子どもが県代表として参加しました。

 何とか中央合宿にコマを進めてという願いで送り出した選考会でしたが、3人とも本当によく頑張って結果を残しました。

 

  <結果>

 U-15女子 3位 山口彩実(中3)  5勝2敗

 U-10男子 1位 神原汰世(小4) 15勝0敗

 U-10女子 2位 中野凛子(小3) 12勝3敗


 U-15に出場した山口さんは、あと一歩及ばず中央合宿の代表権は逃しましたが、U-10の神原君、中野さんは3位以上となり中央合宿にコマを進めることができました。

 神原君は初戦を苦しんだものの、2戦目からはすべてストレート勝ちを収め全勝を飾りました。

 中野さんは3年生ながら、大健闘で中央合宿の代表権を勝ち取りました。


 今回の好成績は、子どもたちの日頃の努力が実ったのはもちろんですが、日常の練習が成果となって表れたと感じています。コロナ禍、大会がなかなか開催されない中で、練習成果を検証する場がなくて指導者も結果が出るかどうかの不安はあります。正直ほっとしています。また3人の活躍は、ほかの子どもたちに大きな刺激となったことは間違いありません。

10/25(月) 監督よりもありがたい?





 一昨日(10/23)の小中学生練習は、普段の練習では上級生と下級生の交流をする機会がほとんどないことから、限られた時間でしたが、上級生が下級生を指導する時間を設定しました。


 上級生とはいえ、日頃人にアドバイスすることはほとんど機会がないためにまごついている感じはありましたが、それでも丁寧に指導する場面をたくさん見ることができ、こういう時間をセットすることも大切だなと感じました。

 日々の練習では結果を残すことばかりにとらわれがちで、お互いのつながりをつくりにくい状況があります。クラブが伸びていくには、子どもたち同士が仲間意識をもって刺激し合うことが大切だと思います。


 この日は上級生のアドバイスに嬉しそうに聞き入るW君の姿もあました。ふだん監督の指導では見せない表情を見てちょっと反省させられた次第です。また指導する側になった4年生のJ君は「自分がするより10倍疲れました」と教えることの大変さも味わったようです。

 10/19(火) 女性警察官来訪



 先日ジムに中津警察署の女性警察官があいさつがてら訪ねてこられました。その女性警察官は、10年くらい前お世話になったKさんでした。

 Kさんとはお会いしたのが2回目ですし、先日のブログのようになかなか顔を覚えるのが苦手な性分ですので、先方から名前を言われてアッと思いました。とっさに苦い思い出がよみがえって「あの時の!」とつい口から出てしまいました。中津署にまた戻ってきたとのことでした。


 話は10年ほど前にさかのぼります。その日は職場の人たちとの飲み会でした。飲み会の帰りに同僚の車で送ってもらった際、家の近くで車から降りるときに、<ちょっと>酔っていたようでバッグを手にすることを忘れてしまいました。翌朝同僚に電話するも車の中にバッグはないとのこと。中の財布は(いつものように)そう心配するほど入ってなかったものの、失くなったら困るものもいくつか入っていました。途方に暮れていたら、中津警察署から電話があり、バッグの拾得物がありますとのこと。


 早速警察署に出向いて行くと、担当の女性警察官がいきなり「宇土さん、Kの娘です」と言うではありませんか!「えーっ」と恥ずかしさも手伝って驚きの声を上げてしまいました。お父さんのKさんは同級生でもあり、よく知った仲でもあります。目の前の女性警察官の方も顔は覚えていませんでしたが、お父さんからいろいろ伺っていましたので、卓球をしていたことは知っていました。そんな関係もあって情けないやら恥ずかしいやらですっかりしおれてしまいました。


 ところで行方知れずになっていたこのバッグ、いったいどうやって警察署にたどり着いたのか!?

 お尋ねしたところ、早朝わが家の近くの通りを毎朝散歩する2人の女性が拾って届けてくれたそうです。

 昔からバッグを忘れることが多かった常習犯ですが、これまで不思議と無事に戻って来てました。戻ってくるから悪いのでしょう。性懲りもなくといった忘れ癖はなかなか治るものではありません。


 女性警察官のKさん、「近いうち練習に来ます」と言って帰られました。

 10/1(金) 恨めしやマスク社会


今日10月1日、全国各地に出されていた緊急事態制限が一斉に解除になりました。かといってこの中津でこれまでと違う生活が待っているわけではありません。が、なんとなくうれしいです。県外で開催される大会にも参加できるかも?といったかすかな期待があります。


 それにしてもこのマスク社会、本当に困ったものです。

 今日コンビニに入ろうとしたら、中から親子らしき2人の女性が出てくるなり、娘さんと思われる女性から「先生!」と言われ、母親と思われる女性からも「先生 ご無沙汰しています」とのあいさつをうけました。果たしてどこのだれだろう?と思うもののマスクが思考を狭めてしまいます。一向に思い出せません。いろいろ会話をする中で何とかしようと思いましたが、思い出せません。娘さんらしき女性から「友達が何かの雑誌に先生のことが載ってたといってました。卓球頑張ってるんですね」と言われたところをみると、どうも山国中時代の生徒かも?と思いましたが、隣のお母さんらしき人も思い出しません。ご丁寧な別れのご挨拶をいただきました。おそらく長い間会ってなかった人との再会だったのでは、と思うと悔しくなってきて、家で山国中教員時代のアルバムを片っ端からめくりましたが駄目でした。このまま解明できずに過ぎていくのかと思うとつらいものがあります。


 こんなことは今回に限ったことではありません。コロナ禍になってからは、大会会場などでマスク姿の人から声をかけられ、すぐにはぴんと来なくて困ることのなんと多いことか。若い時から人の顔を覚えるのがあまり得意でなかった(特に女性は?)のに加えこのマスク社会です。

 早くマスクをしないで生活できる日常が戻ってきてほしいと願わずにいられません。


 9/17(金) 日本生命選手来たる!



 日本生命レッドエルフのみなさんと

 先週の金曜日(9/17)に思いがけないハッピーなことがありました。


 翌日にTリーグ杵築(大分県)大会を控えた日本生命レッドエルフのチームが、台風の関係で早く大分入りし、当ジムで練習することになりました。日本生命のマネージャーの方がうちのクラブのコーチの後輩に当たることからジムを使うことになったのかどうかはわかりませんが、Tリーグのチームがジムで練習するということは願ってもないありがたいことです。


 今回の試合は早田選手や長崎選手が他の大会や選考会で来れないために、エントリー選手はギリギリの4人のみでしたが、森さくら選手やオリンピック4位のユ・モンユ選手をはじめ麻生選手、中学生の篠原選手など実力者ぞろいでした。約3時間ハイレベルの練習を拝見し、本当に勉強になりました。岸田監督ともいろいろと話をさせていただき、感謝、感謝です。


 さて、翌日開催されたTリーグでは、日本生命レッドエルフは日本ペイントマレッツと対戦。中学生の篠原選手が高校生トップ選手の大藤選手にセットオールと食い下がる元気あふれるプレーは会場を沸かせ、感動する試合でした。

 結果は加藤美優選手がビクトリーマッチを制して日本ペイントマレッツの勝利でした。それにしてもビクトリーマッチの緊張した雰囲気の試合で、「固唾をのむ」ということばはこういう感じのときに使うんだろうなと思いながら見ていました。


 台風の影響もさほど大したことなく、充実した2日間が終わりました。

 9/12(日) う〜ん 思案中


  7年間積み重ねてきました

 今日(9/12)は1年に1度あるかないかの日曜日のジム休業日にしました。ジムはスタートして7年半になりますが、大会等休業する理由が何もなくて日曜日閉めたのは確か初めてだと記憶しています。大会があっても何とか開けていたのがこれまでのスタンスでした。ただ子どもたちのコロナ自粛練習があって、それに合わせて休みにしたのでまったく理由がないわけではありませんが・・・。


 というわけで、今日は日頃なかなかできないことをジムに来てやっています。(家でじっといることができない性分です)

 

 さて、ジムにはスタートした2014年(平成26年)からの団体戦の賞状を所せましと壁に貼っています。とは言っても2014年3月からの1年間の賞状は一般女子がゲットしたわずか1枚だけですが・・・。

 それでも、何から何まで貼りまくった(笑)ものですから貼る場所がなくなり、一昨年くらい前からの賞状が日の目を見ずに眠っている状態です。このままお蔵行きにするわけにはいかないので、古い賞状からファイルに収めてスペースを確保しようかと思っています。


 でも忍びないです。現高校生や中学3年生が小学生時代、卓球を始めて2年目くらいに小さな町の大会に出てやっとのこと賞状がもらえるようになった時代の賞状を壁からはがすのはかなり抵抗があります。しかもその時の団体戦メンバーの幼い時代の写真入りです。(すべての賞状写真入り)

 この時の子どもたちの頑張りがあったからこそクラブの発展があったのは間違いなく、歴史を残すのも意味があると思っています。まさにジムの歴史そのものでもあり、現在の小学生たちの励みにしてもらいたいという思いもあります。

 

 今日ジムに来て、とりあえずスタートして3年目くらいまでの賞状を壁からはがしましたが、何かすっきりしていません。どうしたものかといまだに思案中です。

 
 8/21(土) 全国ホープス男子準優勝!



      表彰式を終えて

 全国ホープス大会で男子Aチームが準優勝しました!

 ひそかに狙っていた全国制覇にはなりませんでしたが、クラブにとって上位入賞は快挙です。


 試合は予選リーグから苦しい戦いでしたが、3人がよくカバーし合ってしのいで決勝まで勝ち上がりました。特に2日目のTT彩たま戦は力のある相手にひるむことなくねばり強く戦い、逆転するシーンが多かったのは見事でした。決勝戦の新発田ジュニア(新潟)にはあと一歩及びませんでしたが本当によく頑張りました。


 こうした結果を残せたのも、大会期間中保護者の方々が労をいとわぬサポートを随所にしていただいたことが大きな力になったと感じています。


 また大会終了後には、思いがけない人に祝福の言葉をかけてもらったり、SNSでたくさんの方にお祝いメッセージをいただいたりと本当にありがたく、いろんな人に支えられていることを改めて感じました。


 そして忘れてはならないのは、好成績はもちろん男子Aチームの3人がこの日まで頑張ってきたからこそではありますが、これまでクラブの中で練習を共にしてきた中学生、小学生の仲間がいてこそであります。また7年前のクラブ発足時から練習相手等のサポートをしてくれた一般クラブ員の方たちの援助があって力をつけてきたことを絶対に忘れてはいけないと思います。そして何よりも支えてくれたご家族の方がいました。


 今回はあと一歩頂点には届きませんでした。神様が宿題を与えてくれたと思っています。「来年こそは」の思いで、また1年間あゆみ続けたいと思います。

 7/27(月) おめでとう金メダル!



 金メダルに輝いた水谷・伊藤ペア

 水谷隼・伊藤美誠ペア、日本卓球界悲願のオリンピック金メダル!

 昨日の混合ダブルスの決勝で世界最強の中国ペア許シン・劉詩ウエンを破った一戦はなんと表現していいかわからない大きな出来事でした。

 セットカウント0-2になったときは、さすがに中国には勝てんな。取れても1セットかなと思いました。おそらく多くの日本の卓球人がそんな結末を予想しながらテレビを見ていたのではないかと思います。


 これまでの日本卓球界の対中国戦の成績を振り返ると、昨日の金メダルはまさに奇跡に近い!とさえ思えるのです。

 1979年の世界選手権で小野誠治選手が中国の郭躍華選手に勝って優勝した時以来、オリンピックや世界選手権で中国に勝っての優勝は一つもないと記憶しています。自分が生きている間にオリンピックでタイトルを取ることは多分ないだろうと正直思っていました。


 ところが昨日の試合はそんな思いを覆す見事な勝ちっぷりで、あきらめていた自分が恥ずかしくなる程でした。特に水谷選手のプレーは機を逃さず思いっきり強打をしたり、不利な体勢でしのいだりと伊藤選手の良さにしっかりつなげていたと感じました。


 5年前、水谷選手がリオ五輪でシングルス銅メダルを取った時には、このブログで感謝の気持ちを書きました。

 今回の金メダルは感謝ぐらいでは足りません。今後の日本の卓球界にとてつもない大きなインパクトを与えたと思います。


 改めて水谷選手、伊藤選手 おめでとう!そしてありがとう!



 7/6(火) 大島康徳さん逝く



在りし日の大島康徳さん

「デイリースポーツ」より

 昨日プロ野球の元日ハム監督の大島康徳さんが亡くなったという報道がテレビでありました。家の中で「ええーっ」と大きな声を出すとほどショッキングな出来事でした。大島さんは大腸がんを患って最近特に調子が思わしくなかったようでしたので、何とか復活してほしいという思いを持って気にかけていました。かないませんでした。


 大島さんは母校中津工業高校の2級先輩です。大島さんの3年生の時にしか姿を目にしていませんが、強烈に印象に残っている人でもありました。

 体育祭ではリレーで健脚を披露し、堂々の体格で走る姿はカッコよかったことを覚えています。

 もちろん野球部でスラッガーでもありました。私は(卓球部がなくて)ブラスバンド部に所属していて、もっぱら野球部の応援に駆り出されていたので大島さんの球場での姿をよく見ていました。


 余談ですが、私の所属するブラスバンド部はわずか13〜14人の貧弱集団で、当時私はフルートをピロピロと吹いていました。演奏する曲は野球の応援に備えて、行進曲ばかりでした。高校卒業後、フルートを京都の新京極で買って今でも持っています。(眠っています)


 残念ながら、大島さんは私たちの応援の前では一度もホームランを打ったことがありませんでした。高校を卒業して中日ドラゴンズに入りましたが、監督のK先生自身が中日ドラゴンズに入るはずだったけど入らなかったとのうわさがあって、その関係で大島さんは中日に入ったのかなと当時思い込んでいたのを今思い出します。

 そんな大島さんとは一度も話をしたことがありませんでしたが、高校時代のブラスバンドでの応援の思い出と一緒に身近に感じていた先輩でした。


 大島さんのブログの「病気に負けたんじゃない 俺の寿命を生ききったということだ」という言葉になんとなく救われる思いがあります。

 ご冥福を心よりお祈りいたします。


 6/15(火) 悲願の男女アベック優勝!



   懸命に戦う女子チーム

 一昨日(6/13)開催された全国ホープス予選は念願のアベック優勝を果たしました。今年は2チーム枠で3チームが出場できることになり、うれしい限りです。


 全国ホープスはクラブで最も目標としている大会だけに、1年も前(?)から無事に予選通過して早く楽になりたいという気持ちでした。

 男子については、これまでの様子から見て予選通過は固いと思っていましが、問題は女子でした。上位3チームの力が伯仲していて、絶対のエースがいない女子は厳しい戦いは避けられないというチーム状況です。当日は男子のベンチに入っていても遠くでやっている女子の試合が気になりチラチラ見る始末でした。


 そんな落ち着かない監督をよそに、子どもたちは必死の形相で一丸となって戦いました。格上の相手にもひるまず、ことごとく接戦をものにするねばり強さでした。結局上位3チームの対戦を3対0、3対0と信じられないスコアで快勝しました。圧巻の勝利!というしかありません。この日に向けて強化練習をし、対策練習をしてきた成果が出たものと思います。


 ここ1、2年、男子の活躍が目立ち、女子は県のレベルの関係もあり、成績面でもこれまでになく厳しい状況で、つい愚痴が出るといった日々が続きました。

 でもこの日の女子は目標に向かう強い意志が感じられました。試合に向かう心の持ち方が大切であることを子どもたちに教えられた感じです。団体戦の面白さを味あわせてくれました。

 2ヶ月後の全国ホープスは、わがチームの男女が盛り上がって戦う姿が目に浮かんできます。


 6/5(土) ホカバ9人通過



  健闘した18人の子どもたち

 6月5日に全日本選手権ホカバ予選が開催されました。

 9人の子どもが予選通過しました。今年は各カテゴリー4人枠ということもありいつもより人数的には多くなりました。これで福岡県から出場する子どもを含めて10人が7月の全日本を目指すことになります。


 さて今回の大会を振り返ると男子は目標をほぼ達成。一方女子は厳しいホープスの予選ををどう戦うかが一番の難題でした。そんな中、今まで勝てなかった相手選手に逆転勝利を収めた子どももいたりして何とか踏みとどまり、女子ホープスで2人が出場権を獲得。逆にいけるかなと思ったカテゴリーで落とした子どももあり、思うようにいかない歯がゆさも感じました。

 なんやかやで一喜一憂の大会がコロナ禍何とか無事終わりました。


 来週はいよいよ全国ホープスの予選です。今年大分県は代表枠が男女2枠になりました。その恩恵にあずかりたいところですが、厳しい勝負からは逃れることはできません。神頼みも通用しません。しっかり準備をするしか道はありません。


 6/4(金) いよいよ明日



 一昨年の大会(バンビの部)より

 当初5月4日に予定されていた全日本ホカバ予選が二転三転してようやく明日土曜日(6/5)に仕切り直しです。また5月15日に予定されていた全国ホープス予選もしかり。6月13日に決戦の日を迎えます。


 ここ数日、大分県もコロナ感染状況が少しずつ落ち着いてきつつあり、この様子では明日予定通り開催されそうです。


 何せ子どもたちの多くは、約2ヶ月間大会や練習試合から遠ざかっています。そのことだけをとってみても緊張した試合になりそうですが、ましてや全日本予選となればなおさらです。

 指導者にとっても同じ心境です。2年ぶりの全国予選に夜も気持ちよく眠れません!(笑)

 どうか明日は無事に?終わりますようにと祈るような気持ちです。

 5/9(日)  あれからちょうど3年



今はこんな感じ?

 忘れもしないちょうど3年前の5月8日の朝、激しいめまいと嘔吐に襲われ、救急車で病院に運ばれてその後3日間入院しました。(2018年本ブログで紹介)

 ちょうど娘が中津に帰ってきて4日後のことでした。

 病気を発症して1年間は、時折めまいが出て嘔吐することもあり、このまま治らなかったらどうしようという不安がいつもつきまとっていました。

 2年目あたりからめまいは少しずつ遠のいていきましたが、めまいの”因子”みたいなものを頭に感じる日が多く、朝起きて「今日はどうなるだろう?」と祈るような日々が続きました。頭の重さ?痛さ?を感じながらの日々は少なからずつらいものがありました。


 しかし、この半年はそんな日々が嘘のように、”めまいの因子”に悩まされる日がほとんどなくなりました。日ごろジム近くの日用品店を利用することが多く、以前は店内で陳列棚を見るたびに頭痛を感じていて、店に入ると条件反射的に気が重たくなっていましたが、この半年はそういう日々が懐かしく思い出されるくらい、いつの間にか快調な頭?になってました。


 現在もジムの務めは、3年前と変わらず休みなしの朝8時過ぎから夜9時までの毎日ですが、こうしてめまいや頭痛から解消されたのは、2人の専属コーチのおかげで精神的には余裕が出てきていることが大きいのかもしれません。いや、きっとそうです!

 どうかこのまま順調な日々が続きますように・・・。


 4/22(木) 春の思い出

白魚はさびしやその黒き瞳は・・・


 うららかな春の季節になると毎年高校1年生の時の国語の授業を思い出します。


 いきなり文学少年?文学老人?になったようでむず痒い感じになりましたが、高校入学して間もなく、1年生の国語の教科書のスタートは有名な詩人が残した詩がずらずら〜と掲載されていました。

 毎年うららかな春の季節になると、その詩のくだりのほんの一部が、今なお思い出されて口をついて出てくるのです。


 「しらうおはさびしや そのくろきめはなんというなんというしおらしさぞよ・・・」(室生犀星?)とか

 「秋のよは はるかかなた にこいしばかりのかわらがあって・・・」(中原中也)などなど。 ※自信がないのでひらがなばかりになりました


 しかしながら高校3年間の国語の教科書の内容は、そこだけしか覚えていません。

 おそらく高校入学して日が浅く、まだまだ意欲が萎えてなかったのでしょう。それと国語のK先生が、ご本人曰く、「私のふるさとは山国」ということもあって先生に親しみを持ったことも影響していたのかもしれません。かなり年配のK先生でしたが、話し方がずいぶんのんびりしていて春の季節にピッタリ似合う話し方?をされていました。


 昔を思い起こしさせてくれるうららかな春も、いつしか4月の終わりが近く、季節はそろそろ初夏に移ろうとしています。

 そして、子どもたちはいよいよ本格的な勝負のシーズンに突入しようとしています。のんびりとした春の余韻にふけっている暇はなさそうです。


 4/13(火) クラブ卒業生に感謝



  2人の卒業を祝って記念撮影

 4月7日、新しい年度になってしまいましたが、遅まきながらクラブの中学生2人の卒業にともないお別れの会をしました。

 この日、クラブみんなで渋谷有里子さんと黒川春香さんの2人に卒業を祝い感謝の気持ちを伝えました。


 振り返れば7年前、クラブを創設してようやく1年になろうかという時期でした。2人は申し合わせたように小学3年生の終わりごろ1週間違いで小学生クラブに入会してきました。もう4年生になろうかという年齢ですので2人とも卓球との出会いは決して早くはありません。しかし人一倍練習してきたことで、2年後には一気に大分県の同年代のトップ選手になりました。

 初の全国ホープス出場にも導いてくれました。今のクラブがこうしてあるのも2人の存在が大きかったのは間違いありません。早く結果が欲しいという時期に、クラブの基礎を築いてくれた2人には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


 今後2人は地元の高校で勉強に励みながら卓球を続けますが、充実した高校生活になることを願ってやみません。


 3/23(火) 感動的なお別れ会



  5年生から6年生に記念品です

6年生と一緒に記念撮影

 一昨日(3/21)クラブ6,年生のお別れ会を開催しました。

 今年の小学生卒業生は人です。4人とも卓球を始めた時期が決して早くなく、3〜3年半という経験年数でしたが、最後の県選手権では素晴らしい成績で終える活躍ぶりでした。これは監督としては1、2年前は予想だにしなかった成績でした。


 さて、今年のお別れ会はコロナ感染対策のために会食や親子ダブルス大会はできませんでしたが、会では子どもたちの成長を収録したDVDを見たり6年生の心のこもったスピーチなどを聞いたりして感動の涙が出てきました。いいお別れ会になりました。


 今年は4人とも地元の中学校に進みます。というわけで4月からもジムに足を運ぶことになりそうです。

 4人の旅立ちを祝って好きな俳句を記します。ちょっと時期が過ぎた感はありますが、若い時ってこうだよなという思いで・・・。


       春風や闘志いだきて丘にたつ (高浜虚子)


 新天地での卒業生の活躍を心から祈りたいと思います。


 3/11(木) 10年前の思い出

  

4年前の山国近郊大会 保護者も一
緒になっての熱い戦いも今年は無観客
の大会で

 今日は3月11日、東日本大震災からちょうど10年。あの日のことは忘れることはありません。学校のテレビを他の職員と一緒に見ながら衝撃を受けたあの画面は脳裏に焼き付いたままです。


 ところで、明後日の3月13日は山国近郊大会が開催される日です。10年前、大震災が勃発した日はやはり山国近郊大会開催の2日前でした。当時大会の事務局をしていましたが、大変な事態になっている状況下で大会を開催していいものかどうか相当迷い、大会会長に相談したことを覚えています。結局実施に踏み切りました。10年前の大震災とこの大会が、今もセットになって思い出されます。


 さて、明後日のこの大会は普段と違った楽しみもあります。小学生宇土クラブにはアスリートをめざすコースであるクラブ1(17人)とどちらかと言えば初級コースとなるクラブ2(19人)があります。

 あまり試合経験がないクラブ2の子どもたちでもあり、しかも小学生のカテゴリー別の大会を経験することはほとんどない中で、毎年この大会で生き生きとプレーする姿は十分な練習環境を整えてやれない監督としては、ほんの少しですが報われる気持ちになります。


 大会はクラブ1の子どもが出場する中では、クラブ2の子どもたちが活躍するのはなかなか厳しいものがありますが、食い下がって頑張ってほしいと願わずにはいられません。

 2/27(土)  福岡県選手権に参戦!  



 会場の北九州総合体育館の様子

 2月27日(土)に北九州市立総合体育館で福岡選手権大会が開催されました。

 わがチームには、一昨年より北九州から毎日練習に通ってきているO君がいます。福岡県在住というわけで当然福岡の試合に出ることになります。この大会は全日本のホカバのシードも兼ねているということで、応援に駆けつけました。


 小学生から中学生までのそれぞれのカテゴリー別に開催された本大会ですが、福岡県の選手を見るいい機会になりました。福岡県は卓球人口もさることながら力のある選手が多く勉強になります。

 九州大会ではおそらくわがチームの子どもと対戦する選手もいます。気にならないと言えば嘘になります。


 さてO君、準々決勝では東アジアホープスの予選で負けた相手と対戦。今回は寄せつけず圧勝!しかし準決勝では得意のパターンに持ち込めず競り負けました。左対策等、課題が浮き彫りになった試合になりました。全日本予選を見据えて、監督ともどもまた頑張らねばなりません。

 1/23(土) 感動の優勝!



ねばり強く戦った小野娃未流さん

 一昨日(1/23)、無観客で開催された県小学生選手権大会は感動の大会となりました。


 女子の部の決勝は、昨年同様6年生カットマン小野娃未流(あみる)さんと安部七葉さん(速見クラブ)になりました。昨年はあまり勝負にならず小野さんが0-3で敗れています。ただ小野さんはこの1年間ずいぶん成長しており、この日も安定したプレーがみられていたので「いける!」という思いがありました。試合前、「今日のあみるなら大丈夫。家の人には優勝しました!というメールを送る準備ができている」と伝えました。


 試合は小野さんも本当にねばり強く、ミスの少ない戦いでしたが、相手の安部さんもカット打ちに安定感があり、まさに手に汗握る大接戦となりました。

 セットオールで迎えた5セット目、前半はリードしたものの中盤逆転され、苦しい展開になりましたが、今日の小野さんは本当にねばり強く、後半再び逆転。10-9とマッチポイントを迎え、安部さんの次のサーブでした。「オーバーミス!」と思ったらエンドラインをわずかにかすめておりジュースに。流れ的には厳しい状況でしたが、ここからも小野さんのねばり強さが発揮され、長いラリーをものにし13-11でついに死闘を繰り広げたゲームにけりがつきました。両手を突き上げて喜びました。


 小野さんは3年生の夏に卓球を始めて3年半、本当によく成長してきたと思います。おそらくこれまで県小学生選手権で優勝した子どもで、小野さんのような全日本(ホカバ)を経験していない子どもはいなかったのではないかと思います。

 日頃監督やコーチの厳しい言葉に涙することもたびたびありました。本当によく頑張った末の優勝でした。試合後小野さんのところに行き、コロナ禍の握手はタブーとは知りながら握手をせずにはいられませんでした。声が詰まり、涙が出てきました。小野さんに泣きべそを見られました。


 この日は男子の活躍が目立ちました。ベスト8に6人入りましたが、決勝は、これまた2年連続となる竹上遥斗君対横田君(うずまき卓球)の対戦となり横田君の勝利。竹上君のリベンジとはなりませんでした。今日の大会は、6年生には小学生大会として本年度最初で最後の大会でもありましたが、本当によく頑張る姿がありました。ご家族の方々に見てもらいたかったです。


 1/20(水) 全九州中学生大会中止!



 切り替えて中学生も元気に練習

 またもや楽しみにしていた大会が中止になりました。


 2月19日から開催予定だった全九州中学生選手権の中止連絡が一昨日入ってきました。今年はクラブから男子2人、女子1人の3人が参加することになっていました。選手の田原君、末永君といった男子の中学生出場はクラブ初でした。女子の山口さんは昨年の結果からおそらく第一シードとなり相当期待もしていたし、本人も優勝目指して練習してきていました。 報われない子どもたちを思うと本当にかわいそうになってきます。やるせない気持ちや悔しい気持ちがこみあげてきます。これまで同様、コロナ禍がもたらす大会中止への怒りに似た感情は、どこにもぶつけるところはなく、今回もまた「しょうがない」で済まさなければなりません。

 ただ救われる気持ちになったのは、中止が決まってからの自主練習日に中学生3人とも前を向いて練習している姿があったことでした。


 さて、そんな中今週土曜日(1/23)には大分県小学生選手権があります。5年生以下の子どもたちは、先日東アジアホープスの県予選大会を経験していますが、6年生にとってはこの大会が本年度県の小学生大会としては初めてで最後の大会となります。せめて小学生の大会だけでも、どうか無事に開催されますように!と祈る日々が続いています。


 12/25(金) メリークリスマス

 昨日(12/24)はクリスマス・イブでした。

 この日になると口ずさむ歌があります。もちろんクリスマスにちなんだ歌です。

 高校3年生時代、担任だった英語のN先生が12月の英語の時間にクリスマスの歌を英語で教えてくれました。その歌は「きよしこの夜」「ホワイトクリスマス」「ジングルベル」の3曲です。実は不思議なことに今でもこの3曲を英語で歌えます。(もちろんでたらめな発音と意味も正確にはわかってなくて歌っています)


 クリスマス・イブのこの日、練習前に子どもたちの前で「高校時代に覚えたクリスマスソング♪きよしこの夜♪ を歌います」と伝えて、それは”神聖な気持ちで”マジな顔して歌いました。ですがこちらの思いとは裏腹に、子どもたちはズッコケました!ふだんあまりこんな表情を見せない監督ですので、ギャップが大きくてついていけなかったのかなと思います。学校で担任をしていた時はよく子どもたちの前でいろんな歌を歌っていたのですが・・・。


 さて、この日は練習最後に子どもたちの前で弘惠コーチと大内コーチから「12月23日、2人は入籍しました」と報告がありました。予想された成り行きですので子どもたちもビックリすることはなかったと思いますが、みんなにやけていました。

 父親としては「ようやく落ち着いたか」といった感じで、ほっとしています。しかし正直なところ、娘の苗字が変わることの寂しさが少しあります。そのうち慣れると思いますがどうでしょうか?


 かくして普段とは少し違ったメリークリスマスの1日が無事終わりました。


 12/16(水) 個室卓球場完成!



ひたすらお客さんを待つ新設「ドリームル
ーム」

 「中津卓球ジム」は幅広い層に気軽に利用していただきたい」という思いでスタートした卓球場です。スタートして2,3年は小学生の以外の一般のクラブ員の方、飛込で利用の方とそれなりに割と利用者がいました。


 当初小学生は片手間で指導をというつもりでした。

 ところが醜い野心も手伝って、もっともっと小中学生に練習してほしいという思いが次第に湧いてきたのです。その対策として、週3回の規定練習以外の練習については1回は無料。しかしそれだけでは他の強いチームに対抗できないということから、一般開放だった金曜日の夜、土曜日の午後も強化練習にあて(てしまい)ました。今や水曜日の自主練習日もほとんどの子どもが練習し、内容も規定練習とあまり変わらない状態です。


 小中学生の練習を確保したことから、当然のことながら一般のクラブ員の方や飛込のお客さんの利用が次第に遠のいてきました。あそこの卓球場は子どもたちがいっぱいいて、ということなんだろうと思います。そして今年のこのコロナ禍が追い打ちをかけました。


 一応経営者ですので、少しはジムの経営も考えなければなりません。それならばと奥の部屋を広くして卓球室にすればレクリエーションで楽しむお客さんは来てくれるかも。そして個室をうたえばコロナ対策にもなるし。というわけで壁を広げる工事を敢行!「ドリームルーム」(別名「しごき部屋」)がこのほど完成!床も貼りなおしてバッチリ!


 先日地域の情報誌にも広告掲載を依頼しました。果たしてお客さんは来てくれるのか!?

 今のところお客さんの利用はありませんが、小学生の練習台が足りないことから、子どもたちの練習で威力を発揮しているといったところです。

 「捕らぬ狸の皮算用」ということばがチラチラ頭をよぎる日々です。



 11/16(月)  ありがたい指導に感謝!






 昨日(11/15)日曜日午後は日頃なかなか見えない宇土クラブ所属の一般の方々が集いました。

 練習は子どもたちの指導が大半でした。小中学生の練習パートナーをしていただいたり、3時間近く手取り足取りの熱心な指導をしていただいたりと、本当にありがたい午後の自主練習時間となりました。


 小学生は次の日曜日には県小学生選手権大会を控えています。この日の指導を受けてぱっと変わるものではありませんが、これから変わっていくきっかけをいただいたことは確かです。それは技術だけでなく、台に向かう姿勢にも影響するように思います。


 その県選手権大会、県内の小学生大会としては10ヶ月ぶりとなります。久しぶりの県内の子どもたちとの一戦で、どんな試合になるのかあまり予測はつきませんが、きっと頑張ることを信じて当日を待ちたいと思います。


 10/31(土) 朝ドラに感動


甲子園球場で「栄冠は君に輝く」を
歌うひさし 朝ドラ「エール」より

 毎朝ジムに向かう前に「朝ドラ」を見るのが日課になっています。別に朝ドラのファンではありませんが、今回の「エール」はモデルとなっている作曲家古関裕而の曲は好きな曲が多いこともあって、その曲が生まれた背景を知り興味深いです。


 そして今日は高校野球でおなじみの「栄冠は君に輝く」を幼馴染のひさしがついに甲子園のマウンドで歌ったシーンはちょっと涙が出ました。息子が高校時代毎日野球の練習に明け暮れていたその姿を思い出して重なったからでもありました。(その息子最後の甲子園予選は1ヶ月前腰を痛めて涙のベンチウオーマー)


 このドラマのクライマックスは、古関裕而が作曲した1964年の東京オリンピックの入場行進曲にまつわる話になるのかなあと勝手に想像しています。開会式の行進曲のメロディは今でも忘れることなく心に刻まれていて、テレビでの回想シーンでその行進曲がかかるとジーンとしてしまいます。

 前回の東京オリンピックは小学校6年生のときに開催されましたが、いろんな競技を興味深く見ました。今でもそれぞれの競技で活躍した選手を結構覚えているから不思議です。

 さて今後の朝ドラ「エール」のゆくえやいかに?


 10/28(水) いよいよ始まります



 日々の練習の成果が問われます

 依然コロナ禍ではありますが、感染対策をしつつ、各チームにわかに動き始めた感じです。わがクラブも例外ではなく、訪問練習を受けたり、出かけたりと次第にせわしくなってきました。


 そしてようやくです。ずいぶん遠ざかっていた小学生たちの大会がついにやってきます。来る11/1(日)全農杯北九州オープン、また11/22(日)には大分県小学生選手権が開催される予定です。中学生たちは大会の形を変えたりして2.3開催されましたが、小学生の大会は3月以降、これまですべて中止になっていました。待ちに待った大会開催です。


 昨年までのように通常通り小学生の大会が行われていても、指導者は大会のたびに不安と期待が入り混じります。不安の方が大きいことが多いです。それは「練習の成果が問われる」からです。

 ましてや今年のように8か月もの間県内、県外の小学生と対戦することがない状況ではなおさらです。

  「やるべきことはやってきた」という自負はあるものの、子どもたちそれぞれを見ると伸びてきた子どもがいる反面、伸び悩んでいる子どももいます。つい練習では指導者の焦りも手伝い「叱咤激励!」ならぬ「叱咤叱咤!」の日々になってしまいます。


 何はともあれ、決戦の舞台がいよいよ始まります。子どもたちの活躍を信じ、期待に胸を膨らませながらその日を心待ちにしたいと思います。



 9/29(火) 母天国にゆく



  昨年の誕生祝で孫の弘恵と

 先日母が96年間の生涯を閉じました。年齢からみると大往生ですが、もっもっと生き続けてほしかったとつくづく思います。

 昨年の夏は我が家に1ヶ月くらい滞在し、近くにいる子ども兄弟が集まって誕生祝をしました。まだまだしっかりしていて暇なときはパズルをして楽しんでいたほどです。そんな母も昨年10月31日、突然襲われた病魔には勝てませんでした。


 思えば私が会社勤めをしていた若い頃、頼りない息子が心配だったのでしょうか、母から2週間に一度くらい便りが届いていました。父も筆まめで、母に負けないくらい便りが届いていました。もっとも6人兄弟の5番目ですので、親にとってはそう心配はなかったとは思いますが、子どもたちみんなに便りを出すのは母のやさしさゆえでした。両親から届いた便りは日記帳に張り付けていきました。数年前、当時の日記帳から母の便りを取り出し3〜40枚束ねて実家の母に持っていって「これ読まんかい?」と言ったら苦笑いをしていました。


 カエルの子はカエルです。私が親になって、娘が中学から岡山市の学校に行きましたが、娘が苦しんでいた時期に、少しでも励みになればとの思いから、はがきで便りをかき続けたことがあります。小さな字でぎっしり書いたはがきを数年間100枚くらい出しました。内容は日常のたわいもない様子を知らせるものでした。娘がどんな思いでこの便りを読んでいたかは聞いたこともありませんが・・・。


 こうして母が他界した今、自分の人生をいつも後押ししてくれたことを改めて感じては感謝する日々です。

 ただひとつ心残りに思っていることは、中学から始めた卓球ですが、現役時代やっている姿を一度も見せられなかったことです。


 9/14(火) 愚直にコツコツと



指導者のアドバイスを真剣に聞く
小学生

 コロナ禍、大会がない中、ほとんどの子どもが自主練習日にもかかわらず、練習に来て頑張っています。ただどんな思いをもって練習しているかが大事で指導者として気になりながら観察しています。


 そんな中、愚直にコツコツと頑張る姿を見せる子どもたちがいます。指導者のアドバイスや時には叱責にもめげず(!?)「はい!」と言って素直に受け止め一生懸命、まさに愚直に取り組む姿があります。

 このような子どもには、何とか伸ばしてやりたいと思うのは、世のジュニア育成指導者なら誰しも抱く、ごく自然な心情ではないかと思います。


 先日の自主練習日のこと。台がふさがっていて練習できないAさんに「素振りをしなさい」と伝えると、30分もの間ほとんど変わらぬスイングで黙々と真剣に素振りを続けている姿がありました。低学年でしかも経験も浅いうちには長時間なかなかできるものではありませんが、素晴らしい心の力を持っていると感じました。


 身体的センスがある子どもは確かに早くから力を発揮しますが、最後に力をつけるのはどんな子どもかというと、やっぱりというか「コツコツと頑張れるこども」です。成長していくにはどんな心の持ち主であるかがとても大切だと思います。

 

 子どもたちには機会あるたびに「心があって初めて技術がいきてくる」という話をします。しかし、こと心を育む指導ほど難しいものはないとつくづく感じています。険しくて時間のかかる長い道のりを感じます。



 9/2(水) この6か月



  早くコロナが収まることを願いながら
練習に励む子どもたち

 コロナの影響をもろに受け始めたのは3月に入ってからでした。練習もままならない状況でした。


 あれから6か月間、大会という大会はほとんど中止。3月1日に山国町で開催予定だったマラソン大会に、小中学生20人余りこぞって参加して今シーズンに向けて弾みをつけるつもりでいました。そのもくろみは見事に打ち砕かれました。

 

 8月末まで参加を予定していた大会が一体どれくらい消えたんだろう?と思い、ざっと調べてみると、実に30回以上が中止になっています。この中には今年期待していた全国大会も2〜3あります。そして今後は・・・?ずっと先の大会ですら早々と中止を打ち出しているものもあります。


 この半年間、コロナ禍の中で子どもたちはどんな思いで練習してきたのだろうと思うことが度々ありました。モチベーションが上がりにくいということは容易に想像できますが、目指す大会がことごとくなくなることはどんな気持ちだろう?それが日々の練習にどんな形で響いているのだろう?本当のところつかめていません。でも子どもたちはそんな中でも頑張っていることは確かです。指導者も上がりにくいモチベーションに「へこたれんぞ」と鞭を入れながらやってますが正直大変です・・・。


 子どもたちの中で、とりわけ理不尽さを感じさせたのは中学3年生の子どもたちの境遇でした。中学時代の集大成の場としての3年生での大会がことごとく消えた上、心の支えとしてきた全中こそは!という思いも叶いませんでした。

 中学3年生が最後の仕上げができなかったことを、(むりやり)前向きにとらえれば「不完全燃焼で終わった分、それなら高校に行って思う存分・・・」となるかなと単純に思いました。しかしそうはなってないような気がします。それどころか将来に向けて持っていた熱い思いが、むしろしぼむ結果になっているのでは?と危惧しています。これは何も卓球に限ったことではないと思います。コロナの影響は単に大会ができなくなっただけのことではないように思えます。


 ここ数日を見ると、全国的にはコロナウイルス感染者が減少傾向にあります。どうか子どもたちの将来のためにも収まってくれますようにと祈る毎日です。


 8/18(火)  49年の歳月を経て!



こんな小説だったような?

 実に49年ぶりにOさんの声を聞きました。

 5/19付「奮闘記」で岡崎工場時代を話題にしましたが、懲りずにその第2弾!


 先日来岡崎市での寮生活を懐かしんでいたら、同じ部屋で1年間一緒だったOさんはその後どうしているのだろうという思いにかられ、無性に連絡を取りたくなりました。Oさんとは19歳で岡崎を離れてからは一度もお会いしていません。

 18歳の若き時代、寮生活をしていたある日、Oさんは愛読書にしていた山本周五郎の小説を手に「これ読んでみないか?」と私に勧めました。練習ばかりでろくに本を読むことがなかった私が、初めて読んだ山本周五郎のある小説を読んだことが、その後山本周五郎の本を片っ端から読むことになりました。

 そんな本を読むきっかけを与えてくれたのがOさんでした。

 最近になってそのOさんに何とか連絡を取りたい!何とかして手がかりを!と、思いついたのはネット検索。祈る気持ちで名前を検索すると何とOさんと同じ漢字名が出てきました。豊橋市在住。岡崎に近い! 心が躍りました。しかも住所と電話番号まで出てきてまさに用意してくれたプレゼントか、と思いました。

 そして後日、意を決し、一方的で不躾な便りを詫びつつはがきに思いを綴りました。自分の電話番号も書き添えました。

 すると2日後、夢クラブ教室中でした。ついにあのOさんから電話がかかってきました。ネット検索してたどりついた方は、あのOさんに間違いありませんでした。実に49年ぶりに聞くOさんの声でした。

 Oさんの話では、一度学生時代にこちらから手紙を出しているらしく「大学は無事卒業したのか?」と言われました。「宇土くんは練習ばかり行ってたな。部屋ではよくラーメンを食べていたな」と当時の思い出話をしてくれました。

 Oさんはその後病気をしたりして苦労もされているようですが、私の便りを本当に喜んでくれました。私にはOさんの若い時代の面影しかありませんが、連絡がつけばついたで、そのままの姿で胸にしまっておくのもいいかなと身勝手な思いもなくはありません。


 こうして昔お世話になった人を思い出しては、恩返しをしたいという思いが募るのは歳をとったせいでしょうか?


 8/9(日) 実に5ヶ月ぶりです!



14歳以下男子決勝
    末永君対田原君

 8月9日、子どもたちにとっては実に5ヶ月ぶりの大会となりました。


 9月開催予定だった県カデット大会がコロナの関係で中止になったことから、中津市のカデット大会も中止になりました。そこで子どもたちに何とか久しぶりの大会気分を味わってもらいたいということで、関係者の方々のご尽力により「カデット練習大会」という形で”生き残る”ことになりました。


 ただ無観客ということで、家族の方々は、久しぶりの大会の雰囲気やわが子の闘う様子を目にすることができません。

今回は予選会ではなくなったことで、できるだけ練習になるようにと大半の子どもたちは14歳以下の部に出場させることにしました。

 学校所属で出ている子どももいましたが、実質は同士討ちがほとんどです。普段やっている同じ仲間との勝負とはいえ、久しぶりの大会ということで同士討ちも白熱した見ごたえのある試合が多くて感動しました。


 終了後、子どもたちに話をする中で、「日頃の練習からこんな気持ちで試合をやればずいぶん変わる!」とつい口から出るほどでした。


 子どもたちが大会で頑張る姿を目にできるのは、指導者にとっても本当にうれしいものです。


 7/31(金) 渋谷さんありがとう!

 昨日(7/30)、先日の中体連行事を終えて一区切りついた渋谷有里子さん(3年生)がクラブのみんなにあいさつをしました。

 渋谷さんは小学3年生の終わりに卓球を始めて5年数か月になります。中学校で部活が思うようにできないことから、クラブの小学生と一緒に練習してきました。


 渋谷さんは、4年生の後半からカットマンに転向。センスも手伝ってメキメキ力をつけました。カットマンがクラブ内にいなかったことから、クラブにとっては貴重な存在となりました。練習は小学生相手がほとんどという毎日でしたが、まじめに練習に取り組んできたことから、昨年は全中九州地区予選では3位に入賞するなど存在感のある選手に成長しました。


 15キロ離れた自宅から親の車やバスを使っての毎日の練習は、さぞかし苦労も多かっただろうと思います。そんな姿は子どもたちにとっては、コツコツやることの大切さを背中で教えてくれた先輩でもあり、学ぶことが多かったに違いありません。

 心から感謝したいと思います。


 7/17(金) ようやくヒット!


 5月終わりにいつものごとくへまをやってしまい、ジムのホームページがアップされなくなれました。やむなくURLを変更をした関係で、ネットで「中津卓球ジム」を検索してもなかなかヒットしないという状況が続きました。

 いろんな方から「ホームページが見れなくなった」という声も聞き、焦りました。URLを変更するときのしかるべき対応策をとっていれば、事なきを得たのでしょうが、わからないことをいつも手探りで自分で解決しようとする(聞こえはいいですが単に面倒臭いだけです)ことがまたもや災いとなりました。


 「お助けサポート」を利用していろいろとあの手この手で”復活”を試みましたが、結局グーグルや、ヤフーの検索エンジン(なんかようわかりません)に引っかからないとダメとアドバイスを受けました。

 待つしかないとあきらめの境地にもなっていましたが、ようやくこのほどパソコンで検索すると出てくるようになりました。

 でもなぜかスマホでは新生「中津卓球ジム」はヒットしません。これも辛抱強く待つしかないと開き直っています。


 大会がほとんどない状態だったから救われたものの、慎重さを欠いた自分の行動にはつくづくあきれ返ることが多いです。


※(後日追記)スマホでは7/23時点でようやくヒットするようになりました。


 7/6(月) これ僕のです!



  11年ぶりのラケットを手にMさん


 不思議なことがありました。


 先日、山国中学校時代1年生のクラスの生徒でもあり卓球部の生徒でもあったMさんがひょっこりジムを尋ねてきました。

 Mさんは数か月前市内に美容室を立ち上げ忙しい日々を送っている人で、これまでも何度かジムに顔を出してくれています。


 Mさんと昔話をしていたときです。Mさんがお客さん貸し出し用のラケットを見ながら、突然「これ僕のラケットです!」と大きな声を上げました。そして「グリップのところにイニシャルが残っているはずです!」というのです。見ると確かにY・Mと消えかけた字が残っています。

 実はこのラケット、11年前に山国近郊大会に参加した際、大会会場に忘れて帰ったものだそうで、その後会場となった小学校に問い合わせてもわからないでそのままあきらめていたそうです。

 当時私が大会事務局を務めていた関係で忘れ物として勤務先の山国中学校に保管していたものでした。


 11年ぶりにマイラケットと奇跡の再会を果たしたMさんは、涙を流さんばかりに「先生の所にあるなんて、もううれしくてたまりません!」とたいそう感激した様子でした。こちらはずっと持ったままになっていたことに少しばかり罪意識を感じてしまいました。

 結局ラケットは、「近いうちにまた卓球できるように」とジムに置いていくことになりました。


 Mさんの中学時代、卓球も特訓しましたが、宿題忘れで”特訓”をすることもよくあり、この日はそんな話に花が咲きました。なかなか縁は切れんなとつくづく感じた日でした。


 6/8(月) 突然のビックなお客さん

 一昨日(7/7)、突然でしたがビックなお客さんがジムを訪れてくれました。

 わがクラブのHさんが英田選手とは大学の先輩、後輩になるとかで、ヨーロッパ(スウェーデン)で活躍している英田理志さんを”いきなり”連れてきてくださりちょっと慌てました。


 実は英田選手のお父さんは、私の大学時代同じ卓球部の3年先輩で、プレースタイルはやはり裏裏のカットマンでした。その絡みもあり、ご子息である理志さんとは1度だけフェイスブックで長々の文章を送って「交流」をしたことがあるというちょっとした間柄?なのです!

「遊びに来た」という英田選手にこのまま帰ってもらうわけにはいかず、クラブのエースであるHさん、Eさんと試合をしていただきプレーを拝見する機会を得ました。

 カットマンだけど攻撃はすごいということを雑誌等で知っていましたが、実際にプレーを目の当たりにして納得しました。


 大学時代、英田選手のお父さんに、日曜日の昼アパートに誘われてカレーをごちそうになった43年前のことが、”昨日のことのように”よみがえってきました。


 5/19(火)  つい思い出します



18歳の頃勤めたユニチカ岡崎工場(写
真はいつの時代かは?)

 当面の大会はなし。クラブの練習も思うようにできず。ということから時間を持て余す毎日です。歳のせいもあるでしょうが若き頃をつい回顧してしまいます。


 今朝はなぜか高校卒業して1年目、ユニチカという会社の寮生活をしていた時のことがふっとよみがえってきました。三交替勤務をしていた時分、朝出の時は、6時になると寮内に響き渡る中日ラジオ局の「朝の歳時記」で起こされていました。その時の番組を担当していた人はなんという人だったか?朝から思い出せそうで思い出せなくて、苦しみながら必死になって「あ」から順に”てがかり”を探りました。

 そしてついに断片的なヒントが。苗字が「カガクボ? カワクボ?」名前が確か「キヨシ」だったなと。


 こういうかゆいところにあと一歩で届かないときに活躍するのがスマホです。ついに突き止めました。ネットさまさまです。すでに他界されているようですが、「川久保潔」さんでした。おまけにユーチューブに当時の番組「朝の歳時記」がそのまま収録されているのです。朝寝ぼけまなこで否応なしに飛び込んできていたあの声を、懐かしいテーマ音楽とともに聞くことができました。しかもその時の「デンソー」のコマーシャル入りです。寝ていたベッドや同じ部屋の先輩たちまで思い出され、本当に懐かしくて涙が出てきそうでした。


 このブログを見ている方からすれば、「すもつくれん、そんなささいな思い出話を」と思われるかもしれません。当の本人もそのことを感じつつこうして綴っています。

 でもその番組の思い出と一緒によみがえってくるのは、その頃抱いていた熱き(?)思いです。「これから先このまま会社にいたらきっと後悔する。やりたいことに挑戦する人生を歩みたい」という漠然とした思いがいつも心の底にありました。その思いが当時のささいな出来事とセットになって思い出されるのです。


 4/22(水) エーッ、まだやってる!



6年ぶりです!「鶴瓶の家族に乾杯」

 新型コロナウイルス感染防止対策で小中学生クラブの練習が休止となり、明るいうちに帰る毎日になりました。この6年間早く帰ることがほとんどなかったことから、家で何をしていいかわかりません。退屈です。わりと読書好きでしたが、本を読もうという気持ちにもなりません。結局テレビを見るしかありません。


 先日6年ぶりに「鶴瓶の家族に乾杯」という番組を見ました。「エーッまだやってるんだ!」といった懐かしい気持ちと同時に、あっという間に過ぎた6年間の速さをしみじみ感じることとなりました。

 思えば毎夜ひたすら?子どもたちと向き合ってきた6年間でした。子どもたちもしかり。クラブに長くいる子どもは、ほとんどの夜をジムで過ごしてきた日々だったと思います。


 救われるのは、6年前と同じく「子どもたちを何とかしたい!」という気持ちはあまり変わってないということを実感できることです。

 懐かしいテレビはどうでもいいです。早くコロナウイルスの感染状況が落ち着いて、再び気持ちをぶつける日々を一刻も早く取り戻したいです。


 4/15(水) 無念!幻の全国大会



  またあの活躍を見たかった!
    (昨年度全国ホープスより

 先日日本卓球協会から今後の大会中止について発表されました。残念ながら、今年の小学生全国大会はコロナウイルス感染の影響によりなくなりました。


 今年は正直楽しみにしていました。神戸で開催されるホカバや昨年ベスト8の男子全国ホープス、そして女子の全国ホープス出場をかけた県予選の戦い等々。子どもたちの活躍を本当に楽しみにしていた年でした。

 中止を知り、はりつめていたものが一気にしぼんだ感じです。肝心の子どもたちは指導者以上にショックは大きいと思います。

 特に6年生は今年にかける思いは相当なものがありました。壁に貼ってある目標には「九州大会〇〇」や初の全国大会を目指した文言を見ると切ない気持ちになります。


 小学生だけではありません。中学生もです。全中の開催はどうなる?先日全中もなくなるかもしれないな、と子どもたちの前で話をしたとたん、Aさんの目から涙がポロポロ出てきました。頑張っているAさんだけに、気持ちが本当によくわかります。


 全国大会を目指して頑張ってきた小学6年生の子どもはもちろんですが、全中を目指して頑張ってきた中学3年生の子どもは、もし中止になればやり場のない悔しさやむなしさを味わうことになるだろうと思うと、いたたまれない気持ちです。

 もしそうなったとしたら・・・。勝手な願いになりますが、気持ちを切り替えて将来を見据えた目標を定め、また頑張ってほしいです。

 


 3/25(水) 「りり」卒業!

   卒業した渡邉莉々子さん

 「りり」こと渡邉莉々子さんがついに小学校を卒業しました。この日(3/24)卒業式を終えて、ご両親と一緒にジムにあいさつに来てくれました。

 今年宇土クラブの小学生で卒業式を迎えたのは渡邉莉々子さん1人。同級生がいないなか、キャプテンとしてきつい思いをしたことが多かったと思いますが、しっかり者で後輩たちをよく導いてくれました。本当に感謝しています。


 思えば小学1年生の終わりごろ、父親と一緒にジムを訪れたのが卓球生活の始まりでした。以後5年間本当によく頑張りました。3,4年生の頃は先輩たちや弟の活躍とはうらはらに、思うような結果が出せず苦しい時期もあったと思いますが、5年生の後半からはバックに磨きをかけて徐々に力をつけました。6年生では県のトップ選手にのし上がり全国ホープス選抜のメンバーの座を射止めるほど成長しました。


 今後は大きな目標を抱いて名門校の明豊中学校に進学します。宇土クラブ出身として頑張ってほしいです。

 最後に「6年生お別れ会」で披露した替え歌を記してエールを送ります。


  「中日ドラゴンズ」の応援歌の替え歌です。歌ってみてください。

1 卓球ジムにこだまする

  純大の雄たけび耳にして

  日夜練習に励んでる

  小学生クラブの心意気

  いいぞがんばれ宇土クラブ

  燃えよ宇土クラブ

2 一番キャプテン莉々子さん

  快速バックを武器にして

  苦しい時代を乗り越えて

   県内トップに躍り出た

  いいぞがんばれ宇土クラブ

  燃えよ宇土クラブ

  

   3番以降省略 

                  

 
 3/16(月) 早くまともな日常に!



川沿いには満開の菜の花が

 コロナウイルスの影響によるクラブの活動自粛が始まって2週間になります。最も大切な時期を迎えて学校の休校は本当に痛いです。

 クラブの練習が思うようにできなくなったことから少し時間ができました。半ばやけくそになって山国川添いの堤防に走りに行くことが多くなりました。しかし体が重たいです。こんなに走れなくなったのかとあきれるやら悲しいやらのジョギングが続いています。


そんなある日、苦しみながら走っているところへ「カントクーッ」と呼ぶ声。クラブのAさんです。そしてしつこくついてくるのです。苦しい表情をあまり見られたくなかったので、「引き返せ!」と”監督命令”を出すも効果なし。Aさんずっとついてきました。しかし最後はまるで足取りが違います。涼しい顔して一気においていかれました。

Aさんも練習ができずランニングで体力づくりをしています。


 ジョギングはできなくてもいいので、正常な練習ができる日常に早く戻ってほしいものです。


 2/18(火) いっぱいのチョコ

 先日のバレンタインデーには、クラブの子どもたちや卒業生、保護者、教室生からたくさんのチョコをいただきました。毎年いただいていますが、こんなにたくさんのチョコをいただいたのは初めてです。若い大内コーチの加入によるものが大きいとは思いますが、もちろんその中には指導者への「期待料」も含まれているかも(笑)。チョコをいただいたからには頑張らねばなりません!?


 バレンタインデーがくると思い出すことがあります。会社勤めをしていた18歳の時、会社の卓球部の女子からチョコをもらったことがあります。この私でも、です。

 その時その女の子から「今日は何の日か知ってますか?」と聞いてきました。もちろんあの時代で、しかもうぶな私には知る由もありません。「知らん」と答えると「今日はバレンタインデーですよ」といわれました。『なんじゃそれ!?変なもんがあるなあ』と思ったことを”昨日のことのように”思い出します。


 1/24(金) がんばれ武漢!



当時中学生だった可愛らしい陳静さんと
(歓迎レセプションで)

 中国「武漢」で発生し、広がりが懸念されている新型肺炎の話題が連日ニュースになっています。「武漢」というと、これまで外国でただ1度だけプレーをしたことのある唯一の地であり、私にとっては懐かしくもあり、そしていい思い出の場所でもあります。その「武漢」が発症の地とあっていささか心中穏やかではありません。

 

 これは36年前の話です。

 当時大分市と武漢市が姉妹都市を結び、その記念行事として大分県の卓球、サッカー、バレーの選手が「スポーツの翼」と銘打って行われたこのイベントに参加しました。交流にはテレビ局が同行するといった力の入れようでした。当時の「武漢」はまだ開発途上といった感じで道行く人は人民服姿が多かったように思います。


 武漢市の体育館で行われた交流戦では、おそらくは動員で集められたであろう4千人の観客が、試合中選手に一斉に声援を送るのです。「中国頑張れ!日本頑張れ!」と。まるでボールの音がほとんど聞こえないくらい騒々しい中で試合をしました。そんな雰囲気の中ですので、大分県の選手は緊張感から日頃の力を出せない人が多かったように思います。中国の選手も必死です。私が最初に戦った選手が接戦をしたことで面白くなかったのか、「もう一度やってくれ」と依頼されてやった再戦は、残念ながらうまくいきませんでした。


 連日のように行われた夜の歓迎レセプションでは、サッカー、バレーを差し置いて、卓球チームが毎回盛り上がる(昼の戦いはおとなしでしたが)ので同行したテレビ局がいつもこちらにカメラを向けていました。おかげで学校に帰ると、テレビを見たクラスの子どもから「先生いつも飲んでたね!」といわれる始末。


 その歓迎レセプションで女子中学生と一緒のテーブルになりました。「陳静(ちんせい)」さんです。将来の目標は?と聞くと「世界チャンピオンになることです!」というのです。私たちは何をあほなことを!という思いで聞いていました。

 ところがです。その5年後、ソウルオリンピックがあって、たまたまテレビをつけたら、なんとあの陳静さんが決勝戦に登場しています。そして見事チャンピオンになったのです。これには心底ビックリ。鳥肌が立ちました。


 長くなりました。36年前の「武漢」にまつわる話です。「武漢」よ、早く”沈静(ちんせい)化”してほしい!


 1/16(木) 最後の徳山オープン



      大会の様子

 先週の土、日(1/11・12)に開催された徳山オープンに参加しました。これだけあちこちと大会に出かけるようになると徳山オープンもへっちゃらという感じです(笑)


 1日目の団体戦では女子が踏ん張りました。決勝戦は主力を欠いたTCマルカワ戦でしたが、粘り強く戦い厳しい接戦をものにしての優勝でした。このメンバーでの優勝は初めてでうれしい瞬間でした。ここまで長かったなあという思いがしました。

 一方男子はA・Bチームともに3位でしたが、Bチームは一生懸命戦う姿を出しての3位でベンチに入っていても楽しかった。


 2日目の小学生個人戦はほぼ勝ったなと思うような試合を何試合か落としたりで、詰めの甘さが目立ちフラストレーションがたまりました。全体から見ればベスト4に3人、ベスト8に5人と健闘はしているもののあと一歩の物足りなさを感じる結果でした。


 そんな中、中学生の部出場の山口さんが大健闘です。準決勝で昨年度全日本ホープス優勝の吉田さん(玖珂中)を、決勝で山室さん(城山ひのくにジュニア)にそれぞれストレート勝ちして優勝したのは圧巻でした。カットマンには本当に強い!わがチームのカットマン選手のおかげかもです!


 大会翌日は祝日ということもあり、午後の自主練習時間にはいっぱいの子どもたちがジムに集まりました。気持ちの入った練習をしている姿を見て、今後に期待が膨らみました。

 大会の次の日にどんな思いをもって練習するかは、その子どものその後を占うような気がします。


 12/31(火) 今年1年に感謝!



     年末のクリスマス会 
体調が悪くて参加できない子どもが多く
残念でしたが楽しい会でした

 2019年もあと数時間で終わろうとしています。

 この1年を小中学生クラブとして振り返ると、過ぎてみれば、昨年と同じように毎日が闘いの日々だったなと感じています。力がついてきていることもあって年々大会参加が増えていますが、今年は例年以上に週末には大会や練習会に参加したり、訪問チームを迎えたり、という1年だったように思います。。


 1年前、2019年の新年を迎えたとき、とりわけ小学生のことを考えると、4月には力のある6年生が男女2人づつ卒業することから、厳しい1年になるなと覚悟をしたことを覚えています。

 しかしこのチームを何とかしたいという気持ちは監督、コーチともどもずっと持ち続けてきました。

 男子の全国ホープスでの好成績もそうですが、「大変な1年になるであろう女子」 が思いもよらぬ!?ふんばりがあったりして、ここにきて女子も男子に負けじと全員がじわりじわり力をつけてきたことを感じています。

 妥協をゆるさない弘恵コーチの指導、そして10月から専属コーチとして加入した大内コーチの魅力ある指導も大きな力となっています。


 来年は小中学生男女ともに例年以上に勝負の年になります。昨日の子どもたちのジムでの一生懸命な掃除風景を見てきっと来年も飛躍する年になると確信しました。


 今年は例年以上に勝負の年を監督、コーチともども健康で頑張りたいと思っています。

 今年1年、いろいろな面で温かいご援助をくださった保護者の方々をはじめ、練習相手やいろいろとサポートをしてくださった一般のクラブの皆さんには心から感謝したいと思います。ありがとうございました。


 12/12(木) 佳純か美宇か!?



  逃げ切るか!石川佳純選手

再逆転なるか!平野美宇選手

 どう考えても神のいたずらとしか言いようがない状況になっています。


 石川佳純選手と平野美宇選手のあと一枠の椅子をかけた五輪代表争いのことです。

 ついにここまでもつれ込んだか、と同じ卓球人として関心よりも重苦しい気持ちに今なっています。


 中国で開催されているITTFワールドツアー・グランドファイナルの今夜行われる1回戦(日本時間8時20分〜)の結果によっては代表が決まるかもしれないという局面を迎えています。マスコミにとっては願ってもない格好の話題として取り上げられています。興味半分で取り上げてほしくないと正直思ってしまうほど重苦しいです。


 石川選手が世界ランキング3位のリュウ詩ウエン選手と、そして平野選手が世界ランキング18位の王芸迪選手とそれぞれ対戦します。2人の中国選手はランキングの数字ほど差はないといわれています。

 石川選手、平野選手2人の東京で開かれるオリンピック出場への思いは我々の想像が追いつかないほどのものがあると思います。卓球人ならずともだれしもが「二人とも代表に!」と思う最終選考レース。


 今夜はテレビを見るのが怖いくらいです!


 121/5(木) 怒涛の11月終わる



大会を通じて成長していくこどもたち
    (久留米オープンより)

 怒涛の11月が終わりました。

 昨年もそうでしたが、今年も毎週土、日が大会、合同練習とめまぐるしい11月になりました。

 防府オープンをスタートに山口での全日本カデット、久留米オープン、熊本での合宿練習、そしてとどめは北九州オープン。とまあ振り返ってみると県外での行事ばかり。遠出ばかりで指導者側も大変でしたが、保護者も休日をほとんど大会などの応援にかけつける現実に、ため息も漏れたのではないかと思います。


 振り返ってみると、クラブ発足2、3年目あたりまでは土曜日、日曜日はジムでの練習が確かに多かったよな、と改めて思いだしています。大会参加が増えたのは、力がついてきたことから、指導者に欲が出て新天地の大会を切り開いていったからというのももちろんありますが、熱心な保護者から「こんな大会があるのでどうですか?」と勧められて増えたのもあり、結果的に膨れる一方になりました。

 残念ながら監督に精選する思いが足りず、あれもいい、これもいいという感じでここ数年ずってきたのがいけません。

 

 とはいいながら、子どもたちが力をつけていっていることを感じることが、指導者にとって何よりうれしいことでもあり、次の大会の意欲につながっていることは確かです。先日の北九州オープンでは特にそうでした。大会で子どもたちが成長していることを、本人はもちろんのことご家族の方と一緒に喜びあえることは、監督、コーチにしてみれば本当にうれしいことです。


 でも大会を見極めることなしに、調子に乗って何でもかんでもと暴走することにはくれぐれも気をつけなければなりません。


 11/20(水) ほろ苦い思い出


 先日Sさんが教員採用試験ことでジムに相談に来ました

 教員の就職の話になるとつい思い出すことがあります。またまた古い話で恐縮ですが。


 大学4年27歳のときのこと。採用試験に落ち、これからどうなるだろうと不安に駆られていた頃、大分県の卓球関係者であるKさんが救いの手を差しのべてくれました。


 大分県内のB高校の校長に「非常勤講師」として勤められるよう話をしてくれたのです。早速B高校に福岡から出向いていきました。

 B高校校長に「あなたには授業でなく、部活(卓球部)を見てほしい」と言われたときは「授業を」というもくろみがはずれ、一気にトーンダウン。「それならいいです」とお断りしました。ところがB高校の校長はこのまま私を手ぶらで帰すのは気の毒だと思ってかどうかはわかりませんが、大分市のある私立高校に掛け合ってみたらと言ってくださいました。私は紹介者であるB高校校長の名刺を持って電車でT高校に向かいました。当たって砕けろ!の心境でした。


 そんな思いでT高校の門を叩きました。玄関で対応してくれたT高校の職員に「校長先生にお会いしたいのですが」と伝えると、「今年は採用の予定がありませんのでどうぞお引き取りください」と玄関先で帰されました。意を決して来たのに「門前払い」とは! うなだれてT高校を後にしました。帰りの電車の中で、この歳になって仕事にありつけなかったらどうしよう!教員採用試験もあと2回しかチャンスがないし、と本当に不安な気持ちが募ってきました。


 そしてその1ヶ月後、またも救いの手が届きました。大分県のKさんがB高校の校長に再度掛け合ってくれたのです。これまでいた体育の非常勤講師の方の代わりに私を入れてくれることになりました。非常勤で月6,5000円の給料でしたが、朝一番に学校へ行き、夜はどの部活より遅くまで練習をしました。高校での1年間の勤めはその後の人生に貴重な体験になりました。

 

 就職の話題に触れるたびに、世話をしてくださったKさんへの感謝とともにほろ苦い思い出がよみがえってきます。なりふり構わず行動を起こした若い頃がよみがえってきます。


11/12(木) 全日本終わる

    出場した選手たち

黒川・渡邉ペア あと一歩


大内コーチに指導を受ける

 11月8日から山口市で開催された全日本選手権カデットの部にクラブから女子4人が出場しました。今年はダブルス2ペア(黒川・渡邉ペア、渋谷・山口ペア)、シングルスには3人(14歳以下−渋谷・黒川(緑中)13歳以下−山口(緑中)が出場しました。

 ダブルスの初戦は対戦相手が2ペアとも大阪のチームで、しかも2位になった貝塚中の篠原・上澤ペアと3位になったミキハウス竹山・山本ペアといきなりの強豪ペアとの対戦になりました。1ペアは接戦になりましたが。2ペアとも初戦敗退になりました。

 一方シングルスでは3人とも初戦の2回戦を突破。幸先のいいスタートを切りましたが、3回戦で渋谷さん、黒川さんが敗れ、ひとり勝ち残った山口さんも4回戦で敗退しました。

 以前は全日本カデットに出ることすらままならなかったことからみれば、今年の中学生を中心とした女子の活躍はすばらしいものがあります。しかし全日本で思うようには勝てない現実に直面すると、このままではいけない、何とかしたいという思いが募ってきます。


 全日本カデットの戦いを終えて帰ってきたコーチの2人が、翌日の練習で子どもたちに早速サーブの講習をしていました。その日の午後の自主練習では、ほぼ全員の子どもたちがなんとサーブの課題に黙々と取り組む姿がありました。


 子どもたちが教わったことを生かし、変わろうとする姿を見てうれしくなりました。指導者が研究心を持ち、子どもたちに新しい息吹を吹き込むためのしかけをすることの大切さを感じます。


 11/6(水)  防府オープンフレッシュ組頑張る!



 2部(4年生以下)優勝の男子


2部(4年生以下)優勝の女子

 11月3日、4日に開催された防府オープン小学生大会に参加しました。

 振り返ってみると月1回〜2回宿泊を伴う大会に出かけていることになります。宿泊しての大会はいろいろと大変な部分は付きまといますが、宿泊を伴う大会ならではの良さもあります。試合中は子どもたちのベンチ入りでなかなか保護者の方々とゆっくり話ができませんが、子どもたちや保護者の皆さんとの夕食時はいろんな話ができて、ぐっと距離が近くなれる気がします。今回はお父さん方の参加はそう多くはありませんでしたが、男同士で!いろんな話ができました。夕食後もホテルの部屋で延長戦?があったりします。

 

 さて、大会の方は、今年は男女両エースが不在の中での戦いを強いられました。男女合わせて5年生以上の出場は1人。あとは全員4年生以下というフレッシュぶり!です。

 そのフレッシュな子どもたちが躍動しました。全日本でそこそこ勝ち上がっている実績のある選手を破ったり互角に戦ったり。子どもたちの頑張りは、日頃の練習が嘘をついていないことを感じ、つい目頭が熱くなるシーンもありました。明日からの練習にまたファイトがわいてきます。


 ところで、夕食時にあるお父さんから「監督!昨年は財布をこの店に忘れましたね」と指摘されました。「そうだったかな?」とその時は遠い幻のことのような感じでしか思い出しませんでしたが、翌日会場でよみがえってきました。そういえば会場から警察にも連絡したよな、そして結局は夕食時にあの店に落としていたことがわかったよな、大会から帰りに受け取りにいったよな、とようやく思い出しました。年を取ると都合の悪いことは次々と脳がしまい込むようになっているようです。

 幸いにも今年は何もハプニングがなく無事に大会を終えることができました。



 10/9(水) ラグビー観戦



 ウエールズ-フィジーの熱い一戦


Iさんと思わぬ場所での再会

 日々ラグビーの話題て盛り上がる昨今ですが、先日、大分開催のウェールズ対フィジー戦のチケットが取れたというので、娘たちの運転手もかねて見に行きました。

 ラグビーは中学3年生時分、かなり興味を持っていて近くの高校にラグビー部があったらやりたいと思っていた競技の一つでした。(もう一つはボクシング!)小がらな体ですのでやらなくて正解でしたが、ああいう闘志を出して戦う泥臭い?スポーツは自分の性格にあっているのか、魅力を感じていました。


 さて、試合会場になった「ビッグアイ」のスタンドで、試合開始を待っていたら思わぬ出来事がありました。何と一昨年までわがクラブに所属していて、現在は大分市の中学2年生IさんとクラブのコーチをしていただいたIさんのお父さんが目の前に突然現れたのです。これにはビックリ!たまたまラグビーを見に来て、しかも3万人を越す観衆の中ですぐ近くの席にいたとは奇遇としか思えません。改めてIさんの席に行ってみると、お母さんがハチマキ姿で試合を楽しもうと気合いが入っていて、そのほほえましさにクスッと(楠っと??)笑えてきました。

 

 試合は予想どおり激しいぶつかり合いの連続で、海外から駆けつけたたくさんの両チームの応援団も次第にボルテージがあがり母国の歌を歌ったり踊ったりと野球などとはまた違う応援風景の面白さを感じました。

 結果は実力に勝るウェールズが接戦の末勝利。どちらが勝ってもよかったのですが、ケガを恐れずチームの一員として必死になって戦う姿は、競技は違えど試合にかける思いを強烈に感じることができ、指導者にとって大いなる刺激をもらいました。

 

 今やラグビーの合言葉のように扱われている「ワンフォアオール オールフォアワン(One for all, all for one)」(※言葉の発祥は小説「三銃士」だそう)ですが、メンバーのつながりの大切さを表した言葉であり、個人種目とはいえ、クラブの日常の練習の中に取り入れたい精神でもあります。

 

 さて、このあとの日本チームの運命やいかに!?


 9/27(土) 運動会めぐり


   Iさん見事な走り(先頭)

J君と一緒に踊りました

楽しそうにエイサーを踊るRさん

リレーで突っ走るAさん

 一昨日(9/28)はクラブの子どもたちの運動会めぐりに奔走!?

 クラブ練習日でしたが、この日はあちこちで運動会やアスリートパスウエイの九州合宿やらで参加者わずか5人。運動会の子どもたちの姿を見たくて、5人には「しっかり練習しておくように」と言い渡し(!)、この時とばかりにジムを脱出!娘の自転車でまずはT小学校へ。わずか2Kmの距離とは言え、向かい風と体力の衰えから「こんなに゜自転車は大変だったかな?」と思ってしまいました。高校時代英彦山に自転車で行った健脚(笑)はいずこへ?


 さて、T小学校のお目当てだった5年生ランニングは結局間に合わず。3年生のIさんが出場する選抜のリレーのみの観戦になりました。Iさんの卓球と同じ、突っ走る姿に感激して次なる目的地O小学校へ。すぐに帰るつもりでしたが、この日J君やR子さんのご両親が試合や勤め先の運動会で参加できず。助っ人に来ている(はずの)ジイジに代わる助っ人?として、2年生のJ君を探し出し踊りの輪へ。まさか運動会で自分が踊ることになるとは。しかし無事にJ君をジイジのいる昼食場所に誘導できました。


 午後のターゲットは宇佐市のY小学校。出がけにクラブの女子2人が「行きたい!」というので、恨めしそうな表情の子どもたちを背後に感じながら車で一路宇佐市へ。

 Rさんが列の先頭で、こちらをちらちら見ながらうれしそうな表情でエイサーを踊る姿やリレーでたくましい走りを見せたAさんに満足して中津へUターン。

 しかし最後の目的地To小学校には結局間に合わず見学を断念。


 この日は慌ただしい運動会めぐりになりましたが、子どもたちや保護者に会え、卓球以外の姿を見ることができて楽しい1日になりました。ただ同じ日にもれなく子どもたちの姿を見ることは無理だということがわかりました。


 9/19(木) 定休日は必要か?




 

 中津卓球ジムがスタートしてから5年半経ちました。今日までわき目もふらずというのは言いすぎですが、結構突っ走ってきた感はあります。

 この5年半、年末年始(3日間)、お盆休み(現実は全国ホープス期間)を除いて年中無休でやってきました。

 ハナから定休日のことは全く頭にはなかったのに加えて、小学生には早く力をつけるために少しでも練習の場をという思いでやってきました。いろんな人から「休みを入れないと体が持たないよ。そのうち反動が来るよ」と忠告を受けましたが、上の空でした。


 今のジムの現状は、娘と一緒にやることになったこともあり小学生の練習日を中心にもろもろと増え、娘のレッスンが入ったりでスケジュールが一層過密になってきています。月曜日午前中の休業日も事務処理やHPの更新でほぼジムにいます。

 思い起こせば、小学生クラブがスタートして1年〜2年は子どもたちも週3回の練習日をこなすのがやっとという、そういう時代もありました。懐かしいです。


 さて、その定休日のことを最近ちょっと考えることがありました。ジムの末長くの経営を考えたとき、また自分を含めジムに携わる者が健康を維持し、意欲を持ち続けて務めるためには定休日は必要では?との思いが頭をよぎりることがあります。参考までに他のクラブ(卓球場)を調べると確かに定休日があります。


 しかしいろいろと考えたあげくの結論は、このスケジュールになった以上、定休日の是非云々の前に無理があることがわかりました。小中学生の練習を削ることはできません。小学生クラブ1と2を一緒にすることもできません。一般の人たちの練習も確保しなければなりません。仮に月2回休みを入れるとなると、子どもによっては月曜日休みとあわせて月6回休むことになります。

 結局定休日の設定は無理ということがわかりました。


 9/13(金) 目標があってこそのメンタル 



今年も熱い戦いでした(女子を応援す
る男子)

 夏の小学生主要大会がようやく終わりました。7月の全日本選手権(ホカバ)に始まって、全国ホープス、全九州と続いた”夏の祭典”もようやく一息ついた感じです。


 ひと段落ついたところで、改めて子どもたちに目標について考える機会を先日設けました。まずは1年先の自分を見つめさせ、今後に向けてどういう目標を掲げ、そのためにはどんなことに頑張るかを子どもたちなりに考えさせました。


 目標を掲げるのは簡単ですが、大切なことは日々の練習でどう意識し、どう行動実践につなげるかです。が小学生の意識レベルを考えると、それこそ「絵にかいたモチ」に陥りやすく、難しいところです。(大人も!?)

 しかし目標がなければ意欲が上がってこないのは明らかです。目標設定にはこだわりたいところです。


 日頃子どもたちの練習や大会での様子を見るにつけ、「メンタル強化の大切さ」について考えさせらることが少なくありません。いくら子どもたちにメンタル強化云々を説いても、目標があってのことだと思っています。まずは子どもたち自身の目標を持たせること。もちろんチームとしての目標も。これがメンタル強化の出発点であることを指導者として忘れないようにしなければなりません。


 8/19(月) 全国ホープスベスト8 



   懸命に応援するベンチ



 8月14日から3日間、山梨県甲府市で全国ホープス大会が開催されました。一昨年、昨年と女子が出場しましたが、今年は初出場となる男子が挑戦です。

 男子メンバーは若いチーム(5、4、4、2年生)でもあり、今年は「経験の年」と位置づけて臨みましたが、何と「思わぬ」快進撃!ベスト8に入りました。小学生の大会で若さが爆発というと何か変ですが、ベスト8は子どもたちが盛り上がって勢いのあるプレーをした結果です。とくに決勝トーナメント1回戦のALLSTAR(鳥取)戦、8決定戦の美崎クラブ(愛知)戦は本当に盛り上がりました。ベンチで点を取るたびに立ち上がってのガッツポーズは最高でした。ベンチで応援隊長として頑張った純大君(2年生)もノリノリのパフォーマンスで、監督からいきすぎを制止されることもあったほどでした。

 今回のメンバーが来年の全国ホープスにどう成長して臨むか楽しみな結果になりました。もちろん大分県予選の通過が前提ですが。


 さて、今年の会場は山梨県甲府市。名だたる「甲斐の国」です。戦国武将「武田信玄」の本拠地でもありました。「甲斐の国」と聞いて、つい口ずさんだ歌があります。♪甲斐の山々・・・で始まる「武田節」(三橋美智也)です。※三橋美智也の歌は歌詞カードがなくてもかなりの曲歌えます

 その曲の歌詞に「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵」という一節があります。いくら頑丈な城や石垣をつくっても大切なのは人の力。その人材こそが城であり、石垣である。ということのようですが、教訓にしたい言葉でもあります。

 大会最終日、朝の散歩に子どもたちと甲府城に行ってきました。これもいい思い出になりそうです。



 8/8(木) 渋谷さん全中へ



 3位決定戦 対坂崎戦で勝利!

 夏休み中は小学生から高校生まで九州大会、全国大会の開催がめじろ押しです。

 先日の8月5日には、中学生の九州大会(中体連)が北九州で開催されました。宇土クラブに関係する2人の子どもが大分県代表として出場しました。

 そのうちの一人、渋谷有里子さん(本耶馬渓中2年)が力を発揮し順調に勝ち上がって3位に入賞しました。それもこれまで勝ったことがない選手2人を破っての成績です。本当によく頑張りました。


 彼女は中学校の部活の練習が思うようにできないことから、日頃宇土クラブでの練習がほとんどですが、、小学生相手の練習も多く、力をつけさせてやれているかどうかいつも気になりながらの指導でした。今回その心配を払拭してくれる結果を出してくれ、うれしいのと同時にホッとしているといった気持ちが正直あります。

 

 さて、もう一人の出場者である山口彩実さん(緑ヶ丘中1年)は、渋谷さんが準決勝で敗れた相手である御座岡選手(中間東)に1回戦で対戦。接戦で敗れ、全中への望みは絶たれました。大分県2位で通過したにもかかわらず、初戦から厳しい相手との対戦となり、抽選とは言え割に合わない思いがしました。

 「二人そろって全中へ!」の思いがあっただけに悔やまれます。山口さんには、この悔しい気持ちを新たな目標にすり込んでエネルギーに変えてほしいと願うしかありません。


 7/23(火) 夢物語



T2ダイヤモンド2019での
        石川佳純選手

 先日不思議な夢を見ました。こともあろうにあの石川佳純さんとタッグを組んで卓球の講習会をやることになったのです。夢の中で、「佳純ちゃん」と呼んでいいのかなと躊躇(ちゅうちょ)しながらも、結局「佳純ちゃん、講習会はどのようにしていこうか?」と問いかけたことを覚えています。しかし、残念ながら向こうから話しかけてきたようなシーンの記憶はありません。

 夢の中で、石川佳純さんの後ろ姿を見て、ちょっとふっくらしてきたなと感じたことを覚えています。(もちろん現実はそんなことはありません!)


 今になって思えば、石川佳純さんには本当に失礼な夢を見てしまった、と反省しています。ご両親は大学の後輩ということで、ご無礼を免じていただきたいと思います。


 かくも不思議な、そして文字通りの 「夢物語」でした。


 7/12(金) 調子に乗ってつい



 山国川河川敷 八面山が見える

 昨年5月にめまい騒動が起きてから、一層ジョギングから遠ざかっています。最近頭の重たい症状も割と軽いことから、ついに今朝は、かつてホームグランドにしていた山国川河川敷へ。ちょっと良くなると調子に乗る性分は直り(治り?)ません。今日は久方ぶりのジョギングに体がなじめず、ニコニコジョッグならぬヨレヨレジョッグでした。


 昔から走ることに関しては多少マニアックなところがどうもあります。

 その最初のバカな行動が高校3年生の時のことです。土曜日の授業を終えて、いつもなら耶馬渓線という鉄道を利用して40キロ近く離れた実家へと帰るところを、なぜか急に走って帰りたくなって友達にカバンを預け、学校から実家まで走って帰りました。さしてトレーニングもしてなくての行動ですので、道中どんなだったかは想像に難くありません。帰り着いた頃は真っ暗でへとへとでした。

 時が経ち当時を振り返って思ったのは若さとバカさは紙一重かなということでした。


 もちろん現役時代はほんとによく走りましたが、歳を重ねてからもそのバカな習性は変わらず、見知らぬ土地に行くたびに走るクセがあります。

 娘の大会応援に行った際のジョギングをいくつか紹介すると


○松江市の全中で 宍道湖のほとりをしじみ取りを見ながら

○岡山近県で 後楽園近くで

〇高校国体成田で ロッテの本拠地マリンスタジアムの近くを。周囲は何もないといった感じ。かつては世界卓球選手権が開催され南北合同チームが優勝した会場幕張メッセを見ながら。

○広島での中国大会で 広島城から本川?沿いの堤防を川を見ながら

〇東京の品川に宿泊した際、早朝東京の街中を眺めながら

〇娘の大学時代は京都の街中をよく走る。京都は道に迷わなくていい。


 とまあ娘の大会関係だけでもこんな感じです。

 もちろん娘の大会以外でも旅先で数えきれないくらい走りました。台湾や韓国に行った際も早朝走りました。

 方向音痴ですので、道に迷ってうろたえたことも結構ありますが、外国で迷うと大変ですので気を使いました。

 以前、いつかはフルマラソンをとトレーニングを積んでいたあのころが今となっては懐かしいです。


 7/9(日) ハイレベルの戦い



 決勝は原田(手前)対藤原戦

:月例会後はBBQで盛り上がる

 7月7日に月例会を開催しました。

 開催日の数日前まではいろいろと諸事情で参加希望者が少なく、今月は中止か!というところまでいっていましたが、前々日になって一気に5人増え、これならということで実施することになりました。最終的には14人のご参加をいただきました。

 参加人数こそいつもの月例会より少なめでしたが、参加者の中には明豊、東山、愛工大名電といった出身の人たちが参戦。かつてないハイレベルの月例会となりました。子どもたちに見せたかったなと思いました。優勝は原田さん。連覇達成!

 

 月例会後はこの時期恒例のバーベキューの会。月例会に参加されなかった人もたくさん駆けつけてくださり、参加人数もさることながら盛り上がりも昼間の月例会以上(?)でした。

 この日は、イベントなどで出店する仕事をしているクラブのTさんが、忙しい中、出店用の車で駆けつけてくださり、今はやりの飲み物タピオカや大阪仕込みのイカ焼きをふるまってくれたりと至れりつくせりのふるまいでした。ほんとにありがたい限りです。

 楽しいひと時もアッというまでしたが、若い人たちが終結すると話が尽きません。ジムの前で夜遅くまで語らう姿がありました。


 6/17(月) ジャパンオープン残念!



ジャパンオープン 平野美宇選手

 ジャパンオープン荻村杯が終わりました。今年もシングルスで日本選手の優勝が見られるのではとひそかに期待していましたが、女子の平野美宇選手の3位が最高という成績でした。

 しかし中国選手に総なめされていた時代からみると、ダブルスのみならずシングルスでも勝ち星を挙げる試合がちょこちょことみられるようになりました。


 私が20歳ごろだったか、近畿大学の学生だった久世選手が当時の世界チャンピオンに海外で何かの大会で勝ち、新聞にデカデカと報じられたことを覚えていますが、中国の選手を破ることが大きな話題となるほど、中国の上位選手に勝つことの難しい時代がずっと続いていました。

 

 今回のジャパンオープンではカットマンの佐藤瞳選手がリオ五輪金メダリスト丁寧選手を2回戦で4−2で破りましたが、まさかカットマンが勝つとは思っていなかっただけにびっくり!我チームにもカットマンが何人かいますが、日々なかなか粘れずに苦しんでいます。カットマンは通用するということを信じて頑張ってほしいものです。丁寧選手が姿を消して、平野選手にもチャンスが来ましたが、及ばず、卓球ファンの期待もかなりしぼんだかなと思います。


 つい先日のこと。ジャパンオープンの前に開催された中国オープンのことをふと思い出して、娘に「そういえばお前大学時代に中国オープンに出たよな。ダブルスに出ていたがシングルスは出なかったのか?」と聞くと娘から「出たよ。丁寧に1−4で負けた」との返答。えーっ!丁寧とやったのか!と思いましたが、そのことを知らされたのが、なんと12年後の今になってとは。それも聞かなければ知らないままだったに違いありません。別に知らなくても困る情報ではありませんが、トホホです。親子のコミュニケーションが取れていなかったのか、娘が負けた試合をいちいち知らせる必要はないと思ったのかはわかりませんが、12年前のことを振り返ってはウーン…という感じです。


 6/6(木) お久しぶり!



 昨日(6/5)の午前中、長崎の瓊浦高校3年生後藤里沙さんが中津に帰省してジムを訪れてくれました。

 里沙さんは中学で卓球を始めましたが、その後卓球の虫になり、そして「ジムの主」と呼ばれるほどジムを、いや卓球をこよなく愛した子どもでした。帰省のたびにジムを尋ねてくれます。


 今回は先日終わったインターハイ予選(九州大会予選)の報告を兼ねての来訪です。この大会でシングルス、ダブルスともに上位に入り九州大会の出場権を獲得したそうです。本当によく頑張った結果です。


 この日、ボールをたくさん使っての練習をしましたが、思えば彼女が中学生になったころレッスンにやってきては、こうやってボールを出しながら基本練習をしました。懐かしい思い出がよみがえってきました。


 彼女が中学3年生の終わりに、進路先が長崎の瓊浦高校に決まった時、正直な気持ちとして大丈夫かなという一抹の不安がありました。昨日そのことを話したら、すかさず横にいたお母さんから「この子は一生卓球をしますよ」と返ってきました。当の本人も「ごもっとも」という顔をしてうなずいていました。中学時代と変わらず卓球に真剣に取り組んでいることを改めて知ることができ、それが何よりうれしかったです。


 現在瓊浦高校のキャプテンとしてチームの先頭に立って頑張っている彼女。力いっぱいのエールを送りたいと思います。そして願わくば、将来また宇土クラブに戻ってきてくれたらなあと勝手に思っています。


 5/29(水) 乗る力


雄たけびをあげて戦う張本選手

 大会で子どもたちの試合を見てよく感じることですが、乗って試合ができる子どもとなかなか乗っていけない子どもとあります。

 しっかり声を出して乗って試合ができる子どもは思わぬ力を発揮して格上の選手を破ることもまれではありません。大事な場面で、よくあのラリーをしのいだなと思わせるようないいプレーを出せるのもこうした子どもです。


 いわゆるゾーンに入って、乗って戦っている結果だといえますが、選手にとって大きな力になることは言うまでもありません。小中学生クラブで、これまで結果を残してきた子どもは、特に個人戦で勝ち上がっていったときにそんな力を発揮していたように思います。


 私事になりますが、娘が小学3年生のとき、全日本選手権(ホカバ)カブの部でよもやのベスト8に入ったことがあります。大会に行かなかったので試合を見ていませんが、当時の監督だった瀬口さん(中津シャルム)が「ひろえちゃんは怒涛(どとう)のごとく点を取っていく力がある」と評していたことを思い出します。


 体が自然に動いて無心になってプレーができること、これもメンタルの強さに関係していると感じます。それは日頃の練習でプレーに集中できることが何よりも大切になると思っています。


 5/7(火) 消えたホームページ!?



 この1ヶ月間パソコンとの格闘が続きました。4月12日にホームページを更新した際、なんかおかしな表示が出ました。「大したことはないだろう」と思っていたら、次の日からホームページだけでなく、デスクトップに保存していた大切なデータ半分が消えてしまいました。残ったフォルダなどもかなり壊れている状態です。市内のパソコン屋さんに持っていきましたが、高い修理代を払った割にはホームページ以外のデータが少し復活しただけで終わりました。


 他のデータはともかく、ホームページだけは何とかせねはとサーバーの会社がやっている「お助けサポート」にすがり遠隔操作でいろいろと試みましたが、データは見つからず。「ふつうはあまりないこと」だそうです。


 思えば2、3年前ホームページがおかしくなって修復作業に追われた日々がありました。今はあのときとは違い、あれほどの時間をかける余裕も心のスタミナもありません。 

 ほぼあきらめかけた1週間くらい前、あれこれ手あたり次第さわっていたら、3月初めまでのホームページのデータが残っていることを発見!

 現パソコンをあきらめ、お蔵入りしていたパソコンに代えて、再度ホームページのソフトを購入し、引っ越し作業をしました(もちろんお助けサポートの力を借りて)。なくなった2ヶ月分のデータをあちらこちらからかき集めたり、新たにデータを作ったりして、昨日朝7時から夜の8時までパソコンと向き合い、ついに1ヶ月振りの更新までこぎつけました。安堵の気持ちに浸りました。この日は「ジム休業日」で助かりました。


 今回のことでパソコン屋さんに教わったこと。「データはバックアップをとるのが普通」ですって。なんでも信じすぎて「壊れるかも」という思いがないのがいけません。人間も機械も壊れるということを理解しなければなりません。


 4/7(日) 男子 全国ホープス県予選 優勝!



   優勝した男子Aチーム

 昨日は全国ホープスの県予選でした。男女ともに優勝目指して臨みました。


 しびれるような試合の連続でした。

 男子Aチームが決勝戦でスタークラブに3対1で勝って優勝!でもホント苦しかった。オーダーでは何とかいけそうな組み合わせとはとは言え、若いチームだけにどう転ぶかわからない不安がつきまといます。厳しい戦いとなり唇がカラカラになっていました。学生時代、重責のかかった団体戦を戦ったときもカラカラだったことを思い出しました(笑)


 一方女子Aチームは、優勝した明野クラブに敗れた後の戦いがすばらしかった。気持ちが折れることなく決勝リーグで速見クラブ、うずまきクラブとどちらも負けそうな試合をラストまでつなぎ、激戦に勝っての2位は本当によく頑張ったと思います。子どもたちの実績から見ると、上位4チームの中では一番厳しい戦力だったにもかかわらず、粘り強く戦えたことに新しい姿をみたような感覚になりました。

 また、男子Bチーム、女子Bチームもこれからの活躍が期待できる戦いぶりに今後が楽しみです。


 今回の大会で、みんなでカバーし合うことの大切さ、それによって勝利につながったときの喜びを経験できたことは大きな意味があります。これは監督、コーチもしかりです。

 ここまでクラブとして、まずは「全国ホープス出場!」をめざして日々の練習をしてきました。それも男女のアベック出場が目標です。今回女子がもう一歩届かず、その思いは叶いませんでしたが、男女ともに学年もしかり、経験もしかり、若いチームだけに伸びしろはあります。この1年しっかり力をつけて男女アベック出場に再度挑戦したいと思います


 3/24(日) イチローついに引退



イチローの雄姿はもう見られない

イチローが引退しました。ついにこの日が来たかという感じです。野球大好き人間ですので、卓球にどっぷり浸かっている私にもこの知らせは何とも言えない気持ちになりました。


 今回は野球にまつわる思い出話です。


 娘が中学1年生の時、「卓球の」試合を見に岡山に行ったときのことです。ちょうどその日にお隣の倉敷市で岡山県の高校野球大会がマスカット球場で開催されていることを知り、「まあ娘の大事な試合には間に合うだろう」と移動時間も考えずに会場を飛び出して見に行きました。ところが野球の試合が終わったあと、帰りは少し渋滞していたこともあって岡山の卓球会場に帰って来たときは娘は山陽女子の2年生に負けたあとでした。就実中の保護者からうらめしそうに、「お父さん、岡山に何しに来たん!?」と叱られました。「あっやっちまった」と思いました。

 野球にまつわる衝動的な行動は他にもあります。娘が6年生の時のことです。明石市であった全日本(ホカバ)で負けるやいなや、家の者を会場に残して、新幹線に飛び乗り大阪ドームで行われていたソフトバンク戦(ペナントレース終盤でした)を見に行ったこともあります。

 

 さて、イチローの話にもどります。イチローが数々の偉業を達成したことはよく知られたところですが、イチローだからこその語録もインパクトかあります。その中で「小さいことを重ねることがとんでもないところに行くただ一つの道だ」という言葉が自分の心にピッタリきます。一番印象に残っているシーンは2009年のWBC(ワールドベースボールクラシック)で不振にあえいでいたイチローが、韓国との決勝戦、延長10回にタイムリーヒットを打ち日本の勝利につなげた、あの場面です。強烈な印象として残っています。

 引退は残念ですが、たくさんの感動を与えてくれたことに感謝したいです。「イチロー選手、本当にありがとうございました」と言いたいです。


 3/19(火) 6年生ごめんなさい!!





 一昨日は山国近郊大会でした。子どもたちは前日に西日本オープン大会で激戦を経て2日続きの大会です。


 その山国大会の最中、2ヶ月半ぶりのめまい症状に見舞われました。大会本部の賞状書きを手伝っているときに、あれ!?なんかおかしい!となって急きょ自分の車へ。横になって回復を待ちましたがダメでした。

 気分が悪くても試合は気になります。決勝戦で戦っているT君の声を体育館横に停めてある車の中で聞いていました。向こうの選手が点を取ったらしくて、相手ベンチの大きな声援の後体育館が静かになりました。「あっ負けたな」と思いました。


 この日は夕方からジムで6年生を送る会をする日です。祈るような気持ちでした。めまいと吐き気で運転はできず、クラブのWさんに運転を頼みました。途中吐いたりしながらもなんとかジムにたどり着きましたが、肝心の6年生のお別れ会の出席はついに断念しました。なんでこんな日に症状が出るのか!と無念でなりませんでした。ここまで頑張ってきた子どもたちに感謝の気持ちを伝えたかったのですが、かないませんでした。会の進行は妻や娘に託し、そして保護者のご協力で何とかセレモニーは無事終えたようです。残念ながらこの日に合わせて作ったクラブの替え歌は未発表で終わりました。


 あとで伺ったところによると、後半の時間、お母さんたちがダブルス卓球大会で盛り上がったということを聞きました。これは本当にうれしい出来事でした。親子大会を開かねばなりません。


 2/22(金) 男子またもや優勝!

2/19付大分合同新聞より
(上の写真が竹上遥斗君)

 2月16日に東アジアホープス県予選がありました。

今年は男女とも全国切符の可能性はあるもののかなり厳しいな、あるとすれば女子かなと一縷(る)の望みを託して臨んだ大会でした。


 ところが、どちらかと言えば厳しい方だと思っていた男子で、4年生の竹上君が決勝まで進出。決勝戦で5年生では県の第一人者である井上君(スタークラブ)と対戦し、何とセットオールの接戦をものにして優勝してしまいました。     

 最近の竹上君は普段の練習でも気持ちが安定していて、この日の大会でも終始いい声を出して戦うなどベストのパフォーマンスで試合ができたことが大きかったと思います。


 先般の県選手権での田原君の優勝もビックリしましたが、またもや男子の県での優勝!宇土クラブ男子2連覇!です。まぎれもなく男子でです。今年2度目のビックリです。どちらかと言えば最近は男子の方に風当たりが強かったのですが、風向きが変わってきつつあるかも?

 

 残念ながら女子はもしかしたらの期待は叶いませんでしたが、来たる4月、5月のチャンスをぜひものにしてほしいと思います。


 優勝した竹上君、冬休みの最後に激しい捻挫をして3週間練習ができず、全国ホープス選抜の最終選考会には参加できずじまいでした。文字どおり「けがの功名」でしょうか!?


 2/3(日) 小中学生社会人に挑む


 今年の冬は昨年と違って厳しい寒さを感じる日が少ないです。昨年は、寒い日が多くジムの温度計が2度という日もありました。今年は今のところせいぜい寒くても6度といったところです。それでも寒そうにしていると娘からいいように言われません。


 さて、2月3日にジムで「社会人と小中学生の対抗戦」と銘打って交流戦を行いました。ジムがスタートしてこの3月で5年になりますが、これまで小中学生が社会人に挑戦するという一見無謀ともいえる行事は思いもつきませんでした。

 しかしここにきて子どもたちも力がついて、少しは脅かすことができるかも?と思わせるようになってきたことから今回のもくろみに至りました。


 この日は11人の社会人の方にご参加をいただきました。

 全く練習していない私も社会人に加わって12番までの対抗戦の一角を担いました。(結果は負け!)。小中学生が勝っておいしいドーナツ&ドリンクを社会人からゲットする予定でした。しかし5対7で小中学生が負け、ペナルティのジャンプが待っていました。 子どもたちも盛り上がって頑張りましたが、わずかに及びませんでした。

 対抗戦の後はシングルスやダブルスで交流をして親睦を深めました。


 次回は子どもたちがさらに力をつけて社会人に挑み、必ずや雪辱を果たさねばなりません。



 1/24(木) 田原君うれしい代表入り



全国ホープス選抜の県代表になった 
田原君(徳山オープン大会より)

 1月19・20日と2日間、全国ホープス選抜のメンバー選考を兼ねた強化合宿が熊本県八代市で行われました。


 結果は6年生男子代表に田原君、6年生女子が山口さん、3年生男子が渡邉君と宇土クラブから3人が選出されました。

 いちばん気がかりだったのは6年生の田原君がどうなるかでした。6年生女子の山口さんは確実視されていましたし、3年生男子代表も宇土クラブから選出されることは予想がついていましたので、予定どおりでした。


 さて、田原君は先日の県選手権では周りの下馬評を裏切り(笑)、見事優勝し一躍代表候補に名乗りをあげました。それでもこの熊本合宿で好成績を収めなければ代表入り厳しい状況だったと思います。

 ところが合宿では熊本の城山ひのくにジュニアの中心選手に勝ったり大分県のライバル選手に代表決戦で勝利し、見事実力で県代表をつかみ取りました。

 彼は2年生から卓球を始め、5年生まではじわりじわりと力をつけてきたものの、なかなか県のトップの座には届きませんでした。その田原君がここにきてついに頂点に躍り出たという感じです。私は子どもたちと日出町の大会に参加していて、会場で娘からの電話連絡で吉報を聞いたときは「ヤッター!」という感じで本当にうれしかったです。

 1、2年前までは田原君に対して「もう少ししっかりしてほしい」などとブチブチ言っていましたが、あの頃がうそのようです(笑)。


 今回の代表入りは、本人だけでなく、宇土クラブにとって大きな出来事です。宇土クラブの後輩たちにやればできるという希望を与えてくれました。


1/8(火) Yさん安らかに


一昨日ジムに佐伯市の方から電話がありました。新採用1年目、佐伯城南中で1年生の担任をしていた時のクラスの女子生徒Yさんのお母さんでした。

 応対した娘が控えていた電話番号をたよりに一体なんだろう?と思いつつ連絡を取りました。

 「ご無沙汰しています」などといったあいさつの後、思いもよらぬお母さんのことばが待っていました。Yさんが昨年9月、乳がんを患い、あっという間に病状が悪化して息をひきとったということでした。絶句してしまいました。

 亡くなる前、病床で「宇土先生どうしてるかな」と娘が口にしていたので、何とか連絡しようと思ったのですが、連絡先がわからなくて、今日まで来てしまいました。年賀状をいただいたので、それを手がかりに連絡しました。遅くなってすみません。私も娘が亡くなったとき、ショックで腰が90度曲がりました。とつらかった当時のことやこれまでの心境を涙ながらに話されました。


 佐伯城南中は、全校生徒1000人の大きな学校であったこともあり、Yさんとのつきあいは担任として中学1年生の時だけでした。にもかかわらず、結婚式にも招待していただきスピーチまでさせていただきました。

 

 これまでもYさんのことを思い出すことがときどきありました。お母さんの話を聞きながら、セーラー服を着た笑顔で活発なかわいらしいあの当時のYさんがよみがえってきました。陸上部に所属して頑張っていました。

 

 どうしても亡くなったことが信じられません。人の命のはかなさを感じてしまいます。一日一日を大切に生きていかなければと改めて感じます。

 今はただYさんのご冥福を祈るばかりです。