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2017年ウドちゃん奮闘記    

12/31(土) 大晦日もにぎわう!

  たくさんの人が集結しました   


   最後は体幹トレでしめくくり

 12月31日、1年の締めくくりの日を迎えました。

 この日は小学生の練習日ではありませんが、午前中監督がジムで作業するので練習したい子どもはどうぞ、ということで伝えていたところ、20人ものたくさんの子どもや大人が集まりました。活気のある練習になりうれしくもあり、ありがたくもあり。

 昨日は子どもたちが床マットのふき掃除をしましたが、今日は子どもたちの意志で台ふきをして練習を終わりました。そして練習後、体幹トレをみんなですすんでやっている姿を見て、子どもたちの成長を肌で感じることができて本当にうれしくなりました。

 成長と言えばこの1年、子どもたちと懸命に闘った毎日でしたが、子どもたちも年を追うごとに結果を残すようになり、いい思いをさせてもらった1年でもありました。

 来年からは新たな試練が待ち受けていますが、前向きに取り組む子どもたちですので、きっと成果を出せるチームになる信じています。

 来年が宇土クラブにとってさらに飛躍の年なりますように・・・。

 そして読者の皆様にとって来年がすばらしい1年になりますように。今年1年本当にありがとうございました。


12/24(日) 苦しんで予選通過!


プレーも撮影もスーパーショット!?
 (小学生クラブの子どもが撮影)

ダブルス準決勝戦。倒れこみながら執
念?で返したボールが相手コートの左
端に。

 昨日(12/24)約1年ぶりユニフォームに袖を通しました。懸案だった全九州予選がありました。待ち受けていますが、

 組合せを見た瞬間、ダブルスもシングルスも予選通過は厳しいかな?どちらもこの2,3年間で負けた相手と決定戦での対戦でした。江藤さんは膝を痛めていて踏ん張れないという状況。私は前回のブログに書いた通り全く練習ができていない、ということで2人とも「なるようにしかならん」と開き直って臨みました。

 先に行われたダブルスでは、代表決定戦で2セット先に取られ厳しい状況に。しかしスタンドで小学生クラブの子どもたちが一生懸命応援してくれています。日ごろ「最後まで勝負をあきらめるな!」と口癖のように言っている監督が身をもってそれを示さないわけにはいきません。最後はセットオール11対8で辛勝でした。決勝まで進みましたが、手負いの獅子と超練習不足の2人には、もはや余力が残っていませんでした。

 一方シングルスの決定戦は、以前負けたことのある、異質ラバーを駆使して戦う苦手なタイプの選手でした。接戦となって、心の悪魔が忍び寄ってきました。「きついな、もういいか!」と切れそうになりましたが、またもやベンチに子どもたちやクラブのコーチがそれを許さじ!とばかり応援してくれ、何とか踏みとどまることができました。シングルスは次の試合で敗れてベスト8でした。

 試合を終えていろいろ思うことがありました。出場することに消極的だったこの大会も苦しみながらもなんとか予選を通過し、やっぱり参加してよかったかな? としみじみ思ったこと。そして当然のことながら、試合というのは心の持ち方というのがすごく大事だということ。「相手に立ち向かう気持ちをいかに維持していくか。どう冷静に戦術を考えていくか」ということ。何十年間か試合で戦ってきてやっぱり同じことを感じています。

 今回初めて子どもたちの前で試合をしましたが、もっと若い時分の元気のいい時にかっこいいとこ見せたかったなとも思いました。


12/12(火) ついに決断


学生時代の江藤さん(後列左 当時3
年生)  前列右が私(当時1年生)

 この1,2年小学生の指導が忙しくなるにつれ、自分の練習もほとんどできない(やらない?)ことから今年9月の一般県体は出場を辞退しました。その時を境に卓球のプレーヤーとしては完全に足を洗おうと決意じみた気持ちでここまできました。

 ところが県体後も長年ダブルスを組んできた別府の江藤さんから「ダブルス組もうや。九州大会の優勝を狙うで!」と再三にわたって誘いがあり、ついに全九州予選出場を決意しました。もちろん優勝なんてとんで感じています。もありません。正直この3年間まともに練習していない上、なかなかモチベーションも上がらないことから、でない!という決意は固かったのですが・・・。出場を決意したのは12月24日の大会1か月半前でしたが、あと2週間を切った今日まで練習らしい練習をしたのは一度もありません。先日さすがにこの状態ではと思い、江藤さんに「練習ができる日がないので、申し込みをとりさげる」と背信行為宣言をしました。ところがです。江藤さんのちょっと寂しげな声を聴いたとたん「出なきゃいかん」という気持ちになり、なんと「出ない」と言った1時間後に「やっぱり出るわ!」と電話。優柔不断な性格を暴露するハメになりました。

 大学の先輩後輩という仲で、年齢別ダブルスも長年組んで大分県でほとんど優勝してきたペアだけになかなか縁が切れません。こういうのを腐れ縁というのかもしれません。 ただ昨年度九州ベスト4でなおかつ練習十分な江藤さんには申し訳ないですが、「今年は期待しないでください」と心の奥から何やら聞こえてきます。


12/3(日) 「卓球三昧」指導者来たる!


3人の指導者による熱い指導


 12月3日、「卓球三昧」の指導者3人が前日の北九州で開催された新体連の全国大会を終え、お疲れのところジムを訪れていただきました。根田さん、石澤さん、私の娘の3人で、昨年に引き続いての来訪となりました。

 午前中は小中合同練習。この日が小学生の県選抜選手の強化練習日と重なったことから主力6人が不在。小中あわせて7人の参加者でしたが3人の熱い指導で本当にいい練習となりました。県選抜の練習に参加している子どもから「いいなあ、こちらの方が良かったのに!」という声が聞こえてきそうでした。


 午後の月例会には根田さん、石澤さんの2人に入っていただき、20人で熱戦を繰り広げました。2人の高い技術力には感心しきりでした。中でも宇土クラブのエース、江口さんが根田さんに挑戦した試合は、見ごたえのある内容で感激しました。根田さんのバックは半端じゃない!


 夕方からは3人を囲んでの懇親会。会を終えて帰り支度を始めていたら、だれからともなく、「夜の月例会をやりましょう」との声。若干恐れていてあえて口に出さなかった「夜の月例会・ダブルス大会」。やっぱりやることになりました。ルールは「自分の戦型とは違うスタイルのラケットで行う」です。昼間力を出せず悶々としていた人も、水(酒?)を得た魚のようにスーパープレイを連発していました。

 かくして夜も更け次第に疲れが見え始めたころ、6チーム総当たりによるダブルス大会は幕を閉じました。昨年は優勝。今年は1セットも取れず。パートナーは部長??です。

 

 今日もまた一日、卓球を通じて、出会いあり笑いあり、そしてバトルありの充実した時を過ごせたことに感謝したいと思います。卓球三昧の3人のみなさん本当にありがとうございました。


11/20(月) いつもうまくはいきません

  北九州オープン小学生大会

18、19日と二日間にわたって北九州オープン小学生大会が開催されました。
 18日は団体戦。女子Aチームが準々決勝でTCマルカワに快勝し、この勢いで準決勝のKUGAスポーツクラブ戦もと思ったのですが、この日は完敗と相成りました。1ヶ月前の大会で「難敵KUGAに勝った!」と喜んだのも束の間。調子に乗るな!ということでしょう。このチームもひと休みといった感じです。
 団体戦ではその他、女子Bが2位トーナメントで優勝。男子は今回もまたA、Bともに期待に違わない活躍をしてくれました。


 19日は個人戦でした。以前のこの大会で決勝トーナメントに進めた子どもは2〜3人でしたが、今回は大幅増の10人。その中で実績ある選手に対して、勝ったり、大接戦を演じた子どもも何人かいたりとチーム全体のレベルアップができてきつつあることを感じる試合がかなりあました。3位以内の入賞が4人出たのもその表れと感じています。。
 

 この大会でよく石田クラブの石田さんと話をします。指導のヒントをもらいます。この日は昔話になり、西日本実業団選手権の準決勝で対戦した時の話題になりましたが、石田さんもよく覚えていて、インハイチャンプの金沢選手でなくて宇土さんが上がってきたのでラッキーだったと言われました。 また「宇土クラブの子どもたちはフォームがきれい。宇土さんに似てくるからでは」と言われ、はてさて最近落ちぶれてかあまり耳にしないことを言われて照れくさかったです。

 今後もチームの底上げと同時に子どもたちの目標に応じた指導が監督としての課題となります。

 そしてもう一つ、監督自身の情けない失態の対策も講じなければなりません。二日目ナビを頼らずに会場に行ったことから道を誤り集合時間に10分遅刻。4人の保護者に遅刻の電話連絡を入れるも誰も出ず。あきれた保護者が着信拒否か!?・・・。焦っている自分に「何度おなじことをやれば気が済むんだ!」という天の声がむなしく響いてきます。昔からの実態を知っているある保護者から「ウドりましたね」とチクリと言われました。


11/7(月) 福岡春菜さんを迎えて


福岡春菜さんを囲んで参加者全員で

 11月5日、中津市で各種目のオリンピアンを招聘して行われるオリンピックデーランという行事がありました。今年は卓球の福岡春菜さんを迎えるといことで、クラブの子どもたち24人のほか3人のコーチの人たちと一緒に参加。野球場の周りで行われた午前中の2kmのランニングでは子どもたちの速さに完敗しました。


 午後は福岡春菜さんの卓球講習会です。、福岡春菜さんとの講習会の打ち合わせの際、「宇土です」と自己紹介すると「宇土ちゃんのお父さんですか!?」と言われて、あっ娘とは結構知り合いなんだ、と思ってつい親しみを感じてしまいました。「宇土ちゃんには北京オリンピックの強化練習で宿舎で同じ部屋でもあり、練習パートナーもしてもらいました」ということでした。

 さて、福岡さんの講習会は「王子サーブ」を中心にした内容でした。テレビや全日本等で見たことはありますが、そんなに厳しいサーブではないだろうと内心思っていました。が、どうしてどうしてこりゃ手におえんと正直感じたほどハイレベルのサーブでした。1日最高7時間サーブ練習をした経験があるほどとことんやりこんだと話されていましたが、そこまでしないとこのサーブは身につかんだろうなとも思いました。参加した子どもたちもサーブは最高の武器になることを感じただろうし、また時間をかけないといいサーブにならないということを学んだと思います。


 帰りに厚かましいツーショットの記念撮影を福岡さんにお願いをすると、快く?応じてくれました。以前娘が平野早矢香さんとツーショットで写真を撮った時に「身の程知らずが!」思いましたが、親はその上をいっているようです。


11/1(水) アカシアチーム来たる!

アカシアチームと一緒の写真撮ろ
うと思っていたのに うっかり忘れ
てしまい・・・。

代わりにアカシアの花です ゴメ
ンナサイ

 10月29日、福岡市のジュニアチーム、アカシアさんが遠路はるばる雨の中訪れてくださいました。アカシアの監督原井さんは福岡大学の後輩で大変活躍された人です。奥さんとは北九州オープンで少し話をしたことはありますが、原井監督とは名前はよく聞いておりましたが、ほとんど面識がありません。ジムに来て、開口一番「宇土先輩は福岡大学の伝説の人です」などと言われ、「あっ割と近い間柄だ!」なんて思いました。一体何をしでかして”伝説の人”になったのだろうと思ってしまいましたが、おそらく当時の同級生や後輩たちには厳しいキャプテンとして近寄りりがたい存在だったことからきているのかもしれません。


 さて、練習試合の方は午前午後を通して本当にいい練習の機会になった思います。子どもたちは相手チームには、宇土クラブにはない技術をもった子どもが多く、なぜうまくいかないのかなどを考えさせられた練習になっただろうと思います。これは監督もしかりです。またアカシアの子どもたちは礼儀正しくて、試合に対する姿勢もよくさわやかなチームの印象を持ちました。監督の思いがチームに浸透している感じです。

 原井監督にはまた近いうちにやりましょうとお約束して、お帰りいただきました。


10/26(木) 防府オープン優勝!

 10月21日・22日の2日間、防府オープン小学生大会に参加しました。オープン大会に泊を伴う参加は3年間で初めてでした。今大会には初参加であり、どんな大会かな?と期待と同時にどうかな?という不安もありました。でも参加して、「やっぱりよかった!」という感じです。(もちろんこれまで参加しなければよかった、という大会はありませんが)

 昨年優勝したチームなど2,3の強豪チームの参加がない中ではありましたが、男女とも好成績を上げました。女子Aは決勝で、KUGAスポーツクラブと対戦。昨年はとてもかなわないチームでしたのであたって砕けろ!の気持ちで臨みました。結果は何と3−2で勝って優勝することができました。しかし内容は決していいとは言えず、優勝したあと子どもたちをたしなめる方が先になってしまいました。

 一方男子も接戦をものにして、決勝に進出。TCマルカワには及びませんでしたが、見事準優勝。また4年生以下の団体戦では、バンビクラス3人を含めたチームにもかかわらず3位となり、今後に楽しみな子どもたちのプレーにニンマリしました。1日目の団体戦は、そのほか女子Bが友好トーナメントで優勝し、結局出場した4チームすべてが賞をとりました。

 2日目の個人戦はシングルス、ダブルスと上位入賞もいくつか出て健闘しました。その中でもバンビクラスでは、2位秀磨君、3位に純正君と数年後には宇土クラブを背負って立つ面々の入賞です。年長さんの純大君もTCマルカワの力のある選手に勝つなどなかなかです。

 こうして2日間子どもたちは頑張りました。ただ、セットオールになった試合がかなりありましたが、圧倒的に負けた試合が多かったのは残念であり、課題を残しました。メンタル強化はクラブにとって必要不可欠です。帰り際、事務局の内田さんに「宇土クラブは基本がしっかりできていて、いい卓球をしますね」と言われうれしく思いました。


 今回の大会は、試合はもちろんのことですが、夜お父さんたちと交流を深めることができたことは子どもたちの卓球と同様、大きな収穫でした




10/4(火) お久しぶり!

 昨日は、長崎瓊浦高校に行っている後藤里沙さんがテスト休みを利用してジムを訪れてくれました。ちょうど小学生の練習時間帯にきてくれて小学生の練習に入ってもらいました。は

 こうしてジムで頑張った子どもが訪ねてくれ、成長した姿を見せてくれるのは本当にうれしいです。ましてや後藤さんは、中学時代ジムのぬしと言われ、四六時中?!ジムで練習していただけに、高校での活躍を願ってついこちらも熱い視線送ってしまいます。

 そして今日、長崎に戻る前、午前中わずか1時間でしたが一緒に練習をしました。進化していっている様子が確認できてなんとなく安心した気持ちなりました。

 ますます力をつけてほしいと願わずにはいられません。


9/29(金) 秋到来


     つきぬけて 天井の紺 曼殊沙華

 ようやく秋めいてきました。この時期になるとこの句を思い出します。中学3年生の時の国語の教科書に載っていた句です。意味も分からず覚えていました。(今はわかりますよ)

 先日山国川堤防付近で、ジョギングの最中に彼岸花(曼殊沙華)を見つけました。街中ではなかなかお目にかかれないので、思いがけず彼岸花を見て、そういえばそんな時季になったんだと気づかされた次第です。少し色あせた感じで旬を逸した感はありますが、この花を見ると田舎の田んぼのあぜ道の風景をつい思い出します。あぜ道に多いのは彼岸花の茎には有毒性があってモグラやネズミを追い払う効果があるということによるようです。

 

 さて、この時期クラブの子どもたちも忙しく、運動会や修学旅行、ひいては地域の祭りの笛・太鼓の練習にとなかなか全員がそろいにくい状況があります。明日30日は2,3の学校の運動会があって何人かが練習を欠けることになります。早く落ち着いた練習になりたいです。

 最近、小学生練習を充実させてきた半面、一般のお客さんが少なくなったように思います。小学生に遠慮しているのか、夏の暑さからかはわかりませんが、涼しくなってきたこの季節、ジムを利用する人が増えてにぎやかになってほしいものです。


9/18(月) 台風一過
 
  ジム上空も台風一過の青い空

 全国を縦断し、かなりの被害をもたらしたた台風18号でしたが、幸い中津市には深刻な被害をもたらすことなく過ぎ去りました。

 9月17日は、午前中の小中合同練習、そして午後の月例会を予定していましたが、前日連絡で中止にしました。もしかしたら判断が早かったかなという思いがありましたが、涙を呑んでの決断でした。当日は特に雨が激しく降り、、ジムの玄関がドアの隙間から入ってくる横なぐりの雨で水浸しになるほどでした。ほうきで水をかき出した経験は現ジムでは初めてでした。

 

 この日は全くの休みにしましたが、考えてみると丸一日ジムを閉めるのは5月の連休後半に1日休みにした時以来です。その間、子どもたちを相手にしなかった日は一日もなかったように記憶しています。お陰で暇をもてあそび、何をしていいか戸惑いさえ感じました。めったに見れなくなった大好きなプロ野球ソフトバンク戦もテレビでやっていましたが、見飽きて小康状態になった雨をいいことにこの日2回目のジム”勤務”をする始末でした。

 

 あくる日18日は気持ちの良い天気となりました。抜けるような秋空の青さとまではいきませんが、文字通り台風一過のすばらしい天気となりました。

 午後、自主練習の子どもたちが来て、いつもの賑わいが戻ってきました。一息ついた後は、また気合い入れなおして頑張る日々が続きます。


9/12(火) 肩痛はどこへ?


    

 10年来の付き合いだった肩の痛みから解放されて2,3ケ月経ちます。なぜ治ったか今でもほんとのところはわかりません。今日はその肩痛の話。


 さて、10年前痛みを感じ始めてからとった対策は・・・?

 逆療法です!その時は正直、「こんくらいは逆療法でなおしてやる!」と意気込みました。

 MrMaxで安いダンベルを買い、チューブを買って指南書を片手にトレーニングが始まりました。約半年間闘いました。その結果出した結論は「逆療法では治らない!」でした。仕方なく2,3の病院にもかかりましたが、時間がないことや治療効果に半信半疑の状態では通院は続くはずがありません。もう一生の付き合いだなと観念しましたが、いちばん気になっていたのは小学生の練習でした。ボールだしもつらくなっていましたが、サーブを出す際、左手を上げる動作までもが痛くて支障が出てきていました。また夜中に毎日のように痛みで目が覚める状況でした。「こりゃ困ったことになりつつある」という思いと同時になるようにしかならんとあきらめの気持ちもありました。


 そんなある日、

 新聞広告に「リョウシン」という関節等の痛みを緩和するという錠剤の薬が紹介されていました。元来あまり薬に頼らないたちですが、ワラをもつかむ思いで試してみることにしました。

 ところがです。1か月くらい経ったころ、なんと痛みが和らいでいることに気がつきました。それでもたまたまだ、また痛くなるだろうと高をくくっていましたが、その後、あの時の肩の痛みが復活することは今日の今日まで一度もありません。

 薬が効いたかどうかはわかりません。(全く疑い深い!)40肩、50肩は突然治るというし、そんな感じかも?(60肩は聞いたことがないけれど)


 いずれにせよ、あの痛みから解放されたことはハッピーなことでした。たとえ左肩とは言え、毎日こんちくしょうとばかり使いまくっている左肩です。苦しんだ時期をときおり思い出しては、ホット胸をなでおろしています。


9/5(火) ヒゴ鏡卓球クラブと究極の大接戦

 対ヒゴ鏡戦 2−2ラストで大接戦

 佐賀市で開催された全九州小学生大会から一週間たちました。今もあのヒゴ鏡卓球クラブとの大接戦のシーンが何かにつけ頭をよぎります。

 

 ヒゴ鏡卓球は今年の全国ホープスで3位になった強豪チーム。そのヒゴ鏡と団体戦準々決勝で対戦しました。2対2となりラストにもつれ込みました。ラストは大接戦。セットオールとなり、そして5セット目、10対9であと1点というマッチポイントを迎えました。わがチームのラストの選手がカットマンということでどうしても長いラリーになります。あと1点取れば!というポイントの結末は、息詰まるラリーになり、最後は相手選手のドライブがヒットしなかったのか、ネット際に落ちて入ってきたボールにタイミングが合わずミス。ついにジュースとなりました。団体戦でこれ以上ない究極の大接戦となりましたが、最後は力尽きました。

 

 この息詰まるシーンが、私にとってはあまりに強烈な印象になったことから、今なおしばしば思い出されるわけですが、特に苦い思い出としてよみがえるわけではありません。むしろ3年間という短期間でこういうチームと接戦を演じるようになった子どもたちに頼もしさを感じていることから、心地よい思い出としてよみがえっています。

 究極の大接戦は今後も忘れないシーンとして、ずーっと記憶に残ると思います。


8/23(水) 明豊大応援届かず

 スタンドの応援に応える中村選手

 8月23日、全国中学生大会が別府で開催されているので観戦に行きました。この日は団体戦2日目で決勝トーナメントが始まっていました。その2回戦で明豊中は強豪野田学園と早くも対戦。かなり厳しい相手とは予想はしていましたが、これほどまでに厳しい相手だとは思いませんでした。どの試合も接戦でしたが、結果は0−3で負けました。選手はもちろんのこと、藤本監督の胸中を思うとつらいものがありました。先日練習で明豊にお伺いしたときにいろいろと話しをしただけに。


 しかしこの試合には、全国から明豊の卒業生が駆けつけ、明豊卓球部員や保護者と一緒になって繰り広げた大応援はほんとによかった。選手がスタンドの応援に応えながら必死になって戦う姿は感動するものがありました。私も娘と応援しました。昨年準優勝のの明豊中にとっては地元開催で大きな試練になりましたが、また乗り越えて頑張ってほしいものです。


 帰り際、体育館の玄関で北海道の恵庭柏クラブの宮嶋先生にばったりお会いしました。宮嶋先生とは今年3回目の再会になりましたが、会えるかどうかもわからない私にお土産を持ってきているといって、わざわざ観客席まで取りに行きお土産をくださいました。

 宮嶋先生との出会いは、30数年前の全国教職員大会のときです。夕食を食べている大分県選手のところに来て、私の顔をまじまじと見ながら、「あなたは誰かに似ている。あっ そうだ!呂明賜(ロメイシュ;元巨人軍スラッガー)だ!」と叫んだ人です。(注:似ているかどうか興味のある方は呂明賜をネットで検索してください)  

 今年5月、小学生の全国大会で30数年ぶりにお会いして、お互いに覚えていたのは不思議でした。そんな出会いのあった方ですが、義理堅い人です。敬服してしまいました。そういう人にはすこぶる弱いです。


8/19(土) よく戦った3人(全国ホープス大会)

    これから試合が始まります

東京体育館での大会風景

 8月14日から東京体育館で開催された全国ホープス大会は激戦に次ぐ激戦でした。ベスト32(決勝トーナメント1回戦敗退)という結果でした。


 1日目。予選リーグは卓伸クラブ、新発田ジュニア、岸田クラブ、宇土クラブの4チームで宇土クラブにとってはどのチームも強豪で、会場で会う人あう人「大変なリーグに入りましたね」と慰め?の言葉をかけてもらうほどでした。


 第一試合の卓伸クラブ戦を1−3で落とし、早くも背水の陣を敷いての第二試合目は新発田ジュニア。タイムテーブルがずれて、18時近くのスタートとなりました。

 トップの黒川さんがカットマンの相手選手に3−0で快勝したものの、2番山口さんが負け、そしてダブルスがセットオールで競り負けて1−2と窮地に。しかしここから踏ん張りました。4番で山口さんが快勝、ラストの渋谷さんに託されました。相手の選手は、かなりカット打ちの上手な子どもでついにセットオールとなりました。会場で行われている試合は このコートのみとなり、広い東京体育館はボールの音が鳴り響いていました。セットオールとなり息が詰まるほどの接戦でしたが、渋谷さんこれまでの試合であまり見たこともないくらいの粘りを見せ、3−2で振り切りました。この瞬間、自力通過の道が残りました。


 2日目、リーグ突破をかけて神奈川の岸田クラブとの対戦です。関東2位の実力を持つ強豪です。ポイントはダブルスでした。これまでいろんな試合でセットオールになるとことごとく負けてきたペアです。この試合も4セット目を落とし、2−2のタイスコアになって帰ってきました。これはやばい!いつものパターンになりそうな状況に、腹をくくり、「今日も又同じことを繰り返すのか!」とちょっと声を荒げて戦術より気持ちに対する檄を飛ばしました。5セット目は出足でポンポンと攻撃が決まり、そのまま快勝。ダブルスの成長した姿を見ることができました。結局この試合は5番のキャプテン黒川さんが踏ん張り3−2の勝利をおさめ、決勝トーナメントに駒を進めることができました。


 決勝トーナメント1回戦は山形の双葉卓球クラブ。全日本ホープスベスト8の選手を2人擁するこれまた強豪です。もちろん「何とかなる。勝つ!」という気持ちで臨みました。相手のエース阿久根選手に2人がセットオールで食い下がるなど必死で戦いましたが、結局2−3で敗れました。先日の全日本のホープスで3人とも予選敗退のわがチームのメンバーですが、本当によく戦いました。惜しむなくはこのパートはどこも同じぐらいの力だったので上位進出も夢ではなかったかなというところです。


 今回ここまで戦えた要因の一つに、東京にいる娘とその友達が2人でずっと練習パートナーを務めてくれたことがあると思います。また選手の家族だけでなく、わざわざ応援に駆けつけてくれたコーチの家族もありました。いろんな支えがあって子どもたちが頑張れたと思います。


 何はともあれ、宇土クラブにとって貴重な体験となった全国ホープス大会でした。この経験を今後に絶対つなげなければなりません。


8/10(木) クラブ旗お披露目

 クラブの旗を保護者の方たちが作ってくれました。そのお披露目が昨日(8/10)ありました。小学生の練習後に保護者の方たちから出来立てほやほやのクラブ旗を子どもたちの前で受け取りました。20数年前中学校の部活動で、やはり同じようにお披露目をした日を思い出します。


 ここ1、2年子どもたちが全国大会に出るようになって、会場でスタンドに下げているいろんなチームのクラブ旗を見ながら、わがクラブもいずれは、と思っていた矢先のことだったので本当にうれしいです。14日から東京体育館で開催される全国ホープス大会に間に合うように計画していただいたということです。


 作成に当たって保護者の方から「挑戦」の文字は監督が書いたら?と言われ恥ずかしながら無謀を顧みず調子に乗って書いてしまいました。監督が書いた意味あるクラブ旗として許してもらおうと思っています。

 14日から文字通り挑戦の大会が始まります。


8/4(金) 全日本の戦い終えて


    出場した子どもたち

開会式の様子

 全日本選手権が終わってすでに5日目。子どもたちが夏休み中であることから練習に来た子どもの相手をしたりと、いつも以上に余裕のない日々が続いています。

 今年の全日本選手権には6人ものたくさんの子どもたちが参加しました。組合せから見てかなり厳しい戦いになることは覚悟をしていましたが、その厳しさは思った以上でした。

 全員が1勝したもののリーグ戦を勝ち上がった子どもは一人という結果でした。ある意味では妥当な結果?といえるところもありますが、いい意味の番狂わせもありませんでした。大分県の他のチームの選手がかなりいい成績を残したことから宇土クラブにとっては大きな刺激となりました。

 最終日、会場で上位選手たちのすばらしいプレーを見ながら、今後の宇土クラブをどうするかということを考えました。帰りの新幹線の中でも小学生クラブのことが頭から離れませんでした。「やれるだけやる」。それしかないなと思いました。


 何はともあれ、今年の全日本は6人の子どもたちのご家族とも行動を共にし、交流もできていい3日間を過ごすかことができました。こうしたつながりを深めていくことが、今後の指導のエネルギーにもつながるんだろうなと感じる大会でもありました。


7/27(木) 取材にちょっと緊張


 26日大分合同新聞の記者に取材を受けました。8月14日から開催される全国ホープス大会に出場する子どもたち3人と監督が取材に応じました。

 子どもたちはいろいろと聞かれていましたが、その中の一つ「卓球を始めたのはいつから?」という質問には、あらかじめ調べておいた監督が答えましたが、3年ちょっとの経験が一人、あと2人は2年半ということで、改めて短い期間でここまで力をつけたことに感心してしまいました。

 おそらく全国ホープス大会に出場しているチームで、選手全員が3年前後の経験しかないというところはあまりないのではないかと思います。子どもたちの努力をたたえたいと思います。

  「大会の目標は?」の質問には「ベスト8以上」ということに落ち着きましたが、現実には厳しい予選リーグを何とか勝ち抜かなければなりません。ダブルスもいい感じで仕上がっているのでかなりやれると確信しています。

 ともあれ明日からは全日本選手権大会が始まります。忙しい日々が続きます。


7/17(月) 「挑戦」への思い


 中津卓球ジムには「挑戦」と書かれた書が壁に掲げられています。この書にはジムの、とりわけ小学生クラブの活動を支えるシンボルとして子どもたちの日々の頑張りにつなげてほしいという願いが込められています。

 

 このことばをジムのシンボルにしたのは、「挑戦」はこれまで私が座右の銘としてきたことばであり、また子どもたちが将来に向けて夢を持ち挑戦を忘れないでほしいという強い思いがあるからです。


 それは、私の若い時分の体験を通しての思いでもあります。

 高校卒業時に親の反対であきらめかけた大学進学と教職への挑戦をを23歳の時に決断したことを思い出します。「自分には無理かもしれない。でもやってみないとわからない。ダメであってもどうにかなる!」というちょっと無謀な、人生の大きな転機となった若き日々の体験があります。


   あきらめれば夢は夢 志せば夢はちゃんと形づく


 子どもたちには日々こつこつと努力することの大切さを伝えていきたい。本気になれば目標は達成できるということをクラブの活動を通して伝えていきたい。それが私の使命であると思っています。

 

 おりしも今、「挑戦」の文字を入れたクラブ旗をつくろうと保護者の方々の中で計画が持ち上がっているとのことをお聞きしています4。ありがたいです。

 子どもたちだけでなく監督も「挑戦」はずっと続きます。


 7/10(月) 市長を表敬訪問


 10日午後、全国大会出場報告に子どもたちと一緒に中津市長を表敬訪問しました。

 今回は7月28日から開催の全日本選手権大会と8月14日から開催の全国ホープス大会の2つをかけもちで報告させていただきました。会では6年生の黒川春香さん、渋谷有里子さんが代表して力強い決意表明をしました。

 後の懇談では、子どもたち少し緊張している様子で市長からの質問にもすぐさま言葉が出にくい感じでしたが、監督の(いらぬ)横やり?ちょっかい?もあり何とかその場をしのいで頑張り?ました。そんな中、キャプテン黒川さんの進んで口を開き、しっかりと受け答えをしている姿に頼もしさを感じました。この日は子どもたちの日ごろジムでは見せない一面を垣間見る気がしました。 

 いよいよ全日本選手権まで2週間ちょっと。毎日をおろそかにはできません。


 7/5(水) 実りの強化策に!


 先々週より、頑張る子どもたちをより伸ばしたいという思いで、金曜日と土曜日の午後希望者を対象にした強化練習をスタートさせました。以前からやりたい子どもが自主的に練習していた時間ですが、より練習成果を上げるために練習日として位置づけることにしました。

 もともとこの時間帯は「一般開放」の時間であることから、一般の方との交流を後半の練習時間に組み込むことで、普段の小学生練習にない特色も出せています。

 

 この日も一般の方々7人が参加してくださり、子どもたちにはいい練習になりました。監督も動きの悪い体に鞭打って頑張りましたが、子どもたちには苦戦の連続です。


 6/21(水) 初めてのジャガイモ掘り 

      ちょっと少ないですが

 ここ最近小学生の試合や練習試合等が続いていることから、唯一ジムの休みである月曜日の午前中休みは日ごろおろそかになっているジム関係の仕事にあてたりとなかなか余裕のない日々が続いています。

 そんな一昨日の月曜日の朝、今日こそは山国の実家を訪ねようと電話をしたら、「ちょうどよかった。ジャガイモ掘りをしてほしい」とのこと。

一昨年から月曜日に時々行っては畑仕事を手伝ったりしていましたが、恥ずかしい話、どの作業も初体験のことばかり。今回のジャガイモ掘りも初めてのことで兄から指示されての作業でした。

 写真は猫の額ほどのジャガイモ畑からとれたものです。実は広い方のジャガイモ畑があったのですが、そちらは動物にやられて全滅したとのこと。近所の人から動物に食べさせるために野菜を作っているようなもの、などと茶化されたとか。まあそれもいいでしょう。

 それにしてもいまさらながら思うことは、これまで親や兄たちに畑はまかせっきりで、とれた野菜を食べるだけに専念してきた自分に少し罪なるものを感じています。


 6/12(月) 感動の勝利

   大会後の子どもたち

 6月10日に小学生九州大会予選がありました。

 大会前から男子が団体戦でベスト4に入れるかどうかが非常に気になるところでした。そこにきて6年生のA君が体調を悪くしてから1週間ほど練習ができていない状況で、大会当日も熱が下がらなければA君の出場はあきらめざるを得ないでした。

 ところがこの日に合わせたように、熱も下がりA君何とか出場することになりました。4決定戦は速見クラブ。案の定厳しい戦いとなりました。1対2から4番のエースT君が向うのエースと互角の戦いで勝利をおさめ2対2、ラストのA君につなぎました。

 A君は体調が十分でなく、フーフー言いながらの苦しい試合です。2セット先に取られた時点で、もはやここまでか、と腹をくくっていましたが、なんとA君3,4セットを大接戦の末ものにしセットオール。5セット目は雄たけびを上げての戦いで大逆転勝利。

 体調を崩しながらも懸命に戦ってのA君の勝利がチームの勝利につながったことでひどく感激してしまいました。思わず子どもたち一人一人に握手。話をしながら声が詰まって泣きそうでした。この勝利は九州大会に出れる、といううれしさより子どもたちが頑張って逆転勝ちをしたといううれしさの方が勝っていました。


 6/8(木) O型はおおらか?

 たしか二代目カローラだったよな

 ときには卓球の話から離れてみようと思います。

 先日ジムで血液型のことが話題になりました。そのことからちょっと思い出した話。

 私の血液型はO型。ときおりおおらかなO型などと評されることもあります。またおおざっぱなO型と陰口をたたかれることもあります。このおおらかさ?おおざっぱさ?がかずかずのお恥ずかしいエピソードを生みます。

 

 全く自慢話にもならない過去の車にまつわる話です。

 

 私の大学時代の卓球部の先輩(中学時代の後輩)であるMさんが自動車関係の仕事をしていたことから車に乗り始めて3台目まではMさんのお世話による中古車に乗りました。

 

 まず1台目は大学を出て1年目、高校に非常勤で勤めていてお金もなかったこともあって、たぶん廃車扱いの車だと思いますが、見るからに古そうなカローラの3万5000円の車に乗りました。坂道の多かった別府では重宝しましたが、何せバッテリーがすぐ上がり、そのたびに別府に住んでいたやはり大学の卓球部の先輩に電話をして来てもらい、ブースターケーブルでつないでもらうということが頻繁にありました。乗り始めて1年後、ある日車のサイドブレーキを強めに引いたところ、サイドブレーキがブチッと切れてしまい、坂道ではタイヤの後ろに石を置いたりしてしのいでいました。同僚の体育の教員からはさんざんバカにされ、「木炭車」と命名されてしまったそんな車でした。

 

 かくして1年半愛用したカローラとはお別れし、2台目は何と55万円のチェイサーに格上げとなりました。自分にはちょっともったいないなあと思っていた車ですが、そんな思いもつかの間、数か月後、ラジエターに穴が開いたのか、中の水が漏れ、ときどき水を補給して運転するはめになりました。そんなある日の夕暮れ時、佐伯市内の「佐伯大橋」を走行中、ラジエターに水がほとんど入ってなかったのか、ボンネットからモクモクと煙を出し始めました。のんきな私もこの時ばかりは「何とかせにゃ」と思い、橋を渡ってすぐ公衆電話から近くの卓球部の子どもに「今すぐやかんに水を入れて持ってきてくれ!」と電話。優秀でまじめなN君、息を切らして持ってきてくれ事なきを得ました。

 

 3年間愛用したこのチェイサーもワゴン車(ライトエース75万円)が必要になったことから任務を終えましたが、廃車するならと言ってMさんのお父さんが引き取ることにかりました。ところがです。譲って間もない日、Mさんのお父さんが山国町でこの車を運転していたら車の底がどさっと抜け落ちたそうです。私は蒲江町の海のすぐ近くに住んでいたことから、車の底が潮で腐敗して劣化していたのでしょう、お父さん曰く。「いらんこつ、もらわにゃよかった」と。憤慨したそうです。  

 この後も車の数々のエピソードが続きますが、長くなりますのでこの辺で。


 5/26(金) 久しぶりの再会

  

    「卓球三昧」石澤さんと

大会の熱戦の様子

 5月27日から2日間東アジアホープス代表選考会が東京・八王子市であり行ってきました。

 前日の26日、早めの飛行機で東京に行き、娘に、勤めている「卓球三昧」に案内してもらいました。設置されている3台ともレッスンが行われていました。店長の大塚さんや以前中津卓球ジムを訪れていただいた石澤さんもレッスン中でした。レッスンを受けていた3人のお客さんが「娘さんにはお世話になっています」などと入口付近にいる私にあいさつに来られて恐縮してしまいました。石澤さんからは「12月初めに北九州で大会があるので、その時はまたジムに行きます」と言われ、「ぜひ来てください」と伝えました。 娘にはそのまま大会が行われる八王子市に同行してもらい、早速午後7時からわがクラブの代表山口彩実さんの練習パートナーをしてもらいました。結局3日間練習相手を務めてもらうことになり、大助かりでした。それにしても会場で会ったいろんな人とあいさつを交わす娘の知り合いの多さに多少の驚きがありました。

 さて、肝心の試合の方は、彩実さんよく頑張って第一ステージを3勝1敗で2位通過。つづく第二ステージに臨みましたが厳しい戦いが続き1勝どまりでした。しかしもう1年あります。来年どんな成長をして、どんな戦い方をするのか楽しみにしたいと思います。

 いつもそうですが、全国大会に参加するといろいろ学ぶことが多いです。今後のクラブの練習のあり方は?などなど。いろんな思いにふけながら帰路につきました。


 5/19(金) ジム移転一周年

 7台使い「UME(夢)クラブ」練習

 今のジムに移転してちょうど1年たちました。移転作業にはたくさんの方々に応援していただきました。前のジムの片づけ作業から新ジムのスタートまでの準備作業を手伝っていただいたときの様子が昨日のことのように思い出されます。歳のせいもあるかもしれませんが、過ぎてみれば早かったなと思います。

 ときおり前のジムの近くを通ることがありますが、今もここでやってたらどうだろう、と思うとつい胸をなでおろしてしまいます。移転後は騒音などの周囲への気遣いをしなくて済むことや練習場が広くなったこと等を考えたら現在のジムがどれだけありがたいか。今の建物や場所以上のところを見つけること自体難しいと思います。経営的には前ジムより厳しさがありますが、子どもたちをはじめ利用者には以前と違った満足度があると感じています。

 つい現ジムのありがたさを忘れがちになりますが、「初心忘るべからず」です。あとは「ぬし」が倒れずにジムを続けられるかどうかにかかっています。


 5/14(日) 肉が出なかった!



3位のAチーム

 5月14日、小学生クラブは恒例のメルヘンオープンに参加しました。ちょうど地域の溝掃除の日だったため、作業を終えての参加で試合途中に駆けつけることになりました。今日は男子会場です。つい最近男子の一人がクラブをやめたことから、男子チームの子どもたちと一緒にスタートラインに立った気持ちでベンチ入りしました。まだまだこれからのチームでもあり、もちろんめぼしい結果は残せませんでしたが、新チームとしての一歩を踏み出した気持ちになりました。

 別会場では女子とチャレンジクラスの子どもたちが熱戦を繰り広げました。チャレンジクラス(全員バンビ)には宇土クラブから2チーム参加。他に出場したのが1チームだったため3チームのリーグ戦でした。結果は1、2位となり宇土クラブのちびっこの健在ぶりをアピールしました。  毎年優勝チームには豊後牛が賞品としてありましたので、子どもたちだけでなく、監督も少なからず期待しましたが、今年は違う賞品でした。不思議に思った子どもたちは本部席に行って「肉は出ないのですか?」と聞きに行ったとか。けなげです。ふっと笑いが出てしまいました。前日監督から「バンビは必ず肉をゲットするように!」と至上命令を出されていただけにその思いが強かったのでしょう。

 一方、女子はBチームが決勝トーナメント1回戦で、Aチームが準決勝でそれぞれ「荒木卓球クラブ」に負けました。Aチームは接戦はするものの競り負けるセットが多く一歩及ばず。これを乗り越えるチームにならないと全国ではまだまだ戦えないなと感じました。最も相手は全員中学生ですし、うちの子どもたちのように2〜3年のキャリアぐらいではないのでかけた時間の違いもあります。よく戦っているのは確かです。

 いつも思うことですが、大会に出場して無駄な体験は一つもなく、今回もまたチーム全体のこと、子どもたち一人ひとりの課題等ついて考えさせられ勉強になった大会になりました。


5/4(木) 全日本予選6人通過


 5月4日に全日本選手権(ホカバ)の県予選があり、6人が全日本の出場権を獲得しました。

 この大会でうれしかったことをいくつかあげたいと思います。まず女子ホープスでの活躍があります。出場した6人すべてがリーグ戦で1位となりベスト6を独占しました。中でも昨年までずっと全日本に出場していたOさんを破ってリーグ1位になったIさんの活躍は見事でした。監督のもとに走ってきて報告したIさんと握手したときは感激で涙が出そうになりました。こらえました。Iさんを含め3人がリーグ戦で上の位置の子どもを破っての1位通過は立派です。成果が出たな、と思いました。

 次にベスト4に3人入ったバンビ男子の活躍です。日ごろの親の指導が生きた結果でもありました。これからの成長が楽しみです。また、ペン枠で出場権を獲得したホープスF君も試合運び等、成長を感じさせてくれ、その戦いにはグッときました。ほかにも最近伸びてきている子どもや始めてから半年も経たない経験値で一勝をあげた2人の新鋭等、今大会でたくさんの喜びを感じました。

 このように子どもたちが成長していっているのは、一つにはコーチや保護者、一般の方々の援助のおかげであることは言うまでもありません。そしてもう一つは、子どもが多くきめ細かい指導はできない中でも、クラブの子どもたち同士で刺激しあって高めあう練習になっていること。マンツーマンの練習にはないプラスの効果があるということなどを感じています。これは中学の部活動のときも同じ思いをしました。そしてさらにもう一つは、この1年間で大会に参加した回数がたぶん大分県で一番だと思います。あげればきりがありませんが、そうしたいろいろな要因があっての成長です。

 大会を終えて、チームとしての課題も改めて感じています。男女ともカブの層が薄いところをどうチーム全体でカバーしていくか。心境著しいチームとの戦いも今後予想されます。子どもたちの意欲に支えられながらまた前進していかねばなりません。


 4/15(土) 悲願の全国切符

 4月15日、全国ホープス県予選があり、女子Aチームが優勝しました。悲願だったチーム戦での全国出場の切符をようやく手に入れることができました。

 昨年の大会は忘れもしない、決勝戦で明野ジュニアと対戦、大接戦の末2−3で惜敗しました。あれから1年間ずっとこの大会をめざしてやってきたと言えるぐらい頭から離れず、全国出場はクリアしなければならない命題でもありました。

 今年はライバル明野ジュニアの戦力が落ちていることと、宇土クラブの女子がこの1年間よく成長したこともあり、決勝戦は1セットも落とさない内容でしたが、「早くすっきりしたい」という思いがずっとありましたので、終わってから「優勝の喜び」よりも「ホットした」といった感じでした。

 一方、男子や女子Bチームもよく頑張り、それぞれ9チーム中3位の成績でした。特に男子は6年生3人が抜けて、戦力ダウンは否めませんでしたが、要所での踏ん張りと、以前勝てていない選手に勝ったり、強い選手と接戦したりと勢いのある戦いぶりで価値ある3位でした。

 今回もまた成長を確認できた大会でもありましたが、課題も目についた大会でもありました。

 改めて日常の練習でサポートしてくださるコーチや保護者、一般の方たちの期待に沿えるようがんばらねばなりません。

 次なる目標に向けて積み重ねの日々が始まりました。


 3/30(木) 別れの季節

 春は別れと出会いの季節。今年もまた別れがありました。今年中学校を卒業した後藤里沙さんが長崎の高校に進学することになりました。先日の小学生クラブの練習がジムでの最後の練習になりました。

 後藤さんは中学1年生の時、学校の部活動で頑張るかたわら、足しげくジムへとレッスンに通い、見る見る間に力をつけ、中学校の部活動でも中心選手として活躍しました。

 部活がひと段落してからは、特別なことがない限り、毎日通い続けてきた彼女、周りから「ヌシ」と呼ばれていました。ジムにとっては本当にありがたい存在でした。小学生の練習パートナーとして、また多球練習の球出し役として、そしてある日はジムの店番をしたりと計り知れないほどジムに貢献してくれた中学生でした。

 宇土クラブで頑張った最初の中学卒業生として、これからも小学生の子どもたちのあこがれのお姉さんとして輝いてほしいものです。すばらしい高校生活を送れますようにと祈るばかりです。


 3/26(日) 県中体連主催講習会に参加

 3月26日(日)に県中体連主催の指導者講習会が大分市の滝尾中学校で開催され講師として参加しました。担当の方によると、この日36人の方々にご参加いただいているということでした。会場で中体連会長の桜井先生をはじめとして懐かしい方々にたくさん出会い、自分が学校現場にいたことを改めて思い返してしまいました。

 当日は小学生クラブの子ども2人に手伝ってもらおうと思っていましたが、ちょうど全国ホープス選抜大会の最中でクラブの子ども2人参加しており、急きょわがクラブ中学生のエースSさんに依頼して小学生のKさんと2人、サポート役を務めてもらいました。Sさんは妹の全国大会の応援に行かず、講習会の方を選択してくれ、申し訳ない感じでした。

 参加した各学校の指導者のみなさんはビデオを撮ったり、メモを取ったりして熱心に受講されており、これはいい加減なことは言えないなと思いつつもありのままを伝えるしかなく、うしろめたさをちょっぴり感じながらの3時間でした。

 いい講習会を務めることができたかどうかは別として、子どもたちと一緒にこうした会に参加できたことで、楽しいひと時を過ごすことができたのは本当にありがたい身であることをしみじみ感じました。



 3/6(月) 平野早矢香さんと

 先週は東京選手権が東京体育館で開催されていました。わが娘もベンチアドバイザーとして参加したようで、会場で撮ったという写真を昨日送ってきました。

 ツーショットのお相手はオリンピックや世界選手権で活躍した平野早矢香さんです。娘の尊敬する平野さんにばったり会場でお会いしたようですが、ちょっぴり?太めの娘に馴れ馴れしく肩に手を回されての写真撮影は、平野さんもさぞかし迷惑だったに違いありません。

 娘が中学時代、北海道であった全中の大会で、そのころ超人気だった福原愛さんと会った時も、だれもが遠巻きにして近寄れなかったのに、わが娘は友達のようにして福原愛さんの肩をバーンとたたいたりして馴れ馴れしく接していたことを思い出します。親も遠巻きにひやひやして娘の行動を見てました。

 写真を見て、今もあの頃と本質的に変わりないことを感じます。いいのか悪いのか?全くだれに似たのかと娘の行動に首をかしげてしまいます。

 

 2/23(木) 試練を乗り越えてこそ 


     桜の季節がが待ち遠しい!

            冬来たりなば 春遠からじ

 ここ数日の気候から、寒さもようやく底を抜け出してきている感じがします。春が待ち遠しい時候となりました。

 この季節になると、つい桜が咲き乱れる季節を待ち焦がれてしまいます。その桜から学ぶこともあります。

 ある書物に書いていたことですが、3月から4月にかけて見事なまでにきれいに咲く桜も、冬の厳しい寒さを体験してこそ初めてきれいな花を咲かせるそうです。例えば、桜の木を冬の間、「寒かろうに」といって温かい部屋に入れておくと桜は花を咲かせないそうです。これはチューリップにしても同じことが起きるそうです。

 つい日常の私たちの生き方に重ね合わせてしまいますが、温室育ちは大成しないということを教えてくれている気がします。

 転じて小学生クラブの子どもたちにも同じことが言えると思います。春のシーズンに向けて、前年の秋から冬にかけての時期をどう頑張ったかで4月からの試合で花を咲かせるかどうかにかかってくると思います。大きな大会のない時期(今は年中ある感じですが)にこそこつこつと積み上げておくことの大切さを桜からも学ぶことができます。


 2月20日(火) 10年ぶりの再会

 今日も山国中学校時代の話で恐縮です。

 昨日(20日)昔懐かしい人がジムを訪れてくれました。21年前母校山国中学校でクラス担任としては最後の年(20年前)を飾った?時のクラスの生徒(1年1組)であったMさんがジムにひょっこり来てくれました。拝見するのは実に10年ぶりです。もちろんMさんは山国中卓球部の一員で、そのことが学級で部活の顧問である私の集中砲火を浴びることにもなりました。(Mさんを含め最高の子どもたちでした)

 しかしその学年は私がそれまで顧問をした卓球部ではかつてない恵まれたメンバーのいる学年でした。私は山国中学校の勤めが6年目であったために泣く泣く次の年転任しましたが、案の定翌年の2年生のときに第一回全国中学校選抜大会に出場を果たした、そんな学年でもあります。

 わずか1年の付き合いですが、Mさんだけでなく、Mさんの同級生も以前入れ代わり立ち代わり訪ねてきてくれたことがあり、本当にありがたさを感じています。学級も部活も濃い1年間だったと今も感じています。

 ちょうど今日は同郷の鎌倉さんがこれまたひょっこり来て、Mさんと2人でしばらく熱のこもった練習していました。2人とも練習不足で思うようにはならない様子でしたが、いい汗をかいていました。

 Mさんに「さすが中1のときに基本をたたきこんだだけあっていいふスイングをしている」と私の自画自賛にもとれる言葉をかけました。


 2/12(日) 時代の移り変わり

  C部決勝宗近中との一戦

 先日の2月12日、県団体選手権大会が大分市でありました。わが宇土クラブからBクラスに一般2チーム、Cクラスに小学生男子1チーム、女子2チームの合計5チームが参加しました。戦いぶりについては割愛しますが、この大会に宇土クラブの一員として親子で参加した家庭が実に4組ありました。なかなか見れない光景でもあり、ちょっとうれしくなりました。

 そのうちのWさんの親子の様子を見ながら、時代の移り変わりというものをつくづく感じてしまいました。お子さんである3年生のC子さんはAチームで出場し、準決勝で貴重なポイントを上げて3−2で競り勝ちチームに貢献しました。一方お父さんも接戦の試合をラストで勝ちチームを勝利に導きました。

 お父さんのWさんは、今から20年前卓球部の顧問をしていたときの部員でもあります。激しくしかったことも少なくありませんが、キャプテンとしてよくがんばった生徒でした。そのWさんのお父さん(C子さんの祖父)がその時代保護者会の会長としていろいろと世話をしてくださり、私もずいぶんお世話になった思い出があります。子どもであったWさんがこうして親となり、そしてお子さんが同じ卓球をしているということ。つい20年前のWさんのご家庭の親子の姿が浮かんできます。


 1/28(土) ついに監督まで

 全国的にインフルエンザが猛威をふるっています。わが小学生クラブもその波が押し寄せてきています。先日の県選抜の候補選手の熊本合宿では宇土クラブ女子4人中2人がインフルエンザによる欠席を強いられました。そして参加した2人も帰ってきて発症。現在練習を休んでいます。男子にもり患している子どもがいます。

 そして今日(26日)、私は昨日から咳が出てきつかったことからかかりつけの病院に行って検査しました。以前このブログに登場したことのある女医さんに「熱も出てないし、検査をどうしようかと言いながら、念のために」と細い綿棒みたいなものを鼻の奥に突っ込んで検査。女医さんの前で涙を見せたくはありませんでしたが、涙がポロポロ出てきました。結果は、見事感染していました。「生徒さんと同じA型です。かかっている割には元気ですね」と言われました。どうもクラブの子どもが検査に来て女医さんと宇土クラブの話題になったようです。「かわいい子どもが来ましたよ」ということでした。自分のインフルエンザが、かりに子どもたちからもらったのだったらそれならまあいいかと妙に納得してしまいました。

 診察後、女医さんが「卓球界は次々若い人が出てきますね。水谷選手は負けたのかと思ったら決勝でやっていたのでびっくりしました」などと卓球の話題に結構詳しいのでちょっとうれしくなりました。


  〜この後急激に熱が出てブログを中断。インフルエンザとの攻防  (ほとんど守りでしたが)が2日間続きました。〜


 そして闘いを終えて今日(28日)復活。再びつづっています。先ほどまで微熱がありましがようやく熱が収まった感じです。それにしても久しぶりの39度の熱でした。

 

 今日は「中津会長杯大会」があり、子どもたちは参加しました。5日間練習しないで参加した子どもや現在り患していて参加できない子ども、大会中に悪くなって棄権して帰った子どもとインフルエンザによる影響はすさまじいものがあります。

 何はともあれコーチや保護者のみなさんのおかげで無事終えることができました。早く宇土クラブが正常な状態に戻りたいです。


 1/9(月) 成果が見えた!

 1月9日に県小学生選手権大会が大分市で開催されました。

 県内の小学生の大会は昨年の6月に九州大会予選があって以来ということで、わがチームの子どもたちがどんな戦いをするのか、他のチームがどう変わっているのか、この7ヶ月間の取り組みの検証結果が出ることを考えると、楽しみと不安が入り混じった気持ちでした。予選会以上の緊張感がありました。

 試合は予想以上に子どもたちの活躍がみられる内容となりました。以前負けている選手に勝ったり、ちょっと厳しいかなと思うリーグを勝ち抜けたりとうれしい結果がかなりありました。来年度のカデット県大会の推薦出場となるベスト16に男子が4人、内ベスト8に2人、女子のベスト16には7人、内3人が8以上で準優勝、3位、ベスト8という内容でした。決勝戦では山口さんが梅木さん(東飯田小)にあと一歩というところでした。

 思えば、この大会も3回目の出場ですが、1年目の一昨年はベスト16に男女とも一人も残れず。昨年はベスト16に女子2人、男子は0だったことを考えればかなりの躍進ともいえる結果でした。日頃取り組んできている練習が間違っていないことを実証してくれたと思います。

 翌日の練習で成果を上げた要因を子どもたちと一緒に振り返りました。今後に向けて一層頑張らねばと決意を新たにしました。


 1/5(木) 九州教職員大会惨敗

 1月5日に新年恒例の九州教職員大会が熊本・玉名市でありました。前日は北九州で小学生の練習会があった関係で、夜熊本入りしました。今年は例年以上に練習ができていない中での参加でしたので、正直なところモチベーションも上がらない参加になりました。しかし年配の方々や若い人やらいつものメンバーと行動を共にしての参加は試合以外で楽しみもあります。

 さて、昨年はかろうじて優勝できた大会ですが、今年は60歳代の部準決勝でペン表の森さんに試合をさせてもらえず3位どまり。最もやりたくないタイプの人ですが、これまで4〜5回対戦していずれも何とかしのいできました。しかし今回は恥ずかしい試合内容で終わりました。テンションも上がらずじまいでした。

 ところで、わが母校山国中学校出身の中野さんと井上さんの一般男子の試合は私の試合とは違ってなかなか見ごたえのある試合でした。何も一般男子が2人しか参加していない大分県の、しかも同じチームの2人が準決勝で当たらなくていいのにと思いましたが、母校の”先輩”として対戦は楽しみで、がんばる2人にうれしくもありました。

 今年はスタートで自分の試合ではうまくいきませんでしたが、ジムにとってはいい1年でありたいと思います。