曹操(155〜220)の先祖は、漢王朝創立の功臣である曹参(そうしん)と伝えられている。曹操が生まれたときには、曹氏一族は現在の安徽省毫州市一帯の資産家にして官僚を輩出する豪族であった。祖父の曹騰(そうとう)は宦官となり、後漢王朝の皇帝に信頼されて貴族に取り立てられ、その養子の曹嵩(そうすう)は大臣になった。
曹嵩の子の曹操は、曹家の財力と祖父、父の実績を背景に、エリート官僚候補生として世に出た。曹操は後漢時代末期の戦乱の時代に有力武将として中国北部に勢力を拡大し、魏を創立として魏王となったが、220年に66歳で没した。同年、子の曹丕が漢の献帝から帝位を譲られ、魏の初代皇帝(文帝)に即位した。曹操には、武帝の諡号が贈られた。その後、中国南西部の蜀の劉備、東南部の呉の孫権も皇帝に即位して三国時代となった。魏王朝は五代続いたが、265年に晋に皇位を奪われ滅亡した。
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