劉備(161〜223)の先祖は、前漢の武帝の異母兄弟である中山靖王劉勝と伝えられている。劉備も後漢時代末に有力武将となり、関羽、張飛を部隊長とし、諸葛亮を参謀に加えて中国南西部に勢力を拡大した。220年に曹丕が漢王朝を滅ぼして魏の皇帝となると、劉備は前漢王族の末裔である自分こそが漢王朝の正当な後継者であると主張して皇帝に即位した。劉備は国号を「漢」と称していたが、『三国志』はこの地の歴史的地名である「蜀」を採用し、この名が今日まで広く用いられている。蜀漢ということもある。劉備の死後、子の劉禅が皇帝を継いだが、262年に劉禅が魏に降伏し、王朝は滅亡した。
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