Title9-3.GIF (2758 バイト) Eurasia1248   クロニクル「モンゴル帝国」(INDEX)

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 モンゴル帝国の成立(7)
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 ◆チンギス=ハーンの子の時代(概略)◆ 
チンギス=ハーンの第三子オゴティは耶律楚材などを登用し、帝国の体制を整える一方、バトゥを欧州征討に派遣するなど領土的にも拡大したが、1241年に死去した。その妻トゥラキナの尽力で子グユクがハーン位に就くが、元来病弱な上に酒などの不摂生により短命で死去する。バトゥは西方遠征でオーストリアやハンガリー、セルビアを席捲した。バトゥはその遠征により実力をつけ、その封地ジュチウルスで、サライを国都と定めるなど、事実上独立国家を持つようになり(キプチャク=ハン国)、それまでのウルス(領地)が徐々にハーンを持つ国となっていく。グユク死後、そのバトゥが推すモンケ派とオゴディの孫シラムン(グユクとは腹違いの弟)を推すオゴディ派の対立となる。また、モンゴル軍は南方インドではインダス川上流やチベットへ侵寇した。

チンギス=ハーンの子の時代(2) 他地域の情勢
1239年 イスラム商人アブドゥル=ラフマーン、河南の租税徴収を請け負い成果を上げる グレゴリウス9世、再び神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世を破門
ゴデン、チベットに侵入し、ラデン僧院、ギェルラカン寺を焼く リトアニアのミンドフク、キリスト教に帰依し教皇から王冠を授かる
1240年 モンゴル軍、キエフ、クラカウなど占領し、中欧に迫る。 ノブゴロト公アレクサンドル=ネフスキー、スウェーデン軍をネヴァ川に破る
 奴隷王朝の女スルタン ラズィーヤが対立する貴族に位を追われたあと、実権のないイルトゥトゥミシュの息子たちが次々に担ぎ出される。
1241年 リーグニッツの戦い;バトゥ、ドイツ騎士団・ポーランド連合軍を破る。 フリードリヒ2世、ローマ進撃
ホラズム人ヤラワチ、華北漢民の財政を担当 リューベックとハンブルク市同盟;ハンザ同盟の起源
オゴディ=ハーン死去。第六皇后トゥラキナ、監国となる グレゴリウス9世没。教皇1年空位
モンゴル軍、インドパンジャーブ地方へ侵入。ラホール占領。 日本;鎌倉幕府、多摩川の引水で武蔵野開墾を計画
1242年 モンゴル軍、一時オーストリア、ダルマチアを略奪した後、東方へ去る タイユブールの戦い;イングランド王ヘンリ3世のフランス領土奪回失敗
モンゴル軍、モラヴィアのオロモウツを破壊 デリースルタン朝のムイズッディーン=バフラーム廃位され、アラーウッディーン=マスード即位
蜀に侵入するが、宋の武将孟[王共]に撃退される。
長老チャガタイ没 ノブゴロト公アレクサンドル=ネフスキー、ドイツ騎士団を破る(チュドー湖の戦い)
モンゴル軍、ルーム=セルジューク朝をキョセ=ダウの戦いで破る
1243年 バトゥ、南ロシアにキプチャク=ハン国を建国(首都;サライ) ボルドーの和約;英仏5年休戦協定成立
ルーム=セルジューク朝、モンゴルに大敗し、臣属。
1244年 モンゴル軍、アナトリア(小アジア)へ アイユーブ朝、イェルサレムを奪回
耶律楚材 フリードリヒ2世、カンパーニャ侵入。教皇、ジェノバ、リヨンへ逃げる
モンゴル軍、寿春府を囲むが、宋の武将呂文徳に撃退される
1245年 11-モンゴル軍、蜀に侵入 インド東カンガ朝、ムスリム支配下のベンガルに侵入
モンゴル軍、インドのムルターン、ウッチに侵入 リヨン公会議;皇帝フリードリヒ2世の破門を確認し、廃位を宣言
1246年 グユク=ハーン即位(皇太后トゥラキナ{グユクの母}没) 賈似道、京湖制置使となる。
ローマ教皇の使者カルピーニ、カラコルムに至る デリースルタン朝ナーリル=ウッディーン=マフムード即位;宰相バルバン活躍
1247年 モンゴル武将アムカン、洪福源と共に高麗に侵入 日本;執権北条時頼、三浦泰村一族を討つ
宋の呂文徳、モンゴル軍を泗州に破る。 日本時頼、道元を鎌倉に招く
1248年 グユク=ハーン没。皇后オグルガイミシュ、監国となる。 マリーン朝モロッコ北部へ勢力拡大
シラムン(オゴディの孫)擁立するオゴディ派とモンケ擁立を図るバトゥらの対立起る。 デリースルタン朝の奴隷貴族バルバン、らジャスターン地方のランタンボールを包囲

 

資料 陳舜臣『チンギス=ハーンの一族』