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 ◆チンギス=ハーンの孫の時代(概略)◆ 
チンギス=ハーンの末子トゥルイの長男モンケはハーン位に、次男フビライは長兄モンケから疎まれることもあったが、伐宋軍を率いることとなり、三男フラグは西方遠征へ、末弟アリクブカは首都カラコルムの留守役となった。モンケは伐宋戦の最中に病没、末子相続の習慣のあるモンゴルでは、カラコルムにおいてアリクブカを推戴する動きが起った。しかし、実力をもつフビライは自らハーン位に就いた。一方、フラグはペルシアで自立し、イル=ハーン国を建国した。突如南に国ができたキプチャク=ハーン国とイル=ハーン国の間では、国境をめぐる争いが起きた。東方では雲南、大理、チベット、ヴェトナムにまで遠征し、支配領域を拡大させた。

チンギス=ハーンの孫の時代(1) 他地域の情勢
1249年 バトゥ、クリルタイを開きモンケ擁立を決議 ルイ9世の第7回十字軍エジプトのダミエッタを占領
宋、趙葵が右丞相となる。 ポルトガルのサンチアゴ・カラトラバ騎士団による国土回復運動
1250年 クリルタイ、ケルレン河畔で開かれるがモンケ即位決定せず。 アイユーブ朝の奴隷兵将軍シャジャル=アッドゥッル、フランスのルイ9世の十字軍をマンスーラで撃破
フリードリヒ2世没(1212〜)。コンラート4世、ドイツ、シチリア、イェルサレム各王位を継承
宋の趙葵が宰相を辞任。賈似道、両淮制置大使など要職に就き台頭。 奴隷兵将軍シャジャル=アッドゥッル、アイユーブ朝を滅ぼし、マムルーク朝を建国(〜1517);バフリー=マムルーク朝(〜1390)、ブルジー=マムルーク朝(1382〜1517)
1251年 モンケ=ハーン即位(〜1259)
仏僧海雲、釈教を管轄 フランス北〜中央部で農民蜂起激化
皇弟フビライ、蒙古、漢地の民戸を領治。 日本;幕府、足利氏泰の所領を自由出家の罪で没収
1252年 1-皇太后ソルカグダニ(トゥルイの妃、モンケ、フビライの母)没。 コンラート4世シチリア鎮圧のためイタリアへ
2-モンケ、オゴディ派諸王を分遷し、先の皇后オグルガイミシュらを殺し、シラムンらを処罰 ホラント伯ウィレム、再度対立皇帝に選ばれる
フビライ、大理(雲南)征討を命ぜられる 日本;将軍九条頼嗣を廃し、宗尊親王を迎える;皇族将軍の初め
チャガタイ=ハン国オルガナ(ハラ=フラグの妃)即位(〜1261) アレクサンドル1世ネフスキー、ウラジーミル大公となる
1253年 モンゴル軍、高麗に侵入。高麗の高宗、王子をモンゴル帝国に派遣。 パリ大学、教皇に反抗。
イェグ、高麗を征討 コンラート4世、ナポリを征服し、シチリアの反乱を鎮圧
フラグ、西アジア遠征に出発 日本:日蓮、鎌倉で法華教を唱える。北条時頼、建長寺の落慶供養
フビライ、大理を平定
フランス王ルイ9世の使者ルブルク、カラコルムに到着 エペイロスのミカエル2世、ニケーア帝国の宗主権を承認
1254年 ジャラルタイ、再び高麗を征討。20万人を捕える。 独:コンラート4世没(1250〜);シュタウフェン家断絶し、ドイツの大空位時代(〜1273)
フビライ、武将ウリャンハタイを留め、大理遠征から帰還 独:司教、諸侯、都市の代表、ヴォルムスに会して国内平和確保のためのライン都市同盟を結成
フランス王ルイ9世の使者モンケ=ハーンの書を持って帰国 教皇インノケンティウス4世、シチリア王国征服を企図;世俗権力との対立激化
1255年 ウリャンハタイ、雲南地方を平定 ニケーア帝国のテオドロス2世北部マケドニアでブルガリア軍に勝利
バトゥ没 ボヘミアのオタカル2世、ドイツ騎士団と共にケーニヒスベルク建設し、ドイツ人の移住を奨励。スラブ人に対する前線基地
1256年 チベットのカルマ=パクシ、モンケ=ハーンのラマ(師匠、仏僧) コンラート4世の対立皇帝ホラント伯ウィレム没
フビライ、ドロンノールに開平府城(上都)を築く イタリアのボローニャで農奴解放令を発布
モンゴル軍、パンジャーブに侵入 日本:北条時頼、執権職を北条長時に譲り最明寺で出家
フラグのモンゴル軍、イスマイール派の暗殺者教団(ニザール派教団)の根拠地アラムート城を占領;暗殺者教団潰滅 アウグスティヌス隠修士会創立
1257年 宋、高麗へのモンゴル軍侵入はじまる 独:選帝候会議、イングランド王の弟コーンウォール伯リチャードを国王に選ぶ(〜1272)。選帝候の少数派、カスティリア王アルフォンソ10世を国王に選出(〜1275):国王の二重選挙により大空位時代の分裂深まる
モンケ=ハーン、南宋親征に出発 エペイロスのミカエル2世の反乱。ニケーア軍、これを鎮圧。
ウリャンハタイのモンゴル軍、ヴェトナムに侵入し、交趾を攻略 ブルガリア、アッセン朝最後の皇帝コロマン2世即位;ブルガリア小国に分裂
1258年 モンケ=ハーン、軍を陜西に進め、四川に向う 英:オックスフォード条項;ヘンリ3世貴族の国政改革案を承認
フビライ、軍を率いて宋を討つことを命じられる フランス王ルイ9世、アラゴン王ハイメ1世と国境画定のコルベーユ条約を締結;アラゴンの南仏進出阻止される
フラグ、アッバース朝カリフ軍を撃破(トゥジャイルの戦い)、バグダードを攻略;アッバース朝滅亡(750〜)
フラグ自立し、イル=ハン国を樹立(〜1353) アレクサンドル1世ネフスキー、ノヴゴロトの反乱を鎮圧
1259年 7-モンケ=ハーン四川の合州(重慶)攻囲中に病没。 英:ウェストミンスター条項;イングランド諸侯の国政参加を規定
カラコルムで皇弟アリクブカをハーン位に推戴する動き起る パリ条約;ルイ9世、プランタジネット家と和解。ヘンリ3世はフランス領土請求権を放棄し、アキテーヌ公として仏王に臣従。
10-フビライ、宋の右丞相賈似道と和し、鄂州の囲みを解いて北に帰る エペイロス王ミカエル2世、テッサロニケ攻撃。ニケーア軍、これを破る(ペラゴニアの戦い)

 

資料 陳舜臣『チンギス=ハーンの一族』