Title9-3.GIF (2758 バイト) Eurasia1227   クロニクル「モンゴル帝国」(INDEX)

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 ◆チンギス=ハーンの子の時代(概略)◆
チンギス=ハーンの長子ジュチは、母ボルテが懐妊中にメルキト部に略奪されたため、「客人」を意味するジュチと名づけられ、出生の秘密がつきまとった。ジュチは征服した南ロシアの地に封ぜられたが、病からモンゴルに戻らず、父チンギス=ハーンからも反乱の疑惑をかけられた、討伐軍が差し向けられそうになったが、病は本当で病没。その支配地はジュチ・ウルス(分封地)となり、後のキプチャク=ハン国の元ととなる。同様にチンギス=ハーンはその生前から、諸子に分封しており、次男チャガタイには、ほぼカラ=キタイ(西遼)の旧領が与えられ、三男オゴディにはアルタイ山脈の西麓で、ナイマンの旧領に相当する地が与えられていた。末子相続の習慣からトゥルイには分封地はなく、父チンギスの所領すなわちモンゴリアとケレイトの地が引き継がれることとになっていた。1227年、チンギス=ハーンはついに西夏を征服したが、その帰途没し、六盤山に葬られる。チンギスとしては後継に三男オゴディを望んでいたが、モンゴルのしきたりとしてそれはあくまでもクリルタイで決められることとなる。

チンギス=ハーンの時代(5) 他地域の情勢
1225年 2-モンゴルの武将史天倪、反将武仙に殺される。 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世、イェルサレム王を兼ねる
9-金と西夏との和議成る。;金を兄、西夏を弟として修交
チンギス=ハーンの長子ジュチ没 北条政子没
1226年 1-チンギス=ハーン、西夏を親征、黒水城、甘州、粛州を取り、霊州を攻め、首都興慶府に迫る。 フリードリヒ2世、ドイツ騎士団にリミニの金印勅書を与え、プロイセンの領有権を認めて征服を委任
7-西夏の献宗李徳旺没。李睨継ぐ。
1227年 5-宋の反将李全、青州でモンゴルに降る。 教皇グレゴリウス9世即位。十字軍遠征延期を理由にフリードリヒ2世を破門
モンゴル軍、金の徳順府、臨兆府を取る
6-モンゴル軍、西夏を征服;西夏滅亡
7-チンギス=ハーン、帰途途上で没。末子トゥルイ監国となる。

 

資料 陳舜臣『チンギス=ハーンの一族』