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建国
1006年タングートの王李徳明は宋に降った。その子李元昊はウイグルを討って、甘州や涼州を占領。1032年、父の封職を継ぐと兵制、官制を整備し、1036年には瓜・沙・粛州を占領。1038年に帝位に就き、国号を大夏(西夏)とした。
建国までは周囲を占領し、着々と領土を拡張した。宋が互市貿易を禁止するとしばしば交戦し、次第に宋を抑えて、歳賜をとり貿易を行なった。しかし、契丹の攻撃にあい、西夏はこれに牽制され、宋に対して従順にならざるをえなかった。
1209年チンギス=ハーンに首都霊州に迫られて和睦し、モンゴル軍とともに金討伐に従っていたが、モンゴルの圧力が東西へ分散されると金からの攻撃も受けるなどした。1225年、金を兄、西夏が弟となり金との間の修交成るが、その優柔不断な姿勢から、再びチンギス=ハーンの西夏親征を受けるところとなりついに1227年西夏王李睨がモンゴル軍に降り、西夏は滅亡した。
なお、チンギス=ハーンはこの西夏討伐の帰途死亡している。
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