チンギス=ハーンの時代(2) |
他地域の情勢 |
1207年 |
5-宋、金に歳幣を増すことで和を請う。 |
1206年(*1) インド ゴール朝のマムルーク クトゥブッディーン・アイバクは、王ムハンマドの死後、デリーで自立し北インドを支配する奴隷王朝(またはインド・マムルーク朝)を設立。この後、北インドを支配した5王朝をデリー・スルタン朝と総称する。
13世紀から100年にわたってモンゴルのインド侵攻(1221〜1320年)にさらされた。 |
7-チンギス=ハーン、西夏に侵寇。 |
チンギス=ハーンの長子ジュチ、森林の民オイラート征討 |
1208年 |
ジュチ、オイラートを降す。 |
メルキート部、オイラート部の残党征討される。 |
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ナイマン部のタヤン=ハンの子クチュルク、西遼(カラ=キタイ)に逃走。 |
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1209年 |
モンゴル、西夏に侵入し、首都霊州に迫る。西夏王李安全、和を結ぶ。 |
オットー4世、ローマで帝冠を受ける;皇帝と教皇の妥協。 |
天山方面のウイグル、モンゴルに降る。 |
1210年 |
モンゴル軍と協力する西夏軍、金の葭州に侵入。 |
インド奴隷王朝のアイバクは一代で北インドに版図を広げ、首都デリーの建設を進めたが、1210年にポロ競技のさなかに死去した。アイバクの死後娘婿シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュが即位する。イルトゥトゥミシュは自身の同輩であるアイバクのマムルーク将軍たちを一掃してベンガル・ビハール・パンジャーブまで領有して奴隷王朝の北インド支配を確立した。 |
1211年 |
チンギス=ハーン、金征討開始。 4-金、モンゴルに遣使して和を請う。 9-モンゴル、金の徳興府、居庸関を占領。 10-金の耶律阿海降る。 耶律留哥、東北の吉林方面の契丹人を結集し、金に背く。 |
ニケーア帝国、トレビゾンド帝国とルーム=セルジューク帝国に勝利し、領土を拡大。 |
亡命中のナイマン王クチュルク、カラ=キタイ(西遼)の王チュルクの王位を奪う。 |
ホラズム朝アラー=アッディーン、西カラ=ハン朝を滅ぼす(〜1041)。 |
1212年 |
1-金に背いた耶律留哥、モンゴルに来帰。 3-西夏、葭州に侵入。 |
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3-モンゴル、金の宣徳府を占領。 |
1213年 |
金の反将耶律留哥、自立し遼王と称す。 6-西夏、保安州、慶陽府に侵入。 8-金の[糸乞]石烈胡沙虎、監国都元帥を称し、衛紹王(廃帝)を殺し、宣宗を擁立。その後殺される。 10-モンゴル、金の中都大興府(北京)を包囲。 モンゴル、金の河北、河東、山東路の大半の府州を占領。 |
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1214年 |
金、モンゴルと和す。岐国公主、金帛、馬などをモンゴルに献上。 5-金、開封に遷都(モンゴルへの背信)。 6-モンゴルの武将ムカリ(木華黎)、金の遼東を征す。 |
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1215年 |
モンゴル軍、中都(北京)を占領。金の反将耶律留哥、モンゴルに来朝。 |
アフガニスタンのゴール朝、ホラズム朝に滅ぼされる。 |
1216年 |
2-モンゴル軍、金の太原を囲む。 12-モンゴル、金の大名府に迫る。 |
源実朝、渡宋を企て、宋の工人陳和卿に大船を造らせるが失敗 |
1217年 |
4-金、淮南に侵入。宋と戦う。 |
第5回十字軍、パレスティナに至る |
8-モンゴルの武将ムカリ、太師となり国王に封ぜられる。 金、[ベン]京(開封)を中京とする。 |