概 略 |
1190年
(建久元年) |
11月7日 源頼朝上洛し、後白河上皇を威圧するも征夷大将軍は認められず。権代納言、右近衛大将に任じられるが、任官の儀式を終えると辞任する。京官を務めることを避けたと考えられる。 |
1191年
(建久二年) |
朝廷は次々と法令を発し(建久新制)、頼朝に平時においても治安維持権限を与える。(この時に鎌倉幕府成立とも) |
1192年
(建久3年) |
6月 頼朝は鎌倉の永福寺の造営を開始。責任者は北条義時。9月義時は頼朝の仲立ちで姫の前と結婚、正室とする(その前に阿波の局との間に泰時を設けていた)。 |
後白河上皇崩御(66歳)により、7月12日 後鳥羽天皇(82代)が源頼朝を征夷大将軍に任命。鎌倉幕府を開く。後鳥羽天皇は13歳で、九条兼実が関白として政治を主導した。「征東代将軍」には義仲が、「惣官」には平宗盛が就任しており、不吉なことから、坂上田村麻呂の吉例がある「征夷大将軍」となる。しかし、在位2年あまりで辞任する(元々臨時の官職だったからか) |